上の子が中学生のころ、成り行き上 PTAの広報委員長をやっていたことがあります。 年に1、2回のゆるゆる刊行ですから、 別にそう大変なこともなかったのですが、 名ばかりでも委員の実績をつくるのだけが目的らしく、 (そうすると翌年以降パスできるから) 1回もミーティングに来ないという度胸のいい方も 結構いらっしゃいました。 それでも人手は十分足りていたので、 最初からこの半分でもいいのになぁというのが本音でした。
担当の先生は、 3年生の国語を担当なさっている若いK先生で、 「オグシオのどっちか」という雰囲気を持った、 かわいらしい人でした。
ある日、3年生の女の子に頼んだ原稿に目を通していると、 文中にこんな表現がありました。
「……「優秀の美」を飾りたい。……」
ん?これは単なる間違いか?それともわざとか? 人に文章指南をする立場にある本多勝一さんだって、 「アメリカ合“州”国」ってわざと表記しているくらいだし、 何がしかのコダワリがあるのかもしれないし…… とまでは、さすがに考えなかったものの、 判断つきかねて、K先生に尋ねることにしました。 本人に確認するには時間的に微妙だったので、 この子にも国語を教えているであろう先生なら、 何かヒントをくださるのではと思ったのです。
「……どうですかね」 「この子ね、すごくまじめな子なんですよ。 だから、素で間違えたんだと思いますよ」 「はあ……」
まあ、K先生がそう言うならと、 「有終」と書き直したはいいのですが、 どうしても「」がついていたことにひっかかりを覚えます。 もう4年も前の話ですが、 あれはひょっとして「わざと」だったのでは?と。 K先生も太鼓判を押すまじめな子の一世一代のボケだったら、 直したことで、傷つけてしまったのではないか……と。 今となっては、確かめようもありませんが。
なぜこんなことを思い出したかといえば、 私が住む市には、中学3年生を対象にした文学賞があり、 その今年の受賞者が新聞に載っていたのを見たからでした。 男子向けが、久米正雄に由来する「久米賞」、 女子向けは宮本百合子からとって「百合子賞」といいました。
私も中学3年のとき出品し、玉砕したことがあります。 書きたくもない旅行記と、ぐたぐだのエッセーと、 私なりのアバンギャルドを目指した詩でしたが、 (文章創作を2、3本まとめて出すように指 導された覚えがあります) 今思い出すと、 あんなもんをまじめに読んで、 しかも寸評を与えなくちゃいけない審査員に 同情したくなる出来栄えでした。
旅行記は、400字詰原稿用紙30枚に迫る 中学生にとってはかなりの大作でした。 添削に当たった国語教諭の鼻息も荒く、 毎日赤ペンを加えられ、何度も何度も書き直したのですが、 審査員からいただいたのは、 「おっとり口調の酷評」だけでした。 こうなると、国語教諭の指導手腕も疑われるってものですが、 最初から字の誤りぐらい訂正して出したほうが 同じボロクソに言われるでも、まだ納得がいきました。 「残念だったね」「はい…」 でも賞の性質上、「来年頑張ろうね」とは続けられません。
ところで、直せるのは字の誤りくらい…とはいえ、 「ゆうしゅうのび」の件もあり、 これもまた判定しづらいことがなくはありません。 中学生ぐらいまでなら、何か間違っていたら、 まずそれはただの誤認と判断できるかもしれませんが、 中学生ぐらいだからこそ、 痛々しいほどの思い込みを抱えてもいます。 「そんなのおかしいよ」と大人から言われて、 「私の辞書ではこうです。放っておいてください」 と頑張る子と、 「はい…(ったく、頭かてぇんだよ、この年寄りがっ)」 と引き下がる子と、 どっちが多いかといえば、やっぱり後者でしょう。
ここまで引っ張っておいてナンですが、個人的には、 「有終」を「優秀」とこだわりを持って置き換える人がいても、 失礼ながら、別におもしろいとも素晴らしいとも思えないので、 くだんの女子生徒のアレが単なる間違いであったことを 願わずにいられません。
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