恋するものは眠れない
真夜中に天井を通して星を見る 星はわたしのこころに静かに降りてくる それは世にも恐ろしい星座のかたち それは世にも恐ろしい殺戮の暗号・・・
恋するものは眠れない
明け方に彼の家の周り5キロ四方 いちめんの砂漠になる、ひとは死に絶える 鳥も獣も魚も水も緑もすべては死んだ 私のすべては死に絶えた
(谷山浩子「ボクハ・キミガ・スキ」より)
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何もできないまま起き上がってきた。 不眠? 断眠? そんなたいそうなものではないね、 ただ痒みと不安と耳鳴りみたいに襲ってくる虫の羽音で 気が狂いそうになっただけ。 「狂ったら」 からだじゅうが傷だらけになるでしょう 現に今わたしのからだは湿疹というよりも炎症というよりも かさぶただらけだということに昨日、気がついたばかり。 自分の体を痛めつけるのが癖になっているんだね、だから、 傷は傷を呼び、痒みは傷を広げ、 浮き上がってくる皮膚、はがれおちる細胞、 削りとられた傷跡にうっすらと血はにじむ。
そうしてわたしがだんだんだめになる。 笑いながらだめになる。 きょうは金曜日じゃない、土曜日だ。
バイト帰りに七夕まつり真っ最中のひとごみをかきわけて 精神科にいったのが昨日のことのように思えるけど、 それは間違いで おとといの話だ。
きのうは、目をさまして、ほんの6時間もたなかったから 記憶が入り混じって、混濁している。 そとのせかい、をわたしに知らせてくれるひとがいないから、 よけいに、 遠いところを眺めやるような気持ちになってただぼんやりとうつらうつら 何とも知れないものをみている ばかり。
不安は断続的に襲ってくる。 体感できる不安、というものがあることを わたしはびょうきになってからはじめて知った、 ような、気がする。
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きのう。 近所のうちで飼っている犬が、弱って弱って、死にそうになっているという話を 出掛けに父母から聞いた。 ひとのうちの飼い犬、 だけどわたしのなかでは少し、ほんの少しだけ 親しみぶかいやつだった。 いなくなったらいやだとおもった。かなしいよ、とおもった。 ただそう言葉にできるようにこみあげる感情以前に 容赦なくやってくる現実に対する大きな抵抗と、脱力感が、やってくる。
かみさまあたしのなかにあいたこの暗くてつかみどころのない穴を もうこれ以上ひろげないでください、できることなら、どうぞ おねがいします。
ご利益をもとめるのは信仰ではないと宗教の時間に大学の先生は言った。 けれどやはりわたしは祈ってしまう、願ってしまう、 そしてのろってしまう。 どこにあるとも知れないかみさまというその存在に いのちをかけたことがらに関しては、いつもながら、自分でもあきれるくらい、 最近は、祈ってしまう。
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帰ってきたときは夜で、もう真っ暗で、 かれはべったりと地面に横たわってぴくりとも動かなかった、 いつものように声をかけても顔もあげず、薄目をあけることもせず ただべったりと地面に寄りかかって命を支えていた。
金網の外から首筋をなでた。 心臓は脈打ち肺は呼吸していた。 はやく、あらく、 よわよわしく それでもやっぱり、かれは、
活きていた。
わたしから、とりあげられなかった、ささやかな、いのち。
それはただ一匹の犬なのではなく ただ一本の電話なのではなく ひとつひとつが、わたしをこのせかいにつなぎとめている 絹糸のようにほそい命綱なのだとおもう。
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夕刻。 NHKのニュースをみていた父が、「あ」、と声をあげた。 画面をみるとそこには小さな男の子の写真がうつっていた。 移植手術のため渡米する費用を募っていた子だ。 名前はよく知らないけれど、 でも。
やっとのこと夢はかない渡米したのだろうかと思えば、どこか趣がちがう。
「容態が急変して、亡くなった」
そうアナウンサーの声がことばをこぼした。 しかも、渡米にかかわる費用があつまった、そのときに、なって。 がつんと首筋あたりを殴られたかと思う。 うばわれたいのちがここにある。
泣いても 叫んでも 目をそむけても 戻ってこない、いのちが。
サトくん、あなたのところに2歳の男の子が旅立ったの ねえ、小さな子には、とても長い旅になるとおもうから どうぞ、迷わないように見守ってあげてね 道を間違えないように あの、あったかかった、手のひらを、差し出してあげてね わたしはもう借りられないけど。
(・・・・・・認めたくない涙がこぼれそうになるのは見えないふりをして)
そんなことがらにくらべればわたしの苦しみなんてちっぽけなくせに、 なのに、 この不安さんは、去ってくれない。
好きなときに 好きなだけ わたしを食い荒らして 去っていく。
……目眩がするよ。
「たすけて」
そうつぶやいても逃げ場がないことをとうに知ってしまったから 死という最後の砦に手を出そうとするのかな。
サト君に、会いたい
傷だらけのからだで痒みと痛みの中で思考力は落ち、 呆然とそう考えている自分に気がついて じぶんをせかいにつなぎとめているものがだんだん細くなっていることを うっすらと認識した、今日の半日。
今日は、たなばた。
わたしは誰にも会いたくないけど ただもう、わたしのまわりに居なくなってしまったひとたちになら 一年にいっぺんくらい 会いたいと、思う。
そこぬけにまぶしい、おおぞらのしたで。
わたしを貫くみたいに降ってくる、ほしぞらのしたで。
風に吹かれて。
2002年7月7日、深夜 まなほ
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