ほったらかしのままの日記はそのままわたしのまいにちとおなじ。 わたしはわたしを投げ出して、そうして忘れていた、ここ数日。 とびとびの記憶をあやつって
わすれたころに、ただ ぼんやりと浮かぶことば
「きずだらけの腕にはちからがない」
引っ掻ききずと、かさぶたと、炎症とでおおわれた このみにくい腕には、なぜかもう、ちからがない
絶対的な、あの、ちから
じぶんのからだを支えるのは かならずしも足の裏ではなくて たとえば肩とそれにつづくなだらかな背中とくびが空をささえて ひとはいきているのだと そんな歌があったような、気がする
そのように
わたしのうでには 今 なんのちからも、のこってはいないようなのです
誰彼となくあちこちからすこしずつ齧りとられていった腕のかたちはみにくくて 歯形さえも残しながら、ただ、細胞の欠片をちらしながらそこに横たわるだけ。
たとえばなめらかにうつくしい腕。 そこから血液をしぼりとるとかいうイメージが病的じゃなく とてもヘルシーに思えるうでをもつひとにわたしはすごくあこがれる
(このあいだそんなひとに会った) (昔はこいびと、今はおともだち)
きれいなうで。
わたしもいつかは持っていたのだろうか きれいなうで。
もういちど、手に入れることはできるのだろうか わたしをささえるだけの力をもった あの腕を。
あの脚を。
あの体を。
ただ、みにくく沈殿した色素のないものにあこがれています。 病気に食われてしまったからだを持て余して眠ってばかりいたものの 目をさましても、そこには、やはり、 病気に食い荒らされたからだが横たわっていて、わたしはときどき投げ出したくなる。
あしたを。
やってくるはずのたくさんのあしたを。
ながくながく眠っていて 目がさめたら この、やっかいなわたしと共にあるびょうき、というものが ひとつでもいい、消えていてくれたら いいのにな、と 弱気になっているときは、つい そんな夢想を、してしまうのです。
おやすみなさい。
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