よく、ころんだ日。 気がつくと地面にいる、 やわらかく世界が回転して 床に、ころがっているわたし、わたし。
なぜに、と あきれられるこの たやすい足元。
そとに出てゆく。 相棒のせなかにくっついて、外をみていた、 このひとはときどきシェルターとはいわなくとも くもりがらすの衝立のように わたしと、外のあいだをふさぐのだ。
年をこえるためになにかがほしくて みかん色の実をつけた濃い緑の千両と、フリージアを一本 お花屋さんで購入。 うちにある、褪せた紅のよなスカビオサといっしょに玄関にかざりましょう。
そしてころぶ。 ころびつづける。 お薬の副作用は、ココロらしきところがよわったら 強く出てくるのだろうかとぼんやり思う。
今はそれ以上考えたくないよ、 感じてしまうから。きっと くりかえし訪れたさまざまな死や 心臓を壊すような音で鳴った電話のことを なにもできなかったあたしを なにもしなかったあたしを
ヒステリックに、わらう。 元気とはちがう陽気をふりまいて今年はおしまいになるのかな。 おしまいなのかな。 あのひとを悼むための涙はかけらもなくて、 泣く権利なんてないからと言えば、それは あたしのなかではホントウだった。
なんにもね なんにも 手を伸ばして触れようとすることさえ 指のひとつを、しっかりと 握ろうとすることさえ
12月30日、つよい風の日。真火
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