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■ 【手記】私が何故、コゲニ貧乏なのかの理由 (Part�機�
パート初日はクタクタ、ヘトヘト、ボロボロ・・・そんなパートのボヤキは、散々BBSのレスで書きまくって、皆に訴えたので、スッキリしたけど♪♪(身体もスッキリしてくれたらいいんだけど、腰、超〜痛過ぎ・・・・・・^^;)
処で・・・・・・。
私が、どうしてこんなにも貧乏だと言うと・・・・・・(爆) (これに付いて、語り始めると、長〜〜〜〜〜〜〜くなりそうなので、何度かに分けて書こうと思う。(^^;)
『平たく』言えば【小さな頃から、無いものねだりの盛んな人間だったからだ】の一言に尽きるのだが。(爆) でも、これじゃぁ、皆に、「あっち行けシッシッ!」と言われちゃいそうなので、少し、自己弁護も兼ねて『厚ぼったく』言う事にする。(爆)
サテ・・・、此処からが本文。
以前にも書いた通り、(ハテ?書いたっけかな・・・?) 私の祖母は、ムーランルージュと言う、昔、新宿に在った劇団の看板女優。&私の祖父は、舞台の脚本並びに、物書き、舞台監督など、色々手掛けていた鬼才と言われたほどの人物だったらしい。(奇人変人でも有名だったそうだ) 二人とも、早死にだったので、私は写真でしか知らないが・・・・・・。
その流れで、私の両親は、二人とも全く売れない役者だった。 しかし、母はTVドラマの準レギュラーが一本、父は喜劇役者(現代劇&ストリップ劇場の前座のコント等)それが二人の唯一『役者』と呼べる仕事だった。
私の母は、3人姉妹の真ん中。父は4人兄弟の末っ子。
私の家族は、そんな両親と、父の母である祖母。その姑である、曾祖母との五人。 両親共々、役者は捨てきれないものの、それだけでは無論、生活が出来ないので、母は銀座の雇われマダム&父は、調理補助のバイトなどをしながら、幼い私を祖母等に預け、生計を立てていたのだ。 が、その祖母達が、犬猿の仲だったので、母も私も、散々苦労した。
しかし、母の姉(叔母)は、結構名の有る女優で、末に、日本で3本指には入ると言われた、喜劇王の妻に収まった。 母の妹(叔母)も、二枚目で有名だった、某俳優の妻になった。
そんな中、曾祖母が病で寝たきりになり(その後、半年後に亡くなったが)それを期に、母は徐々にノイローゼ気味になって行った。 曾祖母は、祖母が作ったものには『毒が入っている』などと喚き、母の作った物しか口にしないのだそうだ。赤子のようになった曾祖母は、母に甘え、母だけを頼り切っていた。
叔母から頭金を借り、見栄で家(離れには賃貸アパートも)を新築した矢先の事で、母としては、仕事、返済、看病とで、クタクタだったのだろう・・・・・・。
母は当時、とても姉妹達の成功を『根』に持っていたのだろう。(爆) かなりひがみっぽい性格だった。 私のイトコ達が、裕福で、楽しげな暮らしをしている事にコンプレックスを抱いていたのか、自分の亭主の不甲斐無さに呆れ果てていたのかは知らないけれど、私の家はしょっちゅう、そんな原因からの夫婦喧嘩の絶えない家庭だった。 夫婦喧嘩に、祖母や曾祖母が加わると(曾祖母が元気な頃ね)、もう、世にもオソロシカァ〜〜物となった。(爆)
母は、何時も、 『なぜ、自分だけが・・・・・・?』 そんな意識を持ち続けていたと思う。
【次回に続く・・・】
2003年03月06日(木)
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