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■ 【手記】私が何故、コゲニ貧乏なのかの理由 (Part�供�
そんな母が、ヒステリックになるのも当然だよなぁ〜と、私は、幼心にも、母に同情していたような気もする。
始終、ウダウダと文句ばかりを言っている母に、嫌気が刺したのか、虚しくなったのか、父はドサ周り先のストリッパーのオネエチャンと出来てしまい、私が小学校の三年の時、それが母にバレ、即離婚。 母は私を連れ、折角建てた世田谷の家をとび出してしまったのだ。
父は、優しくて、ユーモラスで、不真面目で、ノンベェで、淋しがり屋で・・・、ギャラの殆どを仲間に奢ってしまうようなお人好しのダメ人間だった。 一つ姉さん女房の母は、美人で、勝気で、プライドの高いしっかり物。 そんな二人だから、仲良しの時は本当に楽しいけれど、喧嘩をすると凄まじかった。(^^; 私は父も母も同じくらい大好きだったので、両方の気持ちが解り、両親の離婚は、とても辛かった・・・・・・。
そして、しばらく身を寄せたのが、幡ケ谷に在った叔母(母の妹)の家。モチロン学校も転校。 叔母の家は裕福だったので、私に不憫な思いをさせては可哀想だと思った母は、昼夜働いていた為、母とまともに顔を合わせられるのは日曜くらい。
ただ、叔母の家には、年の近い二人の従兄弟が居り、それはそれで急に兄弟が出来たようで、楽しかった。 食事も叔母の家族と一緒にさせて貰っていた。でも、やはり、一家の団欒を目の当たりに見ると、物凄く羨ましくて仕方がなかった・・・・・・。 私だけが一人よそ者・・・と言う気持ちも否めなかった。
この頃から、母の『羨ましがり屋』が、私にも、徐々に宿ってきたのだろうか。(爆)
その当時、母は、淋しい思いをさせている負い目から、毎週日曜日といえば、レストランやデパートや、映画館や遊園地に私を連れて行っては、たくさんの贅沢をさせてくれていた。 母は、然程お金に余裕があるわけでもないのに、お金の使いっ振りは良い方だった。 私の(自分もだろう)心の空白や欲求不満を、そんな形で埋めてくれていたのだろう・・・・・・。 そんな形でしか、愛情表現が出来ずに居る母も、私は又、愛しかったし大好きだった。
【次回へ続く】
2003年03月07日(金)
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