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■ (日記) 今わたしにできる事……。
ここのところ一日数回は聞く「いま私にできること」 もう耳にタコで、この言葉を聞くたびになにか憂鬱になったりすることもあり、日本中から何かしろ!何かしろ!おまえは何が出来ているのか!!と急かされているみたいで異様な強迫観念さえ感じてくる。
直撃された被災地の人々へや、地震が起きた事により間接的に被害を被っている人々へ、アタシなりに思いを馳せることや苦しみの共感は抱けても、もはや自分の生活を日々維持するのさえ難しい人々が徐々に増えていく中、アタシは自分にできる事なんて何もないのではないか……と思い始めている。
松本は今のところ、地震の被害も原発の危機も計画停電もない。ただ、今のところないだけだ。 もう今は、日本中が明日への恐怖感や不信感や不安感の塊なんじゃないかと思う。 皆明日は我が身の危機感を抱いている。
昨日もお客は一人だけで、売り上げは1400円。 義捐金どころか、アタシの財布の中身が底をつきそうだ。 そんな時にアタシにできる事を考えると、無力感に襲われて仕方がない。
なので出来る人たちは精一杯人々を助けてあげてください。と願うしかない訳で……。 こんなアタシなんかは、遠い被災地の人に思いを馳せるのは取りあえず置いておき、今は周りにいる身近な人々が少しでも気がまぎれるような良い日記を書き、店に訪れてくれた人たち一人ひとりと真剣に付き合い、話をし、耳をかたむけ、面白いことを言って笑わせたり、一瞬でも不安やストレスから互いを解放し合い、自分の生活をかろうじて維持する事。そのくらいのことしかもうできそうな事はない。 いつ何が訪れても後悔のないように、日々を真剣に生きる。ただそれだけだ。
昨日来た(O)と、色々な話をした。 震災について、原発について、今日本人が置かれている立場や、自分たちの立場について……。
不謹慎なのかもしれないがアタシはついついこんな事を感じてしまう。
今迄が何十年も苦しくて、人におんぶにだっこでギリギリで生きてきた無様なアタシなんかが死なないで、将来に希望や夢をたくさん持った、ちゃんと生きていける人たちが大勢亡くなっている。 善人で亡くなった人々も沢山いて、生き残った悪人もたくさんいる。 そんな事が理不尽で理不尽でならない。
でも、アタシは時々思うのだ。 今回の地震で亡くなられた人に限らず、病死にしても事故死にしても、亡くなれた人って一種羨ましい気さえする。 人間が一番の恐怖と感じている筈の死を乗り越えられた人たちは、もう明日の生活に脅かされる事もなく、貧困に苦しむ事もなく、悩む事もなく、何よりももう、人間の最大の恐怖であるはずの死を考えなくても済むのだもの……。
今朝、久々に夢を見た。 亡くなった大勢の人々が満面の笑顔で楽しそうに空から手を振っているのだ。 その中には母もいたし、父もいたし、祖父さん、祖母さんも従姉妹もいたり、友人もいた。
「何よ! 毎日こんな不安や貧乏と闘いながら必死で頑張っているっていうのに、そっちはやけに楽しそうね〜」
アタシがそう言うと
「そうよ〜。とても穏やかで楽しいわよ〜。なんでも好きな事が出来て、好きなところに行けて、快適ったらありゃしないもの。ねぇ〜皆」
「アタシもそっちに行きたくなっちゃうじゃない」
そう言ったら
「まだまだアンタの修行レベルでは十年早いのよ。そう易々とこっちには来させられないわよ。もう少しそっちで苦しい修行を頑張んなさい〜。アカンベ〜だ!!じゃぁね〜お後をよろしく〜」
だって…。
やはりアタシの身内は、皆、死んでも辛口辛辣だった。
亡くなれた人と、この先の不安な日本に生き残った人とは、どちらが幸せなのかは解らない。 でも、生き残ったのだから何かをしながら生きなきゃいけないのだ。 あっちに呼んでもらえるまでは、生き残ってる以上、何らかの役に立ちながら一生懸命生きなきゃならない。 じゃなきゃ、いつまでもアタシの修行地獄は終わりそうもないのだ。
なんか死者たちがあまりにも楽しそうで、生き残ってる人は死んだ人々を憐れみ悲しんではいるが、亡くなった人々が必ずしも不幸なのではないのかもしれないと、少しだけ気持ちが救われた夢でもあった。
2011年04月06日(水)
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