ジョージ北峰の日記
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2003年02月16日(日) 雪女 ”クローンA”の愛と哀しみ

 久しぶりに正月を都会の実家ですごし、赴任先の村へ帰ってきたのは正月を5日も過ぎた6日目の夕暮れ時だった。おりから降り始めた雪で辺りはすっかり雪景色に変わっていた。音も無くさらさら降るこの地特有の雪は美しくもあり、不気味でさえあった。冬、村はいつも雪で覆われるためそれなりの身なり、それなりに装備した車、そしてそれなりの覚悟を決めて帰ってきたつもりだった。
 その日は大雪の予報が出ていたため、帰らない方が利口ではと周囲から引き止められていた。しかし末期がんや半身不随で苦しんでいる人たちの姿を思い浮かべると矢も立ってもいられず村の診療所へ帰る決心をしたのだった。
 村の中心部に鎮守の森があり周囲には水田、畑が広がっていた。人家は山手の方向に点在していた。私の赴任した診療所は山の中腹に位置していた。車で林道をゆっくり走ると、人家の灯りがまるで精霊流しの蝋燭(ろうそく)の灯りのように雪の合間に揺れて見えた。村に入ってもその夜はひっそり静まり返り、人家の門は固く閉ざされ人影は辺りには見えなかった。
 しかし春には桃の花が咲き、鶯が鳴く、五月晴れには藤の花が木々の枝越しにしなだれかかり、カッコウの声が響く、その景色はさながら桃源郷のようだった。だが冬は都会育ちの私にはとても馴染めるものではなかった。無医村の医学研究と言う大きな目的意識でもなければとても我慢のできる季節ではなかった。
 その夜、診療所へもう少しの所へ迫っていた。
 と、前方に雪に埋もれるようにうずくまる黒い影に気付いた。雪明りとは言え、辺りは降りしきる雪と木々に覆われ視界も悪く、その実体が何なのかさっぱり判然としない。この辺りのことだから熊か鹿かと思ってみたが見当がつかないと言うのが本当だった。
 あるいは幽霊か?
 この世に、それはある筈がない。自分の一瞬の恐怖心を笑って見たが少しぎこち なかった。
 しかし、用心は必要、熊としてもだ、と自分に言い聞かせながら警笛を鳴らし、 ライトを点滅した。
 と、黒い影が少し動いたような気がした。
 あっ、あれは手、手を振っている。何だ人かーー。
 それにしても何の為に?
 診療所へ来るつもりだったのか?病人か?
 だとしたら早く助けなければ。
 それにしても正月は休みと言っておいたはずだぞ!
近づいてみると、黒い影の正体は中学生ぐらいの女の子だった。どうした?と尋ねると診療所へ来るつもりだったと言う。今夜、先生が帰ってくると聞いたと言うのだ。寒々とした診療所に急いで明かり、暖房をいれ、凍傷が怖いから暖をとるように指示をし、熱いコーヒーを入れてやると、はにかみながら礼を言った。そして初めて笑顔を見せた。
 雪焼けした顔に白い歯、それにこの地では珍しい薄い髪の色が印象的だった。
それから、少女は時々診療所へ顔を見せるようになった。
 ある日、その娘(こ)は自分も先生のように人の役に立つ仕事がしたい、どうすれば先生のように成れるのかと尋ねた。先生のように無医村で一人、頑張る人の手伝いをしたいと言うのだ。
 私は都会での医学・医療のシステムについて、また田舎での医学研究がどんなに重要な医学知識を提供してくれるかについて説明してやった。将来。私の理想としては世界の秘境と言われる所で医学の研究をすることだ、など熱っぽく語ったように思う。そんな時、彼女はもを輝かせ興味深そうにしかし幸せそうに聞き入っていた。
 それからしばらくして、村の学校を卒業したのか、彼女はまったく姿を見せなくなった。
 その間、私はと言えば村の人々の間に異常に高血圧が多いこと、胃癌の発生率が高いこと等に関心を持つようになり、村の遺伝的背景、食生活など学会で発表する一方、その早期発見、治療の為診療所をさらに充実させる必要のある事、また医学的に極めて興味深い地域であり、研究対象地域に指定されるよう知事や議員、医師会へ働きかけていたことなどで忙しくもあり彼女のことは記憶の彼方消えようとしていた。


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