ジョージ北峰の日記
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2003年09月28日(日) |
雪女、クローンAの愛と哀しみーつづき |
XI 私の日記はここで暫く途絶えている。日記を書き続ける精神的余裕がなくなったからだった。勿論科学者として日記を継続することの重要性については充分理解していたつもりだった、が、A子の夫として、やはりそれはあまりに興味本位にすぎ道徳的に許されないと思ったからである。それに、将来人に知られたくない出来事が記録として残ってしまうことを恐れたからだった。しかし、以後の出来事については、忘れもしない私の心の奥深くに今も鮮明に残されている。 A子が産科のC先生を受信した日、折り返して彼から私に直接電話があった。彼の話によると、子宮に接する後腹膜腔に前回の検査では見られなかった、かなり大きな腫瘍が出来ている、増殖の速さから考えると悪性腫瘍が極めて疑わしい、と言うのであった。出来るだけ早い機会に精査を受けたほうが良い、もし悪性なら今回は妊娠を断念してでも腫瘍の治療に専念するべきだ、今ならまだ治療可能な状況だ、出来るだけ早く決断したほうが良いと言うことだった。子宮筋腫じゃないのかい、と尋ねると、彼はそうあって欲しいが残念ながら場所が違う、それに筋腫なら彼の経験からすぐ分かると答えた。妊娠は再度可能だが、悪性腫瘍は放置しておけば母体の命取りになる、と言った。 彼の話は(ある程度予測していたこととは言え)現実に聞くと、やはり背中から冷水を浴びせかけられたような衝撃だった。それから彼はしきりに何かを話していた。が、私には殆ど何も聞こえていなかった。 しかし断片的に聞いた話をまとめてみるとA子はまだ若い、妊娠のチャンスは何度でもある、だが癌は今治療しないと取り返しがつかない。勇気を出して堕胎し腫瘍の治療に専念しろ、と言うことだった様に思う。 それは私にだってよく分かっている。でも、A子が納得するかどうかーー 馬鹿なことを言うな、彼女を助けたくないのか?彼女のような有能な助手を失ったら、今後同じような人を君が見つけることは、金輪際不可能な話だぞ! 彼の助言は、医者として私の友人として、当然のことで納得の出来る内容だった。否、思いやりに満ちた忠告だったようにさえ思う。 A子がクローンでなければ、何の躊躇い(ためらい)もなく彼の意見に従っていただろう。しかし、そのとき私は曖昧で空ろな返事を繰り返すばかりだった。 彼が話している間も、私は彼に真実をすべて話したほうが良いのではとか、いやA子との約束を守るべきか等、どうすればよいのか心迷っていたのだ。 私の返事に苛立った彼は早い決断をするべきだと強い口調で促すと、一方的に電話を切ってしまった。 A子に如何説明すれば良いのか?それはとても困難なことのように思えた。私はすっかり考え込んでしまった。このような状況下になって初めて、どうしようもない自分の弱さに気付いたのである。 本当は彼に全ての真相を話し、相談にのって欲しかった。しかしやっとのことでそれは思いとどまった。妊娠してからの彼女の幸せそうだった様子を振り返るとき、運命は一体何処まで彼女を苦しめれば気がすむのか?と天を恨みたくなった。(しかし本当は人間の、いや彼女の父の無謀な試み(?)に対してこそ怒るべきだったかも知れない。彼女は人間の顔をした悪魔の好奇心によって作り出された犠牲者だったのではあるまいか!) それにしても、こんな時に何の力にもなれない自分が歯がゆく、こみ上げてくる悲しみに如何することも出来ず、地団太を踏む思いだった。
私の心は決まっていた。C先生の薦めるように彼女の命こそ第一義的に救うべきだと!その為には、今回妊娠を夢のことのように喜ぶ彼女を如何説得すればよいのか?彼女の悲しむ姿を想像すれば、話を切り出すことがとても不可能のことのように思えた。しかし事態は切羽詰まっていた。手術をするなら急がねばならない。話すタイミングこそ大事、如何切り出せばよいのか?色々思案をめぐらして眠れない夜が数日続いたように思う。
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