スタンドから眺める木漏れ日
DiaryINDEXpastwill


2002年02月23日(土) それでも生きていく

3週間ほど前、友人から電話をもらいました。

最愛の人をとてもやりきれない形で亡くした、と。

言葉が見つからず、慰めも励ましもできなかった自分の無力さを悔やみました。



今日、友人の家に行きました。

近々引っ越すとのことで、その準備段階として大量の本を古本屋へ運びました。

そして、主がいなくなった自転車を譲り受けました。



去年の秋、ニュース番組で偶然知った白血病の幼い男の子が

骨髄移植を目前にして亡くなりました。

ドナー(骨髄提供者)が見つかった時には費用が足りなくて、

募金が目標額に達したときにはドナーの選択が白紙に戻ってしまった

…運命のいたずらとはこういうことなのだろうかと思いました。



でも、神が与える試練には必ず理由があると思いたい。

生きている私たちにできるのは、長い人生の中で

辛い出来事を意味のある大切な出来事に変えること。

一つの命を失ったことが決して無駄に終わらせないように

私たちはは生き続けなければならないのです。



失った人の思い出にとらわれることなく、けれども忘れることなく

前を向いて歩いていくのが、私たちにできること。

生きていれば、必ず「次」があるから。


Shiratama Akkey |MAILHomePage

My追加