スタンドから眺める木漏れ日
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3週間ほど前、友人から電話をもらいました。
最愛の人をとてもやりきれない形で亡くした、と。
言葉が見つからず、慰めも励ましもできなかった自分の無力さを悔やみました。
今日、友人の家に行きました。
近々引っ越すとのことで、その準備段階として大量の本を古本屋へ運びました。
そして、主がいなくなった自転車を譲り受けました。
去年の秋、ニュース番組で偶然知った白血病の幼い男の子が
骨髄移植を目前にして亡くなりました。
ドナー(骨髄提供者)が見つかった時には費用が足りなくて、
募金が目標額に達したときにはドナーの選択が白紙に戻ってしまった
…運命のいたずらとはこういうことなのだろうかと思いました。
でも、神が与える試練には必ず理由があると思いたい。
生きている私たちにできるのは、長い人生の中で
辛い出来事を意味のある大切な出来事に変えること。
一つの命を失ったことが決して無駄に終わらせないように
私たちはは生き続けなければならないのです。
失った人の思い出にとらわれることなく、けれども忘れることなく
前を向いて歩いていくのが、私たちにできること。
生きていれば、必ず「次」があるから。
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