声の音

2002年06月23日(日) ゆらゆらと水

今日のお芝居は「ゆらゆらと水」
後輩が出ていたので行ってきました。
以前行ったときの演目は
なんだか難しくて(途中からのせいもあるが)
結局何が現実で、何が現実でなかったか
よくわからないままだったけど
今回のは、ちゃんと見れた。

人は誰だって、選択をするときがある。
そのどちらかを選んでしまえば
もう一つの選択肢の結果は一生知ることが出来ない。
たとえ、いつか同じ様な選択があったとしても
それは前の選択とは全く別物。

時に現実に悩むと
選ばなかったもう一つの選択肢が
妙に輝いて見えたりする。
仮定でしかないとわかっていても
もしあっちを選んでいたなら…と思ってしまう。

でもさ。
仕方ないよね。
えらんじゃったんだから。
そして選んだ選択肢の中で、こうして進んじゃったんだから。
小さな出来事がたくさん積み重なって
一つの大きな選択肢がくる。
そしてまた小さな出来事を積み重ねていく。

選択、は劇中のセリフである「終わりのための始まり」
に似ていると思う。
小さな出来事を積み重ねているのは
次にくる選択=始まりのため。
そしてその「終わりのための始まり」を
いくつも繋げて、私達は生きている。

だから、もう一つの選択肢は二度と手に届かない。
背を伸ばして、目を前に向けて
今まで積み重ねてきた小さな出来事と
そこにいた自分を、大事にしなくちゃ。

レイに「お母さん」と呼ぶことを許して上げられなかったクリコ。
そう呼ばれてしまったら
もう私は、今の私を保てなくなってしまうから。と。
死んだ子供の経った一つの願いも聞いてあげられなかった。

生きていくって、そう言うことの連続。
それで泣いても、それもまた生きると言うこと。

もう一つの選択肢を選ばなかった寂しさは
今受けてる。
それもまた、選択したからには当然つきまとうものだ。
とりあえず明日からまた、忙しさに紛れてこよう。


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水井ちな [MAIL]