今日のお芝居は「ゆらゆらと水」 後輩が出ていたので行ってきました。 以前行ったときの演目は なんだか難しくて(途中からのせいもあるが) 結局何が現実で、何が現実でなかったか よくわからないままだったけど 今回のは、ちゃんと見れた。
人は誰だって、選択をするときがある。 そのどちらかを選んでしまえば もう一つの選択肢の結果は一生知ることが出来ない。 たとえ、いつか同じ様な選択があったとしても それは前の選択とは全く別物。
時に現実に悩むと 選ばなかったもう一つの選択肢が 妙に輝いて見えたりする。 仮定でしかないとわかっていても もしあっちを選んでいたなら…と思ってしまう。
でもさ。 仕方ないよね。 えらんじゃったんだから。 そして選んだ選択肢の中で、こうして進んじゃったんだから。 小さな出来事がたくさん積み重なって 一つの大きな選択肢がくる。 そしてまた小さな出来事を積み重ねていく。
選択、は劇中のセリフである「終わりのための始まり」 に似ていると思う。 小さな出来事を積み重ねているのは 次にくる選択=始まりのため。 そしてその「終わりのための始まり」を いくつも繋げて、私達は生きている。
だから、もう一つの選択肢は二度と手に届かない。 背を伸ばして、目を前に向けて 今まで積み重ねてきた小さな出来事と そこにいた自分を、大事にしなくちゃ。
レイに「お母さん」と呼ぶことを許して上げられなかったクリコ。 そう呼ばれてしまったら もう私は、今の私を保てなくなってしまうから。と。 死んだ子供の経った一つの願いも聞いてあげられなかった。
生きていくって、そう言うことの連続。 それで泣いても、それもまた生きると言うこと。
もう一つの選択肢を選ばなかった寂しさは 今受けてる。 それもまた、選択したからには当然つきまとうものだ。 とりあえず明日からまた、忙しさに紛れてこよう。
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