気分刊日記

2002年06月22日(土) 俗物日記

 いや、安い性格でほんとスンません。6月14日の時点で半ば終了していたものが本日、唯一残った興味の対象まで取り上げられ、私の記憶の彼方に葬りさられました、と言うより抹消。世の中には‘分不相応’とか‘身の程知らず’とか‘時期尚早’と言う言葉も有りますが、‘無我夢中’‘自己満足’‘猪突猛進’には適わないみたいです。もう、最低を通り越して‘最高の最低’に至っているので、呆れて物が言えないと言うか、勝手にやってればって感じ。
 でもピッチに描かれている流れ自体はそれほど酷くはない、むしろ理想的な組織なのですが、その周りに見えてくるもの、むき出しになっているものが生理的に受け入れられない。

 で、今日は昼頃から車検の予約が入っていたので出向きました。今回も、軽自動車とは思えない車検代を払ってかなり凹んだ。その後。件の結果更にブルー。
 気を取り直し、月末も迫ってきたので恒例の株券消化週間で夕刻より新宿に出向きました。したら、歌舞伎町で太鼓を打鳴らし、狂喜乱舞するレッドデビルズの行進に出くわして脇道に逃げました。まあ、日本が同じ状態になっていたら同じ状況ができてたんだろうなぁと言う考えを持ち出して、仄かな嫌悪を打ち消し、ガンバレおまわりさんと囁き映画館へ。今更ながら歌舞伎町(特に大久保から歌舞伎町裏)の無国籍濃度の高さを思い知らされ、お前等何処にそんなに居たんだ?
 しかし、この時期微妙な映画しかやってない!それでも見たのは、「ジェボーダンの野獣」「ヴィドック」と続いてやってくるフランス産VFXサスペンス最新作『ルーブルの怪人』。どう考えても3流映画、ビデオスルーも危うい作品を劇場公開させたのは只只“主演:ソフィー・マルソー”の一点!その後、レイトショーで「メイド・イン・ホンコン」「花火降る夏」「リトル チュン」の香港返還三部作で高い評価を受けたフルーツ・チャン監督の『ドリアン ドリアン』

 『ルーブルの怪人』これ程何の興味も涌かないし、見終わっても何も残らないし、書く事がない作品も珍しい。どうもフランスって言うのはハリウッドの真似をすると絶対に失敗するらしい!ハリウッドの様にデコラティブにしろとは言わんが、話しの流れにメリハリがないし、人物設定・描写が薄ペラい。中途半端に出合ったヒロインと男が、深みの無い恋愛をフランス人のクセにあっさりと演じていたり、キレるンだかボケてるんだか解らない老刑事は幾つになってもお盛んなラテンぶりを発揮してみたり。VFXも「インディー・ジョーンズ」並にしか見えんし、頼みのソフィー・マルソーも全く脱がん!(とは言え、もう36ですか…)。発掘現場のセットでのオープニングや、資料映像風のタイトルロールからしてせこさが滲み出てる!!唯一の売であるル−ブル美術館全面協力の長期ロケにエネルギーと時間が費やされ、作品自体が呪われてしまったかの様な退屈さ。ラストの落ちは勧善懲悪のハリウッドに比べ、共和国フランスらしく、善悪以外の何処か(エジプトだけど)東洋的なエスニックな匂いとブラックユーモアを交えたものだった。でもそこへの話の道筋が今一つ纏りきらずヤマ場も無く、せっかくのreal artも中途半端にしか写らず、スクリーンでは美しさが半減!

 『ドリアン ドリアン』なんか中国映画の方が好き。取り敢えず、香港のシーンで出てくる食い物(ほぼブッカケ飯のお弁当)が懐かしくも旨そうに見えた。香港での常宿だったラッキー・ゲストハウスの近くにあった弁当屋はあんな感じだったと思う。ある時、その宿で「ドリアンと臭豆腐はどちらが臭いか?」と言う話になり、宿の客が夜の街に買い出しに行った事が有る。臭豆腐がなかなか見つからなかったが、結局二つとも偉く臭かったのは覚えている。機会があったら二つとも匂ってみて欲しい。映画も、そんな無邪気で素朴な面と、現実の辛くて痛くてタフな面を素直に同居させている。無論、オールロケや手持ちカメラ主体の撮影と言う事も有るが、この監督得意の素人起用(職業俳優を一切使っていないらしい)による新鮮さと、しっかりした取材に基づく人物描写が上手くミックスされているからなのかもしれない。ドリアンと言うとても印象的なアイティムを使っているのに、あまりクセがないようにも見えるかもしれないが、土地・生活環境・価値観・教育が如何に夢と現実を作り隔て認識させるのかと言うちょっとしんみりするお話。 一昔前の日本や、今の歌舞伎町でも同じ物語は有るかもしれない。


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