| 2004年05月12日(水) |
いかん、誰かに似ている! |
休みボケか、心理的なものか、月曜火曜が物凄く疲れてしまった。で、仕事も早々に切り上げて21日までとなってしまった、『タカダワタル的』を見に行く。
高田渡、個人的には’93年にハウス・クリームシチューのCMに使われた時、一気に露出が増えたんだけど、その時に良く見かけて知ってはいた。そのときも「まだ生きていたのか」と言われていたくらいなのに2000年を越えてからセミ・ドキュメント見たいなものが作られるなんて驚き。
映画はかなり面白かった。多分殆どの人が、観ていると「いせや」に行きたくなる。この日記を見ている友人はそのうちの週末に行きましょう!その後でカラオケ、できればそこで『生活の柄』か『ホントはみんな』(シチューのCMで使っていた曲)なんか歌って見ようと思う(カラオケに入っていたら)。
で、身を持ち崩すような酒飲みで人好きする憎めない生き物が高田渡なのだが、それに近い知り合いが私にも一人いて、それに付き合って飲んで身を持ち崩しかねないのが私だ。取りあえず、彼はまだ(高田渡るよりは)若いので信じられないほど健康、むしろめったに酒を飲まない私よりも健康。血の代わりにアルコールが流れていると言われるほど始終酒を飲んでいる。
地元に着いたらそいつから電話が掛かってきて、吉祥寺に行こうと言い出した(PM11:30)。ああ、そこで断らない私はアホだ。それも、高田渡のように純粋に酒ではない、不純な酒なのだから・・・。
『タカダワタル的』:タカダワタルは犬である。それも、“今年大学を出て社会人になった娘が生まれる前から家にいるヨレヨレの老犬(雑種)”といった風合いである。でも、その犬は家族の皆から忘れられていたりするのだが、いざ居なくなってみると一家総出で心配して探し回り、見つかった時には“犬と家族絆”そして、(実はほぼ家庭崩壊を起こしていた)“家族の絆”が再確認される、高橋留美子の短編みたいな要素を持っている。 存在が愛されている、存在し続けることが周りの人にとっては当たり前の様な空気のような存在だと思った。 しかし、あの皺くちゃでボロボロの風体でも、まだ55才だと言うのだから、普通だったらどんな人生だったのか怖くて余り聞けない。本人は「大した事無い人生だよ」と言いそうだけど。
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