とかくこのごろ無責任になりがちだ。いい加減考えなきゃ行けない事を放り出して火曜に夏休みの残りをくっ付けて4連休にしてしまいました。そのくせ、今日が最終日のレイトショー映画『たとえ世界が終わっても』を観るために仕事を20時半に切り上げて急ぎ渋谷へ。ついた劇場が妙に混んでいるなぁと思ったら、実は最終日のため劇場が満席になてしまい急遽2つあるスクリーンのもう一方も解放して上映する事になったとか!それも、両方満席。
終映後、ふらっと下北沢に降りてブラブラした後、マイミクさんがVJすると書き込みにあったイベント「ミュージック・スーパーノヴァ!'97シリーズ3」【特集:くるり】に潜入!会場の下北沢CLUB QUEが13周年イベント中ってことは、俺が前回ここに来たのは10周年イベント中のhalのライブだったから3年前ですよ。もう3年?
ってか、まぁライブだったいざ知らず、DJが流すくるりの曲に合わせて円陣組んで飛び跳ねる若者達がちょっと羨ましいような感じで、黒霧島ロックをちょびちょびと。あと、くるりフォロアー?と言うかフリッパーズのフォロアーとして扱われたブリッジ、もしくはカジヒデキの様なポジションでまつきあゆむさんがライブ出演されていたけれど、どうにもそのドラムの人(熊谷さん)が気になったので声をかけてしまいました。
話を聞くと彼は、元来パーカッショニストでドラムを叩くのはまつきあゆむくんのバンド編成の時ぐらいと言う事でしたが、今度、別のバンドやライブがあったら聞いてみたいので教えてくださいといってメール交換してしまいました。で、彼の経歴を観たら結構そうそうたる面子とセッションしているので驚きです!
そんなこんなで、無理して若い人に交じって朝まで頑張ってしまったので土曜は開店休業で決まりですね。
『たとえ世界が終わっても』 スクリーン2つ使って同じ作品を同時上映するのは劇場始まって以来の対応との事だが、これはデジタル(HD)だから出来た事なんだろうねぇ〜、フィルムだったら興業機会も逃し溢れた客に平謝りだっただろうに。さらに、この人気も受けて、上映前に急遽監督とプロデューサーのティーチインで、再来週からアンコール上映が決まったり、当初予定してなかった地方上映が一道一府一県(北海道、大阪府、名古屋)で決まったと報告。かなり若めのプロデューサが印象に残ったけど、彼はもしかして配給のアルゴ・ピクチャーズの人間なんだろうか?羨ましい。
しかし、この人気はいくつかの時事的タイミング(1)若い人に人気の大泉洋も所属するTEAM NACSの安田顕が出演している(2)その安田顕が今クールのドラマの中では実質的に一番面白かった「ホタルノヒカリ」に出演して更に株を上げた(3)ヒロインの芦名星が抜擢された日伊加豪合作、キーラ・ナイトレイ共演の「シルク」の完成披露のニュースがあった。・・・など、が追い風になったのだが、その風に柔軟に臨機応変に対応できた制作が頑張ったのだとも思う。そして何より、この監督に対する期待度も結構あるのではないだろうかと、パンフに書いてあった前作『演じ屋』『駄目ナリ!』と言う作品を観て思った。
あらすじは、人生に絶望した女性が今まであった事の無い様な人々と出会い、ファンタジックな、そして余りにもリアルな経験を経て生きる希望を見いだしてゆくと言う、神話的な要素である通過儀礼と生まれ変わりをモチーフにした自分探し。さて、この作品は仰々し外的要因にどれだけ応えられたか・・・?と言うのが注目なのだが。わたしの隣にいた女性は一瞬泣いていた。
前半、大森南朋の演技がファンタジーっぽさを出す起点に成っているのだが、この嘘っぽさ(大森南朋的には間違っていない)が切っ掛けで、プロットも手伝ってか、『ベロニカは死ぬことにきめた』っぽいと思った。精神病院ぽいシーンもあるし大森の役回が市村っぽいのだ。で、そこから更に、「カッコーの巣の上で」や「17歳のカルテ」とか連想するのね。これがはなについてしまうのでちょっとうんざりしてしまった。
しかしまぁ、ドラマの中盤に入ると男女二人のぎこちないロードムービーになり新たな展開に入る。そこにおいて安田の腰の低い演技と、美人でキツ目で閉鎖的な芦名星の演技と妙に噛み合ってくる。安田の演技は「ホタルノヒカリ」の時の“腰の低さが慇懃無礼になる一歩手前”のような、頼りないようで母性をくすぐる、でも実は一緒に居ると女性がリラックスできてしまう人柄演技。
その演技は、端正な顔立ちに真っ黒なストレートでほっそりした芦品、りょうや小雪の様なきつめにもとられ、モテそうなんだけど実は男性が敬遠して、身に降る恋愛は不倫だったりしてしまう恋愛貧乏な美人顔の彼女が肩の力を抜いて寄りかかれる相手として絶妙なのだ。
そんな、彼らを更に急速に打ち解けさせる切っ掛けが、安田演じる長田が15年ぶりに帰る実家の、平泉成と白川和子の夫婦。とくに平泉成の演技に改めて感服させられた。最近の「サラリーマンNEO」での軽い演技(あの風体で軽い演技のギャップ)も凄いのだが、いつもの刑事ドラマばりに、相手の真正面に座りながら、沈黙の間をとり目線そそらして遠く庭先を見つめつつぽつりと呟く。これが凄い!彼の一言は映画全体の空気を、緊張もさせればその緊張をいっぺんに解いてしまう魔法の呪文に成るのだ。
この辺の役者の使い方、そして脚本も書いた監督の力量はそこそこのミニシアター映画を撮り続ける限りは安定して居られると思う。ただし、この後、商業映画の監督や脚本の仕事が入ってくると思うのだがそれをどれだけ上手く廻せるか、塩田や行定のようにバランスを取れるかが生残りの鍵だと思うのだが、彼ならやって行けるんじゃ無いかと思わせる実力を感じさせる映画だった。
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