気分刊日記

2007年09月09日(日) 考えないと言う事を考える

最近飲み屋で会った中村梅雀似のオッサン(私もオッサンですが)と話すことがあったのだが、彼は日頃から色々と本を読んでいて、色々と社会に対する不満や思う所があるらしく、話の端々にそんな話題を投げられたのだが、たいした受け答えも出来ず自分の無知さを痛感すると共に、彼の知識欲、と言うか理論武装の原因が何となく見て取れ、そこに自分に共通する様な何かを観て少しブルーになった。

それだけで、日曜は何もする気が起きなかったけど、明日までの武蔵野館の株券を消化するために新宿で『恋とスフレと娘とわたし』と言う映画を観てきました。劇場は女性率80%の所にオッサン一人は私ぐらい?

恋とスフレと娘とわたし』・imdb
あらすじは・・・、女手一つで娘3人を育て上げた自他ともに認める、自立したシングルマザーのお手本みたいなダイアン・キートン演じる母と嫁に行き遅れている末娘の恋愛ドタバ劇。友人の様な関係の母娘だけど、子離れできない母のおせっかいが娘の恋愛まで介入!「娘の幸が自分の幸せ」が逆転して「自分の幸せは娘の幸せ」とお思ってしまい、自分の価値観を娘に押し付けてしまう。で、それに娘が反発、娘も母を尊重しつつ自分なりの幸せを掴もうとする。そんな娘に寂しさを感じつつ、さすがに子離れできない自分にも気付いた母は落ち込んだりするけど、ひょんな事で自分の幸せを再発見!末娘も自分なりの幸せを掴んでハッピーエンド!・・・てな感じ。

始まってすぐにうんざり。それは女性ばかりの客層、それも20代後半以上ル・シネマ未満みたいな年齢層にオッサン一人で行ったからだけではなく、映画も面白くなかったから?個人的にビデオスルーで良いじゃないかと思った。

始めはなんだか説教臭いと思ったんだが、その説教臭さをあえて払拭するのが直球エロ。これには少し引いた、っというか男性(ワシ)が恋愛映画にロマンスを求め過ぎなのかもしれんが、女性の性に対する表現は基本的に直球なのね。まあ、脚本は女性だしおそらく現場もダイアン・キートンがかなり仕切ってたんじゃぁないかと思うと、それは意図的なものなんだと思うけど・・・。

そんな構成要素も含めて、母と娘、女性の自立、恋愛における価値観、母の幸せと女幸せ、etc・・・わかっちゃ居たけどより女性が共感する要素で固められていので、はなから俺みたいなのは相手にしていないってのを映画が進むなかでつくづく痛感した。この客層を限定するって事を考えるとハリウッドのメジャー制作なのに単館系上映ってのも納得。

制作のユニバーサルは、現状ユバーサルの作品は日本での配給がしっかりしているとは言い切れないのでよくわからないけど、UIPの頃からラブコメとコメディーは基本的にビデオスルーが多かったので、そのまま行ってたらビデオスルーに成ってた確率が高い作品だと思うけど、今回の日本配給は東北新社。劇場もシネスイッチ銀座が旗艦と言う事で、基本はOLや主婦層をターゲットにしているので間違ってない客層ではあるのだが、どうだろ?今の日本のこの層の女性達はこの程度で満足するよな輩ではないでしょ?


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