超雑務係まんの日記
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常識で人を説こうとする。 傍観しながら影で述べる。
喜怒哀楽のうち、「怒」と「哀」をなくしてしまう。 一方で、怒りや哀しみに酔った自身を冷たく監視する。
自分はどこまでコウショウですか。 勘違いはどのくらい潜伏してるのでしょう。
そして、 私は何人いるのだろう? どれだけ発火して、どれほど発覚するの?
オマエは1回なくしてしまったダケでしょう? これから頑張りなさいヨ。
って。 いろんな人が優しくアドバイスをしてくれマス。
違うよ。ぜんぜんチガウヨ。まったくね。
私は死ぬまでなくし続けなくてはイケナイんです。
夜に怯え、夢にうなされ、孤独を恐れ。 正気を保つ為に酒を飲み。
狂気にならない為。 自分の弱さを吐露する人を求め、 カラダを欲して、慰められて。
そして、何よりも。 ずっと、ずっと、といってもココ10年くらいの間。 私は自分を好きになったコトがありません。 どうしたら自分を好きになれるの? って、未だにこれがわからなくて苦労してます。
でもその渦中で、 私を好きになってくれる人が継続していたりして。 必要とされてるかもしれない、って想いもありました。 けど、それは同情以外の何ものでもないのです。
私よりも 少し年上のアナタ。 「いいよ」って言われたのは2回目デス。
1回目は実際、飼われてみたんです。 暮らしは裕福じゃなかったけど、その時の毎日は 苦しくも痛くもなく、人の為に生きている、って。 私は10代でした。
そして、今。 回顧するならイケマセン。 逃げてくるならダメですよ。 プラスになるなら来てみなさい。
本当にもったいない言葉をかけてくれました。
でも私は今まで一度も自身にプラスになるだろうと感じて、 決断した事なんてなかったから、 打算的に検討するとなると困ってしまいます。
「信じる」という行為は、決して相手への期待ではありません。 「信じる」は相手への決意です。 だから、相手が信用出来なかったその時とは、 自身の決意が揺らいでいるに他ならないのです。
理由をいいましょう。 相手が死んでしまったら「信じる」という行為が成立しないからです。 この世に存在しない相手を「信じる」コトができますか?
常に一緒に暮らしている人がいながら、 しかもその共に暮らす人をコロコロを変えつつ、 同時に付き合ってる人もその都度別に存在していて。 こんな状況がもう何年も。 今もそうです。 私は何一つ偉そうな事は言えません。。。
会議の後。。。 「でも、まんさんは、まんさんだから。。。」
って声を掛けてくれる人、けっこういました。 しかしコレ。。。 ギャップがなければこの言葉は言われないっしょ?(笑) (とりあえず、笑っておこうかな)
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