超雑務係まんの日記
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2002年08月27日(火) 一緒に

「満足はいけないのか」
「ああ、いけない。苦しまなければならぬ。できるだけ自分を苦しめなければならぬ」
「なんのために?」
「それはただ苦しむこと自身がその解答を示すだろうさ。人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。満足は誰でも好むよ。けだものでもね。」

(坂口安吾『風と光と二十の私と』)



今日から、へいかさんではなく、まんたろうです。

「無頼派」と称される作家では太宰治と坂口安吾が著名です。
が、メジャーである太宰に対し、安吾はいささかマイナー気味。
安吾の代表作として知られるのは『堕落論』。
今ではきっとあまり読まれる事はありませんね。

↑の『風と光〜』は安吾が教師であった20歳の頃を題材にしたものです。
『堕落論』を書いた著者が教師だったという事実は意外かもしれません。


睡眠薬を飲んでは眠り、麻薬を服用しながら執筆を続けた安吾。
まさに狂気の生活を日々送っていました。
そんな安吾を支えた妻、三千代の存在はあまりにも有名です。

安吾の死後、雑誌に長期連載された『クラクラ日記』(坂口三千代 著)では
その様子が渇いた透明な文体で記されています。

それこそ20歳くらいで『クラクラ日記』を手にした私は、
行間からキラキラとこぼれ落ちてしまいそうな美しい言葉たちに
なんどもなんども涙したものです。


高知の取材から帰宅した安吾は、妻に珊瑚の首飾りを買ってきました。
誕生日プレゼントだった突然の贈り物。
三千代はあまりの嬉しさに、何度も首に掛けてみたり、外してみたり。
その日は安吾と息子の綱男と3人、ずっと深夜まで賑やかだったそうです。

翌朝、脳出血で安吾は突然帰らぬ人に。
息子の綱男はわずか1歳6ヶ月。
若くして未亡人となった三千代は安吾とは再婚でした。



「お花畑って?」って、よく聞かれる事がありました。
こういう事なんだけどなぁ。


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