超雑務係まんの日記
DiaryINDEXpastwill


2003年05月23日(金) ヒデ(12)

そういえば、私が高校受験の時、
雪が、たいそうな大雪が降ったんです。

雪なんか降らない街に住んでいたはずなのに、
なぜか雪がどっさりと。

試験当日にそんなもんだから、
雪のせいで、大切な入試に来れない人がたくさんいて、
学校のはからいで、入試の開始時刻を2時間遅らすことが決定。
(北国の世界では笑ってしまいますね。。。)

懸命な思いをして時間通りに来た私は、試験当日2時間ボーッと。
寒くて寒くて、お腹が冷えてしまったのを覚えてます。
ただ、何があってもこれに失敗する訳にはいかなかったので、
もう後がないし、いやもともと先もなかったんですが。


私の当時の狙いは
ある大学に入り、学者になり、さっさと論文を発表して、世に出ようかなと。
つまらない論文ばかり発表している学者たちに警鐘を!
そんな意気込みがありました。


その為、付属の高校に入学し、そのままエスカレーターでと考えてました。
私学を志望し、成績にも問題がなかったので、あとは我が道を行くだけで。


ある日の深夜、両親が珍しく遅くまで起きていて、
なぜかケンカをしているようでした。

聞き耳を立てると、どうやら私の進路について。

「アイツが私立なんか受かったら、金はどうするんだ?」
父親がつらそうな声で母親に言ってます。

「でも、あの子は変に勉強が好きみたいで、成績もいいみたいなのよ。。」
「だったら、公立にすればイイじゃないか」
「先生が大学付属にしろっていうのよ。。。本人も望んでるって」
「アイツは大学に行きたいなんて言ってるのか?」
「何でも学者になりたいとか。。。先生が言っていたけど。。」
「ケッ。。。何が学者だ!金はどうするんだ?年にいくらかかると思ってるんだ!」
「そうよね。。」
「私立なんかに入られたら、オマエ。。。家族で生活なんか出来ないじゃないか。。」



中学までしか出ていない両親には、大学までの費用を現実として、
いや現実的に算出することは、まず経済的に不可能でした。

私は私立高校にも大学にも行けないことが、この時ハッキリとわかりました。
この頃から、少し考えが変わってきたのです。

お金のない暮らしに何とも思ってなかった私は、裕福な生活に憧れを感じるようになりました。


結果的に、
私は公立高校1本だけしか受けられませんでした。





現在、中学3年生のヒデの受験校は4校。
いいなぁ、4校も受けちゃってさぁ。
そんな、うらやましさが、ありました。


が、意外にも3敗。

残りは1校、さぁ結果は?


まん |MAILHomePage

My追加