| 2004年09月09日(木) |
鳥山敏子『居場所のない子どもたち アダルト・チルドレンの魂にふれる』★★★☆☆ |
 『居場所のない子どもたち―アダルト・チルドレンの魂にふれる』 鳥山 敏子 岩波書店 (1997/02)
入院中に読んだ本なので、心の琴線に触れたところだけ。
「子どもが自分の身の危険を感じたり、自分がいいたいことがいえなかったり、したいことがどういうことかわからななくなったりということでは、その子にとっては親はいなかったことになります。子どもが子どもとして受け入れられる、また、無条件に、その存在を肯定される、生まれてきたことが祝福され、その存在がとても大切に思われて、そこにいる。そういう居場所があってはじめて子どもが子どもとして存在できるのです。親とは、そういう居場所を保証することのできる人のことだと思います。」(p29)
いいたいこと、いえなかった。 なにがしたいのか、今も模索中。 なにを感じているのか、わからない。 (親や世間体と違うようには)感じてはいけない。 (親や世間体と違うようには)考えてはいけない。
私の育った環境って「親」いなかったってこと? 今書き写しながら、ありゃーそういうこと、とびっくりだ。 まぁこれも理想、であって親も当時それなりに必死なわけだし、現在親の自分の非常に重い課題であるのですが。
「子ど時代を記憶していない人というのは、つらすぎて記憶を消しているんです。」(p143)
このクセは今もついていて、グザっとくることを言われた時も、流そう流そうとして、「なんかつらかったことがあった」というぼんやりした記憶はあるのに、何を言われたのか忘れてる。でないと毎日その言葉に傷つき続けるから。
入院中も、「平日はこなくていいよ」って言いたかった。 毎日来てくれて、談話室で晩ご飯食べて(私は済ませてる)、その間も漫画読んで(確かにハマるよ『カムイ伝』は)それにぼーっとつきあってる無言の時間に、幸せを感じられなかった私は愛情がもうないのでしょうか。
その間にもなんかスゴイこと言われた。 変えられないことについて、とか。それってルール違反じゃない?
それすらも、言えない。
終わってる?
『居場所のない子どもたち―アダルト・チルドレンの魂にふれる』
親に居場所を用意してもらえなかった皆、自分で創ろうね。 居心地のよい場所を。 一人じゃないから。きっとできるから。 と、自分に言い聞かせつつ。
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