母のタイムスリップ日記
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2002年08月02日(金) 父の愛。

 
 ある日記を読んで、ふと 父の事を思った。

私が、まだ小学生だったころ、母は入退院を繰り返していた。

特に病名などないので、きっと、自律神経から来るものだった

のだろう。

 3人の子供を抱え、仕事をしていた父。

洗濯機のない時代に、洗濯をして、衣服にアイロンを掛けたり、

ご飯を作ったり、してくれた。

周囲の人は、驚いていた。

 お休みには、パーコレイターでコーヒーをいれたり、

カスタードクリームを作り、パンでブランチだったり。

 どこかで、楽しみながら居たように記憶している。

仕事の分担も、割り当てられ、夕方は、父の帰宅前まで、

ご飯を炊くのが私の仕事だった。

 また、母のところまで、荷物を届けるのも私の仕事だった。

親戚のものは、見かねて、子供たちを預かってくれる

と言ってくれたようだ。

でも、父は、兄弟を分散することは、出来ないらしく、

手放さなかった。

 周囲の人や、親戚の者、祖父などが、時折見に来てくれた。

この年令になり、父の思いがどんなものだったのかと気になった。

 余計なことは、しゃべらない父だったので、解らない儘だ。

母のタイムスリップが始まったころ、父の体調は、最悪の状態と

なっていた。

母の病名を告げるのにためらいも会ったが、混乱期の母を

理解してもらうには、正直に告げるしかなかった。

 父は、黙って聞いていた。そして、何も言わなかった。

日中は、両親二人だけなので、助け合ってもらうしかなかった。

 母が、動けなくなると、父は、母の薬を取りに病院まででかけた。

普通に歩けば、5分とかからない所だが、父は、1時間かけて、

休み休み出かけたようだった。

 母が心配して、私のところに電話してくるのでわかった。

後で、近所の人からも聞いた。

 そんな状態なのに、父は、母とともに私のところにやってきた。

2週間は滞在し、母を置いて帰って行った。

母も父の事が気がかりで、間もなく帰ったが、その後、「母を頼む」

と電話してきた。

その2ヶ月後、父は入院し、数ヶ月後天国へと召された。

父は、先に召される事を覚悟して、後の事を考えたのだった。

 

 父は、母を、そして家族をとても大切にしてくれた。

母も、「我侭な自分なのに、怒らずにいてくれた。」と感謝してた。

 ・・
 ・・
 ・・
 そんな優しい父の事が、今の母の記憶には、残ってない。

ちょっと悔しいが、仕方がない。せいぜい、写真をみせたり、

父の話を繰り返しして、瞬間思い出してもらおう。

 それが、娘としての努めだなと思う。


 私は父を超える事は出来ないかもしれない。









 



 
 





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