母のタイムスリップ日記
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8月に 1度は触れようと思っていたが、とうとう31日。 戦後に生まれた私は、戦争を知らない世代。 戦後だって、よく 分からない。 戦争を実体験した人が、少なくなってきた。 この夏、夫と「私たちが、戦後に体験した中から、何を 選んで伝えたらいいのだろうね。」と考えてみた。 母子手帳には、ミルク配給。とか、今では考えられな いような記入がある。この手帳は、娘に譲ろう。 いろいろ考えても、説得力にかける。困った。 秋山ちえ子さんが「今年限りで、かわいそうなゾウ」の 朗読にピリオドを打った。 戦後がだんだん霞みはじめ、世の中なんとなく変。 今の親世代は、どうやって、戦争をつたえるのだろうか。
介護の話。 このごろ、当然のようにバスを利用してしまう。 母がいた時は、歩いて歩いていたのに。どんなに暑くても 汗を拭き拭き歩いたのに。 あれって、母がいたから出来てた事だと思った。 夏が終わったら、少し切り替えて歩こう。 母のように、足を丈夫にしておこう。
今日、施設内がシーンと静まり返り人1人いなかった。 違うフロアで何かしているのだろうと推測した。 だから、掃除優先。 3.40分して、皆戻ってきた。 どうやら、Oさんが、退所なさるらしい。 しっかり屋のOさんの存在は、貴重だった。何があったか 教えてもらったし、助かった。 記憶できる人が減るのは、淋しい。少し心配になった。 Oさんは、違う施設へと移られるらしい。 今日は、Oさんの送別会だったのだった。
戻った母は、「私も そろそろ家に帰りたいなあ」と。 気分を替える為散歩した。みごと、成功。
介護士さんに、母が腰痛を訴えていたといわれた。 湿布で対応したが、どうでしょうね。ときかれた。 見てみると、時々痛む事のある場所だった。その旨を伝え 動きもおかしくないので、様子をみてくださいとお願いした。 介護士さんは、母の生活にも触れ、「台所の後片付けが、 とても丁寧で・・・・。喜んで手伝ってくれるのです。」と いってくれた。 施設に、食器洗いは母の仕事だったとは伝えたが、シンク まで、きれいにする事は伝えてなかった。 よく、理解して貰える様になったのだと嬉しかった。
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