母のタイムスリップ日記
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2003年02月20日(木) 猫の首に鈴は必要か


 お訪ねしている方の事
どうも、病に追い討ちをかけるような事を日々為さっている。
いろいろな事があり いろいろ改善を試みて理解を得てはいるが私生活に立ち入ってしまっていると思う事もある。
私一人でできる事ではなく、ケアマネさんや責任者と連絡を取り合いながら試みている。
けれど、利用者さんは 私が言っている事に気が付き始めている。
複数の方が訪ねているのに…私だろうと気が付くって・・・・!

身体介護、家事援助も含めて、何処まで関わっていこうかと悩み所である。

一人暮らしでなかったら、家族の意見も聞けるが…。
痴呆で無いので本人の意思も確実にある。
好き放題の生活を続けてもらった方が、良いのだろうか?
其れが「生きていく」という事だろうか?

医師だって、往診している。
けれど、実際の生活を何処まで把握できているだろうか?
生活面での指導はこういう場合何処でやるべきなのだろう?

本当は、最初に罹った病院での生活指導が一番なのだろうと思う。
おそらく、退院までに指導があったと思う。それの都合の悪い所は聞き流しているのだろうと思う。(話の節々から感じるのだ)

関わっているみんなが何処かで感じているのに、本人に伝わらない。
いや、きっと伝わっているのだと思う。でも、気付かぬ振りをしているのだろう。好きな事を続けたいから。
そして、その先を想像したくないのだ。いや、想像しているから怖いのかも知れない。

その先が、判っているのに改善できない。
これは、本人も、介護に関わる者にとっても辛い事だな。

鈴は要らないか。本人納得ならこれも仕方ないか?
だとしたら、介護する者は虚しい。
でも、「これも人の生き方って」言われれば其れもそうなのだ。
この問答は、訪問を続ける間ずっと繰り替えされるだろうな。

悩みどころだ。
辞めてしまおうかな?と思ったりする。でもなぁ・・・・・・。

そうそう、私達夫婦は、もう直ぐ銀婚式。
きっと、昨日の友人夫婦もその筈だ。
「思えば、随分遠くに来たものだ」
いや、嫁ぎ先が遠いと言うのではない。
夫婦に依っては、「感動」だったりもするのかもしれない。
結婚も出産もそんなに遠い過去とは思えない。
でも、二昔半を確実に過ごしてきたのだ。
一日一日を取り出すことは出来ないけれど、蓄積された何かがある。
良い事ばかりではないが「これが私達」と言えるのだろうと思う。
人様に語る事等何も無いけれど…。


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