母のタイムスリップ日記
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昼食を食べている母の隣にいて、ふと思い出した人がいる。 その方が92歳から99歳までお訪ねしていた。
98歳ごろから食事中嚥下が始り、食べる事が苦労だった。 お訪ねして食事していただく時「また、地獄の時間になるけど…。食べる事が大切だからできるところまで頑張ってみましょう」と度々声を掛けていた。 その方は、くくっと笑って「そうだね」とよくおしゃった。 食べたくない時は、あまり無理はしないようにしていた。 それでも、一時間は付き添って励まし、途中で止める時も「ご苦労様でした」と言って笑いあった。 時に不機嫌になることもあったが、私のような者の介助によく我慢してくださったとつくづく思う。
母の食事は、その方とは違う意味で大変なのだ。 母は、強い嚥下は無い。お腹は空く。でも、独りでは 食べる意欲を持続できないのだ。 目を開けさせる事、食べ物を見る事に注意を向けさせなければならない。 幾度も声を掛けられれば、嫌になるかもしれない。それは、出来ない事を認識させてしまう事になるかもしれない。程ほどの加減が必要だ。
今日の母は、時々声掛けに、口をアーンと反射的にあいてしまう事があった。 「独りで食べる様に頑張ろう。大変な仕事だけど、努力家だからできるよね」とできる限り声を掛けた。「もっと早く来て、温かいうちに食べられるように考えればよかったね。ごめん」と母に謝った。
食後、母と二人でビーチボールのキャッチボールを100回続けた。 その後、Fさんにも入ってもらい3人でやってみた。 後半こそ母は、目を瞑ってしまう事もあったが、中盤までは目を開けて頑張った。 ただ、元気な頃と比べると「楽しい」「やったー」と言う表情が無く、失敗した時だけは頭を下げ落ち込んでしまった。
良い日と悪い日があるのだろうか? 私からみれば、やはり箸を使い出した事は画期的だが、GHの職員からすれば 出来てない事になるのだろうな。ボール遊びなんて興味もないかな?
「ずっと、付いて上げられると良いのでしょうけれど」と言う職員の言葉の裏に「ごめんね」と言う思いが隠れていると感じた。 これは、職員みんなから感じる事ではない。 綺麗な言葉を使っていても、そこに「やってあげても無理」という感じが伝わってくる人だって居る。 母も結構感じているようだ。今日の人の声掛けにはにこやかに反応する。 でも、初期の時のように「朝、昼と食べてないのだから、夜くらいはお腹空いて食べるよね」と言う職員だったら食べる気すら起きないだろうと思う。
食べるという事は生きていく上で大切にしてあげたい事なのだ。 私は、今日から栄養補助の為、トマトとクリームチーズを持参する事にした。 居室で、ゆっくり自力で食べてもらった。ホットコーヒーもポットで持参。 今は、おやつ兼栄養補助の方が良いだろうと思った。 明日は、温泉卵とトマトにしてみようかな。 其れとも、ホットドックかな? せめても、楽しくあったかく食べる事を作り出してみようと思う。 「足りない所は補う」これが入所以来続けている事だから。 それくらいなら、そんなに大変ではない。
地獄でない食事タイムの訪れを祈るばかりである。
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