母のタイムスリップ日記
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2003年06月22日(日) きつーい一言

 2人の弟が新車に乗ってやってきた。
4時に出て、9時ころに我が家に着いた。
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ほらね。近くは無いけど其れくらいで来れるのだよ。
私達は、父の事を気使い、もっと頻繁に通ったし泊り込みもしたんだよ。
それは、父の事も心配だったけれど介護する人の事を考えていたのだよ。
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そんな言葉を飲み込んだ。

夫は、休みの筈だったが休めなくなり10時には出かける予定だった。
弟たちは、今日来る事と決まっていたが言わないできた。
今朝になり、「今日 来るよ。私には会社の経営の話をされても何がおかしいとかは分からないから、出来るなら聞いてほしい」と頼んだ。
夫は「知らん」と言っていていたけど この人は、知らん振りの出来る人ではない事は長年連れ添っていて知っている。

弟達が到着すると「こっちに通せ」と夫は言った。
そこからは、私はノータッチ。
この事に関しては、私より夫や家族達に了承してもらう事の方が大切である。

夫は、会社の状況、今回のいきさつを細かく聞いたようだ。
不渡りも事実だが、運営面での部分でも必要との事だったと言う。
それから、夫は自分の会社の経営努力について話をして、僅かな送金をしていても会いにも来ないで 親の金は当てにするって 親を侮辱して無いかな。甘えていないかな」と言っていた。
「連絡しても何故会いに来ないのか」とも言ったが弟達は何も言わない。

弟達は、ほんとに何も反論しなかった。
ただ、会社の建て直しについては、きちんと説明をしていた。

夫は、10時には仕事に出かけた。

その後、弟2人と娘と私で母のところに出向く。
母の居室に入って様子を見てもらった。
母は、息子と言う認識はなかった。ちょっとは笑みを浮かべたけれど特に話すこともしなかった。傍らに座り編み物などをしようとした。
職員が家族と母のためにカルピスを出してくれた。
其れを飲みながら…。
「母は、居室で自分から言葉を発する事は少ないが外に出れば多少は言葉も出てくると思う」と話した。
とりあえず皆で昼食を取ろうと外に出た。
長男が「少し歩く」と言ったのでいつものコースの半分を皆で歩いた。
母も少し言葉が出ていた。が、いつものような楽しそうな表情はなかった。
食事は、GHの下にある割烹料理屋。
母は、よく食べた。が、おかしなこともよくやった。
たこの刺身を弟があげると其れをホットコーヒーに浸した。
確かに色は同じだけれど。
フライについてきたレモンはかじるまいと思っていたが其れもかじった。
異色は有るけれど…と少し話しておいたが弟達は驚いていた。

母との食事ではいつも余計なものは置かないようにして、食べ終えたものは次々に片付けるのだが、今日は、あまり 手をかけなかった。
母の実際をきちんと知っておいてほしいと思ったから。

食事を終えて皆で我が家に戻った。
度ある事に「この人は誰でしょう」と繰り返した。
その度に母は分からなくて…。答えやすいように紙に「長男○○次男××と書いてあげたがそれでも分からなかった」
結局の所 帰るまでぼんやりとしたままだった。

弟達が帰る時「帰るよ」と言っても「自分も行く」とは言わなかった。
以前の母なら「何故連れて行かぬ」「私を置いて行くのか」と怒ったもので後もかなり面倒だった。
でも、母は そこまでも考える事が出来なくなっている事を再認識させられた。

弟にも「いつまで、この調子でいられるかは分からない。急に来るかも知れないのでもっと会いに着てやってほしい」と伝えた。

弟達は「来るとも言わなかった」

弟達が帰った後「お母さん、やっぱ 甘いよ」と娘から言われた。
「兄弟だから、仕方ないし、おばあちゃんにかかわる事だから仕方無いのだろうけれど…」
これは、自分では意識してない。
此方から許す事はしてないけれど、でも、やっぱ 姉としてどうしてもそうなってしまうのだろうか…。

弟達は、母のお金をしっかり抱えて帰って言った。

夫も娘も私もこう思っている。
「あの人たちは、これからも来ない。不渡りを掴み親からお金を借用しても会社はうまくいかないだろうから何時返済されるか分からない」と。







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