母のタイムスリップ日記
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2003年07月30日(水) 我が家でのデイケア

 考えれば、久しぶりに我が家でゆっくり過ごせた母かなと思う。
いつも、バスを乗り継いで、買い物をしたりで我が家で過ごせる時間も慌しいものだった。
今日は、夫が 偶然施設の前を通過する時 私の姿を見つけて待っていてくれ車ですんなり移動できた。

家に着くと、まだ、出勤前の娘がウロウロしていたけれど…。

友人からのファクシミリが届いていた。
母は、それを声を出して読んでいた。

考えて見れば、在宅のころは、愚痴の限りを友人に送っていたのでその返事等母に見られたら大変だった。
それでも、友人は機転を利かせて、母のために お子様の絵を送信してくれていた。母は、その絵を見て顔を綻ばせていた。
そして、「返信しなきゃね」と大人らしい距離を置いた便りを書き上げていた。

友人からのファクシミリは、彼女の家の一齣を書いたものでとても面白いものだった。母は、同じところで何回も笑っていた。
一度読み終えても、再度読む。でも、母にとっては読むたびに初読み感覚なのである。ここは、ある意味でとても助かっている。

「はえ」にまつわる内容で…。
ハエを叩いたけれど「馬鹿ぁー」と逃げて行ったと書いてあるところで笑うのである。田舎育ちのおいらは、肥溜めの蛆虫だって見ているから…と昔の生活を偲ばせる部分でも笑っていた。
都会のハエは、賢くてハエトリリボンになんてかかりゃしないでも笑っていた。 

そうこうしている内に療法士さんが見えてリハが始まった。
はじめたばかりなのに「ありがとうございました」と立ち上がろうと幾度もした。嫌がって入る訳ではないのだが…。
それでも、だんだん気持ちよくなり、動かなくなっていった。
とても、気持ちよかったようで「ありがとうございました。とても気持ちがいいです」とお礼を言っていた。

リハを終えて、自分が横になっていた大判のウォルスとグルミットの絵柄に興味が出たようでしばらく「かわいい」と眺めていた。
それから、皺を伸ばしたりと一人で作業をはじめたので、母を其の侭にして昼食の支度をした。
「ご飯よ」と再び母の所に行くとニコニコしながら「こんなに早く?」と驚いていた。実際には12時を回っているのだけれどなぁ…。
母は いつを基準にして早いと思っているのだろうなぁ…。
テーブルについて、ふと 口元を見ると飴を舐めていた。
「そっかぁ。テーブルに飴一個置いてあったよね。だから、ニコニコだったんだね」

昼食は、残り物と作り足したものでいっぱいになった。
今日の母は、ご飯が早めではあっても比較的バランスよく短時間で食べていた。こういう所をみると「良くぞ此処まで回復できたものだ」と思う。

昼食後は、折り紙をして貰った。
両面折り紙で、花柄のきれいな折り紙である。
母は、興味を示して折り始めたが切り抜きをする折り方をしていた。
で、はさみを出して上げたが、それ以上は作業をすすめられなかった。
母、お得意の勲章(コースター)を途中まで折って渡した。
「ありがとう」と母は言った。
まるで出来る所まで折ってくれたとわかるような反応である。
それを順に母は仕上げて行った。

最後の仕上げだけでも3パターンできていた筈なのに、今の母は、1パターンのみである。それも、自信を持って、折るという勢いすら漂わせて母だったのに今の母には、そういう気迫が感じられない。
やはり、受身の生活が続いているせいだろうか?何もしないで「ボヤーン」としてばかりいるせいだろうか?それとも、痴呆の進行か?

4個のコースターを仕上げた所で入浴。

入浴後も少し折り紙をして貰った。その向えで私は「花の絵」を描いていた。
ひまわりを描いていると母が興味を示したので続きを母に描いて貰った。
ひとつのひまわりは完成した。母は、その後もなにやら描き足していた。

数枚の絵が出来上がった。
これを、施設で気の向いた時 塗って仕上げればいいなぁ。

それと、もうひとつは、フェルトにお星様を描いた。
これを、切り取ればアップリケの作業も出来るかも知れない。
試しに母に切り取って貰った。でも、少し周囲にゆとりのある切り方だった。
よーく思い起こしてみると、急変後 母は、はさみがかなり使えなくなっていたのだった。それを 思うと星型を良くぞ此処まで切れるようになったと思うべきだったと反省。

こんな風にして我が家でのデイケアは終了した。
オムツはもちろん外してみた。
失敗はなかったけれど、水分を500ミリリットル以上摂取しているので 帰路が気になり尿漏れパットを使った。
施設に着くまでは大丈夫で、トイレ誘導でセーフ。
まずまずの成績だろう。


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