母のタイムスリップ日記
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2013年09月02日(月) ようやく光が・・・

 長い夏休みを取ってしまいました。
このページに訪れてくださった皆さんにご心配をおかけしました。

そろそろ夏休みも終えようと思い始めたころでした。
24日の土曜日 母が椅子から落ちてしました。
少し気ぜわしい朝で まだ眠気の抜けない母を椅子に座らせてその場を離れました。
ごつんという音に慌てて戻ると…椅子から落ちていました。

額が真っ赤で他に打った場所も見えなかったのでベットに横になって貰って
額をせっせと冷やしました。
額は数時間後には赤身も消えたのでやれやれ良かったと思いました。

さて朝食摂って貰おうと思い離床してもらおうと介助をしましたところ 足がクロスしてしまって立位できません。
足をそろえて再度チャレンジしましたが無理でした。

母を抱えて椅子に移乗してもらって足をみました。
弁慶の泣き所が紫色になっていました。
その時に腫れはありませんでした。

食事を済ませて トイレ誘導して通院しました。
立位や移動は母を抱えてでトレーニングパンツしかない着替えはかなりきつかった。
1人介助の難易度が急激に上がってしまった。
それもこれも自分の責任なので致し方ありません。
痛くて辛い思いをしている母なのですし…。

通院して「骨はずれていないよ」ということでした。
「股関節じゃないといいね」と医師。

痛み止めと湿布薬を頂きました。
待合室にいたら隣に坐したご婦人が「可愛いおばあちゃんね」と声をかけてくださった。
「はい。この笑顔に支えられています」というと「笑ってくれるだけでも救われるよね」と「はい」と即座に返事しました。

とても落ち込んでいて これから先の介助の重たさを想像し暗い気持ちになっていましたが この言葉に元気を頂きました。

あれから10日を経過しました。
この間に立位できない母の介助に悪戦苦闘。

夜間のオムツ替えで失敗を重ねました。
敷き布団カバーから尿漏れシート シーツ 寝返り介助シート等ぐっしょり濡れて全て取り替えるという事態も。

少し ぎゅぎゅっとオムツを替えて母に辛いおもいをさせたり…。
転ぶ前は 夜間寝ている時だって「ふふふ」と笑ってたのに ここ数日からは「あーん」と哀しそうな声をあげます。
デイでも泣いたりしたようです。

トイレでのパンツの上げおろしが非常に困難だった。
ベッド上で替えるのがよいのか迷いましたがリハビリの意味でもトイレの方がいいかなと思ったり…。
対応にゆらゆら揺れました。
「○ちゃんも痛くて大変だけれど 私も重くて大変なの。一緒に頑張ろうね」なんて手前勝手なお願いをしたり…。
とにかく母にとってオムツ替えは非常なストレスとなった。
母のストレスは同時に私のストレスとなった。

金曜日のデイでは熱があったという理由で入浴なし。
篭り熱だろうと思ったが お願いする気力も失せていた。
(デイから帰宅して検温したら6度6分 6度5分で平熱だった)

水・木曜日とショート利用でその間も入浴していなくて土日を迎えるのは非常に気が重くなった。
母の気持ち悪さを思って 土曜日に1人で母を抱えて浴室に移動してシャワー浴。

そして今日。
デイから帰宅後 どうにも母の表情がさえない。
笑顔は消えて反応も薄くなっている。
「これじゃいかん」と思い 母の手を擦りながら「頑張って偉いね」「いっぱい我慢していて偉いね」「○ちゃん 可愛いよ」といっぱい話しかけた。
すると 母の笑顔が戻ってきた。

そうだねぇ。緊張や苛立ちで私の話しかけは激減していたな。
ここ数日は 夜間の睡眠が良くない。
だからデイでもうとうと。
よろしくない状態なのです。
食事の摂取量も微妙に減ってきているし…。

食後のトイレ誘導 以前のような誘導に戻した。
母の手を私の肩に誘導して母の手も立位を保つための手段として使っていたことを思い出したのだ。
すると…母は痛くない足を軸にして立てた。
10日を経たからできるようになってきたのかもしれないが今朝はだめだった。

実は昨日から足のマッサージと上げ下ろしを始めたのだ。

とりあえず光が見えてきたということで今日の日記を終了します。

★心配でメールをくださった皆様 ありがとうございました。
 まだ完全復活とは行かないかもしれませんが のんびりと向き合って参り
 ます。またよろしくお付き合いくださいませ。


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