短いのはお好き?
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ひとは皆、どんなことを考えながら生きているのだろうか? また、生きていくのだろうか?
ぼくはある日、この疑問を友人にぶつけてみた。
―――え、なに考えてるかって? 昼飯は何にしようかな、とか、今度の土曜は絶対あのコをモノにしてやる、とかだろ。そういうお前は何
考えてんだ?
まったくお話になりゃしない。だから言ってんじゃん、ひとは何を考えてるのかを考えてるって。
だから人間は嫌だ。絶対ほんとうのことを言おうとはしない。誤魔化すことばかり考えやがって、それもこれも保身の為だ。ただただ我が身
かわいさに嘘ばっかりつきやがって、それが一旦バレルと、今度は嘘も方便とかぬかしやがる。自分がのし上がるためには、ひとを蹴り落とす
ことなど平気の平左の朝飯前。今日はこちら、明日はあちらの岸に咲く浮き草式で、風見鶏のごとくクルクル意見を変えやがる。
それに、ひとの言葉尻をとらえて揚げ足とったり過去の過ちをほじくり返しては、まるで天下を取ったみたいに猿のようにキーキー騒ぎ立て
やがる。おまえらは、それでも人間か。なにが文明だ! なにがIT革命だ! なにが科学だ! ちっとも世の中は良くなってないじゃないか。
てめえらがうまく立ち回れるような仕組みばかりつくりやがって、国民はいい面の皮だ、まったく。
しかし、それになんで気が付かないのかね>国民さんよ。
と、まあこんな訳でぼくは人間について考えることを半ば諦めてしまった。そして、次にぼくが考えたことは、次のようなことだった。
卵は、皆どんなことを考えながらひとに喰われるのだろうか。また、喰われていくのだろうか。
ぼくはある日、この疑問を友人Bにぶつけてみた。
―――え。卵が何考えてるかだって。冗談じゃない。そんなことは卵に聞いてみな。
まさしくその通り、なのだ。卵の考えは、卵自身に聞いてみるしかない。
そこでぼくは、卵が一体どんなことを考えているのかと、卵に尋ねてみることにした。しかし、一向に返答はなく業を煮やしたぼくは、卵を握る
手の力を強めすぎ、一気にグッシャと潰してしまった。
ぼくは短気なのだ。それは、自分でもよくわかっている。わかっているけど……。
それでぼくは、ちょうどこの機会に短気をなおそうとばかりに、気長に卵への問いかけをつづけることにした。もう、こうなったら根比べだ。ぼく
が諦めるか、卵が音を上げて喋り出すか、ふたつにひとつってやつだ。
ぼくは犯人への尋問よろしく、卵を犯人に見立てておんぼろ机の上に置き、おきまりのライトを真っ直ぐ卵に照射して真摯に問いつづけた。
「たまごはん。いや、たまちゃんかいな。 あんたはんは、何考えていてはるんや」
尋問は一昼夜ぶっ通しでつづいた。途中、卵が腹をすかせすぎて口を割らないのではと思い返し、蕎麦屋からこれも定番のカツ丼をとった。
が、卵はまったく手をつけなかった。
さらに一昼夜。卵は相変わらず黙秘権を行使している。ぼくは言った。
「たまごはん。まったくあんたはんには、まいりましたわ。ぼくシャッポを脱ぎますわ。あんたはえらい。阿呆な人間なんぞよりよっぽどしっかり
していてはりますものなぁ。いや、ほんま。これ本心でっせ」
などと、ぼくは懐柔策に出たが、これも功を奏さず、卵はいっかな口を割らない。
しかし、そこでぼくは、はたと気が付いた。
「そうや。そうだったんでっか。あんたはんの口を割るには、まず殻を割らにゃ駄目だったんでんな」
ぼくは誰に言うとでもなく、そう呟くと、やおら卵を掴んで……いや、掴みかけて絶句した。その時、突如卵の殻にピリピリと亀裂が走ったの
だ。ライトの温もりが、孵化を促進せしめたのだった。のけぞりながらも目を離さず見ていると、さらに亀裂は拡がってゆき、卵は呆気なく割れ
てしまった。中から黄色い嘴がのぞいて見えた。
……なんて、ほら話は一切しません。ぼくは嘘をつかない主義ですから(冒頭であれだけ言った手前)。では、真実を申し上げます。
やおら卵を掴んだぼくは、ねらいを机の角に定め、一気に振り下ろそうとしたところで、さっきは短気は損気と悔い改めたばっかりやったなと
思い直し、コツコツと小刻みに机の角に打ち当ててみた。しかし、ゆで卵ならいざ知らず、生卵となると、これはなかなか厄介だった。一心不
乱に二時間あまりその作業に打ち込んだが、なんら変化はみられなかった。
考えてもみてほしい。卵を割らずに殻だけを割るという試み。それは想像を絶する―――いや、想像は出来るが、「事実は小説よりも奇なり」
なのだ―――企てなのだった。
それで、短気なぼくはやっぱり短気を起こし、その作業を放り出してしまった。
「あ! 卵はフラジャイルだったやんけ」
と、叫んだ叫んだ時には、もう手遅れだった。
あくる日。
ぼくは、仕事帰りに商店街にある豆腐屋に立ち寄って、卵の一件を話した。そんなつもりはなかったのだけれど……。するとおばちゃんは、
「あんた。あんたみたいのんは、豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまいなはれ」
と言うのだった。そのあまりにも直截な言葉に、ぼくはのけぞった。おばちゃんは、この商店街でもその歯に衣着せぬ辛辣な物言いからつと
に有名な名物おばちゃんだったが、ぼくは少なからず傷ついた。しかし、大好きな豆腐を買うことは忘れはしなかった。ぼくは、斜め三十五度く
らいにのけぞったまま、金を払い豆腐を二丁買った。
ぼくは大豆で作られた物が一番の好物なのだった。
豆腐はもちろんのこと、がんも、生揚げ、焼き豆腐,おから、豆乳、油揚げ、そして納豆にいたるまで、一日のうちでそれら大豆製品を
食さない日はない。
そんなことから、ぼくは小さい頃より豆腐屋の隣に住みたいと常々思っていた。現在もその念願は叶えられていないが、次に引っ越すときには必ずや豆腐屋の隣と、密かに心に決めていた。
ぼくは斜め三十五度の、のけぞりを維持したまま、アパートに向かった。のけぞりつつ、ぼくはおばちゃんのさっきの言葉―――あんたみた
いんのんは、豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまいなはれ―――を何回となく反芻していた。
なるほど。そういう解釈も成り立つわけだ。しかし、それはそれとして豆腐のどの角に頭をぶつけたならばいいのだろうか。豆腐には四つも角
があるのだ。任意にひとつの角を選び取り、それを第一の角と名付けて、先ず第一の角。それで死ねなければ第二の角。それでも駄目なら
第三の角。それでやっと虫の息になったところを、だめ押しで第四の角をお見舞いするのだろうか。だが、その時既に豆腐は原型をとどめてい
ず、炒り豆腐状態となっているはずだが、幸い? 死人に口なし? で、どうせぼくには、食べられやしないのだから、そこまで心配するのは
取り越し苦労というものか……。
そんなことを考えながら、ぼくは商店街を抜けアパートのある小道へと入っていったが、ぼくの、のけぞり三十五度を見る道往く人々の奇異
な視線を、ぼくは気にしていなかったと言えば嘘になる。ぼくの方こそ、彼らに奇異な感じをもったのだ。
試しに皆さんもやってみるといい。後方三十五度の、のけぞりの世界よりの視線には、のけぞっていないことの方がおかしく思えるのだ。
ぼくはアパートの階段を上りながら、―――のけぞっているので、手すりにつかまって―――再び豆腐のことを考えていた。今度は豆腐、凶
器としての豆腐ではなしに、ぼく自身の頭という観点からの洞察だった。
では、頭のどの部分に豆腐の角をぶつけたならいいのか。側頭部か、いや、前頭部? それともこめかみ。頭頂部? いやいやそれ以前の
問題として頭を豆腐の角にぶつけたらいいのか、豆腐の角を頭にぶつけたらいいのか、先ずそれを解決しなければ次には進めまい。
つまり、こうだ。
豆腐を固定し、その任意に選んだ角に頭を打ちつけるのか、といった二者択一的な―――ちょっと待て、もうひとつあった。豆腐と頭、双方と
も固定することなく両者を互いにぶつけ合わせるという方法もあったのだ。ここにおいて、その選択率は五十パーセントから三
割三分三厘三毛へと後退したことに反比例し、その選択に要する難易度は逆に高まってしまった。
さすがのぼくも、これには頭を抱えてしまった―――実際は、のけぞり三十五度なので片手は手すりに取られ、文字通り両手で頭を抱える
といったしごく単純な動作も出来はしなかった―――が、自分の部屋の鍵を開け、ドアノブにに手を掛けたとき、先刻までの考察がヒントとなっ
てある考えが閃いた。
そうか、テーブルの角にぶつけるのが、いけなかったんだ。自分の頭にぶつけたならば、卵が何を考えているのかが、少しは理解できるので
はないか。卵の語ることを聞くためには、こちらの拝聴しようという神聖な心構えこそが不可欠なのだ。その心構え、即ちそれが身を挺して卵
を頭に打ちつけるということなのだ。
翌日、赤ちょうちんの誘惑にも負けず、まっすぐ帰宅したぼくは、早速実験を開始した。もちろん帰宅途中卵を大量に買ったのはいうまでも
ない。
ぼくは卵を右手で持つと、高く掲げ、額の生え際の部分を落下地点と定め、勢いよく振り落とした。
グシャッ! 卵は見事に割れて、その黄身と白身は額から目、鼻、口、そして、顎をつたって真っ白なカッターシャツを黄色に染めた。
卵との会話をもつべく考え出された、我が身に打ちつける―――その打ちつける箇所は、卵からの思念を直接受ける頭部が妥当だと思われ
た―――という新たな方法論の発見に、ぼくは勇み少しばかり力を込め過ぎてしまったようだ。ただ、この場合卵が割れてしまうのは、どうして
も避けがたいことだった。というのも、昨日ぼくが行った一連の研究成果として、卵の殻を先ず割らねばならないことを学びとっていたからだ。
それら深い洞見のもと、ぼくの実験はさらにつづいた。
ちょうど、十一個目の卵を割り終え、そろそろシャツを替えなあかんなと思いつつも、ぼくの右手は機械的な動作を止めようとはしなかった。
そして、つづく十二個目の卵を頭に振り落とした瞬間、ぼくは何かを感じ取ったのだ。その時、痛! と、卵が言ったような言わなかったような
……。
しかし、それ以後卵の殻がただ山と成すばかりで、卵はうんともすんとも言いはしなかった。
実験は深夜に及んだ。
ぼくはすべての頭の部分に卵を落下、または打ちつけた。それから昨日の考察通り卵を固定させ、すべての頭の部分を用いて割ろうと試
み、さらに頭と卵双方をぶつけ合わせてみた。考え得るそれらすべての割り方を一通りこなすだけでも、七十個あまりの卵を消費し、その順
列組合せを幾度となく繰り返すのだ。
ぼくがこの実験のさなか、空腹を憶えなかったかといえば、さにあらず。時々、ぼくはしっかりと、いや、ちゃっかりと割りたての生卵を摂取し
ていた。が、そのせいで精がついたのか、それとも学究的な興奮の為か、はたまた睡眠をとらぬゆえのハイな気分のせいか、さらにはただ単
に膀胱が尿でパンパンに張っていたためなのかはよくわからなかったけれど、とにかくぼくはナニを勃起させつつ、頑張りつづけた。
そうして、ちょうど二百八十六個目の卵を頭頂部へとぶつけたとき、ぼくは卵の「あっ」と
いう声なき声を聞いたのだった。
しかし、実験はそこで中断せざるをえなかった。つまり、その二百八十六個目が、最後の一個だったのだ。だが、ぼくはこの成果に大いに満
足を覚えた。その安堵のせいか、急に喉の渇きを覚えたぼくは、そうだ、今こそ祝杯を上げるべき時だとばかり、エビスビールめがけて冷蔵庫
に走った。(ボクは、家ではエビスしかのまないのだ)
ところが、冷蔵庫の扉を開けたボクの目に一番最初に飛び込んできたものは、一丁の豆腐だった。
これや! とぼくは思った。卵とのコンタクトは明日の愉しみにとっておいて、今日の締め括りに「豆腐で一丁きめたろやないけ」と、考えたの
だ。ぼくのいったん火の点いた研究欲は、いよいよ燃え盛ると共に、先刻の好結果にぼくは気をよくしていたのだ。
それが、いけなかった。
一丁は昨夜味噌汁に使ったが、もう一丁は冷奴で一杯などと考えて、とっておいたのがまずかった。ぼくはエビスを飲むことも忘れ、来るべき
さらなる実験の予感に打ち震えた。
その後のぼくのとった行動は、良識ある皆様のご判断にお任せするとして、そのぼくのとった行動が招いた結果として、こうしてぼくは病院の
ベッドに横たわっているという訳だ。看護婦によるとぼくは人事不省のまま、この病院に担ぎ込まれ、三日三晩昏睡状態にあったという。ぼくは
ほんの一時間ばかり前に、目覚めたばかりなのだ。これが、よい兆候なのか、そうでないのかはぼくの知るところではないが、とりあえずぼく
は遺書なるものを書いておこうと思ったのだ。―――ほんとうのところは、ご都合主義の作者の思惑が強く働いているのかもしれないが……。
とにかく、ぼくが死ぬという仮定のもとに、これをしたためたのではあるが、万が一、ほんとうにぼくが死ぬようなことがあったのならば、これを
斯界に発表すると共に、いにしえの先達がすでに喝破した如く豆腐は恐るべき殺傷能力を秘めているという事実を、世人に広く知らしめていた
だきたく思う。ぼくが即死を免れたのは、不幸中の幸いというべきなのだ。
最後にあたり、辞世の句を詠み、この拙文の結びとしたい。
辞世の句
嗚呼 エビス エビス飲みたや ああ エビス
(お粗末)
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○月未明、中野区南中野三丁目3−6−9、会社員梅田茶太郎さん(53)が、××病院で死亡した。死因は不明。梅田さんはたまたま、梅
田さん宅を訪れた友人Bさんの通報により、当日の救急病院である▲▲病院へ向かったが入院を拒否され、その後も丸一日各病院で拒否さ
れつづけ、たらい回しにされたあげく、やっと入院を受け入れた××病院で、いったんは意識を取り戻したが、一時間後事切れた。梅田さんの
遺族は、頑なに入院を拒みつづけた大学病院を含む45の病院に対して怒りを露わにし告訴も辞さない模様。また、梅田さんは意識を回復し
た一時間あまりの間に死を意識していたのか、遺書らしきものを口述筆記しており、そのことが一層関係者らの悲しみを募らせている。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ども。はじめまして。
そろそろ、虚しくなりかけてまして
きょうは
書く
気に
なれず
けっきょく
反則技
に
走って
しまいました
長すぎ
ましたか?
ですよね
貴重なお時間を
割いていただき
申し訳
ありません
あ、
エイジさん
メール
ありがとう!
やる気
なくしかけてたので
ほんと
うれしかったです
これからも
よろしくデス!
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