短いのはお好き?
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あ。 帰って来た。
「おい、飯」 「……」 「なんだ、飯の用意してないのか」 「あんた、誰?」 「なんだと、主人の顔を忘れたのか」 「主人?」 「……またか。俺は疲れて帰ってきたんだぞ。くだらんゲームはやめろ!」 「ゲーム?」 「わかった、わかったよ。じゃ、先に風呂入るから飯たのむぞ」
そうか。そういえばあのハゲには見覚えがある。 前はふさふさ。後ろはツルツル。 あたしは、あれを後頭無毛と呼んでいたっけ。 そうだ。たぶんあいつがあたしの夫なのだ。 あ〜ぁ。それにしてもなんであんなのと結婚してしまったんだろう。 まじめだけがとりえ。まじめがネクタイ締めてあるいているような奴。 毎日、毎日7時35分に家を出て、6時30分には必ず帰ってくる。 あんなんで楽しいのかしら。 唯一の趣味といえば、プラモデル。 毎週金曜日になると買ってきて……やれ帆船だ、戦車だと…… お陰で狭い部屋はがらくたで、いっぱい。 あんなの作って、どこが面白いんだか。
失敗したなあ。 ほんとに失敗した。 できることなら、もう一度人生をやり直してみたい。 昔はあたしだって、もてた方なのに……。 いえいえ。今からだって充分間に合うはずよ。 お色気ムンムン。熟女の魅力ってやつよ。 そんじょそこらの娘には、まだ負けないつもり。
でも……。 うちの宿六、浮気のひとつも出来やしない。 あいつが浮気でもしてくれたなら、あたしも勢いがつくだろうし、 浮気をたてに、三行半(みくだりはん)を突きつけてやれるのに……。 謹厳実直。リーマンの鑑(かが)みだからなあ、うちのは。 まじめ過ぎるのも考えものよね。柔軟性に欠けるというか。 あれは駄目、これも駄目。 自分でも窮屈じゃないのかしら。 会社でもまじめだから上司には一応信頼があるだろうけれど。 そのまじめがあだになって大きな仕事は出来ないし、だから出世もままならい。 これで子供でもいたなら、少しは違うんだろうけれど。 もう7年にもなるのに出来ないんだから、もう駄目よね、きっと。 あ〜あ。これがあたしの人生と諦めるしかないのかなあ。 あたしの王子さまは、後頭無毛かあ。
やっと寝た。 ビール腹を剥き出しにして。 おい。後頭無毛、そんなんじゃ風邪ひくぞ。 でも、このおやじは風邪ひとつひきやしない。 たまには人間らしく、風邪でもひくのなら可愛げもあるのに。
あ。起きた。 え! なにやってるの。着替えたりなんかして。 こんな夜中にどこへ行くの? ちょっと、ちょっと。こら、おやじ、おい! …… いっちゃった。 ばかやろう。おまえなんか二度と帰ってくんなあ。 人をなんだと思ってるんだ。アホ、ハゲ。 ああ。これで清々した。 今夜はぐっすり眠れる。
「ねえ。あの奥さんどうかしたの? あたしの主人知りませんか、ですって」 「ああ、あの奥さんね。ここらじゃ、ちょっと有名なのよ。でもね、可哀想な人なの」 「どういうこと?」 「あの人のだんなさん、2年前に勤め先の工場の事故で亡くなったのよ。それから誰彼かまわず聞いてまわってるの」 「でも、なんで?」 「あの奥さん、頭が変になったって訳じゃないのよ。自分でもよくわかってるの。でもね、だんなさんがもうこの世にいないなんて、考えるだけでも辛すぎるでしょ? だから、ああやっていつの日にか帰って来るって思いたいのよ。行方がしれないってことにしてしまえば希望も湧くでしょ? きっとそういうことだと思うの」
「ふ〜ん。お気の毒にね」
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