短いのはお好き?
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あざみ野が、ツタヤから『ポンヌフの恋人』と『ファイトクラブ』を借りて戻ってくると、標(しるべ)から電話があったという。 標はおかしなやつで、いまだにケータイを持っていない。ケータイを持たないのは俺のポリシーだと公言して憚らなかったので、いまさらそれを撤回することも出来なくなって実際のところは困っているのではないのかと、あざみ野は考えていた。 5時過ぎに再び標から電話があった。案の定、飲みに行かないかという誘いの電話だった。いつもならば急な誘いは断るのがあざみ野の常だったが、標がG駅まで来るというのでやっとその気になった。 G駅の南口で標を待ちながら、あざみ野は駅前を行き交う人々の様々な顔を見ながら、どうしてまた標はわざわざG駅までくるなどと言い出したのだろうかと漠然と思った。何か電話では話せないことがあるのかな、なんて考えてもみたけれど、そんなことより駅前の売店を背にしてさっきからずっと改札口を見つめながら悲しそうな表情をして佇んでいる少女のことが気になって仕方がなかった。美しいその少女は悲しさを湛えた表情ゆえに更にその美しさを増しているようで、あざみ野はこんな子に悲しい思いをさせている奴は誰だろうかと、標のことなど忘れて彼女をじっと見つづけていた。彼女に悲しい思いをさせているのは実は自分なのだとあざみ野は空想してみる。 久々のデートであるのに、よんどころない急用ができて抜け出せず、待ち合わせの時刻をすでに1時間も過ぎていた。電車のドアが開くと同時に飛び出して一気に階段を駆け下りる。彼女はまだ待っていてくれるだろうか。このときほど自分を呪ったことはない。あんな優しい子を待たせるなんて、それも1時間も。お前は鬼だ! 犬畜生だ! もし、彼女がまだ待っていてくれたなら土下座してまでも謝ろう。 と、そのとき、亜麻色の長い髪がチラッと見えた。彼女だ、彼女にちがいない。しかし、彼女は半ば柱の影に隠れるようにして俯いたまま彫像のように動かない。ただその亜麻色の長い髪だけが風になぶられ揺れていた。自動改札に並ぶ長い列が少しずつ縮まるにつれ、死刑を宣告された殺人犯のように足取りが重くなってゆく。 いや、そうではない。今まさに死刑の宣告を受ける為、ぼくはこの場にやって来たのだ。そして改札をぬけ、彼女の前にぼくは佇む。永遠のときが流れ去る。いや、ちがう。その瞬間から彼女とぼくのときは永遠に停止してしまう。時間を遡ることも出来ないし、未来もない。彼女の亜麻色の髪ももう風にそよがない。ぼくの手も足も動かず、まばたきさえも出来はしない。 そのとき、彼女の痛ましいほどの悲しげな表情が、ぼくには笑っているように思えた。そして、そう思った刹那、彼女のこの世のものとは思われない冷ややかな微笑みを湛えた、ぞっとするほどに美しい顔全体に細かい亀裂がぴりぴりと走った。そうして、顔面が土くれのように剥がれ落ちてゆき、髪も束となって抜け落ちていった。ぼくは朽ち果ててゆく彼女のそのすべてを見ていなければならないのだった。それが、ぼくへの罰であり、罪を購うことなどもう未来永劫出来はしないのだ。
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