短いのはお好き?
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中目黒駅のホームにおりたったとき、もう雨は降っていて、傘を持っていない私は一気に図書館まで駆けて行こうと思って走り出したのだけれども、はじめは小降りだった雨もやがてバケツをひっくり返したような勢いで降り出して、そこで仕方なく、もう店仕舞いしたタバコ屋の前で雨宿りしたのはいいのだけれど、雨足は激しさを増すばかりで一向にやみそうになかった。 大のお気にのワンピースも雨に濡れ、斑(だんだら)模様に変色している。足元を見ると、白いパンプスの爪先も思い切り水を吸って……と、そこで気がついた。 高島屋の薔薇の手さげ紙袋。電車の棚に乗せたのがまずかった。あれは今頃誰かの手に握られていることだろう。と思うな否や、いてもたってもいられずに土砂降りの雨の中に飛び出していた。 車道を真一文字に突っ走る。車なんかお構いなし。パンプスも邪魔くさくって両手に持って走りながらひとつ、またひとつと片方ずつ訳の分からぬ怒りに任せ、そこらへんのウインドウめがけてぶん投げると、ガラスの砕け散る音の代わりのようにして「ありがとうございましたぁ」という、やけに間延びした長閑な声が聞こえてきた。 なんだか拍子抜けしてしまい、するともう走るのが馬鹿らしくなって……ていうか、なぜ走っているのかがまったくわからなくなりもし、うらめしげにその声のする方を振り返ると、煉瓦色した煙突から焼きたてのパンの煙をたおやかに吐き出しながらにこっと笑っている擬人化されたパン屋さんの建物のイラストが描かれたエプロンをした店員が画に負けないくらいのこぼれんばかりの笑みで、顔を輝かせているのだった。 たまらなくなって、すかさずパン屋の自動ドアをすり抜けていく自分、縁石に唾を吐き捨て踵を返して行ってしまう自分、タバコに火を点けうまそうに吸うと、目を細めゆっくりと鼻から煙を吐き出す自分、店先の傘立から一本失敬する自分、不意にしゃがんで泣き出す自分を想像しつつ、ひとつめの想像の自動ドアをすり抜けてゆく映像を再生するかのように実際に行動に移しながら、なぜか右足のくるぶしが気になりはじめもう少しで店内へと一歩を踏みだそうとしたところで、電子音による訳のわからないひしゃげたメロディが聞こえだしたところまでは、よく憶えているのだけれど、あとはもう夢のなか。サルベージ船の髭面船長が出て来て、こんにちは……てなかんじ。
いや、たんにナルコレプシー少し入ってるだけの話なのかもしれないのだけれども、ともかく雨の日はパンが売れないっていうのは本当らしくって、二段ある棚のトレイにはきっちりと並べられた菓子パンなんかが殆ど手付かずのまま、まさに神々しく光り輝いていた。 満面笑みの店員は、レジの向こうから満面笑みをこぼしながら無表情に突っ立ている。 まるで満面笑みの仮面を被っているかのように。 ふと足元をみると、私のパンプスがころがっている。気付くと手にももう片方を持っている。あれ? 確か投げ棄ててしまったはずなのに…。それを床に落として履こうとしているといていると、ケータイが鳴りだした。 履くのをやめ、もいちど拾って軽く耳にあてがい、小首を傾げるようにして挟みこむと、両手にトレイとパン挟みを持って話しはじめる。 「もしもし。え?」 満面笑みのはずの店員も、これには驚いて仮面を脱ぐと怪訝な表情を露にする。
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