短いのはお好き?
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――裸電球のささくれた光の中で棒立ちとなり、前をはだけたシャツから薄い胸板の異様に白い肌を覗かせながら、おぞましいほど前屈みになると、右手を高く掲げタオルを捜すようなふりをして、左足で右足を押さえ靴下を脱ぎにかかるや、鼻血がとめどなく流れ出すような感覚を覚え、けだるげに窓の外を見遣るとそこに窓枠を額縁にみたてた一幅の絵画を見出したように思われ、不意に夢想に耽りそうになったが落ち着いて仔細に観察してみると、ひしゃげた楕円形の花枠のなかに絡み合った二つの金文字をあしらった紋章のようなものが見え、それはまるであだっぽい伏せ目と、いつものお追従のお陰でグレーがかったフランネルのシャツの袖口がほつれ、ボタンも取れかかっていることに気付いたときのように、厳粛で重々しいなどという言葉の対極にある、このあばらや全体にそれでも幽玄な雰囲気を醸し出し、裏庭に打ち捨てられた木箱の山とか、鱗状にペンキの剥がれた錆びたドラム缶とかの永遠に顧みられることのない、それら朽ち果てた物たちは、テーブルに座って尻尾をこのうえもなく優雅にくねらせながら、いかにもつまらなそうに生欠伸をしてシナをつくってみせる、相変わらず自惚れの強いシャム猫みたいな別れた女たちを思い出させ、どこまでも滑り堕ちてゆく持続する緩慢な恐怖から逃れる唯一の方途としての、地下鉄車輌内での痴漢行為による脱毛に対しての自己憐憫に対する自己嫌悪の仮借なき責めによる再脱毛、あるいは、競争馬ように開発されたボディシャンプーが、ヒトの洗髪にもっとも適しているとか、気に入った群青色のワンピースの値札を見て驚くとか、紅茶できれいに染め上げたレースのカーテンをやっぱり考えなおして一旦ブリーチした後で、今度は絞りにしてみるとか(してみたとか)色あせたカラープリントは、実はプラチナプリントに似てるとか、赤くて可愛いコルベットにアフガンハウンドが乗っていたのを見たことがあるとかが、いっしょくたになって、ぞんざいに見世物小屋兼スローターハウスのなかに投げ出され、ぶち壊しなったギリシャ悲劇の顛末やら思わせぶりたっぷりな素人芸のこれみよがしに、ほとんど顔を背けたくなるほど遠慮なくあたかも己の職業に何ら恥じることないかのように、『贖う』などという神聖な言葉を使用することは、気詰まりを通り越してひたすら滑稽なばかりか、まるで空っぽの胃袋がアルコールで徐々に満たされてゆくにつれて『旋回し、ホバリングする』を幾度となく繰り返すヘリコプターの機体みたいに、夜の静寂のなかから絶望すら超えた何ものかをそこから汲み取り、尻の穴の皺まで数えられてしまった好色爺の乾いた薄い脛毛、それらの胸が詰まるほどの道化じみた哀しみ、挫折、屈辱、恥の象徴そのもの、あるいは、石垣に巣を作ったヘボに刺された腕や足に互いに小便をかけあっては喜んだ少年時代の汚れなき遊び二も似た、世界それ自身も回転することを忘れるほどに、しっかりと抱き合ってゼラチン状に固まったまま漂っている一対の溺死体の影が、見かけはまったくの無表情を装った娼婦に似た人妻のペチコートのすべすべした布地の表面にやたらとリアルな染みとなって現われるその不条理に圧倒的な存在感を覚え、インドから経由なしでやって来た米国人の横っ面に思い切り往復ビンタをくらわすや、カタパルトから射出された赤ん坊の頭ほどもある石の塊みたいに風を切って、一目散に路地裏へと逃げ込み再び大通りに出た途端、うねうねと続く人々の群れのなかに長い間捜し求めていた亜麻色の髪の少女を見つけ出した時のように、結婚式も銀婚式も、そしてマチネーもうちゃって銀の車体に二筋の弾丸の軌跡を刻み付け、流星のごとく翔けまわる地下鉄に乗り込むと車内を包むぞっとするような沈黙を『春の海 ひねもす のたりのたりかな』と軽く受け流し、得体の知れない笑みを許される限り零しながら仰々しくて目障りで、不規則な赤と黒の市松模様のリノリウムみたいな蝶ネクタイをしたとっつあん坊やの挨拶よろしく、熟れきった顔黒ねーちゃんのV字に深く切れ込んだ胸元にするりと右手をすべりこませて、不自然でも不愉快でもないけれど、それでいて皮肉たっぷりにビーチクをいやというほどつねり上げ、「ぼくは宦官です」とのたまうや、すぐさま「あたしらニューハーフよ」と返して来たおとこおんなの意味のない、しかし、当の本人たちはそうと気付かずとも確かになんらかの記号である原色のドレスを一気に剥くと背中から脇腹、そして尻のえくぼににかけてとぐろを巻いている大蛇を見つけ、まさかお世辞のひとつも言わないわけにもいかず、綺麗ですね、と流れる景色のない窓外を見遣りながら呟いたその言葉は、いつまでの舌の上にとどまったまま一向に流れ出て行こうとはしないので、思い切り左手の人差指を喉に突っ込むと、「綺麗ですね」は、昼間渋谷で食べた《タイムサービスにつき三百円》のかけ蕎麦のなれの果てと、刺すように苦い胃液とともにその持ち主である本人になんの断りもなしに駒送りでニューハーフの美しいお顔をめがけて宙を飛んでいったけれども、突然どうしたことか、そのどどめ色した吐瀉物は自身の運動方向を見失いなぜか直角に折れ曲がり、おりしも電車の急カーブの走行による慣性の法則によって大きく孤を描いてわかれたばかりの母船へと見事にランデブーを成功させたのだが、その得も言われぬ光景を見て見ぬふりしつつ実はつぶさに見ていた乗客の大半は、それを合図としたように一斉にもどしはじめ、見る間に座席に座る人々の膝頭にまで堆積した吐瀉物は、電車のカーブ、あるいは急発進や減速の度毎にミキサー車の回転するドラムのなかの生コンのように車輌内をどろどろに被いつくし、しまいには失禁その他を為す不届き者が続出しはじめるや、メトロはまさに汚物まみれのバキュームカーと化し、あれよあれよという間にバキュームカーとしては前人未踏の音速の壁をぶち破り、ちょうど地上に出ところでマッハ五にまで達すると一気に空高く舞い上がり、汚物をキラ星のごとくまき散らしながら銀河の彼方へと翔び去っていった。合掌。
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