2004年10月15日(金)
「電車男」が書籍になるニュースでスレッドまとめたページを熟読して暇をつぶしてみる。
あぁ、ファンタジー。
だと思った。
映画「ロードオブザリング」が原作の「指輪物語」と感触の異なる点に最後の艶っぽさというのが挙げられるんじゃないだろうか。映画は力と魔法の世界の終焉を三組の恋愛に纏めて納める剛の技を見せてくれた。サムとロージー、アラゴルンとエルゥインの二組だろうって?最後の最後に船着き場で別れる場面。何でガラドリエルが怪しく誘う一瞬のカットが挟まるのか。別にガンダルフでもいいじゃん。
フロドが捕まったのは指輪じゃなくてガラドリエルなんだな。たぶん。
んで、西の果てに連れ去られてしまうんだ。
「電車男」の結末もなんだかどっかへ連れ去られるようだったんだな。毒男スレからカポースレへの移行とかそういう連れ去られをいいたいわけではなくて。どこからどこへ連れられてゆくのだかわからないが。
無関係だが、「ことえり」は今、「いこう」と入力したら「遺構」と変換してくれた。何を学習してくれたのだ?
夢がかなってよかったねの一方で、やっぱり彼岸に赴くわけでもあるのは両者に共通しているのではないか。めでたしめでたしの、その先がとても不透明なのだ。
霧のかかったようなぼんやりとした「幸せ」、ってファンタジーそのものだと思う。で、こういうファンタジーが好まれているんだろうな、とも思う。具体性のあまりない漠然としたハッピーエンド。
んーっと、すこし前ならもっと劇的なストーリーが好まれていたと思う。こうまどろっこしい展開ではなくて、どちらかが強引に関与してくるような。あまりいい例を思いつかないが、「プリティ・ウーマン」とか。経済的にとか物質的な、よりわかりやすい形のハッピーを伴ったハッピーエンド。従来のハッピーはこう、即物的だったといえるんじゃないか。
従来型のハッピーはいわば「現世型ハッピー」。それに対して、これからのものは名付けて「彼岸型ハッピー」。当人の心の充足感だけが頼りのファンタジー。
んで、時代が求めているのは「彼岸型ハッピー」なのか?
てなことを言うには「ファンタジー」って何という問いに答えておかなくちゃならないのか。定義だよ、定義。
めんどくせえ。
「おたくおとこはおとめにおすすめ」というショートストーリー?(日本語訳オリジナルのページでは論文と表現されている)が数年前に話題になったことがあって、ヲタが恋愛対象資源として有用という乙女のためのお話。ヲタはけっこう面白いヤツでそこそこ稼いでるけど地味でモテないから狙い目よ、んで外見なんて洋服なんかは後からなんとでもなるから先物買い、というような内容だったはず。
たぶん検索するとすぐ見つかる。
と思って検索したけど平仮名だけの表記ではひっかからなかったので検索するときは「おたく男は乙女におすすめ」でどうぞ。
オリジナルはアメリカのヲタだからヲタにはgeekという単語が使われていたんだが。これもある種のファンタジーでそんな都合のよいヲタばかりではないことは周知の事実。
微妙にここで追求されているのが「現世型ハッピー」であるあたりに初出年の限界がありそうだけど、おたくおとこ側から語られると「電車男」のようなストーリーになるんだろうな。
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