2002年12月21日(土) |
屈辱・・・阪神の優先順位は3位だった |
(午前5時半)
今起きたら、「中村近鉄残留」のニュースが飛び込んできた。 ホンマかいな?! とにかく正式発表を待ってみようと思う。 しかしここで色んな事を書いてきたけど、中村の気持ちって本人のみぞ知るって事だったようだ。 もしかしたら、本人も分かってなかったりして・・(^^; 兎にも角にも、野崎社長・星野監督・黒田部長には、お疲れ様と言いたいね。 結果はどうであれ、振り回されながらも我慢して交渉を続けた事は、 大変だったと思うので。。
−−−−−−−− (午後6時)
中村が、記者会見もやったようだね。 いきなりの残留話で仰天したけど、決めたんならいいんじゃない?? しかし、どういう経緯でメッツがHPでまで公表したのか判らないけど、 訴訟問題とかになったり、遺恨残したりはしないだろうか・・。
今日の結果で、中村の判断基準では、阪神は3位だった事になるな。 どういう言い訳されても、私は阪神タイガースを蔑ろにしたとしか思わないし、 高校から好きだった彼の事を、今後は応援もしない。 まあでも清原のように、「大阪の恥」等と甲子園や梅田で叫ぶ事はしたくないが・・(笑)
ただひとつはっきりと言える事は、プレイヤーとしても人間としても、 今の時点では、松井に到底敵わない存在だという事だ。
しかし結果的に「ナベツネ」が発言した内容は、程度の問題はあるけど、 的を得ていたのかもしれないと思ってしまうのが悔しい(^^;
−−−−−−−− (12/22午前2時50分)
BBSに入れないので、ここで書く事にする。 中村に関する事では、かなり感情的になってしまった。 他の球団のファン等から見ると、阪神ファンのエゴだと思うかもしれない。 でもそれは仕方のない事だ。 私の野球に関する興味は、全て阪神タイガースを中心にしか得る事が出来ないからね。 だから自分の意見等も、当然のごとく、阪神サイドから見る見方に因る。 そういう観点から、中村を容認する事は出来ないのだ。 理由については、再三書いてきたので、もういいだろう。
今になって思う事は、近鉄が中村の事を一番理解していたという事だ。 中村が言う「自分らしさを出せる環境」というのは、プレースタイルのみならず、 自分のやりたいようにさせてくれるところなのかも知れない。 それを熟知していた近鉄が、最後に勝利したという事だろう。 時期は別にして、結論を迫った讀賣・阪神が敗れ、 公表を先走ったメッツが落ちた事からも、見て取れる。
今回の事で色んなところに意見を求めに行ったが、私の考え方は少し異端と言えるかもしれない。 中村の事を「助っ人」でいいというような表現をしたが、それはFA制度による移籍とか、 そういう問題が絡んでいたからだ。 出来れば生え抜きのメンバーで優勝して欲しいと思っているからである。 ただ中村に拘ったのは、彼が大阪の公立高校出身だからだ。 地元の雑草から阪神の4番を打つ人間が現れたら、、、 それが私の夢だからだ。 でも中村には、阪神が「エリート」に見えたらしい。 我々は讀賣がエリートだと思っているが、パ・リーグの選手から見れば、 阪神もそうなるのだなと初めて感じた。 FA制度などで、阪神も讀賣に並ぶ「エリート」と捉えられるようになったのか・・。 何か少し寂しい気持ちになったな。。
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