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■ 悲しみを癒す
みんなに心配かけちゃった。 ごめんね。 でも、心配してくれてありがとう。
りゅうすけくんのコト、本当に残念で。 とても悲しかった。 ワタシのお兄ちゃんの手術が手遅れだったから、 りゅうすけくんには早く手術を受けさせたい… ってそればっかり考えて。 焦ってた。 早く、早く…って。 みんなのおかげで本当に早いスピードで、 募金が集まって。 とても嬉しかった。 結果的には間に合わなかったけど、ね。 りゅうすけくんのコトで本当に悲しくて 大泣きしてたんだけど。 そんな時に限ってなぜか悲しいことって 重なるのね。 しかもさ、ワタシの病気がネックになってる っていうのがまた悲しい。 ワタシのせいで周りに迷惑かけてる…ってね。
もう立ち直れないかと思った。
でもね、大学の時ちょっと学んだ聖書には 『神様は、あなたがたを耐えることの できないような試練に会わせることは なさいません』 って書いてある。 それを思い出して。
それにね、 『悲しみを癒す過程も必要だ』と。 昔、あるヒトに言われて。
そうね。そうかも。 今は先が見えない悲しみの中にいるけど、 でもワタシはこの悲しみを大切に、 大切に癒していこう。
そう思って。 ひたすら耐えた。
とても悲しい時だけに聴く曲を聴きながら。 ワタシは泣き続けた。
りゅうすけくんの人生は、ワタシのこの 悲しみと同じくらい、いや、もっと、大きな、 大切な人生だったと思いながら、泣いた。
そしてワタシの病気のせいで、たくさんの ヒトに迷惑をかけてしまっているけど、 それならなおのこと、ワタシは病気を 悪化させてはならない、と泣きながら 必死でお薬を飲み続けた。
そして。 悲しみが少しずつ癒されていった。 とても不思議なんだけどね…。
りゅうすけくんのHPを管理してた子が、 ワタシの友だち。 その子からのメールの中で、 『私がキッカケでfunnyちゃんが りゅうすけくんのことを知って、 今悲しませてるから、すごく複雑』 って書いてあった。
ワタシが日記の中でこれだけ悲しんで いるんだからそう思うのも当たり前よね。 りゅうすけくんが亡くなったことを電話で 話した時も、2人とも号泣だったし…;
でもワタシはとてもシアワセだったのよ。 りゅうすけくんと間接的にでも関わることが できて。 その友だちがHP管理を一生懸命、寝るヒマも ないようにして頑張っているのを傍でみて いられて。 スタッフの苦労も喜びも知ることができて。 ワタシの友人知人がりゅうすけくんのために 結集してくれて。 ワタシの誕生日に募金目標額に到達という、 とても大きなプレゼント。 その友達は、「達成当日に、何よりfunnyちゃんの 誕生日の日付で、支援してくれた人たちに ありがとうって感謝のメールを送りたくて!」 と睡眠時間2時間で頑張って、7月4日その日に 感謝のメールを支援者の方々に送ってくれた。
ワタシはりゅうすけくんのおかげで充実した 時を過ごすことができた。 ワタシは再発や、結核で苦しんでいたけど、 りゅうすけくんがワタシを救ってくれた。
悲しいキモチのままに、涙でPCの画面が 見えなくなりながらも。 それでもワタシが日記を書いたのは、 悲しいキモチをしっかりと感じようと 決心したから。 多くのヒトに心配をかけてしまったのは 申し訳ない…と思ったけど(ごめんなさい;) でも、ワタシはこの悲しみを大切にしたかった。
悲しみはいつか癒される。 完全ではないかもしれないけど。 でも癒されていく。 誰かが癒してくれるかもしれないし、 何かキッカケがあって癒されるかも しれない。 あとは…時が優しく癒してくれる。
ワタシはそれを知っている。 だからこそ、この悲しみを1番悲しい キモチの時に書いておきたかった。 悲しいキモチが消えないうちに、ネ。
りゅうすけくんの存在の大きさを 感じるためにも…。
りゅうすけくんの訃報を知ったワタシの 友人たちは、最初は 『そっか…』 とだけ言ってくれた。 BBSに書いてくれた。 ワタシにはそのコトバがとても優しく 感じられた。
次の日からはワタシを励ます、慰める メールが届き始めた。 ワタシはとても恵まれてる…と思った。
今日。 『funnyがりゅうすけくんを想っていた様に みんなもfunnyの事が心配だし大切だから』 って・・・。
しっかり。 生きていこう、と思った。
2002年07月08日(月)
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