| 2003年01月31日(金) |
汚いお*さんは好きですか? |
むかし、女優の水野真紀さんが出ていた 某メーカーのエステ商品のCFで
「綺麗なお姉さんは好きですか?」
というキャッチフレーズがあった。 水野真紀さんはそれ以降 「綺麗なお姉さん」 というイメージが付いた。 いや、実際綺麗な人だと思うから 間違いじゃないけどね。
時折、ぱんなの日記に「えっへんおじさん」が 出てくると思うんですが、 この「えっへんおじさん」を 日記を読んでいる皆はどう思いました? 大半は「汚い」とか思いませんでしたか? ええ、実際ちょっち汚いと思うんですけどね。 っていうか、汚いを通り越して「変」だと 思いますけど(笑) でも、このおじさんはとりあえず 通勤バスの中のお話なんです。 だからバスから降りてしまえば そんなに気にならないですね、 例えコンビニでバッタリ会おうとも。
で。 今度は毎朝、ここ2、3ヶ月前から良く会う おばさんについて書こうかなと・・・。
このおばさん、バスには乗っていませんで、 バスを降りて会社に向かう途中に 良く遭遇します。 でも、このおばさん、妙な格好しています。
えっとね。
一言で言うとモンゴルとか中国の山奥にいる 農村の女性のような格好って言えば判るかしらね。 ともかく、寒いから羽織るだけ洋服を羽織る という感じ。 色・形・模様などは全く気にせず。 スカートの下にジャージを履いて、厚手の靴下に サンダル。 上は良く判らないけれどかなり着膨れしていて セーターを3枚くらい重ね着してジャンパーを 着ている。 その上に袖の無い毛織物の半袖のチョッキ、 ベストとか言うそういう類ではなくて、 毛糸で編んだチョッキという感じの物を着ている。
これだけでもかなり妙なんだけれども 髪の毛が凄く長くて、腰くらいまであろうか・・・。 必ず2つに結わえていて、クビには何の生地か 判らないけれどもマフラーもどきの布が クルクルと巻きついている。 顔は・・・40代後半から50代半ばくらいの方で お風呂に入っていないのかかなり黒い。 傍によると臭う・・・(^^;) 顔と手にはダニに噛まれたような跡が 沢山あって、掻きむしってトビヒになっている 個所もある。
この人、時折コンビニの中で ブツブツ独り言を言いながら物を物色している。 ウロウロ徘徊していているし、 じーっと売り物を凝視している時もある。 買っているのか買わないのかは良く判らないけど (会社の出社時間があるからそこまで見届けた事が無い) なんか凄く妙。 コンビには食べ物も多く扱っているから トビヒになったダニの跡をポリポリ掻くのは ちょっと・・・(^^;) 店員さんもアルバイトらしく、お断り出来ないみたいで ぱんなの会社のビルにも別のコンビニが2つもあって 結構この辺りはコンビニの競争率も高いと思うのね。 コンビニの売上のマイナスにならなきゃいいけど・・・。
まぁ、人それぞれだから 色んな人が居るのは判るけれど、 やっぱり食品を多く取り扱うコンビニも 売上にかかわるから何とかすればいいのになぁって いつも遭遇するたびにぱんなは思う。 路上で生活している方なのか何なのか、 良く判らないけれど、そういう方が放つ臭いを 全身で放っているんだよね・・・。 うげっ☆
で、みなさんは
「汚いおばさんは好きですか?」
ぱんなは、
キライです。(きっぱり☆)
| 2003年01月30日(木) |
・・・これだよ(-_ー;) |
ぱんなは今、1Fのピアノがある居間で寝ている。 隣の部屋にはお骨になってしまったけれど パパが居るから。 寂しがり屋のパパをひとりぽっちにして 2Fで寝るのが忍びなくて、 お骨と添い寝することはないけれど 襖を開け、床の間の電気だけを点けて 寝ている。 2/23 四十九日と納骨の法要がある。 この日、パパは暗く、寒いお墓の下に 眠る事になる。 寒がりだったパパ・・・なんだかずっと お骨を家に置いておきたいという 衝動に駆られる。 葬儀の時も、斎場にパパを移動する時 移動しないで欲しいと思ったし、 ずっと焼かないで欲しいとも思った。
本当に病院への入退院が頻繁だったせいか、 今でも病院に行けばパパに会えそうな気がして ならない。 そんなことないって頭では判っているのに その反面、 やっぱりパパは実は病院にいるんじゃないかって 心のどこかで思っている自分がいる。
忌明けの法要(四十九日)が終わったら 一度、先生と看護婦さんに ご挨拶に伺おうと思っているけれども、 きっと病院に行って初めて
「ああ、パパは本当にいないんだ」
って納得するのかもしれない。
ずっと、毎日気を張り詰めていて、 「風邪なんて引いていられない」とか思って 「 ”ものもらい”なんてなんのそのだい!」 とかも思って、ずっとママとここまで来たけれど、 やっぱりママはここに来て疲れが出て すんごい風邪をひき、 声がどらえもんのジャイアン並。 ぱんなは何だか鼻血が出るんですケドー。(^^;) 2/3(日)には従姉妹が結婚するから 熱なんて出しているバヤイではない!
パパがいなくなってしまって 気が抜けたらこれですか・・・って感じです。
しかも、ぱんなちゃんったら
「タンスの角に小指をぶつけた夢」を見まして、 思わず「痛いッ!」って叫んで、 夢なんだから痛いわけないのに 「痛いッ!」って叫んで、 その自分の声で起きてしまいますた。
辺りを見ればまだ鶏も鳴かない夜中の2時で、 「なんだよ〜」と思いつつ2度寝をしたら (っていうか普通寝るよね、この時間じゃ)
寝坊しますた。
いえ、会社には定時に行きましたけど。 遅刻はしてませんけど。 ケド、
朝ご飯は抜きますた。
気が抜けたらこれですか・・・。
とほほ・・・(T-T)v
パパがまだ生きていた頃、 といっても、もう既に歩けなくなってからだけど ママがインフルエンザの予防接種を受けた。 パパに風邪を移しては大変ということで。 ぱんなも受ける予定だったけれども 注射1本のために会社を休んでまで病院には 行く気も起きなかったし、 1本3000円もするので 「なんだかな・・・」と思って行かなかった。 冬になってパパのことでママと2人で 「風邪なんて引いてらんない」と 気が張っていたせいだろうか、 ママもぱんなも鼻水ひとつ垂れる事無く 今の今まで生活してきた。
一雨ごとに春めいてきて、 花粉症対策のマスクをしながら歩く人が増えて来た。 「ああ、大変だなぁ、可哀想だなぁ」 と思いつつ、気が付けば ぱんなも花がグズグズ、くしゃみも出るようになった。 鼻水もチョロっとお目見えしたりして。。。 花粉症って突然になると言うから 「ヤバイ、花粉症になっちったか?(汗)」 と思って、無駄だと思いつつ風邪薬を飲んだ。 眠くなりにくい ”ストナ” を飲んでみた。 失敗した! これ、カプセルやん・・・。
ぱんなは粉薬が飲めない。 口に残る苦味がどうしてもダメなのれす。 カプセルも飲めるんだけれど、 扁桃腺肥大を持っているせいか、上手く飲み込めない。 お水ばっかりガブガブ飲んじゃうから お腹がタプタプになる。 まぁ、飲めない訳じゃないからいいけど。 出来たらぱんな、お薬は錠剤が宜しいのです。 出来れば糖衣状がよろしいかと。。。
・・・贅沢っすかね?(^_^i)タラ〜ッ
で。 翌朝、スッキリ。 花粉症じゃなくて、単なる風邪だったらしい、うふん♪
ぱんなの風邪が治ったと思ったら、 なんとママが風邪引いた。 2/3の日曜日には従姉妹の結婚式だっつーのに、 ママの声はまるで「どらえもん」に出てくる ジャイアンの声そのもの。 咳も出るわ、鼻水も出るわ、体の節々が痛いわ。。。 これは熱が出るかもしれん。
ぱんなママは膠原病を持っているので(良性らしいが) 熱が出ると一気に40度は熱が出る人なのら。 あと、ぱんなと違ってへなちょこな性格なので ショックな事があると40度の熱がどーん! と出る。
結婚式には色んな人が来るし、従姉妹の子ども (もうすぐ1歳と2歳)も来るから移すと大変。 パパの後の諸々の手続きは今急いでやらなくても いいんじゃないかと思うけれど、 何かをしていないといられないんだろう、 チョロチョロと動いている。
でも、ママはインフルエンザの予防接種は受けているから 風邪かなー・・・。 昨日は薬を飲ませて8時前には無理矢理 寝かしつけてしまったけれど。
でもって。
風邪が治ったぱんな。 夜中に胃が痛くて眠れなかった。 昨日はそんなに痛むような食べ物は食べてない。 例えば、「お刺身」とか、そういうのは食べてない。 時間が経った物も食べてない。
夜11時頃から「胃がおかしいな」って感じ始めて、 布団に入ったら更に痛み出して ゴロゴロと寝返りを打っても治らなくて、 トイレに行っても・・・ピーでした。(^^;)
ぱんな、実は腸が弱くて、食べ併せでピーになることは 余り無いけれど、健康なのに突然ピーになることが あります。 後、体調が悪いと人参とかが消化されないで出てきたり。 昨日はそういえば1日中ピーだったような・・・。 でも、夜中は流石に出し切ったせいか出なかったもん。
でも胃が痛くて痛くて、吐こうかと思ったくらい。 実はぱんな、「吐く」という行為が怖くてたまらんの。 苦しいから。 結局、我慢して我慢して朝を迎えますた。 食事も食べたくなかったので、 ミルクを温めて飲んで会社へGO!
風邪かなー。 治った筈なんだけれどなー。
とほほ。。。
| 2003年01月27日(月) |
おばちゃんパワーってぇの? |
土曜日、お墓(墓石ね)を買った会社から 仏壇・仏具をもやっているということで来て貰った。
お墓を買ったという事で安くしてもらった。 ぱんなんちは一戸建てだけれど 建売を買ったのではなくて注文住宅なのね。 でも、仏壇を置くようには設計してなくて パパの仏壇を床の間に置こうかっていう話に なったわけです。 仏壇を置く事は一応お寺のお坊さんからご教授 頂くけれど、正直、それは理想であって、 今は無理だと思うわけです。 宗派によって違うとは思うけれど、 ぱんなは葬儀と四十九日法要のお寺さん(宗派は同じ) は別なので法要のお坊さんにご教授を得た。 実際、お坊さんの予約とかは自分でやらないと ならないしね・・・。
一応書くと、仏壇を置く場所は南方向き。 北は霊界への入り口なので、 北向きは一番鬼門だそうな。 それと2Fに置くのがベストだそう。 1Fに置くならば仏様の頭を 現世の人間が歩かないような場所に置く事。
・・・後で仏壇を買ったお店の方に聞いたら 今はマンションが多い上に、 建売の家は仏壇を置くように設計されておらず、 仏壇をインテリアとして仏壇、仏壇していない 物が好まれるとの事で、方位意外は余り 気にしないで良いとの事だった。 確かにマンションだと仏様の上を他人が のしのしと歩くわけだから、 お坊さんの言ったような事は無理だわ。(^^;)
さて。 お仏壇も結構高いんだよね。 上を見ればキリがないんだけどさ。 ぱんなは台の付いた大きな物ではなく、 お寺の檀家になっていないこともあって 小さいお仏壇にした。 貰ったチラシに\247,000での売値だった 仏壇が\170,000になっていた。 小さいんだよ、この仏壇。 それで、色が悪い。 でも、写真映りが悪いだけで、 実際は明るい色だっつーのでそれにした。 お坊さんが曼荼羅(マンダラ)と日蓮の像を 飾れと言うけれど、檀家じゃない人は 殆ど曼荼羅だけだという。 曼荼羅が\6,000くらいで、像は\30,000もする。 ママは位牌だけでいいとかいうけど、 ぱんなが譲らず、曼荼羅だけ買うことに。 もちろん、花立とか水入れ、ご飯入れ、 マッチ消しのようなものはセットで売っていて それは買うけど。
でも、これも「お墓を買ったから」ということで 安くしてもらい、更に灰もサービスしてもらった。 灰は風が吹くと飛び散って部屋が汚れるので 今はビーズが出ているんだそう。 1500円と高いけれど、汚れないのでそれにした。 そしてそれもサービスだった。
通常の売値で買えば30万はいくであろう仏壇を ぱんなは消費税を入れて21万で買った。 仏壇がかなり安くしてもらったのと、 仏具セットも半額にしてもらい、 更に灰をもサービスして貰ったから 安く上がった。
で。 やっぱりどんな仏壇なのかこの目で見たいと 思って日曜日に行ったんですよ、仏壇を見に。 横浜の都筑に仏壇のお店があるんだけれども 初めて横浜市営の地下鉄なんぞに乗りました。
ぱんなんち、横浜へは東急かJRで行けるし、 買い物はそれこそ横浜か銀座に行くから 市営なんて乗らないもん。 新横浜にだってバスで行けちゃうし。 あざみ野方面には用事が全く無いから おのぼりさん状態ですた。(笑) お隣の奥様もうちと同じお墓を買ったので 家族皆お元気だけれど、今の仏壇事情を 知っておくのも悪くないとのことで 一緒に行った。
実際にぱんなたちが買った仏壇は とても色が明るい色で、家具っていう感じの お仏壇でした。 中の仏具セットも仏壇の色に合わせて コーディネートしてくれていて、 ぱんなの家に来る物と同じように セッティングされてあった。
コーディネートはこうでねぇと。。。
・・・すまん、滑ったね(汗)
来店記念として、売り物だったお香を ぱんなとお隣の奥様に下さった。 この営業マン、若い人なんですが とても感じの良い方でした。 でもって。 正式なお見積書を書いている間に お茶を頂く。
ママとお隣の奥さんはその出された 湯飲みが大層気に入って、「どこで買ったの?」 と営業のお兄ちゃんに聞く。 「知らんがな・・・」状態なんだろうけれど、 どうやらそのお兄ちゃんがお店が出来た時に 買いに行ったらしく、この後お客さんの所に 行く用事があるというのに車でそのお店まで 連れて行ってくれました。 有田焼のお店で、その他にカフェやらエステやら アニーとかいうブランドのお店もある。 トイレの便器まで有田焼というこだわりようで さらに軽自動車まで有田焼という・・・。 実際に走っているのかどうかは知らないけど、 ミニクーパーだったから走ってるんだろうね。 っつーか、凄い派手で乗りたくないっす(笑) なんていうか、「みっともない」っていう派手さ!
おばちゃんパワーというのは凄いのね。 仏具を売ってるお兄ちゃんに アッシーさせちゃうんだから。(笑)
| 2003年01月24日(金) |
えっへんおじさんが!!! |
以前から直々ぱんなの日記に登場する
えっへんおじさん。
年が明けてからすぐにパパが亡くなって 1月15日から会社に出勤。 いつもの時間のバスに乗って出社した。
でも、そういえばえっへんおじさんには 会わなかった。 いないと快適で良いんだけど、 「最近そういや、見かけないなー」なんて 思った矢先。 今日、バスに乗って来た。
でも、なんか違う。
なんか違う。
なんかちょっと違う・・・。
良く見たら、 えっへんおじさんのコートが 今流行りの若者のコートを来ていた。 既に40代半ばのおじさん・・・
全然似合いません。
コートは新しくてビシッと決まってるけど、 相変わらず頭の毛はボサボサで、 手櫛で治してから指の匂いを嗅いで、 爪に詰まった垢をほじくっております。
このコート、大学生〜20代後半の方が 着ているヤツですね・・・。 着ちゃだめとは言わないけど、
試着して鏡を見て買いましたか?
って言いたくなる程、似合ってない。
勘弁してくれ。
| 2003年01月23日(木) |
奇跡が起きる事を願っている |
以前、日記に、ある男性の話を書いた。 覚えているだろうか・・・。
その方は、ぱんなパパと同じ病院で 治療を受けている方で、50歳前半で25歳の 若い奥さんと再婚し、そして50代にして 初めて自分の子どもを授かった。 奥さんのお腹にいる子どもが 3、4ヶ月になるかならぬかで、 彼は癌に侵されていた。 ステージ�検 ΑΑλ�期である。
転移していないとはいえ末期である。 初めてのわが子を見る前に この世を去らねばならないと 主治医に言われたのだった。
あれから・・・。
彼は抗がん剤のみの治療から 放射線治療に切り替わった。 抗がん剤が効いたのか、 放射線を受けられるまでになった。
今はドラマで良くあるような 酷い副作用はない。
ぱんなパパの治療の時も主治医の先生に 言われたんだけれど、強い抗がん剤を ガンガン身体に入れたからといって 癌に良く効く事はないと判って来たので、 体の負担を考えながら抗がん剤治療は行われる。 もちろん、倦怠感や吐き気、脱毛や頭痛、 口内炎・爪の変形や変色、指・足先のしびれ などはあるし、人によっては少量の抗がん剤であっても 大きな副作用として出る方もいると思う。
彼も、抗がん剤の副作用には随分と辛かったようで、 特に頭痛と口内炎には随分と悩まされたようだった。
それでも、放射線が受けられるということは 本人にとっては嬉しい出来事だ。 抗がん剤のみの治療方法しかなかったのに、 放射線治療を受けられるのだから。 放射線治療は外科治療と並んで 5年生存率は手術と変わらないという。 転移じゃないから、もしかしたら 癌が治るかもしれない。
「最近、癌が治らない病気じゃなくなったと 言われるようになったけれど、 それは転移前の状態の事であって、 転移したら絶対に治りませんから・・・。」
ぱんなパパが転移した時に言われた言葉だった。
彼は転移していない。 だから治るかもしれない。 小さいお子さんの記憶の中に「お父さん」の記憶を 刻まないうちにこの世を去って貰いたくない。 だから放射線治療を受ける事が 出来るようになったと聞いて、 彼には会った事は無いけれど、 ぱんなは本当に嬉しかった。
彼もここまで頑張って来れたのは、 がんセンターの先生のお蔭だけじゃない。 奥さんの検診の際に、産婦人科の先生から 「僕が責任を持って無事に(子どもを)取り上げるから ご主人は心配しないで治療に専念しなさい。 何も心配しないでいい。」 そう言って、彼と産婦人科の先生は 涙で握手して帰って来た。 それから長く、辛い治療が始まった。
先日、パパが亡くなった時にままんに電話した時、 ままんから彼の最新情報をもたらされた。 ままんのお姉ちゃんが彼を知っているのだ。
彼は、癌が頭に転移した。
四十九日の案内状を印刷し、 セコセコとこまごまとした事に手をつけ、 そんな中、ママが洗濯機をぶっ壊してくれて、
さて、これから法事の仕事でも・・・
と思ってPCを立ち上げ、 メールチェックを行い、 アウトルックを立ち上げてみれば、 ずっと放置してたヴァージョンアップの お知らせがいい加減目障りになったので、 この際だからとクリックすれば、
ダウンロード開始。
作業が出来なくなった。
・・・ナニやってんだろ、俺様。(涙)
パパが亡くなって、パパとの想い出に どっぷり浸かっている暇がない。 何せ、やる事がたくさんありすぎるほどあるんだよ。
頼むからパパとの思い出に浸る時間をくれ!
って感じです。 公共料金の口座もNTT以外は全部ぱんなの 口座から引き落とします。 NTTは原則として配偶者が引き継ぐ事になる のが決まりだそうで、配偶者が居ない場合に 初めてその子どもが引き継ぐ事ができるんだそうな。 電話番号は既にパパの物なので、 パパからママに譲渡するという形になる。 財産だからね(^^) だから、その為に区役所に行って 除籍謄本を1通貰ってこないとならない。 ああ、貰ってくるって言ったって、タダじゃないです。 450円の収入印紙を買うんだ、これが(^^;)
あと、四十九日が2/24(月)なんだけど、 会社休めませんので、1日早い23日(日)に 法要並びに納骨をします。 んで、お坊さんを抑えなくっちゃね・・・。 そでもって、位牌を作って魂入れして貰って、 仏壇買って、仏具買って・・・四十九日に 間に合うんか??(汗)
しかも昨年お墓を買ったのに、 パパが自分で「’03.3.30仕上がり」にしたので まさか主治医から「1月越せないって言われた」なんて 本人に言える訳もなく、黙っていたけどね・・・。 そんで、お墓を売ってたおぢさんに電話して 早急に仕上げて貰う事になって、ギリギリ2/20完成 と相成りまして、霊園を管理するお寺(管理はそのお寺 なんだけど、日本の8大宗教であればどのお坊さんを 連れて来ても可)との打ち合わせ、 お香典返しに挨拶回りに、折角買ったからノートPCで お香典を包んでくださった人と額とその額に見合った お香典返しのリストを作成。
そんでもって、HPの方のパパの闘病日記を 完成させないとならんので、その構想を練りつつ お客が来れば応対、お茶だし、お花が来れば ノートPCに供物のリストに追加し、
法要を執り行ってくださるお坊さんから 仏壇の買い方、仏壇の置く位置、買った仏壇の お届け日を「大安とすること」などのご教授を頂き・・・
感傷に浸ってる場合ぢゃねぇ〜〜〜〜〜〜〜っ!
でもって、相続は亡くなって3ヶ月以内にしないとならず、 そんで、そんで、四十九日の法要のお知らせのお手紙を どうせ出すのは親戚だからとうちのPCで招待状を出すので 銀座伊東屋にハガキと封筒を買いに行き、 切手貼って出す。 でもって、百カ日の法要も同様にお坊さんを捕まえておかないと ならず・・・。
だれか私に身体を5つ下さい(涙)
今日から出社。 バスに乗ると、いつもと変わらぬ風景がそこにあった。 エッヘンおじさんもいたし、 ペチャクチャと話す騒々しい若い夫婦もいた。 何も変わらない、いつもと変わらない 風景がそこにあって、 けれども私だけが変わっていた。 パパがいなくなってしまったから。
火葬場でお釜のドアが閉まる時、 ママが失神寸前だった。 最後のお別れの時には 普段激しく泣く事が無いママが
「お父さん、また一緒になろうね・・・」
と号泣した。 穏やかに眠っているパパが焼かれてしまう時、 本当に辛かった。 でもパパは、他の仏さまよりも とても多くの骨が残った。 スネの骨は、雪のように真っ白で まるで保健室の骸骨のレプリカのような スネだった。
パパが居なくなってしまったなんて まだ信じられない。 入退院を随分繰り返してたからか、 病院に行けば、まだパパがいるような そんな気がする。
そんないつもの風景に なんだか凄く寂しさを感じた。
パパが天国へ旅立ちました。 静かに、息を引き取りました。 まるで、ドラマのワンシーンのような最後でした。 あれほど帰りたがった家に、 今はパパが帰ってきています。 ただし、生きて帰っては来れませんでした。
早くhpとは別の闘病日記と HPの闘病日記を完成させようと 思っている。
主治医の先生も「読みたい」と 言っていました。 後日お礼に伺いに行く時に お手紙の中にURLをしたためようと 思っている。
心配してメールをくれたみんな。 本当にありがとう。 パパは幸せな人だと思います。 今にも起きてきそうなほど、 安らかできれいな顔をしています。
何もしてあげられなかった娘で 本当にごめんね。 ぱんなは、また生まれ変わってきても やっぱりパパの娘で生まれてきたいと 思っているよ。
ありがとうパパ。
パパの血圧。 昨日は80だったのに、 今日は60しかありません。 今週末〜来週辺りが厳しいかもしれない。 どうしてこんなに急激に悪くなるんだろう・・・。 パパの転移した癌が1つじゃなかったからなのか???
全身で呼吸を喘ぐようにしているパパを見て、 辛くてたまらない。 可哀想でならない。
人は皆、病気で死ぬ時は こうなのだろうか・・・。
| 2003年01月05日(日) |
パパの先生はそんな先生じゃない |
パパの血圧がいよいよ低くなりました。 一昨日は120、昨日は90、今日は80です。 酸素吸入のマスクを取ろうと必死でもがき、 苦しいからもがき・・・。 目を開いても何も見ていない。 ぱんなやママが手をずっと擦りっぱなし。 家族が傍に居る事は判るんだけれど、 目は見えていない。
「癌でこの世を去る人は、こんな苦しい思いを しながら誰でもが最後を迎えるのか・・・。」
そう思うとやりきれない思いだ。 心電図と首から入れた点滴の管を無意識に 取ろうとするので、浴衣の寝巻きの胸元を 翼クリップで止め、更に上にタオルをかけて 四隅を翼クリップで止めた。 変な格好だけれど、管を抜かれては一大事。 酸素マスクも顔に合わないので、無理矢理 (テープで止める事は無い)付けている。 ゴムで止めているので、耳が痛そう。 痩せて顔がコケているので、マスクが 合わないのかも知れない。 だから両耳にハンドタオルを巻いて固定させた。 これで耳が痛くなることは無いだろう。
今日、看護婦さんにパパの内科の主治医の先生の お話を聞いた。 パパの内科の主治医の先生は、 看護婦さんにとても人気があります。 腕も人柄も看護婦さんのお墨付きです。 見るからに温厚そうですし、子煩悩な先生で お休みの日は子どもと「お馬さんごっこ」をして 遊ぶのだそう。 もちろん、先生がお馬さんだそうな(^^)
そして。
柳 美里という作家をご存知だろうか。
彼女は、先日、実在する友人をモデルに 小説を発表、プライバシーに関わると裁判沙汰となり 裁判に負けた。
彼女の作品の中に「命」という作品がある。
江角マキコさんと豊川悦司さんの主演で 映画になった。
この中の内科の医師のモデルが ぱんなのパパの内科の主治医です。 映画では「山室」という名前で医師になっていますが 最初、週刊誌で発表された時は 先生の本名で書かれていました。 本でも多分、本名のままだろうと思う。 ただし、映画では実在する医師なので 山室になったんじゃないかと思うんだけど。 ぱんなはこの小説を読んでいないので その辺りは良く判りませんが。
この「命」という小説は、作者である 柳 美里さんの経験の実話と聞いた。 自分を題材にするのは勝手だが、 先生の名前を本人に許可無く そのまま使うのはどうだろうか?
かなり悪役に本では書かれていますが、 実在するこの先生は大変優しい、 情熱ある先生です。 なぜなら、ぱんなのパパの病院は 緩和ケアを行わない方向にある病院で 緩和ケアの専門医が居ないという病院です。 最後は看取れないという病院です。 その中で、パパのように入退院を繰り返し 最後は主治医の元でという我侭を 受け入れて、最善の力を尽くして下さった 先生なんです。
先生の受け持ち患者はもう、手いっぱいの 状態なのに、自分の患者の状態を把握しているのは 「凄いこと」と看護婦さんが言っていました。 パパが来る時も、本当は昨年の12/28の入院と 先生は考えていてくれていたので、 26日の忘年会の席で看護婦さんの間に 行ったり来たりしながら 「ぱんなちゃんのパパが来るからよろしくね」 と随分声を掛けていたという。 看護婦さんもパパを可愛がって下さっていて 「28日に来るんだ」と楽しみにしていたのに 27日に容態が急変して1日早く入院したので 主治医の先生が看護婦さんに「1日早くなっちゃった」 と言いまわっていたとか・・・。 パパが来るのを楽しみにしていたと看護婦さん。 主治医の先生もそれは知っていて、 「看護婦たちが会える事を楽しみに待っていましたよ。」 と言っていた。
主治医の先生は全く私生活が無い程、 情熱を傾けて色々と治療や投与する抗がん剤の 量を考えて治療にあたってくれている。
だから、「命」に出てくる内科の先生のような 先生じゃないんです、本当に。 もちろん、看護婦さんからも
「ぱんなパパのようなケースは珍しいんですよ。 先生の思い入れが他の患者さんと違うんでしょうね」
と言われていました。 命は平等と言えども、先生も人間ですから 思い入れのある患者、それほどでもない患者って いると思う。 それは仕方が無い事だと思う。 ありがたい事だと、本当に思う。 ぱんなは外科のチームの4人の先生も 内科の主治医の先生も本当に大好きだし 尊敬している。 「お医者さんって凄いなー。」って思ったのも 「ああ、お医者さんも人間なんだ」って思ったのも 外科・内科の先生と巡り合って思ったんだもん。
ぱんなのパパの主治医の先生の名前は とても変わった名前ですから 本名で書かれるとどこの病院の先生かというのが 判ってしまいます。 新聞などの健康コラムなどなら判りますが、 小説で悪役とするのは、どうだろう。
主治医の先生はこの「命」を読んだそうで、 大変ショックを受けられたと看護婦さんに聞いた。 だから看護婦さんたちも、この小説は読んでいないという。 一生懸命に患者の治療に当たっている 人気のある先生ですから、読まなくて当然だと思う。
本当に、「命」に出てくるような先生ではないですから。
この作家は、この間の裁判もそうだけれど 「真実を世間に知らせる」という言葉を 履き違えていると思う。 真実も取材も結構だが、モデルが誰なのか 本名を使うことが許される事なのか をよく考えもしないで書いているバカじゃ なかろうか。 どんなに感動する文を書こうとも
モラルが抜け落ちている作品は 単なる駄作です。
真実とプライバシーの意味を 良く判ってないんじゃないでしょうかね。 裁判に負けても反省してないみたいだし。
パパの血圧が徐々に下がっています。 昨日まで120あった血圧が、 今日は90になっていました。 痛み止めも(座薬)、 パパが話せなくなってからは 座薬を欲しがらなくなったので 使っていませんでした。
「痛くても話せないから言えないのでは?」
というぱんなたちの言葉に、 看護婦さんが主治医に連絡をしてくれて 痛み止めを今日点滴で入れました。 血圧が徐々に下がって来ているので 座薬を使うと更に血圧が下がる可能性がある とのことでした。 体位交換をする際に、ちょっと横を向けただけで 痛がって声を発していたパパ。 今は全くと言っても過言ではない程 声を出さなくなりました。 目の焦点も合わず、話し掛けても耳は聞こえている んだろうけれど、反応が無い。 酸素吸入も嫌がって 鼻の管を抜いてしまいましたので 昨日は取っていましたが、 今日は口が四六時中パカっと開いて 呼吸をしているので酸素を指で測ると 数値は87を指していた。 看護婦さんがマスクの方の酸素吸入を入れて くれましたが、パパは嫌なのか手でもがいて 取ろうとしています。 パパの胸には今朝方、心電図のようなものが 取り付けられ、ナースステーションで ピコピコなっています。
主治医が夕方来ました。 朝も来てくれたようで、パパは先生が判ったらしく 主治医の先生も「朝は僕のこと判ったみたいだよ」と 言う。 夕方も判ったと思う。 パパの顔がちょっと顔が引き締まった感じに 見えた。
主治医からは、
「いつおかしくなってもおかしくない状態です。」
と言われた。
「徐々に血圧も下がっていってるし、痛みが酷くて 苦しいという顔つきではないからこのまま 苦しまずに最後を迎えると思いますよ。 ただ、容態が急変するとご家族をもちろん お呼びしますが、ご家族も間に合わないという 事もありますから、その辺はご理解下さい。 自然に逝かせてあげたいと思います。」
・・・蘇生はしないという事だろうか。
ぱんなは、交通事故や突発性の時以外は 蘇生はして貰いたくないと思っている。 本人が苦しい思いをして最後を迎えたというのに 更に苦しい思いをさせるのは本人が一番辛いだろうと 思うからだ。 家族が間に合うまでは・・・ 有難い事だけれど、ぱんなのお家は横浜で、 病院は築地だから1時間半かかる。 もしもこれが真夜中だったり朝方だったら 駆けつけられる距離ではない。 家族が来るまでの長い時間を パパに苦しい思いをして待っていろと ぱんなは言えない。
蘇生した所で、所詮は癌で逝くのだから 例え動き出した心臓でも直ぐに動くのを 止めてしまうだろう。
ただ、どうしてこんなに早く パパとの別れが来ちゃったのか、 ぱんなはそれが一番理解出来ない。
どうしてなんだろう。
パパが自宅に居た頃は ママが看護に1週間寝ていない状態で、 ぱんなとママと交代で寝るようになって 数日・・・。 ママはかなり疲れが溜まり、 ぱんなはいつも起きている時間に パパに着いてPCもノートを 買った事だし、パパの傍でやっていた という事もあるのでそんなに疲れない。
でも、パパが救急車で病院に行ってからは 夜寝られる分、逆になんだか疲れた。 それは神経が尖ってピリピリしているとか 心配でとかそんなんじゃなくて。
多分、通い。
病院までは1時間半。 サラリーマンやOLからすれば 通勤圏内の時間で、 ぱんなはそれまでお台場に勤めていたんで 全然苦にならないハズ。 それなのにどうしてこんなに疲れるのだろう。
多分、通う先が病院だからだ。
ぱんなたちは旅行用のキャスター付きの カバンをカラカラと引いて病院に行っている。 パパの洗濯物は一切病院では洗わない。 洗濯と乾燥機を使うのに1回400円かかる。 汚れ物は毎日出るわけだから 大変な出費になる。 だから毎日、汚れ物は持ち帰る。 治ることなく、退院する時は パパが息を引き取った時。 そんな思いが疲れとなるのだろう。
ちなみに、一昨年 パパが食道癌の手術を受けた時に 3ヶ月近く入院していたけれど、 真夏だというのに気が張っていたせいもあって へっちゃらだった。 こんなには疲れなかったと思う。
パパもいよいよ状態が悪くなって、 主治医の先生の言う通り、 1月は乗り切れないと家族でもわかるほどに なりました。 身体を起こすと口がしまらないから涎が だらだらと出てしまう。 亡くなる直前の人の症状が出ているんだよ・・・ 舌が丸まって奥へ引っ込んでしまうの。 物を食べなくなって寝たきりになると そうなるようですね。 口の中にコケが出来ました。 これがかなり悪臭を放ちます。 いくら掃除しても取れないので ピンセットで摘んで取ります。 パパは嫌がるけど、これが喉の方に 溜まっていて息がしずらく、 昨日は酸素吸入し、管で痰を取るハメに なりました。
つらいな・・・・。
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