Sports Enthusiast_1

2003年06月30日(月) 何度も同じ事を

書く。南米=ラテン=個人技=華麗なパス回し…。現代のサッカーでは南米に対する昔のイメージは通用しない。南米の選手たちがそうした技術に長けていることは認めよう。あるいは、ゲームの各所でそのような場面を見ることもある。しかし、たとえばコロンビアのクラブチーム「インディペンディエンテメデジン」が得意なのはカウンター攻撃であり、守備は堅いし激しい。ブラジルの「サントス」はCBに190センチ級の2タワーを擁し守りを固めている。サントスのユニホームを北欧のチームに交換したら、きっと、守備陣だけを見れば北欧チームだと思うだろう。もちろん、攻撃陣のファビーニョ、ジエゴの個人技を見れば、あ、サントスだと思うのだが。アルゼンチンの「ボカジュニオール」はゴールに向けた直線的な動きが得意である。攻撃も守備も激しい。前回も書いたように、南米サッカーは、多民族国家という土壌に育まれた、「融合」なのであって、一言で括ることができない。
欧州の新興勢力の1つ、トルコはどうか。日韓大会でベスト8をかけて日本と対戦したのだが、あの試合の敗因をトルシエ采配だと主張したサッカー関係者が多かったが、明らかに実力差であった。なによりも、攻撃ではスピード、すなわちゴールに向かう速さ、そして堅い守備が特徴だった。
なにが言いたいのかといえば、これからの日本代表にもっとも必要なのは、スピードと堅い守備。これが課題であり、どちらも不十分である。とにかく、甘い。コンフェデ杯でみせた甘さ、日本でのアルゼンチンとの親善試合で露呈した守備の弱さ、遅さ、甘さ。日本代表の守備陣は、おそらくコンフェデ杯出場チームの中で、ニュージーランドに次いで悪いのではないか(全部のチームを見ていないので、想像だが)。
コンフェデ杯の結果の総括として、ジーコ監督の指導力に疑問符がついたが、当然である。日本代表選手をそれなりに実績のあるものとしてジーコ氏は扱おうとしているが、まったくの見当違いである。アウエーに出れば日本代表のいまの守備陣は通用しない。中盤を含めるならば、ヒデと稲本以外の守備は機能していない。まず、激しさ厳しさが欠けている。汚いタックルをしろ、と言っているのではない。今回のコンフェデ杯で日本は「フェアプレイ賞」をもらったらしいが、いらない賞の1つである。こんな賞を国際大会でもらわないでほしい。アマチュアではないのだから。日本がこんな賞をもらわなくなったとき、激しくて堅くて強い守備ができるようになっているだろう。激しさを日本代表に与える指導者として、ジーコ氏は不向きである。現役時代のジーコ氏はテクニシャンとしての実績をもっているが、守備に関してどのような哲学をもっているのかがわからない。
現代サッカーは守備が基本。それが弱点の日本代表。ならば、守備がわかる指導者を連れてくるのが、サッカー協会の仕事だろう。



2003年06月27日(金) サントス、いいところなし

コパリベルタドーレス・ファイナル・1stレグ(ボカジュニオール/ホーム)はボカがサントスを2−0で制した。アウエーのサントスはいいところなし。テレビ解説のK氏はボカファンとのことだが、私はサントスに注目。詳しい試合経過は他のスポーツ専門サイトに譲るとして、私の関心は以下のとおり。
�.汽鵐肇垢亮磴ぃ何佑離謄�ニシャン、ジエゴ(ディエゴ)、ロビーニョがボカの堅守をうち破れるかどうか、�▲汽鵐肇垢�190センチ級CBの2タワー(アレックス、アンドレルイス/ペレイラ)がボカの攻撃陣のスピードについていけるかどうか−−の2点であった。結果はこの試合に限ればどちらも「ノー」。
サントスは前半30分ごろまでは五分五分、やや押し気味であった。ところが、ボカのエースのデルガドの個人技とスピードでゴールを奪われる。デルガドはしたたかである。2点目はCBのクリアミス。GKのブラインドになって失点した。サントスはその前に退場者を出していたので、精神的に圧迫された結果のミスだろう。試合直前の大雨、悪いピッチコンディション、スタジアムの異様な熱気といった重圧が若いサントスの選手達の動きを止めたとも言える。
レオン監督の目指すチームのコンセプトは了解できるが、結果は出なかった。1週間後のサントスホームの試合が待たれるところだ。



2003年06月26日(木) トルシエが紡ぐ遺恨物語

前日本代表監督のトルシエ氏がカタールの代表監督兼TD(テクニカルディレクター)に就任した。まずはおめでとうございます。それにしても、トルシエ氏とは楽しい人物である。コンフェデ杯でジーコ采配を批判したかと思えば、日本が予選敗退した数日後、カタール代表監督に就任してみせ、ジーコジャパンに公然と挑戦状を突きつけてきたのだ。
カタールといえばその首都はドーハ。ドーハといえば…、もはや説明の必要がない。日本人の多くのサッカーファンがドーハで起こった「事件」を、トラウマのようにいまなお、引きずっている。トルシエ氏はかつて、ジーコ氏から突きつけられた数々の批判を受けて立つため、戦いの場をアジアに求めた。しかも、日本人が絶対に忘れない国の監督として。
コンフェデ杯を視察したトルシエ氏は、「日本代表は、(自分が監督を務めていたときに比べて)後退している」とジーコ氏を挑発。監督時代に、ジーコ氏から受けたトルシエ采配批判に反発して見せた。おもしろいことになったものだ。アジア予選で日本とカタールが同じグループになれば、日本vsカタールは、ジーコvsトルシエの代理戦争となる。
さて、カタールのサッカーの実力だが、残念ながらまったくわからない。アジアカップ、W杯アジア予選などでみたその姿は、ほかの中東チームと区別できない。常に引き気味で、カウンター攻撃。リスクを避ける戦法が徹底していたように記憶している。欧州で活躍するほどの選手を知らない。カタールの実力は日本に比べれば数段落ちるだろう。だが、中東の選手というのは、いかにも潜在能力が高そうにみえる。経験を積めばうまくなりそうだし、パワーもありそうだ。これまで、いろいろな事情で国際交流が少なかったかもしれないが、2年ほどの準備でその溝は埋まるに違いない。
トルシエ氏がせっかく準備してくれた舞台だが、おもしろい場面が見られるかどうかは、トルシエ氏自身の手腕にかかっている。カタールのサッカー協会は日本ほど甘くない。代表戦に負ければすぐ解任されてしまう。日本におけるジーコ氏ほどの待遇は期待できない。私の見通しでは、アジア予選でジーコvsトルシエ戦争が見られる確率は、50%を超えない。



2003年06月25日(水) 監督レオンの復活−これが実力(その3)−

コンフェデ杯といえば、前回大会に出場したブラジル代表チームの監督はエメルソン・レオン氏だった。レオン氏はJリーグの清水、東京ヴェルディの監督として日本にもいた。そのレオン氏は、当時、調子の上がらないブラジル代表の責任をとって辞任したルシェンブルゴ氏に代わって代表監督に就任し、コンフェデ杯に臨んだのだものの結果を出せず、スコラリ(フェリッペ)氏に代表監督の座を譲った。
やがて時は巡り、レオン氏はブラジルリーグの名門サントスを復活させ、先のコパ・リベルタドトーレス決勝まで進んだ。
この間のレオン氏の展開は、ドラマのようだ。彼はサントスで若く才能あふれるディエゴとロビーニョを育てながら、低迷する名門クラブを再生、コパ・リベルタドーレスへの出場を果たす。おりもおり、コンフェデ杯とコパ・リベルダトーレスの開催が重なった6月、レオン氏はディエゴとロビーニョの代表貸出(招集)を拒否、万全を期してコパ・リベルダトーレスに。そして、アルゼンチンのボカジュニアーズとのファイナルに臨む。
一方のブラジル代表は、自国リーグ、海外組の代表不参加により満足なチーム編成ができず、コンフェデ杯予選敗退という結果に終わった。
レオン氏の復活のスケールは大きい。コパ・リベルダトーレスを楯に代表を袖にしたのだ。だからといって、レオン氏の対応を非難するブラジル・メディアは不在のようだ。コンフェデ杯よりもコパ・リベルタドーレス。それが、南米のサッカーカルチャー。
さて、日本のスポーツマスコミは、日本代表のコンフェデ杯予選敗退をどう評価したのだろうか。私をはっとさせるような論評は散見の限り見あたらないが、概ね「ジーコジャパン」に好意的と言える。スポーツマスコミの評価をまとめると、「ジーコジャパンの方向性が見えた」という表現に集約できる。日本代表は、ジーコ監督の適切な指導によりラテン(南米)的なつなぐサッカー、すなわち、自由にパスをまわし、組織や約束事にとらわれない創造性あふれるチームを目指しており、それがジーコ氏の神通力で短期間に浸透。「トルシエジャパン」が目指した組織的で規律を重視した代表チームに比べてスケールが大きく、おおいに期待できる、と。
スポーツ界にとどまらず、日本人が確信している南米=ラテン=自由奔放=創造的、個性的…という認識は、私には錯覚のように思える。「ラテン」とはいうまでもなく、ローマのことだが、ローマは古代帝国の中で最も組織的な帝国の1つだ。ローマの軍隊(密集歩兵軍団)、ローマの統治方法、ローマ法、ローマの土木技術、ローマの道路整備(「すべての道はローマに通ず」というのはその整備網が完璧に近いことを表現したもの)…、そしていまのアッズーリ(サッカーイタリア代表)に至るまで…。アッズーリの戦法が「カテナチオ」と呼ばれるガチガチの守備重視であることは、よく知られている。いやいや、「ラテン」とは「ラテンアメリカ」のことであって、ブラジル、アルゼンチンなどに代表される南米各国の意味だという反論があるかもしれない。確かに、リオのカーニバル、サンバ、タンゴなどは情熱的であるが、カーニバルやサンバはアフリカ系文化を基底にしたものだし、タンゴを自由奔放と見るか形式的と見るかには個人さがある(私には後者に見える)。
南米のサッカーを個人重視とする見方はどうか。そういう時代もあった(ようだ)し、サッカーの天才ばかりを輩出するのが南米であるから、当たっている部分もある。が、南米サッカーの守備は極めて組織的である。約束ごとによって成立する、カウンター攻撃も得意だ。トリッキーな動きもあるが、組織的攻撃の方が一般的だと私には見える。南米のサッカー強豪国は、高度な戦略・戦術で武装した、才能ある個人の集団。だから、ブラジル代表は世界一強い。
南米のクラブチームナンバーワンを決定するコパ・リベルタドーレス予選では、クラブチームの戦い方がわかる。南米のクラブチームの戦いぶりは日本のJリーグより組織的だ。なによりも強いのが守備力であって、不用意なバックパスなどお目にかかることは少ない。もちろん、つなぐ場面もあるし、ロングボールもあるし、サイドアタックもある。この大会の予選を見れば、南米の目指すサッカーが欧州とあまり変わらないことがわかるはずだ。だが、それは断じて欧州スタイルと同じではない。南米の各国はいうまでもなく、アフリカ系の人々を含めた多民族国家なのだから、そこで培われたサッカーは、「融合の帰結」という表現がふさわしい。
ここで再び、エメルソン・レオン氏に話を戻そう。ジーコ氏と同じブラジル人のレオン監督の目指すサッカースタイルが、「ジーコジャパン」が目指す(と言われている)「南米的」と同じものかどうかだが、私には全く異なるように思える。
戦術面の説明は長くなるので省くが、別の角度から言えば、レオン氏は規律を重んじ個人プレーを嫌う監督であることを示す、次のようなエピソードが残っている。その昔、レオン氏が東京ヴェルディの監督に決まったとき、当時ヴェルディの中心選手の一人だったラモス氏は京都に移籍した。移籍理由は、レオン氏の目指すサッカーとラモス氏の目指すサッカーが合わないことをラモス氏が知っていたからだ。ラモス氏の目指すサッカーとは、「ジーコジャパン」のようなもので、「個人」を優先する。この場合の「個人」とは、ラモス氏自身のことでもあり、レオン氏就任が決まる前の監督のM氏は、ラモス氏に頭が上がらなかったという噂があった。
一方、レオン氏は、特定の選手を特別扱いすることはない。だから、ヒデを特別扱いしなかったトルシエ氏に似ているし、ヒデを特別の選手として扱うジーコ氏と似ていない。
レオン氏はサントスの監督に就任してから、指導方法を変えたのだろうか。そんなことはない。組織や規律をもたない監督など、「ラテンヨーロッパ」にも「ラテンアメリカ」にもいない。いるのは世界でただ一ヵ所、「ラテンジャパン」にだけだ。(了)



2003年06月24日(火) トルシエの影―これが実力(その2)―

ここで、コンフェデ杯という大会を通じたジーコ采配の誤りを指摘しておこう。スポーツ誌等の報道によると、大会参加国の多くがターンオーバー方式という選手起用方法でこの過密スケジュールの大会に臨んだらしい。この方式は、3戦中1日休養という信じられない大会スケジュールに対応するため、1戦目と2戦目の選手を大幅に入れ替えるというものだ。相手チームの実力や予選リーグ3戦全体の勝点を考慮した采配である。フランスがこの方式を採用し、初戦のコロンビア戦を勝負と見てベストメンバーで臨み、日本には引き分け覚悟でメンバーを落としてきた。つまり勝点7以上を目標にしたのだ(結果は3連勝で勝点9)。
一方、ジーコ監督は初戦のニュージーランドに大勝にもかかわらず、メンバー交替なし。2戦目のフランスも同じメンバー。さらに3戦目のコロンビア戦も負傷の中村、出場停止の稲本は別として、同じメンバー。結果は見てのとおりである。
なぜ、ジーコ監督は固定メンバーで3戦を通したのか。理由は簡単である。「勝っているときには動かない」という、自らの言葉に縛られたからである。それは、ジーコ氏が、1年前、W杯トルコ戦のトルシエ采配を批判したときの言葉であったことは言うまでもない。
ジーコ監督には確固たる監督哲学などない。あるのは、「反トルシエ」という怨念のようなものだけだ。ジーコ氏が、「反トルシエ」を唯一の拠り所として代表監督の座を得た以上、「反トルシエ」に自縄自縛せざるを得ないのだ。
なぜターンオーバー方式をジーコ監督は採用できなかったのか。まず、相手3チームの戦力分析がなされていないことにある。大会前に初戦の相手ニュージーランドの戦力をどう分析したのだろうか。もちろん、初戦から控えメンバーで戦うわけにはいかない。この場合、3点奪ったところで、主力を温存するべきである。そして、最も重要なのが3戦目であったことはだれにも、異論あるまい。フランスがターンオーバー方式を採用するという情報は事前にわかっていたようだ。このことは、フランスが日本に対して、「一緒に決勝リーグに行こうよ」、というメッセージにも等しい。もちろん、フランスの日本戦に出場する控えメンバークラスにそんな意識はないけれど、フランスの日本戦の位置づけは、負けないことだったと私には思える。ところが、ジーコ監督は3戦全部を勝ちにいったのだ。フランス戦に日本がターンオーバー方式をとって大敗したかもしれないし引き分けたかもしれない。結果はわからない。しかし、結果は別として、日本の勝負がコロンビア戦であることは誰の目にも明らかだった。なぜなら、コロンビアがフランスに負けたこと、ニュージーランドにはフランス、コロンビアとも勝つことが明らかだったからだ。つまり、2戦目のフランスは「捨て試合」という位置づけが正解である。相手フランスはホームなのだから。
冷静に考えれば、フランス戦の位置付けは「捨て試合」にもかかわらず、昨年日本代表がフランスに大敗した試合を「サンドニの虐殺」と呼び、そのリベンジを煽ったスポーツマスコミにのせられ、あげくに自爆したのがジーコ・ジャパンである。
ここにも「トルシエの影」がちらついている。「サンドニの虐殺」の当事者こそ、ほかならぬトルシエ氏である。ジーコ氏はトルシエ氏が大敗したフランスに一矢報いたかったのだ。そのフランスの中身が二軍であろうと三軍であろうと・・・。
次の問題は、このコンフェデ杯に臨む事前戦略の欠如である。何度も言うように、コンフェデ杯は、FIFAの公認大会としては格が落ちる。どこの国も存在が迷惑というか、まともな対応をしていない。ドイツが出場を辞退したくらいなのだから。この状況は否定的な面もあるが、肯定的に考えるならば、いろいろな実験が可能という面もある。だから、日本代表が、なにも悲壮な決意でコンフェデ杯に臨む必要などない。ジーコ監督はここでも、「トルシエの影」におびえた。つまり、トルシエ氏が前大会で準優勝したものだから、それを上回らないまでも、予選突破を「悲願」にしてしまった。ジーコ監督に代表育成の具体的なスケジュールとプログラムがあったならば、この大会はおおいなる実験の場となっただろう。各国がターンオーバー方式を公然とするような大会なのだ。日本も現在の代表選手全員の力を試すいい機会だったはずだ。
各国の対応は十分予想できるものだ。ならば、日本代表は事前のキリンカップにおいて、ターンオーバー方式を実験してみればよかったのだ。もちろん、海外組が合流しないから完全なシミュレーションではないけれど、選手にターンオーバー方式の戦い方もあるよ、という認識を持たせることはできたはずだ。
というわけで、ジーコ監督には、コンフェデ杯に臨む姿勢にまったく戦略が感じられない。素人同然、場当たり的なのだ。そして、なによりも監督としての適格性を疑うのが、ジーコ氏に勝負師の根性が見られないことだ。ジーコ氏がおびえているのは「トルシエの影」である。そればかりではない。ジーコ氏の関心は勝負の行方ではなく、マネーの行方なのではないかと思われるのだが、これについての確証はない。(この項続く)



2003年06月23日(月) これが実力

コンフェデ杯の日本代表については、予想以上に力がなかったニュージーランドに大勝したものの、二軍フランスに惜敗、ガチンコ勝負のコロンビアには力負け。予選リーグで敗退した。小野は欠いたもののほぼベストメンバーの日本代表が、チームづくりに腐心するフランス、コロンビアに負けたのだ。でも、結果については驚いていない。私の予想は細部では間違っていたかもしれないが、日本代表の実力の認識としては大方正解だった。
まず、前回のコンフェデ準優勝、日韓W杯ベスト16をどうみるかである。この結果はいずれもホームである。何度もこのコラムで書いたことだけれど、サッカーではホーム絶対優位なのだ。ホームでは勝って当たり前、負けは許されない。だから、いまの日本代表の実力は日韓大会から後退したというよりも、前々回のフランス大会と変わっていない。W杯の予選であれば、ニュージーランドのような弱小チームは絶対に出てこないから、今回のコンフェデ予選結果は、予選全敗したフランス大会と同じ結果とみるのが自然である。
トルシエジャパンがジーコジャパンに勝っていたか劣っていたかについては、私にはわからない。ただただ私は、ジーコ氏がトルシエ氏のアンチテーゼのみでマスコミ受けを狙い、日本代表強化の具体的なプログラムを示さないことにいらだちを覚えていた。と同時に、ジーコ氏の無内容を批判できないスポーツマスコミおよび「ジーコ」というブランドに溺れたサッカー協会の幹部達のバブル体質に絶望してきた。コンフェデ杯で私のいらだちと絶望は、現実の結果となってしまった。
現実認識の第一歩は、日本代表は強くない、ということだ。いくら、ホームで親善試合を繰り返しても、これは「スポーツイベント」にすぎない。その「イベント」にも勝てなくなったのが、最近の代表なのである。
もう一つは、代表選手選考、選手起用、選手育成のビジョンの欠如である。日本は欧州や南米の強豪国とは違う。(代表といえども)チーム力で勝利しなければいけない。一方、複数の日本選手が海外でプレーするようになったため、海外組とJリーグ組を短期間で融合する指導力・統合原理を必要としている。それぞれが短期間で意思統一できるキーワードのようなものが大切なのだ。それを与えることで、日本の戦い方ができる。選手個々にまかせるだけでは、「チーム」はできない。戦術・戦略・精神面・コンディショニングまで含めて指導できる「監督」を必要としている。指導力は名前や実績ではない。
日本代表の個々の選手が優秀だと、ジーコ監督は思っているらしいが、それが本当なら、ジーコ氏の眼力を私は疑う。日本の選手が海外でプレーするのは、選手の実力だけではない。日本人プレーヤーの海外移籍の背後には、ジャパンマネーの存在も大きいのである。たとえば、日本に競り勝ったコロンビアには、欧州でプレー可能な選手が日本より多いけれども、なかなか、彼らに声はかからない。欧州のサッカー市場は、ただうまい選手だけで成り立っているわけではないのである。
ジャパンマネーに吸い寄せられてきたのが、ほかならぬジーコ氏本人である。ジーコ氏は日本のスポーツマスコミ、サッカー協会幹部に「反トルシエ」の幻想を振りまき、代表監督の座を得た。契約金がどのくらいか知らないが、おそらく高額である。海外のサッカー市場において、指導者経験のないジーコ氏をこれほどまでに優遇するところなどない。もちろん、ジーコ氏は海外でも尊敬されている。南米出身者では、おそらくペレ氏に次ぐくらいに尊敬されていると思う。しかし、それは実績あるプレーヤーに対する尊敬であって、監督としての実績に対してではない。それを見誤ってはいけない。海外でジーコブランドが力を発揮するのは、名選手ジーコであって、「名監督ジーコ」ではない。それが日本のスポーツマスコミにわからない。ジーコ氏が各国のサッカー協会幹部と対等で話せるからといって、それは選手団長という職責にふさわしいのであって、監督の仕事ではない。監督はピッチで勝ってなんぼである。
コンフェデ杯で結論は揺るぎないものとなった。日本サッカー協会の幹部達は、「ジーコブランド」を捨てて、あまり強くない日本代表を基礎からたたき上げることができる熱血指導者を捜すことだ。日本のサポーター、スポーツマスコミは、ホームの親善試合(スポーツイベント)の勝利などに酔うことなく、冷静にサッカーを分析することだ。そして、野心のない監督、コーチ、選手に対しては、的確な批評(批判)を行うことだ。フランス戦は惜しかっただとか、審判がおかしい、などと言ってもはじまらない。日韓大会では両国ともホームの恩恵を受けたのだから。
(この項続く)



2003年06月18日(水) コンフェデ杯予想

いつも当たらないサッカーの予想である。今回のコンフェデ杯も懲りずにやってしまう。予選リーグの日本は、ニュージーランド、フランス、コロンビアの3試合。
まず初戦のニュージーランドだが、日本が1−1で引き分けとみた。内容的には、おそらく苦戦だろう。前評判ではニュージーランドは弱いといわれているが、日本が苦手とするタイプ。ニュージーランド代表選手の活躍の場は、アメリカ、イングランド、北欧らしい。この3つのリーグとも、日本より厳しい。中盤の中村俊輔、遠藤、両サイドバックの三都主、山田、センターバックの坪井が競り負けて相手に決定的な場面をつくられる。あるいは、セットプレーで高さで負けて失点する可能性が高い。とはいえ技術が未熟なニュージーランド。日本の失点は最小だろう。一方の攻撃だが、相手の高い壁と強い当たりで前線でボールキープできず、得点シーンは生まれない。が終盤近く、相手ゴール近くからのFK(もしくはPK)で1点を上げる。
第2試合は、ホーム・フランスの圧勝。0−3くらいの点差を覚悟しなければいけない。
最終戦のコロンビアはよくわからない。いまJスカイで放送されているコパ・リベルタドーレスでは、コロンビアの「アメリカ・カリ」「インディペンディエンテ・メデジン」「ディベルティーボ・カリ」の3クラブすべてが予選を突破したらしい。、コロンビアは弱いとはいわれているが、底力はある。テレビで放送された数試合を見た限りだが、注目すべきは守備の強さと速攻。バルディラマがいたころのむかしのコロンビアのイメージはない。が、コロンビアはホームでは強いがアウエーはだめ、というのが伝統。このあたりをどう、調整してくるかだが、南米コロンビアの選手達が神様ジーコの前でいいところを見せようとはりきって、日本が苦戦。0−2で日本の負けとみた。
というわけで、日本代表は予選突破できず、勝点1、総得点1という惨敗に終わる、というのが私の予想というか希望である。敗因は、遠征のうえ、きついスケジュールで日本代表は力を出せないこと。アウエーの厳しさ、親善試合とは違う国際大会の厳しさを思い知るだろう。
この結果から、大会終了後、日本ではジーコ監督への批判が高まり、監督手腕に対する疑問がわき上がる。ジーコ更迭の気運が高まるだろう。それこそが、私が望んでいる展開にほかならない。代表チームづくりはいまから手腕のある監督にまかせれば、間に合う。これ以上遅くなれば、3年後、日本はドイツに行けない。



2003年06月16日(月) コンフェデレーションズカップ

ジーコ代表監督になって初めての世界大会。開催地は日本ではなくフランス。ジーコジャパンの現在の実力を計るいい機会だ。予選の相手は、ニュージーランド、フランス、コロンビアらしい。なかなかおもしろい。各チームとも特徴が違っていて、日本代表が各国にどう反応するかが楽しみだ。もちろん、この大会の評価は世界レベルでみると、そう高くない。でもそれがいいのである。各国が「実験」を行う大会。思わぬ逸材が出現する可能性が高い。そういう場も必要だろう。
私の注目する点はただ1つ。ジーコ監督が相手チームをどう分析してどう作戦を立て、選手にどのような指示を出すのかにつきる。勝負は時の運、結果はわからないが、この大会で、ジーコ監督のこれからの代表チームづくりを占うことができる。これまでの日本代表は、韓国戦以外、すべて親善試合。あまり参考にならない。
この大会を、代表選手の活躍よりも、「監督ジーコ」の実力を確認する絶好の機会だと、わたしは考えている。仮に、ジーコ監督が「創造性」だとか「選手の個性」だとかの曖昧な言語をもって大会結果を総括したならば、ジーコ氏の監督の実力はしれたもの。そうした責任逃れをしたとしたら、日本代表の前途は絶たれたようなもの。いままでの一般論は、ジーコ氏の前監督トルシエ氏に対する個人的な反感であって、いまさら「トルシエ」を否定しても始まらない。「監督ジーコ」の実力をこの大会で証明してほしい。そして、私が繰り返してきたジーコ批判を一蹴してほしいものだ。
第一の見所は、先発メンバーの決定。初戦の先発メンバーでジーコ監督のビジョンが明らかになる。海外組以外の選手としてだれを選ぶかで、今後の方針がわかる。結果を恐れず、自らの代表チームづくりの方針を示すかどうか−−。とは言うものの、いま現在の最大の懸念は、ジーコ氏の「方針」がわからないこと。わたしが知る限り、ジーコ氏から出てくる代表チームづくりの方針は、「トルシエ批判」の一般論だけ。それを「方針」と勘違いしているのが日本のスポーツマスコミ。論外である。
第二の見所は、こうした世界大会では、各試合の前段階→経過→結果て、監督の戦略・戦術が明らかになること。ジーコ氏の戦略戦術が誤りか正しいか、また、戦略戦術が不在か実在か−−わかる。
具体的にいおう。まず試合前段階では情報収集能力だ。相手チームの情報は代表スタッフがVTRで集めるのが常識。出場する代表チームそのもののVTRが集められればそれにこしたことはないが、初めて選ばれた選手が多いチームの場合には、その選手達のリーグ戦の模様を集めなければいけない。それらをイメージのなかでつなぎ合わせ、相手チームの戦い方を予想し、自軍の先発メンバーに対応を指示する。初戦のニュージーランドは主な選手がアメリカ、イングランドでプレーしているというから、VTRの入手に支障はない。日本代表は戦う前から相手チームの特徴を知り、戦い方のイメージを監督から与えられる。重要なテープは全員で確認する。実際の試合を偵察したスタッフがいれば、生の情報を付け加える。こうして作戦がたてられるのであって、これは選手の「個々の能力」や「創造性」とは次元の異なるプロセスである。もちろん、実行するのは選手だけれど。
そして、試合を想定した事前練習が重要。たとえば、先発組は相手の攻撃を予想したうえで、カウンターの練習をすること…などなど。数え上げればきりがない。なのに、いまごろになって、チューブを使った下半身の鍛錬など、なんになる。あんな練習は子供だまし、マスコミ受けする宣伝スチールだ。日本のスポーツマスコミはサッカーを知らないから、大きく掲載するけれど、少しでもサッカーを知っている、いやスポーツをしたことがある人ならば、試合数日前にあんな練習をするとは、貴重な時間の無駄遣いと思うはず。あんな練習、「創造性」でも「個性」でもない。確かに、「トルシエ」はやらなかったことではあるが。
なお、試合経過と結果における監督の仕事については、もちろん、いまは言えない。が、それは本番で明らかになる。
監督を中心としたスタッフが試合前にやることはたくさんある。もちろん、こんなことはすでに行われているはずだ。であるならば、日本のスポーツマスコミは、ジーコ氏の監督としての仕事を具体的に報道してほしい。「ニュージーランドのことは、すべてわかっている。作戦も立てたし、練習もした。警戒するのはAとB…」そんな、サッカーの監督らしいコメントを伝えてほしいものだ。監督のそんな発言を聞けば、私たちは安心する。少なくとも、チューブの練習なんかで私たちを不安にさせないでほしい。



2003年06月14日(土) 真田のガッツと河原に必要な「追い込み」

きのうの阪神VS読売は、ホームラン攻勢で読売の勝ち。阪神はお休みモード。見所のない試合だったが、唯一いい場面を挙げるとしたら、読売の真田投手のガッツだ。2年目にしてはいい度胸。感心した。
先発伊良部が降板した後、阪神のリリーフ投手が清原、福井に死球を連発。清原への内角球は地蔵に当ててしまったもので仕方がないが、福井に対しては故意とみた。その裏、打者は阪神の捕手の矢野。読売の真田は臆することなく矢野の内角を攻めた。味方の打者が連続死球を受けたのだから、当然、相手捕手に対する警告である。これ以上当てたら頭に行くぞ、というメッセージである。
そもそも読売投手陣には攻撃性がない。野球はゲームであると同時にファイトである。内角の次は外角、早い球の後は遅い球、スライダーの後はフォーク・・・と、判で押したような配球。味方の打者が当てられても、報復すらしない。踏み込んでくる打者には思い切った内角攻め。そうした「攻め」の投球を忘れている。
攻めの投球といっても故意死球を投げろ、というのではない。フォークで振ってください、という投球ばかりで、消極的なのだ。バットに当てられてもバットを折ってやる、という気概が投球にこもっていない。
フォークという球種をどう考えるかだが、私が投手コーチだったら、投手にフォークをすすめない。ストレート、カッターの直球系、チェンジアップ、カーブの遅球系、決め球は高速・高角度スライダーの構成が好みである。
読売のストッパー河原が今年は調子が上がらないが、昨シーズンのフォークの連投が肘、肩に負担をかけたのではないか。河原不調の分析としては、ある解説者によると、軸足(右足)にかける時間が短いためタメができず、それゆえ、球筋に「角度」が生じないとのこと。概ね「角度」がないことはどの解説者も指摘するところで、軸足に体重をのせてから、その力を腕に伝えるためのタメがなく、投げるタイミングが早すぎるらしい。これは、おそらく、自覚できない蓄積疲労によるものと思われる。
人間の身体というのは実に正直なもので、苦しい、負担がかかる、重い・・・といった感覚から本能的に逃れようとする。それに耐えるのが、トレーニング用語でいうところの「追い込む」である。身体が負担から正直に逃げようとする動作を、精神力で阻止する。「追い込む」感じを選手に伝えるのがトレーナーの役割。コンディショニングコーチ、トレーナーなどの呼称があるが、読売にはいるのだろうか。
河原は登録抹消になったらしいが、もう一度、下半身の粘りを取り戻すには、基礎的トレーニングの段階で「追い込む」必要がある。下半身に粘りができた段階で投球に移るわけだが、投球練習ではフォークを封印してアウトローにスピードボールを投げ込み、さらにアウトサイドに高速スライダーを投げ込む実験をしてみて欲しい。肘の負担を軽くすると同時に、下半身に粘りがでてくるはずだ。



2003年06月12日(木) 成長の波

成長の波にのる選手を集めたチームは強い。プロ野球だと、今シーズンのこれまでの阪神。発展途上の若手がチームを引っ張り、ベテランが実績どおりの仕事をする。シネジー効果が働き、好成績につながる。
チームが強くなったと言われる時、こうした現象を見いだすことが一般的である。日韓W杯のトルシエ・ジャパンでは、鈴木(ゲンク)、稲本(フルハム)、松田(横浜)、宮本(ガンバ大阪)らがそうだった。彼等はそれまでの代表の顔=中山、名波、岡野、秋田、井原らに代わって、チームの主軸となった。トルシエが実績にこだわり、フランス大会に準じた選手を使いつづけていたとしたら、W杯であれほどの成績は残せなかった。
4年間で肉体が衰えることもあるが、成長の止まる主因は精神面だろう。欧州では、多数のタレントをそろえたポルトガル代表があまりいい成績を残せなかったが、その理由として、中心選手の一人・フィーゴの不振が挙げられる。フィーゴは世界一のギャラを稼ぐサッカー選手だが、W杯では活躍していない。彼の全盛期、ポルトガルが予選を突破できなかったため、フィーゴの勇姿をW杯でみることはできなかった。
W杯は、予選を含めて長丁場である。予選でよくても本戦で力が発揮できないことは、アルゼンチンがいい例だ。そういえば、日韓大会のアルゼンチンは、バティ、オルテガ、ロペスといった、前大会の主軸が残っていて、成長の波にある選手は少なかったような気がする。フランス大会の日本チームでは、ヒデが成長の波を感じさせる唯一の選手で、名波、中山、(代表からもれたが)カズらは、どちらかといえば、下り坂だった。
このように、みる側が経験を積むことによって、W杯成功のプロセスを思い描くことができる。もちろん、勝手な想像の世界だが。これもサッカーの楽しみの1つ。



2003年06月11日(水) 海外組+大久保、三都主

パラグアイ戦は、海外組に大久保、三都主が加わった構成。これまで、全然元気が感じられなかった鹿島グループ+ベテラン組よりは、試合展開にさわやかさが感じられた。ゲンクの鈴木を含めたジーコ監督の弟子達が先発からはずれただけで、代表チームが元気になった。きのうここに書いたように、選手に野心があるかどうかが重要なのだ。そのことをジーコ監督はよく考えて欲しい。弟子といえども、見切るときは見切らなければいけない。
ジーコ監督の代表選手および先発選手の選考については、これまでこのコラムで何度も批判してきた。どうやら、私の批判が正しかったことが実証されたようだ。もちろん、このチームでアルゼンチン戦に臨んだとして、きょうのような結果がでたかどうかは疑問だが、仮定の話を続けても生産性がないのでやめる。
きょうの成果はもちろん、大久保だ。でも、大久保の活躍は予測できたことなので、私は驚かない。私は、大久保をきょうまで先発させなかったジーコ監督の選手を見る眼のなさのほうを嘆いてきたくらいなのだから。
中村、ヒデ、福西(後半、中田(浩)と交代)、遠藤の中盤はどうか。中村、ヒデについては文句はないし、二人のボランチもこの試合に限れば問題はなかった。もちろん「黄金の中盤」とはいえない、「並み」ではあるが。
問題は左右のサイドバックだ。注目はもちろん、三都主の左。奇策かそれとも、ある程度恒常的なフォーメーションなのか。私は、いまのところ、ジーコ監督の起用の是非の判断を保留したい。理由は後述するフォーメーションに関連することなので、別の機会に譲る。
問題はむしろ、右サイドバックではないか。期待された山田だが、彼はチャンスを逃した。自分の持ち味であるスピードを生かしきれなかったし、思いっきりが悪い。山田は人気チームの浦和レッズのレギュラーで満足しているのか。彼に野心はないとみた。右サイドバックは、日本代表の最大の弱点だ。名良橋に代わる若く才能ある野心家を探さなければいけない。その一人が広山望である可能性は高い。
ただし、さきほど触れたように、この弱点を含めて、4バックが日本代表の望ましいフォーメーションなのかどうか。奇策、三都主の左サイドバック起用を含め、4−4−2が正しいのかどうかについては、もう少し時間をおいて、論じてみたい。



2003年06月10日(火) 再びジーコ監督批判

選手としてエリート街道を歩んできたジーコ氏には、サッカー辺境の地の日本のサッカー選手の気持ちがわからない。あるいは、わかろうとしない。私は日本代表の選考が誤りだと言い続け、あえて、秋田、名良橋、中山、服部、中田(浩)、森岡らの実名を挙げたのだが、その理由をここに明らかにする。このことは、あまり書きたくなかった。なぜならば、推測であって、本人に会って確かめたことではないからだ。
彼らに共通するのは、かつて代表としてW杯に出場した経験をもった選手であることだ。日本人サッカー選手としては、もちろん、一流である。ところが、W杯後、欧州の有力クラブはもちろんのこと、海外のどこからもオファーがなかった選手でもある。
世界のサッカー選手のすべてが、各国リーグで頭角を現わし、代表に選ばれ、W杯などの大会で認められ、欧州のクラブと多額の契約を交わすことを思い描くだろう。ところが、先に挙げた現在のベテラン代表選手は、たとえてみれば、地元の有名高校に入学しながら、一流大学に進学できなかった生徒達である。だから、ふたたび地元の有力高校に入学しなおして大学受験をしろといっても、身体は動かない。モチベーションが働かないのである。いくら、「日の丸」といっても、無理な話だ。
さて、Jリーグで最高の選手を代表に選ぶ、とジーコ監督がいったとき、彼はトルシエ元監督を意識し、日本の世論にこびたと感じた。つまり、監督としてリスクをとらず批判を避け、サッカーファンの受けを狙ったと。
いまから1年ほど前、トルシエ前監督が中村俊輔を代表から外したとき、スポーツマスコミとサポーターはトルシエ批判を繰り返した。私は、トルシエ監督が正しいとこのコラムで何度も言い続けた。結果はトルシエの正解であって、ベスト16をキープした。そして、ベスト8を賭けた仙台でのトルコ戦でトルシエ・ジャパンが負けたとき、ジーコ氏はトルシエ批判を繰り返した。私は、トルコと日本の実力の差はジーコ氏が指摘した以上のものであって、あの敗戦はトルシエ監督の責任ではない、といまでも思っている。その後、ジーコ氏が監督に就任したとき打ち出したのが、中村俊輔中心のチーム構成、黄金の中盤であった。私はそれも批判した。黄金の中盤など時代遅れだと。そのことはここでは、繰り返さない。
つまり、ジーコ氏の代表監督としての思考回路は、自らの監督哲学から導き出されたものではなく、すべからく、反トルシエ(=日本のスポーツマスコミのエキセントリックなトルシエ批判に従ったもの)にすぎないのだ。なぜか。ジーコ氏はトルシエ氏よりも、日本のサッカーの実情に詳しい。日本人のサッカーに対する心情を知っている。とりわけ、日本のスポーツマスコミへの対処方法を知っている。ジーコ氏は、マスコミを抑えれば、すべて乗り切れると考えたに違いない。いま確かにマスコミとジーコ監督の関係は前監督に比べていい、と言われている。が、その蜜月時代にピリオドを打つときだ。スポーツに癒着や妥協、談合があってはいけないからだ。結果に対しては、健全な批判こそが望ましい。相手がだれであろうと、だめなものはだめなのである。
再び選手選考に戻ろう。いま、Jリーガーで、代表→W杯→欧州クラブの階梯を上がる可能性がある選手はだれだ。若手では、もちろん、大久保であり、中堅では三都主である。この二人に異論はないだろう。彼らに続くのはだれだ。才能があって、これから伸びる可能性を秘め、さらに世界に出る野心をもったサッカー選手。それを見つけるのが代表監督の仕事である。そうした選手は海外の代理人が見に来るであろう親善試合でも全力を尽くすから、さらにサッカーがうまくなる。日本のようなサッカー後進国では、選手たちの野心に支えられてこそ稼働するのである。
W杯は最終目的ではない。選手が多額の契約金を稼ぐ道程に過ぎないのだ。だから、若手にこそ、そのチャンスを与えるべきなのだ。チャンスをつかめなかったベテランには、もちろんその功績を称えつつ、退いていただく。それがプロスポーツの原則である。
野心をもった若手、中堅、そして海外移籍を果たした経験者。立場が異なる選手たちが、混然とした力を融合させて魅力的な「チーム」を形成する、それが代表チームなのだ。野心、プライド、マネーといった、口にも出したくない世俗性。それらを「チームワーク」と呼ばれる聖性に昇華をさせる媒介者。それが代表監督の仕事なのだ。それが見えていないジーコ氏は、代表監督として適格でない。



2003年06月09日(月) ジーコ氏よ、辞任しておくれ

あきれた完敗である。ホームで1−4とは代表チームの負け方ではない。代表チームの試合があるたびに同じことばかり書いてしまう自分も情けないが、日本代表の惨状については黙ってもいられない。試合後の選手のインタビューに「課題がわかった」というものがあったらしいが、寝ぼけるのもいい加減にしろとはこのことだ。もうちょっとましなコメントはないものか。たとえば、「ジーコは代表監督に不向きである」、とか。
課題はすでにわかっている。繰り返して言えば、選手選考の誤りである。アルゼンチンの代表選手をみると、サビオラ(21)、アイマール(23)、ロメオ(25)、ソラリ(26)、カストロマン(22)、コロッチーニ(21)、キロ(25)、リケルメ(24)…平均年齢24歳だという。明らかに、ドイツ大会で力がピークに達するであろう選手を揃えてきている。もちろん、べーロン、クレスポらが参加できない事情もあろうが、であればこそ、若手を使うのがいまの時期の常道である。
年齢だけではないかもしれないが、ゲンクの鈴木を含めた鹿島勢、秋田、名良橋、小笠原、中田(浩)の5選手はもう力が下向きの選手だと断定できる。服部、中山、森岡も同じ。はやいところ若手に切り替えなければ、手遅れになる。たとえば、秋田だが、CKから1点を決めたが、これで秋田の評価が上がることを私は恐れている。4失点のすべてが秋田にあるとは言わないが、アルゼンチンのスピードにまったく、ついていけていない。また、途中交替したが、先発の中田(浩)の左からのセンタリングはなんだ。高校生だってもっとましだろう。彼らを選ぶ監督が悪い。
再三指摘される攻撃の形だが、この試合でもみられなかった。まず、なぜ3ボランチなのだ。ジーコ監督がアルゼンチンの強力3トップに恐れをなして、慌ててフォーメーションを変更したためだ。戦う前に白旗を揚げたようなものだ。
報道では韓国戦の後、シュート練習をしたという。笑止千万、シュートを打てないからシュート練習とは素人の発想である。韓国戦は、シュートを打つ体制に至らなかったことが問題なのであって、シュートチャンスがあってシュートを打たなかったのでもなければ、シュートを外したわけでもないのである。
テレビの実況アナ氏によれば、アルゼンチンの代表監督は1万5千本のVTRを準備し、選手にあらゆる状況を想定させて練習に取り組ませているという。間違っても、自由だとか創造性だとかという美辞麗句でもって、監督責任を放棄することなどしない。あれだけの若くて才能のある選手を集めたアルゼンチン代表であっても、戦略・戦術の指導を必要としている。それが世界のサッカーの実情なのだ。アルゼンチンは先の日韓大会の敗北を総括して、チームを基礎からたたき直そうとしている。結果は時の運、アルゼンチンが南米予選で勝ち残る可能性は100%ではない。が、勝ち残るためのプロセスに納得するものがあるならば、アルゼンチンのサッカーファン(ほぼ全国民だと思うが)は、ピエルサという一人の男に夢を託すのである。
一方の日本代表は、名声だけで勝つための努力を怠る指導者に率いられ、先が見えない戦いを強いられている。そんな人物に夢を託すことはできない。代表監督は代表監督としてのノウハウが必要なのであって、専門職である。ジーコ氏というジェネラリストの果たすべき役割ではない。
日本サッカー協会がジーコ氏をクビにできない事情があるのならば、ジーコ氏本人が辞任してくれるしかない。早ければ早いほど、日本代表、日本サッカー界のためである。



2003年06月05日(木) あっぱれ清水監督、ジーコより上だ。

リーグ戦を終えた欧州のクラブチームが日本に遠征して、各所でフレンドリーマッチを行っている。きのうは、セリエAのパルマがC大阪と、オランダのフェイエノルトが浦和と、そして、キエボ(セリエA)が仙台と試合をした。パルマはヒデが、フェイエは小野が属するチームであることは言うまでもない。わたしがテレビ観戦したのは、キエボvs仙台でビアホフ(元ドイツ代表)の引退試合だった。
この試合、仙台が2−1でキエボに勝ったから言うわけではないが、仙台の清水監督は本当にいい仕事をした。キエボに限らず、訪日中のクラブチームのコンディションはよくない。リーグ戦の疲れ、時差などが重なって最悪だろう。だから、勝敗など、どうでもいい。練習試合である。ただ、プロ野球でもオフの大リーグとの親善試合で日本の若手が活躍をし、そのまま才能が開花することがある。練習試合であっても、選手を成長させるのは試合であって、練習ではない。
きのうの仙台は、ケガのベテランに代わって、FWの佐藤寿人、エデー、DFの根本が実にいい動きをみせた。清水監督は、キエボのプレスが甘いとみるや、佐藤、エデー、山下を実質的に3トップに据え、根本を左からの攻撃の基点にした。選手もその意図を理解して積極的に動いてチャンスをつくり、逆転勝利に結びつけた。
この試合のポイントは先述したとおり、選手起用にある。レギュラーの岩本、マルコスらがケガということもあるが、若手に切り替えてこの親善試合に臨んだことがいい結果を生んだ。第2は、3トップと根本の活用。後半は根本を上げ、反撃の意思をサポーターを含めた全員に明確に示した。
さて、ここでジーコジャパンについて−−。今月のコンフェデ大会(フランス)にブラジル代表は若手で臨むという。欧州で活躍するリバウド、ロナウドらが不参加らしい。これも代表チームの作り方の一つであろう。何度もいうとおり、ジーコジャパンがW杯までの代表試合のすべてを勝ち続けることなどできない。まず、アジア予選突破が大きな山であり、いまは、そこに向けたチームづくりの2〜3合目当たりだろうか。とするならば、ここでやらなければいけないのは、世代交代である。フランス大会で優勝したフランスが、日韓大会で予選リーグで敗退した。その理由はいろいろあるが、世代交代に失敗したことも挙げてよい。ジダン中心=フランス大会を主力としたチームだっただけに、ジダンがいなくなった途端、崩壊した。3年後のアジア予選の途中で、ヒデがいなくなった日本代表を想像するといい。
もちろん主力のケガを想定してばかりいてはチーム編成はできないけれど、いまの時期は選択肢が多ければ多いほど、プラスになる。左サイドの根本など、いますぐ代表入りでもおかしくないし、佐藤も将来性十分だ。ジーコ監督は、仙台に限らず、Jの多くの選手を代表試合で使い、可能性を探るべきだ。
それにしても、清水監督、さすがである。Jリーグでもまれてきた経験は伊達ではない。ジーコに代わって、代表の指揮をまかせたいくらいだ。代表でなくとも、せめて、オリンピックはこういう経験のある監督にまかせたいものだ。



2003年06月03日(火) 緊急補強とは

読売が河原に代わるストッパーを外国人選手で補強するらしい。どたばたとは、このことだ。私が河原の抑え転向2年目の活躍はない、と予言したとおりになったのだが、原監督は指揮官としての危機管理能力を問われる。
根本的問題は、原監督が投手分業制をどう考えるかである。読売出身の解説者の多くが、投手は先発完投という説を唱えてやまない。先発投手は中5日、先発するかぎり完投すべしと。それも悪くない。球数も無視して、先発はその責務を全うせよか。だが、そうあるべきというのと、実際可能なこととは違う。先発投手が完投する確率と途中降板する確率を比較すればいいのだ。
大リーグでは長年の経験から、特性などを考慮して、投手を分業化した。100球近く投げるより20球程度で才能を発揮する投手には、セットアッパーやクローザーという役割を課し、成功者には多額の報酬で報いている。
日本のセリーグでは、伝統的にヤクルト、中日が大リーグ志向で、読売は中途半端。毎シーズン継投でつまずいてきた。昨シーズンは珍しくクローザーに河原を得てその悩みを克服したが、前に書いたことだけれど、昨シーズンは、たまたまの消去法の結果オーライ。河原は故障あがり、当然、今シーズンは調子が落ちると考えるほうが自然なのだ。だから当然、河原に代わる人材を用意しておくのがチームというものだろう。たとえば、ルーキー久保は、クローザーとしての採用なのか、先発としての採用なのかがわからない。けっきょく、外国人に頼るとは、スカウトを含めて、チームづくりに方針・コンセプトがないことを証明してしまった。
読売が投手分業制確立を明確にし、ピッチングスタッフの再生に取り組み、その結果、先発陣よりも年俸で上回る中継ぎ・抑えがベンチにいるようにならなければ、読売の苦悩はいつまでも続く。今シーズン、読売は先発投手の持ち腐れで終わる確率が高い。



2003年06月02日(月) ジーコ体制

インターネットのSPORTSNAVIのコラムニスト・U氏がいまのサッカー日本代表について、ほぼ、私と同意見をもっておられることを偶然知った。U氏はジーコ監督にノルマを課さなければいけないこと、スポーツマスコミのジーコ氏批判が生ぬるいことなどを指摘しておられる。私は以前、ジーコ監督批判をこのコラムに書いたけれど、U氏に触発され、いまいちどそれを繰り返してみたい。
日本人はブランドに弱い。かつてあれほどまでに、トルシエ前監督に批判を集中した日本のスポーツマスコミだが、いまのジーコ監督には沈黙している。それは期待の現れだとも取れるが、正常なというか健全な批判精神の欠如だと私は考えている。
トルシエ前監督はジーコ監督に比べれば現役の実績において足元にも及ばないが、監督経験は上である。しかも南アフリカで実績を残している。ジーコ監督の指導者としての実績は、セレソンのテクニカルディレクター、鹿島の総監督くらいだと私は記憶している。長期間にわたってサッカー発展途上国の代表監督をした経験がない。セレソンのテクニカルディレクターについてはよくわからないが、W杯直前に就任したもので、日本でいえば選手団の団長のような職責ではないか。スーパースターが居並ぶセレソンを束ねるには、ジーコ氏のような実績をもった人物が必要なのであって、彼はその求心力にふさわしい。
しかし、適材適所、たとえば、100円のコーラを買うのに金塊での支払いがなじまないように、サッカー発展途上の日本代表にはジーコ氏の実績や神話はなじまない。
さて、先のW杯で韓国がヒディング監督という名将を得て、優秀な実績を残したが、ヒディング氏も監督の実績はあるが現役の成績については、どれほどのものであろうか。だが、聞くところによると、ヒディング氏は監督就任早々、韓国代表選手に対して、1対1に強くなるため、相撲のような格闘技の練習をさせたという。代表というその国の頂点に立つ選手に対して、勝つためには、基礎の基礎とも思われる練習を課すこと−−。アジアのサッカーのレベルというのは、その程度なのである。アジアの頂点に立つ韓国であってその程度なのだから、韓国より弱い日本代表には、もっと強力な指導力が必要である。
代表チームの作り方だが、ジーコ監督がいうように、その時点で最高の選手を代表に呼ぶ、という原則がある。しかし、セレソンクラスであればそれ以上の代表選考はないかもしれないが、日本のような発展途上国では、必ずしもそうではなく、その都度代表を選ぶというのは、「建前」と考えられる。日本の場合の代表選手の選考方法は、代表監督が才能を認めたエリート集団をまず核とする。そして、その周辺に予備の選手を配備(キープ)する方法がよい。いくらエリート集団を形作っても、ケガや調子の波があるから、早いうちの決定はリスクが高すぎる。ただ、この方法だと、監督の戦術にマッチした選手が代表に残る可能性が高くなり、必ずしも、上手な選手が選ばれるとは限らない。だから、監督は批判の嵐に晒されよう。これが許されるのは、監督の選んだ選手が結果を出し続けることとなる。たとえば、前監督が中村俊輔を代表に選ばなかったのは、トルシエの構想から中村が外れたからであって、中村が下手だからではない。
このことを頭に入れて、いまのジーコ体制をみてみよう。ジーコ監督は、代表選手はその時点の最高の選手といい、攻撃は自由だと言い続けているが、自らのサッカーコンセプト、攻撃・守備のスタイルを明言しない。ジーコ監督は結果から逃げ続けているのである。つまり、最高の選手が自由に戦って負けたのだから、監督(ジーコ氏)の責任はありませんよ、と自ら言い続けているのである。これが詭弁、職場責任回避でなくて、なんであろうか。
サッカー関係者は日本代表の実力を過信している。世界ランキングは上がっているが、実力を反映していない。日本代表が勝った試合の多くは、ホームでのフレンドリーマッチ、先のコンフェデ大会の善戦並びにW杯ベスト16だが、ホームが圧倒的に多い。しかも、日本のJリーグ選手は、真剣勝負の国際試合の経験があまりにも少ない。こういう環境の代表国は、チーム力を培って、チーム力でサッカーに勝つしかないのである。
私たちは先のW杯で韓国チームが欧州の強豪、イタリア、スペイン、ポルトガルを破ったことを知っている。この3国に共通したのは、スター軍団でありながら、スケジュールの関係で、チームとしてのまとまりを欠いたことだ。いずれも、欧州の強豪リーグに選手を送り込んでいるため、代表がW杯に遅れて合流した。しかもアジア開催ということで、コンディション調整うまくいかなかった。韓国ホームの異常な応援もあり、これら3国はチーム力に勝る韓国に負けるべくして負けたのである。
日本がW杯で勝つためには、それなりの戦略が必要である。しかし、代表組に海外でプレーする選手が増え、代表のチームづくりは簡単ではなくなった。そうなると、チーム力を強化する方法もままならなくなる。代表チームの作り方には、代表経験のある監督による特別の、ノウハウを必要としている。



2003年06月01日(日) 鹿島偏重

代表試合のたびに同じことを書く。サッカーの日韓戦だ。W杯まで3年もあるこの時期、フレンドリーマッチなので勝敗は度外視しよう。それでも言いたくなるのは、いまの日本代表が後退を繰り返しているためだ。なんのためのW杯開催だったのか。W杯の遺産をきっちり継承していないことが、いまの代表チームの最大の問題だ。
まず、選手選考について――。ジーコ監督は鹿島アントラーズにとらわれすぎている。鹿島とジーコの関係は深い。自分が関係あったチームに思い入れを抱くのはよくあることだが、露骨な「鹿島偏重」で、公平さを欠いている。Jリーグの選手達は、鹿島に入団しなければ代表に選ばれないと、疑念を抱くだろう。
現在時点の最高の選手を代表に選ぶというのは「建前」か。Jリーグで活躍している選手を代表に呼ぶ、といったのはどこのだれだ。先発した鈴木、秋田、名良橋、中田(浩)、小笠原を現時点で最高の選手と考える人は少ない。秋田、名良橋の年齢は高い。ま、いい選手ならば年齢は問題にしないというのなら、それはそれでいい。それでも、いまのJリーグの成績から見て、市原、名古屋、柏の選手を入れるべきだ。小笠原よりは磐田の藤田、名古屋の藤本の方が、Jでは活躍している。秋田よりは浦和の坪井、右サイドバックは人材が少ないだけに、高齢の名良橋に代わる若手を試さなければいけない時期だ。もちろん、秋田も名良橋も悪い選手ではないけれど、私がいいたいのは、二人の力はわかっているのだから、この時期、もっと未知の選手を試した方がいい、ということなのだ。
これも繰り返しになるが、代表試合を全部勝つことなどできない。勝つことを求められているけれど、負けてもサポーターが納得できればそれでいい。3年後のドイツ大会予選を戦う選手たちは、きのうの日韓戦の代表選手たちでないことぐらいは自明のこと。今は失敗、間違いが許される時期なのだから、選択肢を増やすことを優先すべきなのだ。
第2には、A大新聞と珍しく意見が合ったことなのだが、攻撃の形についてだ。連携が悪いので点にならなかった、というのなら仕方ないが、きのうの日本代表は、チームとして、攻撃をしていない。攻撃を組み立てるのは小笠原の役割だが、トルシエが小笠原を代表合宿に呼びながら、すぐ帰した理由がわかったような気がした。小笠原にはマエストロは無理なのだ。体力・スタミナがあり攻撃的でスルーパスも出せるが、代表チームを有効に機能させるトップ下の力量はない。彼はむしろ、ボランチのほうが向いている。
前半風下のサイドにたった日本は、ロングボールでリスクを避けた。定石どおりだ。得点は0−0。韓国もリズムが出ない。日本やや優勢の場面もあり、よく守ったと見ていい。ところが後半、風上に立ったのに、攻撃の形ができない。中盤でキープしてからミドルシュートを打つスペースすら、空けられない。韓国を崩すための戦術を最後まで見出せなかった。もっとも、この結果は小笠原の責任ではない。ジーコ監督が攻撃の形を持っていないのだ。攻撃といえば、三都主の左からの攻撃だけ。それが封じられると、もうお手上げ。シュートは2本だったらしい。
では、どんな攻撃が得点の可能性があったのか――。たとえば、後半風上に立ったとき、左サイドの三都主が前を切られ、サイド突破できなけいとみれば、韓国守備陣が密着マークに来る前に、ゴール右をねらって長めの早いクロスを蹴りこんで、小笠原、名良橋があわせる、あるいは中山がヘッドで落とし、ニ列目が飛び込むという形があった。もちろんその逆もだ。大きくサイドチェンジをしてからであれば、なお有効だっただろう。
雨の激しいコンディション、風上の優位を生かし、早いクロスをトップにあてて、折り返しやこぼれ球からチャンスをつかむ。あるいは、ロングシュート、ミドルシュートでGKのハンブル、相手守備陣のクリアミスを狙うこともできた。
韓国はスタミナの切れた日本の左サイドを破り、フリーでセンタリング。それをアンがきれいに決めた。日本には反撃の力が残っていない。
攻撃の形もさることながら、日韓代表のパワーの差は、次第に大きく広がりつつあるように思う。オールド中山では、韓国DFの高さとパワーに通じない。交代で出た大久保のスピードが目立ったように、新旧交代を急ぎ、代表チームづくりに着手しなければ、手遅れになる。日本代表には、とにかく「強い」選手が必要であることはもちろんだが、神様で素人監督のジーコに代わる、プロの代表監督が必要だ。


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