Sports Enthusiast_1

2004年02月27日(金) パイプ役か・・・

やり手の川渕氏にしては、ぬるい結論が出たものだ。代表監督解任要求デモを受けて、ジーコ氏と対談した川渕氏が下した決断は、監督と選手のパイプ役として、日本人の新コーチを就任させることらしい。いまの代表チームコーチ・エドゥ氏はジーコ氏の実兄だが、エドゥ氏のコーチとしての実績を私は知らない。ブラジルサッカーに通じているサッカー評論家がエドゥ氏をどう評価しているかを知りたい。ただいえることは、この場に及んで、新たに日本人コーチを入れるということは、少なくとも、エドゥ氏がコーチとして機能していなかったことの証明になる。
この程度のプランで、効果が出るのだろうかといわれれば、大いに疑問だ。新コーチの名前は不明だが、おそらく、かつて「闘将」と呼ばれた柱谷氏か、「アジアの壁」の異名をとった井原氏あたりだろう。両人とも、W杯予選の厳しさを知っているので、代表選手の精神面を支えるには適任だ。日本人選手のコンディションもわかる。また、新コーチの人望によって、いまの代表チームに「和」が形成され、選手達に戦う姿勢が出るかもしれない。さらに、新任コーチが予選を経験することにより、指導者として成長する可能性もある。これは、副次的な効果だが。
川渕氏のアイデアは一見、すばらしいように思えるが効果は薄い、というのが私の予想。このアイデアでは、いまの代表チームが急激に変わることはない。
いま問われているのは、監督が代表チームについて、具体的イメージを持っているかどうかなのだ。練習方法、選手選考・起用・コンディション等についていくらコーチが情報を提供しても、監督がオールスターチーム=代表チームという概念を捨てなければ、現状のままだ。一流=海外組、彼らを呼べば、代表は勝てる――これがジーコ監督のチームづくりのすべて。こうした発想は、プロ野球界にもある。日本代表とよく似た発想のチームとして、読売ジャイアンツが挙げられるが、昨年はリーグ優勝すらできなかった。メジャーでは、金満NYヤンキースがWシリーズで貧乏チームに負けた。
川渕・ジーコ対談の裏の結論は、代表から、ジーコファミリーを放逐することか。




2004年02月25日(水) 監督を選んだ責任

ジーコ代表監督解任要求デモの後、川渕キャプテン(サッカー協会会長)は、自らジーコ氏を事情聴取する、とサポーターに約束したらしい。いまさら何を聞くのか知らないけれど、デモがいまの代表(監督)のあり方を見直すきっかけとなったことは確かだ。以前、私がこのコラムで提言したことを実行してくれたサポーターがいたのだ。もちろん、このコラムがきっかけでデモが実行されたわけではないけれど、同じ思いを抱く「同志」を発見できたことがうれしい。妥協や談合を排し、結果を求めることが日本サッカーを強くする――という原則が貫かれれば、その将来は明るい。換言すれば、日本サッカーを健全にするもしないも、川渕キャプテン次第ということになる。川渕氏よ、真剣に事情聴取をして、ジーコ氏の監督としての能力を見極めてほしい。
だがまてよ、ジーコ氏を監督に推したのは、川渕氏だった。だから、ジーコ解任は、川渕氏が自ら選んだ人物を自らきることになる。そんなことができるのか。
私は、再三再四、プロスポーツは結果を求めて成り立つ、と書いてきた。結果が出なければ、選手も監督も、第一線から退かなければいけない。その逆ならば、常人が一生かけても手にすることのできない大金を得ることができる。それが、プロスポーツマンの常道だ。ならば、プロスポーツを統括する協会のトップにも、この原則が貫かれるべきなのだ。となれば、ジーコ解任=川渕辞任が正しい結末だ。そこまでいかなくとも、川渕氏には、自分が選んだ監督を自分で解任し、次に選んだ監督で進退を賭けるという道もある。いずれにしても、いまのワンマン体制ならば、ワンマン川渕氏自身にも、結果がすべての原則が貫徹するというわけだ。
日本サッカー協会が、代表監督を技術委員会等の第三者機関の進言に基づいて選ぶようなシステムを構築しないのならば、協会会長のポストと監督の去就は常に一致することになる。代表同様、サッカー協会のあり方も問われている。



2004年02月23日(月) 勝てない監督なら更迭するまで

(1)大新聞が擁護し、大衆が反乱する
けさのA新聞にジーコジャパン擁護の論文が署名入りで載った。一方、代表サポーターの一部がジーコ解任のデモ行進を行った。また、ウェッブ版のSスポーツが、ジーコ解任の署名入りコラムを載せた。
大新聞が擁護し、大衆が解任を要求する。この図式はいつかみた政治情況に似ているけれど、それは言わない。このコラムはスポーツ専門なのだから。
さて、A新聞の論文の趣旨を抜粋するまでもない。あいかわらず、組織⇔個人、パターン⇔クリエイト、集団性⇔自由――といった観念的対立項を並べ立て、ジーコ監督が個人・自由・クリエイトを重視して、日本サッカーを変えようとしている、という結論だ。うんざりというか、まだそんな寝言を言っているのかと呆れるばかりだ。

(2)結果重視が最大の強化策
サッカーファンはサッカーを楽しみたい。より高度なサッカーが日本に花開くことを望んでいる。サッカー技術を向上させるためには、クラブが努力を続け、選手が全力で己の技術を磨く環境を必要とする。そのような環境はどうしたら生み出せるのかと言えば、サポーター(スポーツジャーナリズム)が選手や指導者に厳しい目を向け、妥協を排し、談合的体質が介入する芽を摘み取り、結果責任を重視することなのだ。負けてもいいよ、あの選手が格好いいから応援するよ、楽しんだからいいよ…と、スポーツが芸能的ぬるま湯に浸れば、サッカーに限らずスポーツは退廃する。たとえば、日本の国技である相撲が、�〜軼�り制を採用せず、��横綱が負け越してもその地位から陥落しない、という奇妙な制度を容認する以上、相撲はスポーツにならない。プロスポーツが公平な結果を求めないのなら、成立不能となる。だから、相撲はスポーツではなく芸能だと私は思っている。

(3)サッカーは風土の表現
日本代表が日本人に合ったサッカーをすること――私はそれが、日本代表が勝つ最短距離だと信じている。
いまTVで放映されているアフリカ選手権を例にしてみよう。アフリカのサッカーというものが、その国の選手の体質・体力・思考方法などを土台として、それぞれ異なったスタイルを持っていることが理解できる。たまたま今年は、ホームのチュニジアと隣国モロッコの北アフリカ2国が決勝に残ったけれど、アフリカの強豪と呼ばれる、ナイジェリア、カメルーン、南アフリカ、セネガル…は北アフリカと大きく違うし、ならばナイジェリアとカメルーンは同じかといえば、そうではない。日本サッカーがナイジェリアやカメルーンのような個人の資質を重視したサッカーを指向すことはあり得ない。日本人選手にアフリカ人選手のような「個人的パワー=高さ・速さ」を求めても無駄だ。
アジアにあっても、日本と隣国韓国は、選手の体力という面でさほど差異はないが、リズムや速さやテンポ、戦術等の面で両国は同じでない。韓国が自由で創造的かといわれれば、そういう面もあるしそうでない面もある。ヨーロッパでも、イタリアは伝統的に守備面の組織力に優れ、世界の強豪として君臨している。南米に目を向けると、南米にはアフリカ系、ラテン=ヨーロッパ系、ネイティブ(先住民)系に、それぞれが混血した人々がいるので、選手は多民族国家独特の個性の強さがあり、しかも、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ…で、サッカースタイルが異なる。彼らは先天的にボール扱いや反応の面で日本人より優れていると言えるが、だからといって、日本が南米勢に永遠に勝てないわけではない。日本人にあったサッカーを目指すことで、南米勢を凌駕できる、と私は信じている。
日本サッカーが個人の能力というレベルで南米勢と同一になるまで200年かかるとするならば、チームの規律や組織力や戦術を磨くことで、ここ数年、10回やって3回は勝てるようになってきたように思う。

(4)サッカーは言葉ではない
世界のサッカー界には、「勝つため」「強くなるため」の共通概念など存在しない。組織力があって個人の能力が高ければ、勝つだろう。だれだってどこだって、それを目標にして練習しているけれど、サッカーは人間が手を使わずに行うスポーツなのだから、「完璧」はあり得ない。だから、自分たちのよさを伸ばし、弱さを補うことで、勝てるようになる。個人では劣っていても、組織で勝ればチャンスがある。だから、知恵を絞り、汗を流し、身体と頭脳を毎日鍛えているのではないのか。ゆえに、サッカーは世界で最も人気のあるスポーツなのだ。
問題点をスポーツというレベルで整理していけば、ジーコジャパンが正常に機能していないことがわかる。ジーコ氏の言葉に惑わされてはいけない。サッカーは勝てばいい。勝てないなら監督を代える、ただそれだけの簡単な話なのだ。



2004年02月22日(日) 問題は解決していない。

日本(フル)代表のふがいない試合の後、U23が韓国(U23)にいい勝ち方をした。格好の口直しか。そんなわけでもあるまいが、日本のフル代表の抱えている問題が忘れられようとしている。あるスポーツジャーナリスト氏は、「日本人はW杯の予選の恐さを忘れている」と論評していた。それはそうなんだが、だから、常日頃から日本代表の状態をチェックし、代表チームが「恐い予選」に耐えられるかどうかを伝えるのが、ジャーナリストの役割というものだ。日本のフル代表がオマーンに苦戦することは十分、予測できた。職業として代表を取材しているスポーツジャーナリストならば、ジーコジャパンが幾つもの問題を抱えていることくらいはわかるはずだ。勝負はやってみなければわからないけれど、結果を問わず、いまの代表が、チームとして機能していないこと、バランスを欠いていることを伝えてほしい。ジャーナリストは、代表の広報ではないはずだ。
ホームの親善試合(フレンドリーマッチ)の勝星など、なんの参考にもならない。世界ランキングも同じことだ。日本で行われるフレンドリーマッチはFIFAのAマッチに認定されているから、日本代表は、ホームで調整不足の海外代表チームに勝つ。そのたびごとに、ランキングは上昇を続け、いまや28位となった。28位というのは、バブルだ。こんなランキングは、何の指標にもならない。日本人だって、信じていないだろう。
フル代表の最大の問題は、選手選考・起用法だ。まず第一に、代表に指定席はないということを、すべての選手に徹底することだ。特別扱いなどないのだ。海外組、Jリーグ組を問わず、体調が悪い選手は使わない。換言すれば、選手同士は競争関係にあることの徹底だ。調子を落とせば、代表に呼ばれない。試合に使わない。そうすることで、選手の戦うモチベーションは高くなる。
第二は、監督はリスクを恐れず、自己が構築した戦略と信念に基づいて選手を起用することだ。自分が選んだ選手が世論の希望と違うとき、負ければ、監督は大きく非難されるだろう。前監督のトルシエは、俊輔を代表から外して世論の袋叩きにあった。だが、彼は持論を曲げなかった。02年のチームに俊輔は不要だったのだ。トルシエジャパンは本番でベスト16をキープし、トルシエは世論に勝った。
いまの代表から海外組を外すことは、監督として勇気のいることだろう。だが、戦略から導かれた選手起用基準を持っている監督ならば、海外組だろうがJリーグだろうが、迷うことはない。
名前や人気で選手を選ぶことは簡単だ。だれでもできる。たとえば、「黄金の中盤」が好例だ。冷静に見れば、「黄金の中盤」は、中盤に同じようなタイプの選手がひしめくだけで、とても機能しないフォーメーションであることは素人でもわかる。それでも、人気のある選手を詰め込んだのだから、サポーターやマスコミからは非難されない。どころか、「夢の中盤」などともてはやされる。だがしかし、W杯予選は、オールスターゲームではない。真剣勝負なのだ。負ければそれまで。オマーン戦は負けなかったけれど、もう少しで地獄だった。世論にこびても結果が出なければ、解任だ。プロの監督の宿命と言えばそれまでだけど。
第三は、若手の起用だ。いまの時期、五輪(U23)とフル代表が別々にチームを作り、それぞれが予選を突破することを強いられている。やむをえない面もある。どちらも、国民の関心事だ。だが、五輪予選が終わったら、W杯に集中してほしい。若手を使いながら育成し勝利をあげ、強い代表チームを目指してほしい。
いまの代表に欠けているのは戦う姿勢だ。なぜそれが欠如しているのかといえば、理由は簡単、主力がW杯経験者だからだ。彼らはW杯卒業組。そして、次のステップである欧州の一流クラブに入団するステップまで進みながら、中田と小野を除いて、レギュラーになれなかった。だから、彼らになにがなんでもW杯に出場したいという意欲はない。W杯は彼らには、下りのステップなのだ。もちろん、本人達はそれを否定するだろうが、W杯に出場していない選手に比べれば、予選を戦う意欲に差が出ることは仕方がないことであり、本人に責任はない。
代表に勢いをつけたいならば、強い意欲をもった選手達を起用し、経験者がそれを一つに束ねる、という構造をつくってみたらどうか。



2004年02月21日(土) 松井の才能

松井といっても、野球ではない。サッカー五輪代表(U23)の期待されるトップ下だ。私の見方では、U23の弱点はトップ下。きょうの韓国戦の先発は山瀬だった。前半は0−0で、コンディションのあまりよくないと思われる韓国を崩せない。田中の早い動きからチャンスもつくったが、田中以外、目に付く選手がいなかったのが前半だった。
山瀬も目立たなかった。山瀬にボールが来ないということは、ポジショニングが悪いか信頼性がないかのどちらかだが、どうもこの試合に限れば、両方のようだ。山瀬には体の切れがないし、攻撃を組み立てるイマジネーションが感じられない。むしろ、左サイドの森崎のほうがトップ下の役割を担っているように思えた。
後半、山瀬が退き、松井がトップ下に入り、右サイドハーフに石川が入った。展開としては、松井が真ん中から左へと自由に動き回りサイド攻撃を仕掛ける。一方、右サイドは石川がサイドラインを駆け上がりクロスを放り込む。日本の左右のサイド攻撃によって韓国の守備にほころびが生じ、間隙を縫って松井の個人技で先取点を奪った。話題の平山もFWらしく前線で体をはり、攻撃の起点=基点となったけれど、松井という選手は、南米のサッカー選手を思わせる。トリッキー、意外性、うまさ、テクニック…この才能は並ではない。松井は私の好みではないけれど、才能には脱帽する。いい環境で、偉大な選手に成長してほしい。注目の平山も、イランのアリダエイのような選手に育ってほしい。
成績表としては、攻撃では、田中、平山、石川、松井、森崎がA評価。山瀬がC〜D。守りでは、今野、徳永がA、トゥーリオB、GKは好セーブとミスの両方があったので平均してC、汗はかいたが絶好機を逃したりミスが多かった鈴木がCといったところか。
この試合、日本のいいところが目立ったけれど、本番では、油断はできない。きょうの韓国チームには、いつもの勢いがないし、圧力、スピードを欠いていた。こんなものではないだろう。
ホームで、できの悪い相手に2−0。きょうの日本五輪代表チームはまずまず、順当な結果をおさめたというところか。



2004年02月19日(木) 一夜明けても怒りは

おさまらず。きのうのサッカー日本代表の勝利を喜んでいる一部おめでたいサポーター諸氏は別として、心ある代表サポーターならば、代表の危機を認識したに違いない。これまで私がこのコラムで書き続けた悪い予感が、的中してしまった。きのうの日本代表ならば、Jリーグの市原に3−0くらいで負けていただろう。それくらい足が動いていなかったし、勢いが感じられなかった。中田がブーイングを浴びたが、当然である。中田は、自分自身のプレーぶりを客観視できなくなったのか。オマーン戦は、中田自身がまず反省し、ふがいなさをサポーターに詫びるべきだろう。ジーコにおだてられて天狗になるのもいい加減しろといいたい。
その態度はともかく、好調を伝えられた中田も、欧州〜日本の移動に耐えられないことが立証されてしまった。私は中田が元気なのでアジア予選は大丈夫だと書いたが、中田が耐えられないとなれば、小野もだめだ。もちろん、その他=広告塔海外組(俊輔、柳沢、鈴木など)に期待することはできない。日本も、グローバル化するサッカー界における代表チームづくりの難しさを体現するに至った。
この困難性は、日本固有のものではないことはもちろんである。ある程度の水準にある国ならば、共通に抱えていることだ(日本は問題になる時期が遅いだけの話)。欧州・アフリカ圏は至近であり、距離的にアジア圏と同一化はできないけれど、南米圏はアジアと同じ悩みを抱えている。いまさら、グローバル市場を嘆いてみても始まらない。あたりまえの困難性のなかで、日本代表を再建するにはどうしたらいいか。私の再建策を以下、2つ挙げてみた。
(1)素人更迭、専門家起用
重要なのは専門家――スキルを持った代表監督(指導者)の登用だ。国内組、海外組をうまく融合させ、短期間に代表チームをつくりあげるノウハウを持った人物を代表監督に据えることだ。日本サッカー協会は、そうしたスキルに見合った報酬を代表監督に支払うことだ。日本代表を正常に戻すには、グローバルなサッカー環境を踏まえたうえで、代表チームをつくれる指導者を探すこと。いまからでも遅くない、さっそく人選に入るべきだ。
(2)観念論の排除
次に、日本のサッカー関係者、とりわけ、スポーツジャーナリズムに潜む、観念論を早急に排除することだ。いまのサッカージャーナリズムには、<個人>と<組織>、<自由・創造性>と<規律>という対立項をサッカーに持ち込んで悦に入っている。前監督が規律を重んじ、現監督が自由と創造性を重んずる、といった具合だが、そんなものはまったくの空論に過ぎない。レベルを問わず団体競技を少しでも経験者した者ならば、団体競技において、自由と規律が対立する概念になるわけがないことを知っているはずだ。スポーツにそのような対立概念を持ち込むのは、スポーツを企業や社会の組織論に応用して考える、運動神経のない「知識人」のなせる業だ。
現代表監督が自由や創造性を持ち出すのは、彼に規律を構築する能力や、組織をコントロールするノウハウがないからだ。自らのノウハウを使って、チームを指導する力がないからだ。戦術やコンビネーションを選手に伝える理論がないからだ。ノウハウがないものだから、スポーツマスコミに対して、チームづくりのコンセプトを話すことができない。よって、自由や創造性といって選手に責任を押し付け、自分は記者会見で評論家のようなコメントを発し、先発メンバーを事前に発表するという愚かなサービスをしてみせるのだ。その言説は、いかにも丁寧にマスコミに自分の指導理念を語っているようでいて、よくよく聞いてみると、勝負を預かる責任者(監督)のコメントになっていないことがわかる。勝負に徹した監督というものは、マスコミ対応には慎重であり、あるときには、エキセントリックにならざるを得ないのが普通なのだ。そうすることによって、選手やスタッフを、つまり、チームをマスコミから守るのが普通なのだ。現監督のやっているサービスは、広報担当者かゼネラルマネジャーの仕事にすぎない。監督の仕事は勝負であり、結果から受けるプレッシャーから、身を挺して、チーム(選手)を守ることなのだ。
きのうは、負けなくてよかった、と私も思う。幸運、ツキ、勝負の女神、神様…なんでもいい。でも、日本代表が破綻するのは時間の問題。きのうは、たまたま、借金取りが事故にあってこなかった結果、取立てを免れたに過ぎない。いつかは強力な取立人がやってくる。そのとき日本代表は、すべてを失うのである。



2004年02月18日(水) 勝ったけれど、だめだ

W杯アジア1次予選のオマーン戦。ロスタイム、幸運にも得点が入ったが、日本代表は最悪。なかでも、PK、後半の決定機を外した俊輔は最悪だ。また、海外組は、まずまず普通の仕事をした高原(後半鈴木と交代)以外、動きが悪すぎる。中田、稲本、前半で退いた柳沢など、サッカーになっていない。この程度の動きしかできない中田よ、大きな態度をとるな。
Jリーグ組も、右SBの山田、ボランチの遠藤が全然だめ。こういう代表チームにした責任は、選手のコンディションがわからない監督にある。
試合展開は予想通り。ただ、オマーンは思ったより引いてこない。マンツーマンを徹底し、中盤でタイミングのいいプレスをかけてきた。体力的には、アウエーのオマーンのほうが勝っている。これでは、日本はオマーンにアウエーで勝てない。もしかすると、大敗する可能性もある。となると、日本は1次予選で敗退だ。
日本のシステムは私が納得していない4−4−2。この試合、三都主、山田のサイド攻撃がみられない。二列目左の攻撃的MFは、コンディションの悪いと思われる俊輔だが、いうまでもなく、三都主のほうが魅力的で得点の希望がある。
ジーコ監督は06年、俊輔と心中するつもりらしいが、前監督トルシエに対するコンプレックスが裏目に出ている。ジーコはトルシエの3バック(フラット3)を否定し、トルシエが代表から外した俊輔を使い続けることで、トルシエより自分のほうが監督能力があることを証明しようとしてきた。ジーコのトルシエに対する怨念が日本代表を弱体化させているのだ。加えて、ジーコは、選手交代が遅い。調子の悪い俊輔を少なくとも、後半20分で代えていなければいけない。さらに、高原を鈴木とFW同士で交代したが、愚かである。解説のK氏、H氏が指摘したように、鈴木を入れるのなら3バックで前を増やすか、鈴木を入れずに、調子の悪い右SB山田を三浦と代えるべきだ。もっと言えば、3バックにして、俊輔を外して三都主を上げるべきだ。
試合は辛勝したが、この先、ジーコ監督では勝てない。まずもって、選手のコンディションを正しく把握し、名前にこだわらず、的確な選手起用ができ、日本選手の適正にあったシステムを構築できる指導者に代えるべきだ。このことは、このコラムで常々書き続けてきた。
ボロボロの日本代表だが、内容はともかく、勝ってしまったことで、代表チームの根本的欠点が見過ごされ、監督更迭に向けた世論が盛り上がることはないのだろうが、1次予選でこれじゃ…
日本サッカー協会は何があってもジーコを更迭する気はないようだが、代表サポーターがサッカーを理解し、日本代表のあり方を真に憂慮するのであれば、この試合の勝利に喜ぶことなく、ジーコ更迭の声を上げるべきだ。



2004年02月15日(日) いよいよ来るぞ

オマーンが韓国に大敗したらしい。だからといって、もちろん油断などできない。日本の偵察陣がいるなか、手の内を見せるような代表チームなどない。彼らの照準は、真剣勝負の日本戦であることは言うまでもないこと。
一方、迎え撃つ日本代表だが、ホーム、気候からして圧倒的に有利なはず。勝つための条件は精神力。相手の当たりに負けないことが一番だ。
いまのコンディションなら、システムは3−5−2が望ましい。ジーコ監督は4−4−2をとるだろうが…4−4−2だと、二列目の右が中田で左が俊輔。ボランチが稲本・遠藤で攻撃力があるようにみえる。しかし、中田と俊輔は同じような役割しか担えない。俊輔はサイドプレイヤーではないため、左側に開くためには三都主の上がりに頼らねばならない。ここに無駄が生じる。わざわざSBの上がりでスペースをつくよりも、サイドハーフがその仕事をしたほうが効率がいい。攻撃力のある選手はあくまでも、ゴールに近いほうがいい、というのが私の考えだ。しかも病み上がりの俊輔を90分使うのは無理だろう。
持論では、DF3人でしっかり守るほうが日本代表にあっている。中田のレジスタ(ボランチ)起用を提言するスポーツジャーナリスト氏もいるらしいが、私は反対。ホームのこの試合は勝たなければいけない。得点機会を増やすためには、体力・技術に優れた中田・三都主が攻撃の中心にならなければいけない。中田がレジスタ、三都主がSBでは得点機会が減少する。守りに徹したアウエーのオマーンにしてみれば、後ろに下がった中田、三都主なら全然恐くない。日本代表の弱点は得点力。FWに切り札がいれば中田のレジスタもあり得るが。
ボランチは稲本・遠藤。この試合なら3バックの両サイドをケアする守備重視でいい。攻撃は中田を中心にサイドハーフが攻め上がり、そこからのクロスをFWが合わせるか落としたところで得点チャンスを得るパターンが有効。
アウエーのオマーンは、ロングボールを前線に供給してこぼれを狙うか、カウンター狙いだと思う。オマーンは前半体力を温存し、リスクを避ける試合運びをするだろう。日本が中盤でモタモタしていると、オマーンもタイミングを計って強いプレスをかけてくる。日本がまともにそれを受けてボールをとられれば失点する。あるいは、横パスや不正確なダイレクトパスを引っ掛けられて、思わぬピンチを招くこともある。持ちすぎは危険、かといって自陣でとられるのも危険。現代サッカーでは当たり前のこと。相手のプレスを避けるために早いパス回しが必要だが、慌てて相手に取られればそれまで。ミスが勝敗を分ける。ミスを恐れて、相手に取られるくらいならロングボールでFWのポストプレーに期待するという消極策もあるけれど、バランスが崩れて勝てない。ホームでは勝たなければいけない。
となれば、前述したように、プレッシャーに強い中田に預けて、サイド攻撃を仕掛ける方が、得点機会が生まれやすいし、失点確率も低い。もちろん、中田、三都主には相手のマークがきついだろうから、右へのチェンジサイドも有効。右のサイドハーフが日本の攻撃の鍵を握る。いまの状況では、山田(浦和)がその任に当たるのだろうが、三都主に比べれば力不足。
もしかすると、FWの柳沢、高原がサイドに開く必要に迫られる場面もあるかもしれない。そのときは、ボランチのどちらかがゴール近くで攻撃に参加する。稲本・遠藤のどちらかが得点を上げる可能性もある。



2004年02月13日(金) 監督が・・・

ここのところ、サッカー日本(フル)代表、同五輪代表(U23)の試合を続けて見ることができた。サッカーファンにとって、とても楽しい一週間であった。試合結果はフル代表が4−0(マレーシア)、2−0(イラク)、五輪代表が1−1(イランU23)、1−1(ロシアフル代表)と、まずまずというか、一見期待がもてるように思えるが、私の受け止め方はとても悲観的だ。
まず、フル代表のほうだが、実力的に開きがあるマレーシアはともかくとして、イラクには勝ったことは勝ったが、実力からすると互角だろう。ホームで互角だから、アウエーならイラクのほうが勝つ確率が高い。解説のE氏が言っていたように、得点差は2あるが、得点機でいえば3−2くらいで負けていた。しかも、日本の得点は三都主ひとりで上げたようなもの。1点目は左サイドから柳沢に正確なクロスを出してアシスト。2点目は三都主と久保で、ワンツーを見事に決めた。三都主がゴール付近で暴れなければ、日本の得点は生まれない。そもそも、いまの日本代表の中で、海外組の中田を除いて、自ら得点機会を生み出せる選手は三都主しかいない。この試合のシステムは4−4−2で、二列目の左は藤田。しかし、藤田はサイドからの攻撃よりも真ん中で持ち味を発揮するタイプ。三都主が左のSBなのでゴールまで距離がありすぎる。三都主が前に出ない限り、日本は得点機会が生まれない。三都主が前に出るということは、DFが薄くなる。後半、俊輔が藤田に代わって出場したが、まだまだ。体力的にも判断力からみても、国際試合では使えない。結論としては、3−5−2で中田を中央にしてサイドハーフは左が三都主、右が両山田(浦和・東京V)の選択。俊輔は三都主の控えか中田の控え。もしくは、ボランチの控え。
なお、DFでは、坪井の調子が落ちているのが気になる。DF3人は、宮本、中澤、坪井だが、坪井が悪ければ控えもありえる。さて、坪井の代わりはだれ?
U23の最大のウイークポイントは監督。まず、トゥーリオの攻撃参加は、危険度が高すぎる。彼のプレーはいわゆる、リベロとは違う。ロシア(フル代表)戦では博打に勝ったが、勝つ確率は低い。このまま放置すれば、痛い目にあうだろう。
ダイレクトにこだわりすぎるのも危険。これはすでに書いたとおり。トゥーリオの攻撃参加とダイレクトプレーから生じるミスは、失点を覚悟しなければいけない。
ではなぜ、こんな危険でハイリスクな戦術をこのチームはとるのか。その理由は前に書いたように、U23のY監督がプロの監督ではないからだ。一度でもリーグ戦でチームを率いたことがある人ならば、失点の厳しさを知っている。ところがY氏にはコーチ経験しかない。負けの責任を取ったことがないのだ。だから、「遊び感覚」=「試行」が許されると思ってしまう。どこまで自分の理想追及をしていいのかがわかっていない。負けてはいけない試合、勝たなければいけない試合、失点してはいけない時間帯、バランスを崩してはいけない状況――そこがY氏にはわからない。
プロの監督ならば、経験によって状況を理解できる。そこでやってはいけない戦術を選手に徹底する。
ところが、コーチは違う。勝つための条件を整備すること、将来を担う人材を育てることなどが仕事だ。「勝つため」という目標は監督もコーチも同じだが、仕事の「内容」と「責任」が違う。
Y監督は、いまトゥーリオを育てようとしている。Y監督のイメージはきっと、自分が信じる理想のDF像かもしれない。しかし、五輪予選は来月に始まる。実験をしている暇はない。ダイレクトプレーも同じこと。自分の求めるサッカースタイルを追求するのはいいけれど、自己陶酔をしている段階は過ぎている。



2004年02月11日(水) コーチではだめだ

ロシアのA代表と引き分けた日本五輪(U23)代表。この試合に限れば、健闘という評価でいい。あくまでも「健闘」。
1点目はリベロのトゥーリオがゴール近くまでもちこみ、ロシアDFともつれながらねばって出したボールを坂田が高松につないでゴール。この得点経過から明らかなように、トゥーリオの攻撃力が得点を生んだ。トゥーリオには、韓国代表で活躍したフォンヨンボのような存在になってほしい。
もっとも健闘できた最大の理由は、ロシアのあまりにも多すぎるミス。日本の1点目もロシアのGK、DFが混乱した結果だ。攻撃面では、決定的チャンスを何度も外した。あれだけチャンスがありながら1点しかとれなかったのは、運がなかったこともあるが、ミスが多すぎて、勝利の女神が見放したからだ。
さて、五輪日本代表の課題はやはり、トップ下。山瀬に代わって出場した松井だが、目立たない。このチーム、前に出る意識は高い。だが、サッカーでは状況によって、しっかりビルドアップすることも必要。このチーム、ボールの収まりどころがない。しかも、中盤から自陣にかけて、ボールを相手に奪われ決定的場面を何度もつくられた。安定したボールキープができないからだ。ダイレクトの意識が強すぎて、「預けてためる」時間がない。そのために、不正確なパスを連発した。
ダイレクトプレーは走リ込むスペースにパスを出せばチャンスが広がるが、逆に出れば相手がカットして、プレゼントボールになる。日本には、そうしたミスがあまりにも多かった。ダイレクトプレーは、敵陣で展開してこそ、効果が上がるものなのだ。自陣で相手に引っ掛けられたり、プレゼントボールになれば、得点機につながる。危険が高い。なんでもかんでもダイレクトというのでは、単細胞すぎる。
プロの監督ならば、得点の厳しさが身についているので、観念的なチーム戦術はとらない。この当たり、コーチと監督の違いが現れた。五輪代表は監督を代えたほうがいいけど、もう間に合わない。
ロシアの調子がよければ、1−5くらいで負けていたかもしれない。実力ではそのくらいの点差で負けてもおかしくない。



2004年02月09日(月) 平山か・・・田中だろう。

きのうはサッカー五輪代表(U23)の国際親善試合があった。日本の対戦相手はイラン。日本が苦手とする相手だ。イランはどちらかというと、伝統的に欧州タイプのチーム。パワー、スピードに優れ、当たりも強いし高さもある。イランのU23チームもこの伝統を受け継いでいる。
結果は1−1の引き分けだが、1点リードの後、トゥーリオのハンドでフリーキックを与え、それを決められた。日本のGKのポジショニングのミスなのか相手のキックがよかったのかはTVではわからなかった。結果論だが、日本のGKの位置はもう少し右でもよかったかなとは思うけれど。
さて、イランは国際親善試合にしては激しかった。後半、田中が後ろからのタックルを足に受けて交代したけれど、主審のミスだ。というのは、日本の1点目をアシストした田中は、イランに狙われていたからだ。結果、かなりラフなタックルを受けたのだから、欧州の主審だったら、タックルしたイラン選手には一発レッドが出ただろう。最低でもイエローだ。アジアの審判のレベルの低さは前にも書いたけれど、一朝一夕に改善することはないだけに、五輪アジア予選では不測の事態もあり得る。
この試合、イランがかなり本気モードで試合をしたので、五輪日本代表の課題が明確になった。課題はずばり、トップ下だ。中盤に人材が多いというのが日本サッカー界の常識だが、この世代はトップ下に絶対的決め手をもった人材がいない。以前、「浦和」のところでも書いたけれど、山瀬にかかる期待が大きい。五輪代表のトップ下候補は山瀬、前田、松井あたりか。うーむ。どの選手もけして悪い選手ではないけれど。
この試合、気になったのは監督采配だ。これも以前書いたことなので詳述は控えるが、監督のY氏はJリーグの監督経験がない。コーチとして有能な人物が監督としても有能かどうかは別問題。たとえば、後半同点に追いつかれた後、平山をターゲットにしたパワープレーに出たが、残り30分、じっくり組み立てたほうがよかったのではないか。平山を試したいという意図があったのかどうなのか。
その平山だが、日本のスポーツマスコミは平山に注目するけれど、世界では珍しくもなんともない。17、18の代表なんていくらでもいる。いわんやU23、日本では高校生だが、17、18才が何人いてもおかしくない。
もう1つ、日本の得点は平山だが、この得点は田中(浦和)のものだ。問題の大久保に依存するより、田中を使えと書いたけれど、田中が十分、通用することがこの試合でわかった。ケガが軽症であることを祈る。がんばれ田中!



2004年02月07日(土) いよいよ始まるのだが・・・

きょうは、04年サッカーシーズンが事実上、開幕した日。日本代表はマレーシア代表と対戦した。結果は4−0の大勝。ホーム、相手が相手だけに、順当な勝ちといえるが、これで日本代表は合格だと断定する人はおそらく、ジーコ監督以外はいない。
日本の勝因は、マレーシアが予想に反して、それほど引いてこなかったこと。たとえば、前半、日本が1点リードした後の時間帯(おそらく前半20分頃)、マレーシアの時間がしばらく続いた。サッカーではどんなに力の差があっても、「相手の時間」というものがある。だから仕方がない、とみるか、日本の攻めの形に選択肢が少ないと見るかだが、私は後者である。
相変わらず、4−4−2のバランスが悪い。右SBの山田(浦和)とボランチの山田(東京V)の役割、持ち味が重複している。山田(浦和)がスペースに出る機会がない。それならば3バックで左右のサイドハーフがゴール近くで暴れたほうが、得点機会は増える。
左サイドでは、三都主が前半2、3度、サイドライン沿いに駆け上がったが、チャンスの数からして物足りない。マレーシアが完全に引いてはいないけれど、攻めあがらないのだから、日本の両サイドからの攻めが有効。この試合、そうしたプレーがないとはいわないが、少なかった。
そもそも三都主のSBは無理筋。繰り返しになるので三都主の選手起用についてはもう書かない。けれど、すっきりしない4−4−2である。
ホーム(鹿島)の小笠原、本山は活躍したことはしたが、この2人にはあまり期待がもてない、といのが私の見方。とくに小笠原は、アジアの韓国、中国、イラン、サウジ戦では通用しないだろう。


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