| 2005年08月31日(水) |
パリーグのプレーオフ制度って・・・ |
パリーグは昨年からプレーオフ制度を導入し、好評だという。しかし、今年の成績を見ると、もしかしたら、リーグ戦勝率5割に満たない球団がプレーオフに進出し、短期決戦でリーグの覇者になる可能性がある。いくらなんでも、これは許し難い。ペナントレース6球団が公式戦を行いながら、勝率5割に満たないところがリーグ優勝したならば、そのことは筆者のスポーツに係る価値観では異常に属する。 そもそも、筆者はパリーグ6球団でプレーオフ制度を実施することについて、当コラムで反対してきた。たかだか6球団しかないし、米国のような地区の意識も希薄なうえ、しかも楽天という実力が著しく劣る球団を内在させたまま、プレーオフを実施する大義がない。上位3球団中の3位が5割を切る実態で、その球団にリーグ覇者の可能性を残す制度を容認すること自体が信じられない。 ペナントレースとはいったい全体何なのか。リーグ戦において勝利を積み上げるため、ローテーション投手は中5日程度の間隔で調整をし、登板日に最高のパフォーマンスを見せようと努める。ブルペン(セットアッパー、クローザー等)は毎日毎日、いつでも登板できるよう調整を続ける。野手だって同じだ。こうした日々の努力の結果が、リーグ戦の勝率ではないのか。勝率が5割に満たないということは、選手の日々の努力がいたらなかった結果ではないのか。もしもプレーオフという短期決戦でリーグ戦勝率5割以下のチームが優勝したとしたら、プレーオフで敗れた5割以上のチームは悲劇である。 サッカーJリーグにおいては、前後期2シーズン制度が昨年まで実施されていたのだが(もちろん、そのことにも筆者は当コラムで反対した)、今シーズンから是正されている。 今季のJリーグの場合、前後期制度では鹿島が前期優勝を遂げていることになる。しかし、リーグ序盤、横浜M、磐田の2強がACLで強行日程を強いられ苦戦し、それに関わらない鹿島が前半戦に限り首位に立てた。 ところが、今年のような1シーズン制度では、中盤以降、チームを立て直したG大阪、浦和等が鹿島を追い上げ、優勝戦線は混沌としてきた。プロスポーツは、長丁場を戦ってこそ、真の実力が証明される。昨年のような2シーズン制度で鹿島が前期優勝したとしても、その優勝にはおよそ価値がない。 日本プロ野球でも同じことが言える。パリーグはおかしなプレーオフ制度を直ちに廃止していただきたい。でなければ、実力のある球団、努力した選手が報われないではないか。
Jリーグの主審がひどいことを前に書いたけれど、いい主審がいる。片山主審だ。 きのうの磐田vsFC東京は熱戦だった。過密日程・高温多湿の悪コンディションの中で、両チームの選手ががんばった。レギュラーにけが人が多い磐田だが、代わりに出場した選手は他チームだったらレギュラーだ。試合中けが人が出て、ゴン、チェのベテランFWに落ち着いたが、チェのゴールの後、追いつかれ、その後バランスが崩れ、引き分けた。 両チームの選手とも激しいファイトを見せた。チェイスも早いし、プレスもきつい。タックルも鋭いしチャージも激しい。しかも、みな正当なファイトであって、ファウルが少ない。選手の技術の高さを証明している。 この熱戦を演出したのが片山主審だ。選手同士がぶつかって倒れていても平然としている。倒れた選手を置いてプレーはどんどん展開していく。倒れて笛をもらえると思った選手は、すごすごと立ち上がりプレーに加わる。試合の進行と共に、選手たちが正当なスライディング、チャージなら笛が鳴らないのだと、片山主審の基準を理解し、試合のテンポはさらによくなる。果敢なプレーが加わり、試合が白熱して面白くなる。 そもそも、スパイクの裏を見せない限り、スライディングで選手が痛むことはない。どんなきついショルダーチャージでも同様だ。危ないのはレイトタックル、後からのタックル、手を使った突き飛ばし、引っ張り等々で、汚いプレーが1試合でそうあるものではない。 磐田vsFC東京は、主審の存在が目立たなかった、珍しい試合だった。カードが出ないから目立たなかったのではない。主審の基準がブレていないから、選手が迷わずプレーできたからだろう。主審に対する異議が前半に集中し、後半に少なかったことがそれを象徴している。さらに、選手が疲れ、運動能力が落ちた後半にイエローが出たことが、それを象徴している。イエローゼロの試合は難しいのであって、この試合ではイエローを出された選手が主審に異議を唱えることはなかった。選手は自分のプレーがイエローであることに納得しているのだ。こういう試合をJリーグは続けてほしい。カードが出るのは選手に責任があることが多いのだが、選手が必然的に反省するような判定を主審はするべきなのだ。そうすれば、リーグの技術レベルは上がる。〔ファウル、カード、退場〕が自分の責任であることに納得すれば、選手が技術向上に積極的に取り組むようになるだろう。高い技術をもった主審の存在が、選手のレベルアップにつながる所以だ。
| 2005年08月26日(金) |
星野ではなく桑田だろう |
星野阪神SDが読売に行くという報道があるようだ。それはないと思うが、いまは一寸先は闇の世の中、何が起こるかわからない。 筆者は星野SDが好きではない。フォーク歌手のTに似ていて、説教くさいからだ。それだけではない。星野SDには暴力の影がつきまとう。筆者は、読売球団のファンではない。けれど、この球団の取り得としては、暴力のイメージがないことが挙げられる。「巨人軍は紳士たれ」というモットーがあるらしいが、確かに、読売はカネの臭いはするが暴力のイメージはない。もちろん部外者には実際のところはわからない。星野SDが選手に鉄拳制裁をするという報道はあったが、それも噂の域を出ない。噂で人様の好き嫌いを判断することは間違っていると思うけれど、でも、星野SDには、いま話題の高校野球の暴力指導者に近い体質があるように思えてならない。 名前を覚えていないが、ある解説者が、読売の監督の最適任者は桑田投手だと言った。筆者もその意見に納得する。桑田投手は200勝へのこだわりがあるらしいが、そんなものさっさとあきらめて、読売の監督になったほうがいい。彼の場合はマイナー監督の経験すら要らないと思う。もちろん、筆者は桑田投手に会ったことはないし話したことはない。でも、彼の現役時代の取組みや話ぶりなどをTV映像を通じてみる限り、非凡な男だと思う。もちろん暴力よりは知性のイメージがある。彼はおそらく、上昇志向が人一倍強い。それが勝負に向いている、つまり、監督に向いているところだ。サッカー界でいえば、モウリーニョ(チェルシー監督)に似ている。モウリーニョは理詰めで細心だが、大物選手をへとも思わない大胆さがある。守備の意識が高く規律を重んじる。桑田投手も、いまのヤングジャイアンツの素材を生かしつつ、大物レギュラー選手を自由に使いこなすだろう。スタッフとして、弁慶も必要だと思うが、声の大きさで言えば、中畑氏でもいいし、苦労人の吉村氏でもいい。読売OBには弁慶役(の人材)に事欠かない。筆者は桑田読売監督誕生を待望しているのだが・・・ナベツネさん、いかがでしょうか?
| 2005年08月25日(木) |
甲子園大会を中止せよ |
高校野球が揺れている。優勝校に暴力事件があった、そして、それを隠蔽した、重罪だ。 この事件を一高校の特殊な事件と見るか、あるいはいまの高校野球に潜む構造的な問題と見るかだが、もちろん後者だ。暴力事件の背景には、高校野球指導者の部員に対する人格否定がある。勝利(甲子園出場〜優勝)至上主義がもたらす、部員に対する人権侵害がある。 日本国中から優秀な野球高校生を集めてマンモス化した甲子園常連校の野球部は、高校のサークル活動とはいえないどころか、プロ集団そのものだ。配下選手総数はプロ球団より多い。そのような環境で過酷な競争を課し、部員をふるいにかける。練習メニューをこなせなかったり、他の選手に悪い影響を与えると指導者が判断した部員は排除される。排除の方法が陰惨な暴力だ。この連鎖が高校野球の構造的暴力の実態だ。 佐藤卓己氏(京都大学教授)が指摘するように、高校野球(甲子園大会)というのは、メディアがつくり、自ら取材し、思うように記事にする――自作自演の作品だ。自分がつくったイベントなのだから、取材のネタはいくらでもある。美談、浪花節、親孝行、友情・・・なんでも転がっている。ネタの数は、高校生の野球人口数と同じだ。美談等々はもちろん、サッカー、バスケ、卓球・・・の競技においても転がっているのに、なぜ高校野球なのか。新聞社が主催し、メディアの力で大衆を洗脳し、高校野球を特殊化したからだ。メディアが高校野球だけを突出させたわけだ。 シンプルに考えて、技術が未熟で未成年者が行う高校スポーツを、特別に報道することは、教育上好ましくない。高校生がメディアによって、特別に取り上げられていいわけがない。にもかかわらず、日本のメディアは、野球高校生を特別視する。尋常な機関ではない。日本のメディアは、高校生の若い血を好む「吸血鬼」にほかならない。別の角度からいえば、メディアが甲子園大会をつくり、それを大きく育てたものの、もはやメディア自身がその存在を制御できなくなってしまった。甲子園大会とは「怪人フランケンシュタイン」のようなものだ。もっといえば、「美談」と「暴力」の二つの顔をもった、「ジキルとハイド」だ。 巷間言われるところの、高校野球は国民的関心事では断じてない。報道しなければ、ただの草野球、草という表現が悪ければ、サークル活動以外のなにものでもない。 今回、優勝校に不祥事があったという事実は、反省の「いい」機会を与えてくれた。予選を通過した高校が部員の喫煙で本大会出場を断念させられたのだから、その基準に従って、優勝高は優勝を取り消されることが当然の措置だ。 これを機に、高野連は高校野球を見直して、以後、甲子園大会を中止したほうがいい。この際、TV中継禁止、選手・監督等へのメディアの取材を禁止したらいい。一方のメディア側は高校生への取材・報道を自主規制したらいい。 高校野球に「青春」をかける選手が可愛そうだ、という理論は成り立たない。野球を禁止しているわけではない。いままでどおり、地域ごとに予選大会を開催し、北海道から沖縄までの球場において、輪番で全国大会を開けばいい。「夏の甲子園」という奇妙な季節感は、メディアの作為にほかならない。あったってなくたって、国民の生活に支障がない。なくなって困るのは、それでカネを稼ぐメディアだけというわけだ。
| 2005年08月20日(土) |
Jの審判をなんとかしろ |
再開後のJリーグ、鹿島vs広島は乱戦となった。その原因は主審・岡田(スペシャルレフリー=SR)のジャッジだ。退場者が鹿島に2人、広島に1人。特に岩政の一発レッドについてはTVで見る限り、退場となる理由がわからない。レッドはもちろんイエローでもない、ファウルですらない。岡田の完全なミスジャッジだ。この日たくさん集まったファンは、主審の黄色や赤のカードを見にきているのではない。主審・岡田はサッカーの主役が自分だと勘違いしているのではないか。選手はこの日のために調整をし、サポーターのために最高のパフォーマンスをみせようと努力を重ねてきたにもかかわらず、いわれのない退場処分を受けてピッチを後にしなければならない。その無念さに一スポーツファンとして、同情を禁じえない。岩政の心中は素人の筆者には想像できないほどの悔しさでいっぱいだろう。 浦和vsFC東京でも、今野の果敢なもちろん正当なタックルに主審・上川(SR)がイエローカードを出した。残念なことだが、この判定で東京の勢いが止まり、流れが浦和に変わった。千葉vs柏でも、主審・家本(SR)が不可解なジャッジを繰り返したという。この試合は見ていないので、後日、ビデオで確認後、当コラムで書くこととする。 Jリーグはクラブ・選手の努力により、レベルが上がったし、白熱した試合が多くなった。サポーターも熱心だし、いい流れが出ている。この流れに完全に乗り遅れているのが審判だ。なんとかしなければ、サポーターからも見放される。小遣いをためて苦労してチケットを手に入れ、スタジアムに足を運んだものの、試合は10人対9人だったり、いいプレーをした選手にカードが出たりでは、観客は落胆する。夢も消える。 筆者はもちろん、ラフプレーを見過ごせといっているのではない。筆者の言いたいことは、主審はカードで試合をコントロールすべきではない、ということだ。正当なタックルとラフプレーを厳しく峻別してジャッジせよ、ということだ。 筆者の独断と偏見でいえば、Jリーグの審判団は無風状態――競争・評価・技術向上の努力と無縁なのではないか。主審・岡田は今季Jリーグの開幕戦で大誤審をした人物だが、再開後のこの鹿島vs広島で、またまたミスジャッジ。そして、3人も退場者を出している。反省も改善もないのではないか。 先の東アジア選手権においても、岡田ではないが、日本人主審が中国選手を退場にしたが、それが誤審だと判明して退場処分が取り消されたことがあった。この事実は日本の審判レベルの低さを実証したものだ。日本代表はアジアでトップクラスだが、審判はアジア(世界)で通じない。 何度も書くが、Jリーグがレベルの低い審判を放置すれば、リーグのレベルは下がり、人気も下降する。
| 2005年08月17日(水) |
「巨人軍」を斬らない(続) |
“ヤングボーイ”とは長嶋さんの傑作英語?の1つ。読売がここのところ、“ヤングボーイ”の活躍でいい勝ち方をしている。報道によると、問題の人・清原も手術・治療専念・退団が濃厚となった。筆者は当コラムで読売は人材活用次第で勝てるようになる、と何度も書いてきたので、いまの読売の変化をうれしく思っている。 一方、サッカーJ2の横浜FCが、“オールドボーイ”を集めだしたらしい。横浜FCの構想はすごい。W杯98年フランス大会当時の日本代表を集めるというのだ。現在、FWには城がいるが、MFの山口(新潟)の期限付き移籍が決まった。さらに、DFの名良橋(鹿島)、MFの名波(磐田)の名も挙がっているという。当時の代表の人気選手として忘れてならないのは、現役では岡野(浦和)だろう。フランスには行けなかったけれど、カズ(元神戸)が既に横浜FCに移籍しており、彼を含めると、横浜FCは豪華な顔ぶれになる可能性が高い。当時の代表といえば、FW=城○、ゴン○、絽比須、岡野○。MF=ヒデ○、森島○、名波○、山口○、相馬○、中西○、平野○、DF=名良橋○、秋田○、井原、小村○・・・(○印=現役)の名前が思い浮かぶ。 横浜FCの発想はおもしろい。いまスポーツ界のテーマは世代交代だ。サッカーではフランス代表が、日本のプロ野球では読売が、世代交代で苦しんでいる。世代交代で追い出されるのはおおむねベテラン選手だけれど、フランス代表では、一時は代表引退を決めたジダン、マケレレが復活した。サッカー界は世代交代も一方通行ではない。さらに、活躍の場をJ1からJ2に求める選択もある。J2でがんばって、J1入りを果たせば、ヒーローになれる。「老兵はただ、消え去るのみ」といったのはマッカーサーだが、サッカーー界では、第二、第三の活躍の場が用意されているのだ。 再び、日本のプロ野球に話を戻すならば、話題の「老兵」といえば、読売の清原だが、清原の復活の条件はトレーニング方法の見直しだと筆者は考える。これも何度も書いたことだけれど、上半身の筋肉を整理して体重を落とせば、現役生活が伸びる。指名代打(DH)制度のあるパリーグでやっていける。もう一度、清原自身、西武時代のVTRを見るべきだ。ベテランスポーツ選手の肉体改造の成功例としては、横浜FC移籍のカズがいる。カズは体重を絞り、下半身への負担を軽減した。体重を落とすとパワーが落ちるというのは一般論だが、野球は総合格闘技ではない。 制度的な見直しとしては、日本プロ野球(NPB)がマイナーリーグを創設すれば、老兵の清原、桑田らが現役でプレーするチャンスが生まれる。“マイナーなんかでやれるか”というのも生き方の一つかもしれないが、マイナーから、“メジャーに戻る”のも生き方の一つだ。一気に「上り詰める栄光」もあるし、一度、そこから滑り落ちた後、「這い上がる栄光」もある。筆者には、後者に共感するファンが少ないとは思えない。 横浜FCの試行は注目に値する。逆バリの心意気がいい。NPBもサッカー界に倣っていい。スポーツファンは、新鮮で多様なメニューを求めている。それにこたえるのが、供給側の使命ではないか。
| 2005年08月14日(日) |
「巨人軍」を斬らない |
読売が首位阪神に2連勝した。2試合の先発オーダーに清原、ローズがない。清原は一軍登録から外れた。この試合をみたとき、フィールド内がずいぶんと軽くなったような気がした。清原、ローズがいないフィールドで、鈴木、川中、原、矢野らが溌剌としたプレーを見せた。大活躍したのは、ニ岡だ。ニ岡は日本のジータ(NYY)を思わせる。彼が読売の内野のリーダーになれば言うことはない。これを機に、野手陣で競争が激化し、埋もれていた人材が才能を開花し、人材に流動化が生ずる。読売野球が変わるのだ。 投手陣では、セットアッパーとして、林(左)、久保(右)が働いた。林は第一戦で金本に同点本塁打を浴びたが、TV解説のK氏(元阪神)が指摘したように、打った金本の技術が上回ったもので、林は責められない。しかも、K氏は続いて、結果は仕方がないのであって、投手が逃げなければ、野手は投手を責めないと解説した。すると、その裏、K氏の解説(予言)どおり、ニ岡が決勝本塁打を放ち、林を救った。これがチームプレーというものだ。打ったニ岡もみごとだが、解説のK氏の慧眼ぶりも驚嘆に値する。 逆に、この2試合で明確になったのが、クローザーの不在だ。来シーズンまでにクローザーをいまの投手陣の中から育てるのか、それともトレードで他チームから獲得するのか、外国人で補強するのかが問われている。 この2試合を見る限り、堀内監督がもう少し早く、筆者が提案していたとおりの選手起用をしてくれたならば、読売はいまの順位以上になっていただろうし、来シーズンのチームづくり構想も早く見えたことだろう。重ね重ね残念でならない。 とはいうものの、この2試合で読売の指針は明確になった。だから、筆者がこれまで展開してきた「巨人軍を斬る」シリーズを中止する。来シーズン、読売は、ホームラン野球を捨て、野球の原点である、打って走って・・・に復帰すると思う。そうなれば、「読売野球」はスポーツとしておもしろくなる。 Jリーグがいい先例を示している。Jリーグは一時期、実績のある外国人やカズ、ラモスを筆頭とするスターに依存した。ところが、加齢による大物選手の実力の低下とともに、Jリーグの人気は低迷した。Jリーグは、スター主義からの脱却を目指し、スピード、パワーに立脚したスペクタクル性を重視した。Jリーグがサッカーのあり方を転位したことにより、内容がおもしろくなり、人気回復が実現した。読売も野球の質を高める努力をすれば、順位も上がるし、人気も回復する。
くさい芝居を見せられた。シーズン(公式戦)たけなわの折、佐々木(横浜)が引退を表明し、佐々木の故郷・仙台で行われた読売との試合に登板。親友・清原(読売)と対戦して三振に討ち取り、現役生活を終えた。佐々木vs清原は両者涙目の対戦となり、くそボールを空振りして三振に倒れた清原はマウンドの佐々木に歩み寄り、互いの「健闘」を讃えあった。 ふざけるな、と言いたい。「野球は筋書きのないドラマ」だというではないか。スポーツは何が起こるかわからないから、みな、勝負の行方を固唾を呑んで見守るのではないのか。あらかじめ筋書きをこしらえて、お約束のフォークボールを親友でライバルが空振りしてみせるなど、スポーツ精神と最も遠い。田舎芝居以下だ。 スポーツ選手に引退はつきものだ。ファンを喜ばせた名選手・大選手には、それにふさわしい引き際の舞台を整えたいと思う。しかし、引退する選手個人の願望・希望を真剣勝負(=公式試合)の場に持ち込むとは論外だ。 どうしても公式戦を引退試合にしたいのならば、順位が確定した消化試合を選ぶべきだ。クローザーならば、ラストイニングに登板し、打たれて交代もありえるだろうし、相手チームのお情けで、そのままイニングを終わらせることもありえる。相手チームも事情を汲み取り、本気で佐々木を攻略することもあるまい。それはそれで構わない。相手の打順は下位かもしれないし、主軸かもしれない。スポーツ本来の偶然性を否定しても始まらない。そもそも、佐々木が公式戦で、清原との対戦で終わりたいと願うことは、読売の他の選手に礼を失する。佐々木・清原は、公式戦で最も求められることがチームの勝利であることを忘れている。 佐々木の引退試合、横浜は読売に0−1で負けた。この結果は、横浜の選手が読売に勝つ気力を失っていたからだ。横浜球団は、佐々木のわがままを聞いてくれた読売に、白星を謙譲したのだ。これは大相撲における星の貸し借りのようなもので、横浜の「無気力野球」は八百長行為に匹敵する。 スポーツマスコミもおかしい。相撲界の「無気力相撲」すなわち八百長疑惑を糾弾するのならば、仙台で行われた読売vs横浜こそ、八百長野球として糾弾に値する。球界に汚点を残した試合として、非難の対象とすべきではないか。 筆者は佐々木と清原の間にどのような親交があるのか知らないし、興味もない。二人が飲み友達だろうがゴルフ友達だろうがどうでもいい。二人の親交をさらに深めたいのならば、二人で勝手にやればいい。忘れてならないのは、プロ野球というスポーツはチームプレーであり、一人ひとりの選手はチームの勝利のために力を発揮しなければいけないということだ。投手と打者は一対一の勝負をするけれど、投手は打者から合計27のアウトをとるために、最高のパフォーマンスを試みるのであって、特定の打者から1つのアウトを取ることには、なんの価値もないのだ。清原から奪った三振もニ岡から奪ったキャッチャーフライも等価なのだ。 筆者は佐々木、清原が互いにウルウルしている光景をテレビ画面で確認して、その異様さに驚愕した。この二人は大きな勘違いをしている、しかも、そのことに気がついていない、特に清原は、自軍・読売がシーズン前の予想に反して5位に低迷している主犯だという自覚がないのか。清原の低迷がチームの低迷に直結していることに気がついていないのか。ファンの期待を裏切っていることが、彼の頭の中にはないのか。 二人はなぜか、自己陶酔をしているけど、そんな気分に浸れる状況なのだろうか・・・チームへの貢献を忘れた、自己中心型の「ヒーロー気取り」の選手は、チームスポーツには不要だ。
同大会、日本代表は初戦、北朝鮮に負け、2戦目の中国戦、レギュラー選手と控え選手を入れ替えて引分、最終の韓国戦、中国戦と同じ控組で勝利という結果に終わった。 北朝鮮はW杯アジア予選敗退後、代表選手を再編成し、新しいチームで同大会に臨んだ。中国、韓国も海外組を召集せず、国内若手中心で代表チームを編成してきた。そんな中、ジーコ監督は、相手国の編成状況を大会開催後にやっと認識し、2戦目から新メンバーで臨んだことになる。ジーコ監督が、参加(相手)3国のチーム編成を事前に把握していれば、2戦目から控組投入というドタバタは避けられた。ジーコ監督は状況にうまく対応した、という見方ができる一方、この大会を若手育成の場にするという位置づけがなされなかった、つまり、計画性が欠如していたともいえる。筆者はジーコ監督に計画性を求めることは不可能と考えているので、いまさら、「ジーコ批判」はしない。結果、韓国戦勝利で、ジーコ監督の対応は成功したのように見えるけれど、筆者にいわせれば、“結果オーライ”にすぎない。 ドイツ大会までの課題の1つは、代表における若手の育成だった。そのような「ジーコ批判」がありながらも、ジーコは「トルシエの遺産」を大切にした。もちろん、いまの代表において、玉田、加地、大黒といった新しい代表選手が抜擢されていたけれど、海外組を含めると、ジーコが信頼する代表レギュラーは、トルシエが発見し育成した選手ばかりだった。日韓大会直前で代表落ちした中澤を「トルシエの遺産」に含めるならば、新戦力は加地だけだ。ジーコは同大会で初めて、「トルシエの遺産」を使わなかったことになる。 さて、筆者は、新戦力だからといって、すべてを肯定するわけではない。控組の中で疑問と思われる選手は、トップ下の本山とFWの玉田だ。本山にトップ下の資質はない。また、玉田は前線でボールキープする頑張りがなく、かんたんに倒されてしまう。「弱い」選手は、チーム全体の士気にかかわる。本山、玉田は代表にふさわしくない。
| 2005年08月07日(日) |
「巨人軍」を斬る(�掘� |
読売が選手・マスコミに甘やかされ続けた「人気」チームであることを、何度も書いてきた。ところが、神宮でのヤクルト3連戦、夏休みにもかかわらず、空席が目立った。外野スタンドには「意地を見せろ!」の横断幕。甘やかしてきた「巨人ファン」も、マンネリの「応援」ではダメなことをついに、悟ったようだ。 さて、V9の読売といまの読売のチームコンセプトが著しく異なっていることも既に書いた。では、読売の体質を「改善」ならぬ「変質」させてしまったのはだれか――ということになる。読売を変質させた張本人=元凶は、長嶋氏にほかならない。長嶋氏は球界の功労者であり、そのキャラクターから得られる人気は球界で群を抜いている。だが、監督としての能力については疑問が残る。長嶋氏は、各ポジションのナンバーワンのプレイヤーを集めれば、ベストチームがつくれると考えた。しかも、ナンバーワンプレイヤーの基準を打撃実績においてしまった。長嶋氏は読売に、高打率、多打点、多本塁打の打者を集めだした。それを可能にしたのが、FA制度だった。読売は、長嶋氏の方針に従って、江藤、清原、ペタジーニ(退団)らを集めた。ローズ、小久保の入団もその流れに従ったものだ。 新人獲得では逆指名制度によって、アマチュアナンバーワン選手を集めた。ところが、皮肉なことに、読売のチームリーダーになり得たのは、ドラフトで引き当てた松井だった。松井がMLBに流出した後、チームリーダーとして期待された高橋由(逆指名入団)はケガが多く、しかも、リーダーの資質を持っていない。こうして、「ドリームチーム」で常勝軍団を目指したはずが、個人プレーに走る「寄せ集め集団」「金満集団」に成り下がり、現在、下位に低迷している。 読売(=長嶋氏)が目指したチームづくりは失敗した。では、どうしたらいいのか。繰り返しになるが、野手はスピード、パワー、センスを基準に一軍に集め、役割のはっきりした打線を構築する。打つだけの選手は要らない。打って守れて走れることが一軍の条件となる。投手陣は分業制を確立する。「いい投手で先発完投」を考えてはいけない。V9時代のストッパー宮田のように、絶対的な抑え投手を育てる。宮田の武器は外角低めのストレートと落ちるボール。外のストレートで、完璧にストライクが取れる投手だった。そうした抑えをまず確保し、さらに、セットアッパーを右左2枚用意する。先発は中4日・100球程度で5〜6人の候補をリストアップしたらいい。投手のコマとしては、いまのスタッフで十分だと思う。 補充は外国人だが、読売の「海外スカウト」はまるで、能力がないことが今シーズン実証されたので、海外スカウトの専門家を招聘する。 さらに、読売の選手はケガが多いので、専門のトレーナーもいる。トレーナーを無視するような選手は、二軍に落としたらいい。 結局、チームの基本方針を策定する、優秀なGMがいないということか。西武の黄金時代をつくったのは、根本管理部長だった、ともいわれている。ことほどさように、いまのプロ野球は進化し、スペシャリストでなければ務まらないのに、読売はこの流れから、完全に取り残されてしまったのだ。
| 2005年08月06日(土) |
高校野球を正常化せよ |
高校野球で不祥事があり、甲子園出場予定校が失格となった。不祥事とは野球部員の喫煙らしい。一見、当然の措置のようだが、筆者が卒業した高校の野球部の部室は、われわれ不良高校生の喫煙室だった。喫煙が悪いことは当たり前だが、喫煙ぐらいで新聞沙汰になるほうが異常だ。 野球のうまい高校生を特別扱いする大人社会が悪い。高野連、朝日新聞ほか大新聞、テレビ・・・みな高校生の野球の寄生虫だ。高校野球は、彼らの社会的地位の保証、新聞拡販、視聴率アップ・・・につながっている。 高校生というのは、未成年者。責任を問われない。彼らには自由がある。野球をやってもいいし、サッカーをやってもいいし、アニメやゲームのオタクでも構わない。それぞれの高校生活があり、彼らは彼らなりのハイスクールライフを楽しむ権利がある。もちろん、ちょっぴり悪いことをしてもいい。喫煙、飲酒もあり得る。夜、街を歩けば、高校生の多くがコンパらしき集まりで酒を飲んでいる。彼らは法律を犯しているけれど、「許されている」。それが高校生だ。高校野球は、高校生のクラブ活動、それ以上でも以下でもない。 高校野球の弊害はそれだけではない。甲子園大会で、トーナメントを勝ち続けるチームの「エース」は、ほぼ連日、150球程度、5試合近く投げ続けることになる。予選を含めれば、それ以上になる。高校生にあってはならない、投球数だ。プロの投手(MLB)だって、100球程度、中4日だろう。これほど、不健康な野球を強いる指導者が、名監督などとおだてられる。これも異常だ。 有名高校となれば、「球児」は全国から集められる。立派なプロだ。ベンチ入り十数人に対して部員は500人に膨れ上がる高校もあるらしい。この数は、日本のプロ野球の支配下選手数を大幅に上回る。甲子園に出場する者は、その頂点に君臨するプロ化した高校生。彼らを「球児」と呼ぶマスコミは倒錯者集団か。 炎天下、未成年者が野球をすることも健康に良くない。高校生なら、夏休みは自由な勉強をすればいい。どうしても夏休みに野球をしたければ、夕方からナイターで1日1試合程度をすればいい。全国大会はインター杯があるから、それで十分だ。野球をやることは悪いことではないけれど、野球だけをやることは悪いことだ。 高校生という多感な時期に、野球だけに集中することを勧めない。筆者としては、「球児」たちに「野球ばっかりやっていないで、たまには酒でものんだらどうだ」といいたい。
| 2005年08月05日(金) |
「巨人軍」を斬る(�供� |
読売が断末魔の状況を呈している。報道では、昨日の広島戦、清原を7番に置いたところが、清原自身がふてくされたという。結果、「怒り」のホームランを放ったものの、逆転されて勝利に貢献しなかった。今年の読売を象徴するような試合となった。清原が下半身に故障を抱えているのは常識。彼は走れない、しかも、年間とおして出場することができない選手であることは、当コラムで何度も指摘してきた。下半身の故障の主因が、上半身の過剰な筋トレにあることは明白だ。 読売がスピードとパワーを基盤にしたチームに変身するためには、清原は不要だ。いま現在、彼の個人記録を重視して読売首脳陣が彼を起用しているのは「お情け」だろう。「お情け」に応えるかふてくされるかは、個人の資質の問題だが、選手が監督起用に反抗した場合、MLBなら大家の事例のとおり、トレードされる。清原自身が、自分は人気選手で実績ある選手だから、トレードや解雇の対象にならない、と思い込んでいるのならば、まったくの思い違いだし、読売球団・ファン・マスコミが彼を甘やかしている結果に過ぎない。 さて、読売がいわゆる「重い」チーム体質に変貌したのはいつのことからだろうか。V9時代の一番は「赤い手袋」の柴田(中)、二番は小技の土井(ニ)、三番・四番がON(またはNO)で、V9時代の監督・川上が最も悩んだのが5番打者だったといわれている。 群を抜いた天才打者ONの後を誰が打ったらいいのか。ONが敬遠された後、ONを返す打者はだれなのか。他チームから見れば贅沢な悩みとも思われるが、5番打者が並み程度なら、いくらONを擁していたとしても、V9の達成はなかったかもしれない。V9も後期になって、末次が5番に定着した。後期、V9メンバーというと、6番・高田(左)、7番・河埜(遊)、8番・森(捕)、9番・投手となり、ON以外の打者はそれほどの強打者というわけではない。にもかかわらず、相手投手にはいま以上の脅威を与えた。その理由は、打者の役割がいまの読売より、はっきりしていたためだと思われる。V9と現在の読売とはチームの作り方がまったく異なっていたのだ。 そればかりではない。近年、読売が2シーズンリーグ優勝できなかった最大の要因は、松井のMLB・流出だ。推測だけれど、松井はチームへの貢献を優先する選手であり、MLBで証明されているとおり、走れて守れて肩も強い。しかも故障に強い。いま現在、読売は、彼の穴を埋める選手を育てられていないことだけは確かだ。 残された試合、首脳陣が体質改善を目指すのならば、走れない選手を外し、松井のようなバランスのとれた選手を中核にすえ、与えられた役割をはたすことができる選手を育てるしかない。にもかかわらず、いまの読売はダラダラと貴重な実戦の場を浪費している。読売は、二重三重の誤りを犯している。
|