今更だが我が家の年末年始。
クリスマス、僕が子供達に贈ったプレゼントは既に書いたと思うが、僕自身が嫁からプレゼントをもらったのは思いもよらぬことだった。
何をもらったかというと、敷布団である。
「布団も新しくなったことだし…ウフーン」
とかいう子供がもう一人欲しい的なものではなく、ただ単に僕が寝ている布団が「まんが日本昔話」に出て来る百姓のじいさん並みにもみすぼらしかったためらしい。既に夫婦間でプレゼントの贈り合いが途絶えて久しかったので、よっぽどみじめだったのだなあと思った。
クリスマスを過ぎて年末になると栃木の実家に帰るのが慣習である。そして12月30日に高校時代の同級生と飲む。彼らとは1年でこの日にしか会わないが、もう20年近く年末の飲み会は続いている。高校当時は一番仲良かったわけではないが、細く長く続いているのが面白い。毎年飲みながらいつまでも続いて欲しいと思うのである。
大晦日の夜は実家のコタツに入りながら母や弟と共に紅白を最後まで観、ゆく年くる年で鐘がゴーンとなってから寝る。今年は娘・R(中二)が大好きなTWICEが出たので大騒ぎであった。
寝たら数時間後に初日の出を見るために速攻起きる。起きたら弟に車を出させて眺めの良い山の中腹まで車で行くのが毎年の恒例である。

初日の出は6:50分ぐらい。左右にツンツンしたツノがあるような筑波山の右側から出る。毎年変わらぬことだが変わらぬことに感動を覚えるのである。
毎年変わらずに会ってくれる友。毎年変わらずにいる母、弟。そして嫁、娘、息子。今は変わらなくてもずっと先まで同じであるわけはない。子供達、特にRは僕と一緒にどこかに行くということを嫌がるようになった。例えば近所のファミレスとかで外食をしようとすると
「絶対同級生がいて見られるからヤダ」
親と一緒にいるところを見られるのを毛嫌いするようになったし、嫁だって子育てが終わったらどうなることかわかったものではない。母も元気ではあるもののアラエイティになり
「お母さんは寒いから今年は初日の出はいいや…」
少しずつ無理をしなくなってきている。親も、嫁も、子供達も、友達も、僕も、ずっと同じであるはずはなく、いつまでも変わらないのは初日の出の眺めなのだなあ…と諸行無常を感じるのであった。
せめて来年だけでもまた皆と同じように初日の出を見れるように、と手を合わせるのだ。年が変わるたびに今あるものが滅びゆくことへの恐れが増す
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」
まるで一休さんのような心境だなあ…と思いつつ駐車場に戻ると

ナンバープレートが一休さんの車だー!
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今日もアリガトウゴザイマシタ。