恋文
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ふと 触れるものを 感じていよう
きっと それがわたしのものなんだ
なにかが 触れてくれる そのとき 感応する
そのわたしが好きだとおもう
風が運んでくる ほのかな花の香り
半欠けの月は 寒そうに輝いている
このまま連れて帰ろう 花の香りも 月の輝きも
目の前に映る わたしの髪の先は ゆるやかにたわんでいて 光を透かしている
ふわふわと 髪をいじっている しあわせ
くるんと まるまった 毛先は やさしい
一日の終わりに やっと わたしに なれた
言葉にする度に それは 離れていってしまうので 沈黙するのだけれど
沈黙の底にも 澱のように ざらざらとした感触が 堆積している
明るい夕暮れに おまえは あるがままにいるね
とっとと歩いては 尾羽の はたはたと震える 柔らかな草の間に なにかを見つけたのだろう 小首を傾げては 草の中に啄ばんでいる
おまえの一日が暮れようとしているよ 暗くなる前に 帰りなさい まだ 春の日は長くはないのだから
耳の奥に鳴るように それとなく響いていた しんしんと
街灯の白い光は 公園の雑草を 作り物のように見せて 飛び交う虫たちの群れを 影絵のように映し出していた
放り出されたサンダルを拾いに 背中に負うあなたの重み その温もり
夜の呼吸のように わたしたちを包んでいた
おまえを抱いて ライラックの木の下に立ったのは その香りを教えようとしたのだった
その春の日は とても眩しくて ライラックは 輝くように香っていた
時もところも 遠く離れて 冬に戻ったような 鈍色の空の下で ライラックは咲いていた
もう抱きかかえることもない おまえは 自分の足で立っていて
わたしだけが 過去に帰ってしまった
きれいな かわいいものを おもいたかった
こころが まっくらになったような 気がしたから
なのに なんにも思い浮かばないよ
あんまり 暗かったのね にんげん の ことを考えたら
なんだか やだなぁ って 思った
だけど わたしも にんげん だから くらいものが あるんだなぁ
知っているから また いやになっちゃった
まだ暮れゆかない光は 影をはっきりと残す
人も木も建物も 街のなにもかもが 影になって そのまま 永遠に残りそうだ
薄明るい空の下に 柔らかな若葉も 咲きほこる花々も ベールに蔽われたように 濡れている
切りつけるような風も 重くのしかかるような空も 去ってしまった
遠い国を思った そこでも 雨は静かに降り注いでいるに違いない 春のこの日に
なんでもないことから ほつれていってしまう
いちど始まってしまうと まるで 終わりがみえないのだ
ばらばらになってしまったかに見える その残骸を また明日のためにとっておく きっと 繋ぎあわせられる
あぁ こんな菜の花が見たかった そこに広がっている菜の花 一面の菜の花の色
それと知ったときには もう 一面の菜の花はなかった わたしの育った町
昔は確かにあったのだと 遠くまで広がる菜の花畑を ありありと思い浮かべたのだった
それは 突然に 今 目の前にあった こんな遠くの国に
時も 場所も 超えてしまったようだ
夜の公園は わたしたちのたてる ブランコの軋む音が響いていた
どこまでも照らすわけではない 街灯の 薄暗い光の下で なくした サンダルを拾いに あなたを おぶったのだった
しっかりと感じる あなたの重さは 心地よかった
ふと唇にふれた指先に よみがえる感覚
手を胸に下ろし 指先を這わせてみる 小さな頂点に 感じる
溢れんばかりに咲いている 春の花たち ざわざわと
いつか わたしも逝くだろう そのときは こんな春の日がいい
花も木も鳥も 悼んでくれるように
あなたたちが 暖かい陽射しのなかで わたしを送ってくれたらいい
ここには 海がないので 時に恋しくなる
わたしのところからは 山ばかりが見える
この街を流れる この河は たしかに 海につながっているんだ
川面に 朝の光が さざめく ずっと先に あなたたちが いるね
戻ってきた寒さのなかで わたしは わたしを見つめている
寒さがいつも 思い出の引き鉄になるよ
きっと暖かい身体を 懐かしがっているんだ
突き放そうとしたり 重荷に思ったり そんなことだってあった
だけど あなたが そこにいて欲しい
わたし ふわふわ あなたには重くないよ
だから ふわふわ あなたの周りで 漂ってる
あなたも わたしのこと 見てね
すがるものもなかったから 立っていられなくて まんまるくなってしまうしかなかった
まんまるくなっていると あったかくて そのまま眠っていたかった
そうでありたかったもの でも なれなかったもの 今も わたしのなかで葛藤する
思い出のなかでも 同じようにあるのだけれど それは とてもやわらかな夢のようだ
あなたが見てくれた わたしの夢は わたしの見た夢のように やわらかい
あなたを 負う その暖かな 重み
あなたが 隣にいる ふと 目を開けた 夜中に
あなたの胸は 静かに 波をうっている
わたしは あなたに 触れ 寄りかかる
それから あなたの 腕をとり わたしの胸に 横たえよう
あなたの脚を わたしの脚に 絡ませて
あなたの 重さを わたしの身体の中に 移してしまおう
呼吸を合わせていると あなたの 一部になったようだ
気持ちの暗い日は 空まで暗い
突然 ばらばらと雨が降ってくる
部屋の隅で 雨に打たれる 木々や草の音を 聴いている
ただのひとことで わたしの場所が わからなくなる
つまらない思いが よせてきて とどまって いられない
足元から なくなってゆく その感触
窓から透かして見る空が 穏やかなように 記憶を透かしてみるあなたは 静かだった
記憶の内側で 座っている わたし
夢の中にはいられない けれど 少しは そのままでいたい
きっと あなたを待っていた 夢の中で まどろむ毎に
覚めても 覚えているよ ひとり装ってみる 春の陽射しのしたで
暖かい風といっしょに 花の香りがする
このまま 身をまかしてしまおう
わたしを解いてくださいな そうして あなたと一緒にしてください
空は 名残の青さを残している
辛夷は まだ白いままだろうか 連翹は まだ鮮やかに黄色いだろうか
野の草花は 静かにその色を 夜に溶かしてゆくだろう
木々は もうシルエットになってしまった
わずかに残っていた日差しの暖かさも もう消えてしまう
思い出す その時 雨の暗い空の下でも れんぎょうはこがね色で 若葉はやわらかだった
一枝のれんぎょうをたずさえて トラムに乗ってきた人の そこも ほんのりと明るかった
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