ゼロの視点
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2007年08月26日(日) 滝行

 10月に予定している、私達夫婦&友人フランス人♂2名を引き連れての、関西旅行の宿をすべて予約し終え、ホッとしている私。11日間の旅程のうち、2泊は高野山の宿坊に宿泊して、阿字観などの修行も、非日本人にさせてみようと思っている。

 とある宿坊は、そこにいる坊さん全員が英語ぺらぺらで、例え日本人が宿泊していても、説明は全部英語という宿坊があるらしい。《こりゃ、自分が通訳しなくとも、誰かがやってくれるっ、ラッキー》とばかりに、1泊くらいこの宿坊で・・・、と考えていたのだが、団体予約が入っているとのことで、アウト。それでも《英語が通じる》レベルの宿坊があったので、そこに1泊と、日本語オンリーの、伝統的宿坊に1泊することで一件落着。

 さて、修行といえば、2005年の10月のこと。今回の高野山にも私達に同行することになっている従姉H嬢だが、2年前の秋、彼女に導かれるように、私達は、秩父国立公園内にある、武蔵御岳神社のS宿坊へ1泊して、滝行をしてきたことがある。標高929mの御岳山からは、新宿副都心がよく見える、都心からも近くて便利なのだが、奥へ行くと、グッと神聖な空気が満ちてくる不可思議な場所でもある。

 夕方、S宿坊を営むと同時に、神職のH氏に導かれて、皆で山の奥へ歩いていく。かなり歩いたところで、男女で分かれて、滝行用の白装束に着替える。頭に、白の鉢巻を巻きつける頃には、こんな私でも気分が引き締まってくるから不思議だ。男性は、フンドシをしめるのだが、うちのオッサン、わかるんだろうか?、と、想像し、ひとり不敵にニヤニヤしてしまう。

 着替えも完了し準備が整ったら、滝のふもとに集合。参加者のほとんどは女性で、男性は我が夫と、神職H氏と、もう一人の日本人男性のみ。どうやって着替えたのかしらないが、きちんと白装束になっている夫を発見し、ちょっとだけビックリ。

 滝に入る前に、皆で気合を入れて、掛け声を掛け合う儀式があるのだが、それを経験者に交ざって、懸命にやる私達。日本人の私でも、マントラ的な日本の言葉は、なかなかよく覚えられないので、ちょっと混乱したのだが、夫のほうは、よくわからないまま、ミミに聞こえてきた音を大声で反復している。どうやら、彼、やる気満々のよう・・、だ。

 そして、いよいよ順番に滝にはいる時がやってきた。一人20秒ぐらいを目処に、《祓戸大神(はらえどのおおかみ》と唱え続けると同時に、振魂(ふりたま)という、両手を丹田のところで合わせ、上下に振る行為をしながら滝に打たれることを、各人3回行うのが基本。

 滝行参加者は10数名いたのだが、私達が順番に滝に打たれている間、神職のH氏は、ひたすら冷たい滝つぼの脇で、滝水につかりながら呪文を唱えている。見ているだけで、《水に浸かりっぱなしな彼の足は、寒くないのか?》等と気になってしまうほど。

 一方、私のは、他の人のやり方をみてから・・、と思って、最後の方に並んだはずなのに、あっという間に自分の番になってしまい、恐々と水に足を入れると、マジ、冷たいっ・・・・・。《どうすんだよ〜(涙)》という気持ちになったものの、もう後には引けないので、破れかぶれな気分で滝の下に入り、振魂をしながら、《祓戸大神(はらえどのおおかみ》と唱え続ける。

 滝の水圧をもろに頭頂部から背中にかけて受ける経験ははじめてだが、これはかなり衝撃的っ。等と思っているうちに、20秒ほどがあっという間に過ぎていった。

 そして、お次は、夫。ちゃんと日本語で言えるのか?、と思いつつ、興味津々で見ていると、夫は、あまりにも冷たい水のショックなのか否かはわからないが、何かがブチ切れてしまったかのように、腹の底から出てくる大きな声で、妙なガイジン訛りで、、《祓戸大神(はらえどのおおかみ》と唱え続けはじめた・・・・。

するとどうだろう・・・・。夫の声が異様に大きく、なおかつ、水の衝撃と冷たさで、声が小刻みに震えているというオマケつきで、神聖な滝行が、皆が大爆笑を引き起こし、神職のH氏まで噴き出しそうになっていた。

 その上、滝に打たれる姿勢が、夫の場合、修行というよりも、《日本軍に拷問にあっている外国人捕虜》という感じで、本当に苦しそうでみじめな雰囲気・・・・。いくら、《祓戸大神(はらえどのおおかみ》と唱えたところで、私達の耳には、《助けてくれ〜っ !!!》にしか聞こえない不思議。

 黙々と耐え忍び、自己を見つめ、自我から解放される・・・、という修行の原点からあまりにもかけ離れてしまっている夫の醜態は、コメディ映画そのもの。

 こんなものを見せつけられた後で、緊張感を保つのはかなり厳しい。が、それでも、また自分の順番が回ってくると、さすがの水の勢いと冷たさで、シャキっとし、なんとか、20秒×3セットの滝行を終えることができた。

 そして、夫のほうは、3回目になる頃には、もう、《祓戸大神(はらえどのおおかみ》という声が、絶叫に近くなってきていた。そして、振魂をするのはいいのだが、その上下の動きもやたら大振りなものになっていて、本当に奇妙な生き物みたいになっていた。

 さて、後日・・・・。滝行をやりながらも、巧妙に夫の姿などを、一眼レフにて写真撮影しておいた私。あらためて、パソコンの画面一杯にその時の写真を映し出してみると・・・・。

 マジマジと写真を観察したのだが、水が頭部に突き刺さるように当たった時に、《オエェッっ !!!》とか、《ウゲェェっ !!》とか、ゲロでも吐く瞬間のような顔で、白装束の夫が写っている。そして、もう一枚の写真には、呪文を唱え続ける神職H氏のほうを、なみだ目で一心に見つめ、《もう滝壷から出ていい?》と、必至に訴えているかのような彼の姿がそこにあった。

 夫は、滝行をして、何かを悟ったんだろうか?。それとも、浄化としょうして、《きったねえ》ものをすべて出し切ることに成功したんだろうか?、と、考えてもきりがないことを、今になっても想像し続けているゼロでした。一方、夫は、《二度と滝行なんかはしたくない》ということだ(笑)。


2007年08月24日(金) マゾからの依頼

パリ市内某カルチエのモノプリの野菜売り場にて・・・・・。

 最近は、サラダがマイブームな私。ということで、その日も野菜売り場で長い時間を、素材選びのために過ごしていた。そして、ふと、理由はわからないが、ブロッコリーが食べたくなり、《もう、誰も止められない》状態で、一心不乱にブロッコリーの品定めをしていた私。あまりにも集中しすぎていたため、周囲の声もなにもかも聞こえなかったほど。

 そんな私に、現実に引き戻させるほど呼びかけた一人の男がいた。あまりにも、私に呼びかけ、私の腕までつかんで、私を我にかえそうとする男・・・・・、《おめえ、誰じゃっ !!!!》と、またまた恒例の般若のような顔で振り向くと、そこには見知らぬ小柄なフランス人♂がいた。

 《で、なんなの、あんた?》という感じで、ぶっきらぼうにこの♂に問い詰めてみる。問い詰めている私の目線は、明らかに下・・。ま、それだけ、この男が私より小さい、というわけ、だ。身長1m65cmくらいか?。自他共に認めるが、確かに私は、他者を強烈に威圧する雰囲気があるので、ブロッコリーを選別している邪魔をされた私は不機嫌ゆえに、それなりに威圧度は高かったと思われる。

 なのに・・・、だ。その男は、一瞬こそ私に威圧されてひるんで、立ち去っていったが、その2分後に、また、私のところへ舞い戻ってきて一言・・・・《一緒にカフェにいって話しませんか?》。


?????????????・。


 私は、頭の中で《え、あんた、ちびのクセして、このアテクシをナンパしようとでも思っているの?》、《それとも、このアテクシをバカにしているの?》、《それとも、それとも、このアテクシにブロッコリーを買わせたくないわけ、あ・ん・たぁ ?!?》、と瞬時に色々なことが駆け巡る。

 で、とりあえず、この♂に《カフェに行きたいの、あんた、あたしといっしょに?》と、時間稼ぎで尋ねてみた。すると、この♂は《OUI》という。そして立て続けに、《いつ一緒にカフェに行けるか?》と私に尋ねてくるので、発作的に《私の気が向いたら、に、決まってるだろうが、このバーカ!》と、答えてみる。が、この♂はひるまない。

 きっと、この♂も、マゾなんだと理解・・・・(涙)。よく、私は見かけと言動から、マゾな♂からわけもわからず言い寄られることがある。《あなたのヒールで思いっきり僕を踏みつけてください》とか、《思いっきり冷たくボクをあしらってもらえますか?》とか、《あなたにふりまわされたい》《あなたに首を絞めてほしい》とか・・・・・・。本当に、ギャグ?、って程、定期的に、この手の依頼が入ってくる。

 で、状況を自分なりに解釈した途端に、その場を仕切りだした私(笑)。この♂に、警察か?、というほど職務質問したあと、電話番号&住所も聞き出すことに成功。この♂の生活パターンまでも聞き出した挙句、基本的には、彼とバッティングしないことまでわかった今、もう、やりたい放題。

 そして、私の連絡先と称して夫の携帯番号を渡し、《いつでも電話してね、ウっふん》とウインクしたあと、私はその場を立ち去った。

 で、いつしかそんなことがあったこともすっかり忘れた最近、夫がふと、《なんか何もメッセージがない留守電がこの前まで多かったんだよね・・・》と言う。で、私は《そんなのいつものことじゃん》と言っていたのだが、ふと、前述のことを思い出し、夫に無言メッセージの電話番号(幸い非通知ではなかった)を聞き出すと、それは、モノプリで私に声をかけてきた♂の番号だった。

 なので、事情を夫に話すと、夫も大爆笑。《今度、彼から電話がかかってきたら、ゼロの声を真似して対応しようかなぁ♪》と、喜んでいたが、結局、その後、この♂からかかってくることはなかった・・・・(汗)。時、すでに遅し・・・、か・・・・・・・・・?。あーーーあ(笑)。

ロリータ天国な日本と違って、《捨てる神ありゃ、拾う神あり・・・》、というわけで、40歳♀にも、こういった話が当たり前にあるPARISでしたぁ(爆)。


2007年08月23日(木) 今は昔・・・・

 私も40歳。このくらいになってくると、同世代の友人らとの会話も内容も、昔と比べると、かなり変わってきていることがよくわかる。ま、ひとくちで言えば、ばばくさい会話なんだろうけれど・・・(汗)。自分たちの老後までの人生設計の話にはじまり、健康のこと、年老いた親のことなど・・・・。

 確かに、私は35歳ちょっと過ぎた頃から、母のまだらボケがはじまっただけあって、友人の中でも1番のりで介護の世界に突入したものの、その直後くらいから、徐々に友人らも、親が倒れたり、亡くなったりと、色々な形で《看病》したり、《親に代わって家を管理する》等という立場に追いやられ始めている。

 20代の終わりごろ迄は、恋愛話や結婚話がメインだったのに、たった10年で、介護の話がメインになるとは、自分でもビックリ。私の場合は、母が35歳、父が47歳での子供なので、必然的に他の同級生から比べれば、親も歳だし、介護の問題もひとより早くやってくるとはわかっていたものの、それがあまりにも早すぎて、ビックリしてたクチだったが、自分のことでアタフタしているうちに、周りが私に追いついてきたのか?、と思ってしまうほど。

 日本里帰り中に、久々に一緒にランチした小・中・高と一緒に過ごした友人SY嬢。相変わらず、彼女独特の冷血漢な表情と行動には変わりはなく、母親業はソツなくこなしている彼女だったが、数ヶ月前に、実母が癌で亡くなったとのこと・・・・・。癌がすい臓に発見された時にはすでに手遅れで、発見から1年もたたないうちに彼女の母親は亡くなったらしい・・・。

 で、SY嬢の誤算というのがあって、それは、絶対に不健康だと思っていた彼女が先に死ぬと思い込んでいたところに、突然、いつも元気で家庭を切り盛りしてきた母親のほうがポックリ逝ってしまったこと、だという。あらゆることを、妻だのみにしてきた彼女の父は、もう、呆然。とはいえ、SY嬢も、彼女の弟もそれぞれ家庭を持っており、子供の学校のこともあって、実家へ引越しということはできない。と同時に、父親も自分の家を離れたくないが、何もひとりではできない・・・、と、色々と問題が重なって、アタマが痛いと、彼女は語っていた・・・・。

 また、高校から一緒だったMF嬢。やんちゃで可愛い2男の母として日夜頑張っている彼女だが、彼女の父は、定年した途端に生き甲斐をなくしてしまい、気がついたら酒に溺れた結果、現在、アル中から認知症に以降しようとしている最中・・・・・。とはいえ、前述のSY嬢と同じく、このMF嬢と、彼女の2人の姉らもすべて家庭(子供がそれぞれあり)を持ち、なかなか状況に対応しにくい環境にある。ま、幸い、MF嬢の母が、まだ元気で弱りだした夫と共に、独立して生活しているからよいものの、いつどう転がるかわからない冷や冷や感は常にあると、MF嬢は述べている・・・・。

 昨年の秋ぐらいまでは、彼女の父親がまだ元気だったのを知っているので、今や、もう一人では外出できないレベルにまでなってしまっているということを聞かされると、衝撃的である。

 これとは別に、中・高と一緒だったSN嬢は、両親は幸いにも身体的にはすこぶる健康なのだが、彼らと同居している、SN嬢からすると祖母、つまりは、彼女の父親の母親がもう長いこと認知症で、かなりやばい状態なのだという。SN嬢も家庭を持ち、とうに独立して、実家からそれなりに離れたところで夫と2人で暮らしている。が、自分の母が、《姑》のボケ対応に苦しみ、追い詰められた挙句、失踪&自殺未遂まで追い詰められたことを知り、最近は、時間をみつけては、実母の様子を伺うために足繁く実家に通っている最中だという・・・・。 

 一方、大学で一緒だった、YK嬢は、私の母が顕著にオカシクなってくる少し前に、彼女の母君が脳梗塞で倒れ、軽い後遺症が残ったまま現在にいたっている。幸い、家族が一団となって介護してきてなんとかなっているが・・・・・。

 その上、私の母の妹、つまり私の叔母の夫も、昨年、脳幹出血で突然倒れて、現在もリハビリ中だし、つい先日には、友人SF嬢の母君までが、突然転んで骨折したことがきっかけで、彼女の生活がかなり変わってきている最中、という・・・。

 各家庭に、それぞれの事情があり、決してその《方法論》を一概に語ることができないのが介護問題。己のやり方をもって、他者を罰するという考えにいたっては、個人的には最悪と思っている。正論が通用する世界でもなし、いつ自分の問題として降りかかるかわからない、現実、が、そこにある。

 ただ、今つくづく思うのは、夏休みの宿題レベルで一緒に愚痴を言っていた仲間&世代が、気がついたらまた違った課題で、それぞれが愚痴っていられる状況があるということ・・・。で、そして、そういう状況で、お互いに本音さらけ出して語ることが可能な環境が得られるだけでも、本当に恵まれてるな・・・、と、しみじみ実感するゼロでした。


2007年08月22日(水) 3 jours 3 euros

 « 3 jours 3 euros » (3日間3ユーロ) 、と銘打たれた、8月19〜21日の3日間、パリ市内の全映画館にて、すべての映画が3ユーロで鑑賞できるという、たいへんありがたいパリ市の企画。もちろん、《お得》な情報にはすぐに飛びつく私達夫婦も、ご多分に洩れず、万障を繰り合わせて、映画館へ突撃。1日2本ペースで3日、計6作品を鑑賞してきた。


1日目、8月19日日曜日は、以下の2本。

��« La fille coupée en deux (原題)/ Claude Chabrol監督/France/2006 »

��« Persépolis (原題)/Marjane Satrapi, Vincent Paronnaud 監督/ France /2005»

 とりあえず、まあ、はずさないだろう的な作品を最初はトライ。3ユーロとはいえ、あまりにもつまらないと、時間をかえせ〜っ!!!!、といいたくなることもあるゆえ、用心、用心・・・・。シャブロルの作品のほうは、各シーンでプッと笑える台詞や、細かいシチュエーションなどを楽しませてもらった。殊に、世界中どこにでもいるであろう、《すけべじじい》という人種の仕草などは、笑えた。 « Pervers » という言葉を用いた評論が多いようだけれど、この言葉をあえてもちいる必要があるのか?、と、個人的に思った。ただ、すけべじじいでしょうが・・・・・。

 ペルセポリスのほうは、イランにも行ったし、ペルセポリス自体にも行ったことあるし、映画のように、革命から戦争のゴタゴタで、フランスに亡命してきた知人らも何人かが、私の身近にいたことから、そういったことを復習する意味で、この映画を鑑賞した。ドライなユーモアが、重い内容に華を添えている。ラストになると、涙を拭いている観客がちらほら。



2日目、8月20日月曜日は、以下の2本。

��« Planet Terror –Grindhouse (原題) /Robert Rodriguez監督/ Etats-Unis/2007»

��« Le fils de l’épicier (原題) / Eric Guirado / France /2007 »

  昨日、ペルセポリスを見るために並んでいた時、別の映画をみるために、隣に長蛇の列ができていた。好奇心で、何の映画のため?、と、思ってチェックすると、この《Planet Terror》だった・・・・。という理由だけで、どうせ3ユーロなんだから、と、突入してみたものの、すんげえツマラン、ツマラン、ツマラン。あまりにもツマラナイので、私が、機関銃をぶっ放したくなるほど(笑)。タランティーノも役者として出ていたけれど、だから、なんなの?、というレベル・・・・。もっと、気持ち悪く、もっと、怖いのなら、飽きないのだけれど、それもなし。

 昨日の、シャブロル作品と同じく、リヨン地方を舞台としたもの。地域的には同じといえど、住む世界は全く違うことの面白さ。シャブロルのmondain でブルジョワ(それも、地方の大ブルジョワ)世界に対して、一家でなんとか凌いでいる食料雑貨店の息子の話。

 日本と同様、山奥などの、《限界集落》についてはフランスでも深刻な問題。そんな集落などへ、この息子は病で倒れた父に代わって、トラックの移動店舗で、商品を売りさばいていく中で、色々と人生について学んでいく・・・、という話。画期的、とも一部ではいわれているほど、こういった家族や世界を見事にクローズアップした作品。階層というものが、確かに存在しているな・・・、と、あらためて実感。
 

 
3日目、8月21日火曜日は、以下の2本。

��« Naissance des pieuvres (原題) / Céline Sciamma 監督/ France / 2006 »

��« 2 days in Paris (原題)/ Julie Delpy 監督/ France / 2006 »

 シンクロナイズド・スイミングをやっている少女達の話といってしまえば、それだけ?。ま、少女から大人になるまでの、ステップの公開とでもいおうか?。男の子らが、童貞を失うまでのコメディなどはたくさんあるが、これは、その女のこバージョンともいえる。個人的には、たいして目新しいものは見出せなかったけれど、男ばかりの環境で育ってきてしまった、単純な夫には、とても不可思議でかわいい世界だったとのこと。と、同時に、勿体ばかりつけ、男を挑発するだけして逃げる女としての基本がすでに、女のこに備わっているのを見て、夫はあっけにとられていた。ううーーーん、夫よ、大人になろうね・・・・。

 で、3日間の映画三昧のトリとなったのは、ジュリーデルピーの映画。これには、終始笑いっぱなし。会話のテンポと、ところどころやりすぎのところはあるとしても、ディテールがかなり笑える。ピューリタンなアメリカ人の彼に対して、握手する感覚で、セックスしまくっているフランス♀、というカリカチュアが、いかにもありえる話なので、個人的に大爆笑。

 《ちょっとフェラチオしただけよ、たいしたことないじゃない》等、サラッと言うあたりは、もう・・・(以下自粛)。あっちこちに、昔ヤッタ相手とか、付き合った男とかがたくさんいる不思議なフランス、というのを、アメリカ人の彼の目を通してクローズアップさせる。ま、とにかく、数分に一度は《CUL》な話。個人的には、この映画が、6本のうちで、一番のお気に入り(笑)。


 
 以上、6作品、解説などもいっさい読まず、各映画についてほぼ情報を全く持たないまま、本能的に選んで楽しんできたが、とにかく、一番面白かったのは、映画を見る前に並んでいる時。並んでいる人の雰囲気を観察しているだけで、どんな映画なのか、うすうす読めてくるからだ。《Planet Terror》と《Le fils de l’Epicier》の平均的観客層は、言うまでもないが、明らかに違っており、平均年齢層までも大幅に違っていたのが、妙に面白かった・・・・。


2007年08月16日(木) 思い出のデパ地下

 小休止(?)といった形で、遠距離介護問題も私自身も、ひとまず落ち着いている昨今だが、妙に問題を背負い込んでいた《ケツの青い》日々には、色々なことがあった。ま、これからもいつ、どんなことがあるかわからないが・・・。とりあえず、振り返ってみた時に、いつも思い出されるのは、2005年10月、1ヵ月に渡って夫と一緒に実家で暮らしていた時のこと。

 夫と母は、言葉は双方で全く通じないけれど、意外に仲良くやっていた。ま、言い方をかえれば、私という存在によりかかりながら、いいところだけで、二人で楽しんでいるともいえるのだが。いざとなれば、母は私に日本語で話しかけ、夫はフランス語で話しかけてきて、問題を解決しようとするが、そんなことを同時にされても、私の頭がパンクするだけ・・・・。

 で、私がイラついてキツイ口調になったりすると、夫と母は2人して、《ゼロは性格が悪いね〜♪♪》と、目と目を見詰め合って私の悪口をいって、嬉々としていたりする。夫も、そういう日本語だけは、辞書でチェックしているので、母と声をそろえて言ったりすることができるのだ・・・・。

 さて、そんな3人が、用事を終えた、とある日の夕方、某デパートの地下にいた。デパ地下といえば、外国暮らしの長い人間にとったら、パラダイスっ!!!!。あんなもの、こんなものと、みるものすべてを口に放り込みたくなるほど、あらゆるものが美味しそう陳列されている。そして、そんな誘惑を目の前にしながら、現実的に、家の冷蔵庫に残っているものを思い出しながら、《今晩は何を食べて・・・、で、明日は何を・・・》等と、黙々と考えているのが私。

 ちなみに、3人で暮らしている間は、私が飯炊きばばあ。そして、夫と母は食べる人、というお気楽な身分。そして、母は私にむかって、オウムのように《今晩、どうするの ?》等と2分毎に同じ質問をしてくる・・・。ボケる前から、私にせっついた質問をしてくるのが母の常だったが、認知症になってからは、5分毎が2分弱毎になり、私がまたヒステリーを起こすには、時間の問題だった。

 一方、夫は、フランスには決してない、日本のデパ地下独特の、試食し放題天国に、激しく感動して、気がつくともう、どこかへ行ってしまっている・・・・。どいつもこいつもアテにならないヤツばかり・・・・。

 こんな状況にまた気が散って、なかなかメニューも決まらず、ますますイライラしていると、今度は、夫がいなくなったことを母が心配しだす。《ゼロちゃん、○○さんを探さないとっ !!!!》と、1分毎に私の耳元で囁く母。そんな私は爆発寸前。最後は私のジャケットの袖口を掴むようにして、母が執拗に囁くので、それを思いっきりフリほどくと、私が母を押し飛ばすようなカタチになってしまった。

 すると、この私の態度にカチンときたらしい母は、私の隙をついて、夫を探しに旅立ってしまった。私は空のカゴを持ったまましばし呆然・・・・・。《くそう・・・・・・・っ、あのじじいっに、このばばあ・・・っ、Merde!!!》。母をすぐにでも探そうと思ったが、もう、なるようになれと思い、後も追わなかった。それに、日本人の中から、ちょっと違った夫の姿を探すのは、母でもできるだろうと、完全放置。

 さて、その後、しばらくボーっと、私は粕漬けなどを吟味していたのだが、背後から、男女のはもった、それもとても大きな声で《ゼロ〜っ !!!!!》《ゼロちゃ〜んっ !!!!》と聞こえてくる・・・・・・・・・・・・・。



いやな予感・・・・・・。



 それらの声を、あくまでも私が無視していると、音量はますますヴォリュームアップされてくる・・・・・。そして、この声につられて、色々な人が、この奇妙な男女が見つめる先に存在するはずの 《ゼロちゃん》の姿を、興味津々で見ているのがわかる・・・。なぜなら、背中にたくさんの視線を感じるから・・・・(汗)。

 そして、嫌々ながら、般若のような顔で私が振り返ると、なんと、夫と母がそれぞれ、爪楊枝にささった餃子をまるごと両手にひとつずつ持って、私にむかって《これおいしいよ〜、ゼロちゃ〜ん》と、遠くから満面の笑顔&大声ですすめているではないか・・・・・・。餃子・・・・・、でも・・・・なんで、餃子・・・・?!?!?!?。それも、ひとり2個ずつ、キャンドルライトのように振るの、もう、やめろ〜っ、うぉぉぉぉおおっ!!!!!!!。で、アカの他人の方々、遠巻きに私のこと、眺めるのやめてぇぇぇえええっ!!!!。

 恐る恐る、2人に近寄っていくと、試食用の餃子は、ひとり半分ずつ。きっと、夫のガイジン面特権で、餃子まるごとゲットできたんだろうと推測・・・・・。そして、無邪気な認知症高齢者特権も加わって、最強タダ食いコンビとなっていた、夫と母・・・・、恐るべしっ。

 顔面蒼白の私は、2人がしきりに勧めてくる餃子を振り払い、バツの悪い思いをしていると、母のかかりつけ医院の看護婦が私たちに声をかけてくる。どうやら一部始終をみていたらしい彼女・・・(滝汗)。で、《楽しそうでいいじゃないっ、あなた達3人っ♪♪》と、彼女に言われ、私が《????》という顔をしていると、横から母がしゃしゃり出てきて《ね、そうでしょ〜、ゼロだけが、ひとり怒ってるのよ〜、いやあねぇ、ほんと、バカみたいね〜わはははは》と、看護婦に答え、2人して爆笑。そこに言葉のわからぬ夫までもまざり、笑っている・・・・。



 あの当時、本当に、恥かかされたとか、みっともないなど、怒り狂っていた私だったが、今思えば、なんと実にくだらなく、些細なことだったかと、実感・・・・。簡単にいえば、余裕がなかったんだろうとしか思えない。もちろん、ネタにする余裕もなし。

 ここまで、余裕がない自分というのも、久しいと思うと同時に、今だったら、一緒に図々しくも餃子食べて、笑ってただろうと思うゼロでした〜♪♪。


2007年08月14日(火) 杞憂

 母が認知症になったことによって、一人娘の私は、突如、実家の財産管理(微々たるものしかないから、逆にシッカリやらねばならない悪循環・・・・)等に着手せねばならなくたったのだが、それでも、徐々に母がボケていったおかげで、なんとか、母と確認も取れ、ギリギリセーフで管理の全体像を把握できたように思っている。それでも、まだわからないことなどもたくさんあるのだろうから、これが突然死だったりしたら、間違いなく途方にくれていただろうなァ・・・等と、思う昨今。

 父の墓は、都営霊園にあるのだが、毎年使用料を銀行振り込みしている。で、最近、ふと思った・・・、子供のいない私が死んだ後は、どうするんだ?!?!?!。ま、死んじゃってからのことだから、どうでもいいか?、とも思ったが、実際には、調べておいたほうがいいことがたくさん出てきている・・・・(汗)。

 離婚でもしない限り、夫と一緒にフランスにずうっと住んでいると仮定する。そして、年上の夫のほうが順番でいけば、先に死んでいく・・・・、なんて思っていたら、私がポックリ・・・、となった場合はどうするんだ?、ということ。そして、私が死んだ後に、母と夫が残された場合は、どうなるんだ?!?!?!、と、考えていると、もう、調べて準備することがたくさんありすぎて、気が遠くなってくる。だから、いまだに何もやってないのだが・・・・。

 以前、日本の実家にいて、年金型保険の勧誘がやたら多かった時、死後の保険金受取人が、外国住まいの非日本人で日本語が解さない場合は、どうやって保険金をきちんと受け取れるんですか?、と勧誘員に尋ねてみた。《あまりない例なので、こちらのほうで調べさせていただきます》という言葉を後に、勧誘員は帰っていったが、以後、どうするのか?、というのは結局教えてもらっていない。勧誘員、わかんなかったのかぁ?。

 返金される、乃至は還付金がくるという特典があったとしても、ただ書類を管理するのが面倒くさくて、そのまま放置しているような夫のこと。自分の遺産ですら、ヘタしたら面倒くさいので受け取らないなんてことを平気でしそうな彼が、異国でのことなんぞに着手するわけがない。これだけは、絶対に断言できてしまうからこそ、私が先に死んじゃったら、マジでどうすんのぉ?、と思わざるをえないわけだ。

 この週末に、実家の状態をチェックしてくれた従姉H嬢からの報告写メールで、庭の雑草がそりゃ、もう、イキイキと伸びまくって、とんでもなくなっている写真をみた直後というのもあって、ますます、色々な想像をしてしまう・・・・。私の死後に、雑草で家が埋まってしまうんじゃないか?、とか・・・・(苦笑)。

 で、アジア人一般と違って、いわゆる《うんこ座り》というのが出来ない西洋人の夫は、高枝切りバサミをつかって、樹木の枝を切り落とす派手な作業はできても、しゃがんだままで地味な雑草むしりはできそうにない・・・・。そもそも、実家の庭には、高枝切りバサミはそれほど必要ないわけで・・・・。

 そして、ゴミの仕分けなど、生まれてから一度もしたことのない夫が、ゴミ捨てのモデル地域にもなっている我が実家で、日本語読めないゆえに、わけのわからぬ捨て方をして、近隣から冷たい目でみられるんだろなぁ・・・と。で、近所の人は文句を言いたいのは山々だが、いざ言おうとすると、外人顔で、妙に愛想のいい笑顔でニコっと微笑まれた挙句、《ボクハ、バカガイジンデ〜スっ♪》と、オウムのように繰り返し言う夫を目の前に、結局何もいえず、腫れ物のように放置されていく彼の姿を想像すると、ま、それもありかな?、と思ってしまう(笑)。

 これとは別に、もし夫が突然死んだ後に、あの、ばばあこと、姑だけがピンピンして生き残っていたらどうなるんだろう・・・・・?!?!?、等と考えると、真夏の夜のお化け話より、ひんやりとした感覚を堪能することができる。現在の感じだと、アタマはボケずに、足腰から弱っていく衰え方が顕著なので、もし介護・・・・、なんてことになったら、かなり厄介なパターンになりそうだ(滝汗)。

 
所詮、物事は、なるようにしかならない。
で、そんなことは百も承知。


 が、事実は小説より奇なり、で、本当に想像もつかないことが降りかかってくることが多々ある。いいこともわるいことも含めて・・・、だ。ましてや、不幸が降りかかっている最中などは、台風の目の中にいるようなモノで、意外に当事者は落ち着いているようにみえるが、それは、ある意味テンパっているからこそ、そうなのであって、それなりにエネルギーを非常事態シフトで消費しているゆえ、かなりのストレスだったりする。

 そして、今、私が、ある意味、ああでもないこうでもないと、出口のない、未来のことを案じることができるのは、逆に、問題がひとまず片付いて、落ち着いた時間があるからなのだと、認識している。渦中にいると、そこまで案ずる余裕もない。今、何をするか?、だけなのだから・・・・・。

 今、また新しい人生のステップに立ちはじめている私。わくわくも、ゾクゾクもする奇妙な感覚を味わっている最中の、ゼロ40歳でした〜♪。


2007年08月12日(日) マニュアル人間

 人は、最初から恵まれすぎていると、そのありがたさすらわからないというが、私の場合も、そうだった・・・・。母がボケだして、介護保険によるサービスを申請し、ケアマネージャー、ヘルパー、そして、週に3回ほど通うデイサービス施設などを、申請と同時に選ぶのが基本パターン。

 吟味に吟味を重ねて選ぶ人もいれば、いわれるがままに担当者をあてがわれる人もいるだろう。そして、私は、いかんせん日本に住んでおらず、私自身にも時間の限りがあるゆえ、そこまで吟味するわけにはいかなかった。にも関わらず、幼馴染M嬢の母君ネットワークのおかげもあって、これぞ理想っ、と思われる担当者に巡り会えた。

 もう、こうなると運としかいいようがないのだが、一人暮らしの母の生活を支えてくれた介護スタッフは、本当に《臨機応変》で、きちんと自分の頭で判断&責任を負うことができる人たちだった。みんな女性で、育児もこなし、看護士として活躍してきた彼女ら。決してマニュアルだけで仕事している女性たちではなかったので、そりゃあ、本当に頼みになった。

 母の介護者であったけれど、私も積極的に彼女らとコミュニケーションをもつようにしたし、緊急事態にも対応できるように、介護者から頼まれてもいないのに、私のほうも、母を介護するにあたっての注意書きなどを詳細にまとめて、関係者に配っておいたりもした。

 たとえば、《いやだわ、私》とか、母がどういう口調で言っているかによって、無理強いしてもOKなど、そういった娘からの観察視点で書かれた、レポート。嫌も嫌も好きなうち・・・である訳で、そこで、母に嫌と言われた時点で、手を引かないでおくんなせえ・・・、という意味。

 あとは、母の昔話に対応できるように、母の半生と、家系図と、各人間関係にわたる要約などもくわしく書いておいた。それ以外にも、モノをしまうとしたら、どの辺か?、しまいこんでしまう時のクセは?、外出先のパターンは?、生活の基本パターンは?、等も、書いておいた。

 これには、後になって非常に感謝されたので、私も、作った甲斐があって、ホッとしたものだ。もし、これから何かで遠距離介護などをしなければいけないと時は、こうレポートを作成することをお勧めする。

 また、定期的に介護スタッフに私のほうからも国際電話をして、様子を伺ったり、わからないことはないか?、等と、言いにくいことも言いやすいように状況を作って、それなりに対応してきた。そして、基本的には、全面的に彼女らを信用する、という態度でいたので、彼女らもそれにこたえるように、本当にきめ細かいサービスをしてきてくれた。

 真冬にストーブが壊れてしまった時、すぐにケアマネから国際電話がかかってきて、折り返し私のほうから彼女にかけなおし、状況を聞いたうえで、パリの自宅からストーブ会社の顧客サービスへ電話して、修理人を発注するなどもした。そして、その立会いに、ヘルパーがいる時間帯を選んで、確認してもらうなど、こまかい伝達などを、国際電話でやりとりしたものだった。(時差があるので、たいだい私は午前2時3時ごろに、よく日本へ電話していた・・・)。

 また、母が非常に介護者らから好かれていたのが幸いして、自分の母親のように皆から心配されていた模様。サービス時間外にも、母を気にして立ち寄ってくれたり、誕生日には、ケーキを持ってきてくれたりと、近所の人という立場も接してくれていた(介護サービスとしては、ここまでは許されていないので、あくまでも、個人のつきあいという範疇で)。


 新たに問題が発生するたびに、私も、彼女らも、皆で意見をだしあって、解決してきたりもしたのだが・・・・・・・・。

 2005年の年末、いつも介護者らが正月休みに入ってしまうのと、私もどうしてもフランスへ戻らねばならない事情が重なり、年末年始の間だけ、母が完全に一人になってしまう可能性が出てきた。私は、ヘルパーには、家の中に入ってもらって、生活の仕方から些細な変化をチェックしてもらう役目を一番重視していたので、これが完全になくなってしまうことと、母の一人暮らしにも限界が見え隠れして、私は困り果てていた。

 そして、ケアマネと相談した結果、最後の手段として、つい最近まで日本のニュースでよく見聞した介護業者《コム○ン》に、臨時ヘルパーを頼むことになった。ここは、年末年始もやっているということで、選んだのだが、実際にやって来たヘルパーをみて、私は愕然とした。

 介護業者《コム○ン》のヘルパーの人たちが、皆この人のようだとは思っていない。が、斡旋されてきたヘルパーは、マニュアル先行型の人で、自らのアタマで判断することが不可能な人だった。彼女の問題処理能力は、《臨機応変》という言葉からは程遠く、契約書の説明から、そこに印鑑をつくまでのやりとりだけでも、ひっさびさにアタマから湯気が出そうなほど、アタマにきた私だった。

 そのくらい、マニュアルからはずれたことを尋ねたりすると、すぐにフリーズするか、あらかじめ教えられた答えを連呼するばかりなのだ、このヘルパーはっ!!。もちろん、自分から、担当する家族に質問するという、アクションすらない。本当にヤバイ。これで、生身人間を相手に、それも一寸先は予想もつかない動きや言動をする認知症の介護ができるのぉぉぉおっ?!?!?!、と、彼女の首っ玉をつかんで、《あんた、ヴァカァっ ?!?!?》激しく問いただしたいくらいだった。

 社会的役目&使命を取り除いたら、こういう人はどんなことを考えて、どのように生きているのか?、などと、いらぬお世話までしたくなってくるほど(笑)。マニュアルを実行するか否かを判断するのが、あくまでも一個人であってはじめて、マニュアルと人間の間に、適度な距離が生じると思うのだが、このように、マニュアル自体に取り込まれた、自分というモノがまるでない人を前にして、怒りと恐怖を覚えていた私。しかし、こんな人と契約をしなければならないことが、一番の恐怖であり、あとは賭け、でしかなかった。

 翌日の昼には、パリ行きの飛行機に乗り込んでいるはずの私。友人らは、最後の晩餐の準備で我が実家に到着して、海鮮鍋の仕込みをしている。そして、新ヘルパー相手に、顔面蒼白になるほど怒り狂い、不動明王のようになっている私の様子を、キッチンからニヤニヤしながら観察していた・・・・。

 結局、マニュアルにしか反応できない人には、こっちもマニュアルを作るしかないと思いつき、急遽その場で、《こういう場合はこう動いてくれ》等の細かい規則を作成し、逆にそれ以外はやらないでくれっ!!!!、と厳しく注文をつけ、ようやく私は契約書に印鑑を押した。ああ、それにしても・・・・・・、今までが、あまりにも恵まれすぎていたのだ・・・、と、つくづく思った私だった・・・・。

 その後、春になり、また実家に戻った私は、介護スタッフがつけていた介護報告レポートに目を通す・・・・。すると、いつもの臨機応変で理想的な介護スタッフですら、この問題ヘルパーとは、なかなか意思の疎通ができなくて困ったいた様子が、その文脈から伺えて、ああ、私だけがこういう人間を相手に、ムカムカするわけじゃないんだ・・、と、妙にホッとしたゼロでした。

 ただ、こういう人が資格だけ取ったからと、簡単にヘルパーとして採用されるのだとしたら、ちょっと怖いなァ・・・、と、思いませんか?。


2007年08月11日(土) 極端な生活

 某メトロ駅のまん前に、我が家のアパルトマンへの入り口がある。アパルトマン自体は、入り口から少し歩くので、実際には大通りに面しているわけでもなく、意外に静かだったりする。メトロはすぐ、バスもたくさん通っており、フラッと歩いても、どこにもいけたりするゆえに、我が家にはクルマがない。たまにクルマが必要な時は、タクシー、乃至はレンタカーでまかなっている。また、たまに夫の会社のクルマなどを使うこともあるが、いずれにせよ、クルマでパリ市内だけを移動するのは、便利な以上に難儀なことがもれなくついてくるのが常。

 というのも、せっかく目的地に到着しても、駐車できる場所を探すのが難しいからだ。延々と探し、同じ場所をグルグルとまわりながら駐車できそうなスペースを探し続け、それでも、まったくみつからず、どんどん目的地から離れ、やっと見つけた場所は、とんでもない場所で、結局、そこへクルマをとめてから、メトロで目的地へ向かう・・・、なんてことも、十分にありえる。

 そして、我が家の周りも、駐車事情はかなり厳しい。夕食に招いた友人らが、予定時刻の30分以上たっても現れない場合は、たいてい駐車場所を求めて彷徨っている場合が多い。おまけに、パリ市の方針として、街から極力クルマを締め出し、自転車などに代用させていこうとする方針ゆえ、どこもかしこも、マイカー族にとって、これから益々生き辛い状況が続くものと思われる。

 一方、日本の実家は、いわゆる首都圏の閑静なとある住宅街。昭和40年代に開発された住宅街で、数ある最寄り駅からもほどよく遠く(怒)、バスなどもあるけれど、これがなかなか不便で、気がつくと、住民のほとんどがマイカーなしでの生活なんて?!?!?!?、という感じになっている。フランスでも郊外および地方では、クルマなしの生活など想像つかないのと、ほぼ一緒。1軒の家に、クルマが2台3台あることもザラ(おそらく駐車場代などは、きっと大変なのだろうが・・・)。

 近年は、従来以上にホームセンター、大型スーパー、大型衣料店にはじまり、色々な店が競合し、1ヵ月だけの里帰りでは、すべて店を制覇できないほど、栄えている。で、営業時間もフランスとは違って長い(時には24時間営業)ゆえに、夜フラフラ出歩くのが好きな私は、ついついクルマのエンジンかけて、これらの店へ意味もなく立ち寄ってしまい、気がつくと無駄な消費をしていたりする・・・・・・(汗)。また映画も、シネコンが充実していて、レディースデイだの、レイトショーをうまく利用すれば、たくさんの作品を廉価で楽しむことが可能。

 5月の里帰り中に、友人と久しぶりに、突発的に真夜中のドライブを決行した。学生時代の時のように、あて先も決めずに、延々とガソリンを無駄に消費しながら、走り続けていると利根川沿いまできていてしまってビックリ。せっかくだからと、利根川も越え、G馬県まで入り、また延々と暗闇の中を走っていた。そして、再び利根川を越えS玉県に戻ってくると、そこには24時間の西○があった。西○が24時間営業になっていることをはじめて知って、激しく驚いた私は、吸い込まれるようにそこの駐車場にGO、気がついたらカートと持って友人と食料品を物色していた。

 翌日が母の日ということもあって、西○の入り口には様々なカーネーションの花々が、《さぞ、購入しないといけないかのように》陳列されていた。で、ついこのマーケティング効果に、ついつい乗ってしまい、2500円のカーネーションを購入。しかし・・・・・、家を出た時には、まさか自分が、午前3時に、母の日のカーネーションを購入しているとは、夢にも思ってもいなかったのだが・・・・。こんな都心から離れたところで、午前3時だろうがなんだろうが、何でも買い揃えることが可能な日本っ、というのに、あらためて感心してしまった。


で、感心すると同時に、恐怖すらした・・・・・、そう、散財する恐怖・・・・・・っ!!!!!。


 さて、早めのバカンスと称して、6月に2週間ばかりLa Bauleの別荘で過ごしてきた私たち。今回は、パリからレンタカーで下っていったのだが、ほぼ毎日、別荘から、あちこちの大型スーパーだの、大型店舗が競合する地域に繰り出しては、大量の買い物ばかりしていた。あまりにも、こういった状況になれてない二人で、完全に舞い上がったのかはわからないが、食料品ばかりではなく、本、DVDなども充実しており、危険このうえない・・・。そして、後になってやってきた、銀行の引き落とし明細をみていて、驚愕っ。よく、ここまでアホみたいに散財できたな・・・、と唖然としてしまった。

 大量に買い物しても、クルマに積むだけで家に商品を持って得ることが可能な生活に対して、パリでのクルマ無しの生活では、持ち帰れる品数に限度がある。金に限度がある以上に、こちらのほうにすでに限度がある・・・、というわけだ。もちろん、配達してもらえればいいのだろうが、それにしても、郊外型大型スーパーでしか得られない高揚感が発生しないゆえに、そこまで大量に買い物をしたいと思わない。

 というわけで、知らない間に出費を抑えることができているというわけだ・・・。パリの物価はあがるばかりとはいえ、郊外で暮らし始めたら、また違った意味で出費し(クルマの維持費、庭仕事用品の購入等)ことを考えれば、ある意味トントンなのか?、と思えてならない昨今。

 また、パリでの生活だと、とにかく歩く。なので、ダラダラしているようでも、自分の身体を使う率が高いので、最低限の運動量はまかなわれている。が、実家のような生活だと、とにかく歩かないでクルマに頼るので(本当に近所の用事も、なぜかクルマを使っていたりする)、脂肪がつきやすい。おまけに、食料品を大量に購入するのだとしたら、さらにヤバイというわけだ。

 というころで、パリでは都心アパルトマン型、そして実家では郊外一戸建て型の生活という、奇しくも両極端な生活をしている私。今のところ、結局は、どちらの生活にも甲乙つけられず・・・・・・。ここまで便利になってしまうと、実家での生活は、問題点があったとしても、それはそれでなかなか楽しいわけで・・・・。

 それでは、もしこれが、東京都内ど真ん中マンション型とフランス郊外一戸建て型、という条件だったらどうだろう?、と、想像してみたが、マンション型のほうはOKだとしても、フランス郊外の場合は、日本のように整っているわけでもないので、きっと私の性格には、キツイかな・・・・、と、思った、へたれなゼロでした。


2007年08月09日(木) 模様替えPart2

 我が家のパソコンのある部屋、つまりは、今、これを書いている部屋は、長年とんでもないところだった。

 どう、とんでもなかったか?、と、いえば、足の踏み場がないほど納戸化していたから。それもただの納戸ではなく、本当にどうやったらパソコンがある窓際までいけるのか?、というほど、モノが溢れていた。そのモノもただ、溢れているのではなく、天井の高さまで溢れていたので、パソコンまで近づくわずかなルートとその景観は、《切り通し》のようだった。

 いつからこうなってしまったのか・・・・?。何度思い出そうとしても、わからない・・・・。ま、そのくらい、長いこと私たちの書斎は、絶望的な状態だった。もちろん、この溢れたモノの95%は、夫のモノ(わたしに言わせればゴミ)なのは、自明なこと。

 夫のことを《尻拭いしない妻》として、有名な私は、夫がゴミを運んでこようが、何をしようが《彼の自由と責任》して、徹底的に関与してこなかった。が・・・・、そんな《彼の自由と責任》が、私の想像を遥かに超越するほどのシロモノだったゆえに、我が家に切り通しができてしまい、その結果、私の《自由》までが侵害されるという事態を招いた。

 さて、人を我が家に招いた場合、まだ、とても親しくなっていない相手の場合には、この書斎のドアは固く閉じられるのが常だった。が、それでも、誰かがドアを簡単に開けちゃったら危険と、取り越し苦労したうちのオッサン、もとい、夫は、ドアに鍵をつけようと思いついた。

 そして、夫専属の何でも屋のように、いつも我が家の日曜大工をやってくれるPLに鍵をつけるにはどうしたら?、と相談したところ、とりあえず鍵の設置ができるドアノブに変える必要があるから、今度彼が我が家に来る時までに、ドアノブを外して、用意しておいてくれ・・・、ということになった。

 
で、さっそく、ドアノブをはずした夫。

で、さっそく、ドアノブをなくした夫。

やっぱり・・・・・、ね・・。


 ということで、鍵をつけて安心じゃなくて、ドアノブすらなくなってしまったドアは、ちょっとしたすきま風で簡単に、開いたり閉まったりするようになってしまった。なので、人を招いた時に、もっとドキドキする状況を、自ら作ってしまった哀れな夫・・・・・・・・・・・。

 玄関のすぐ隣にあるドア。招いた人が帰り支度をしながら、それにお供するように、ドアの前で会話が続くのだが、真面目な話を真面目な人としている最中に、ふわーっ、と、ドアが動き出し、禁断の書斎が見え隠れする・・・・。なかなかスリリングな一瞬だ。あとは、招待客に《見えなかったフリ》をしてもらうくらいしか、対応策はない。

 さて、4月中旬のこと。翌日に日本里帰りを控えていた私。その日の朝、突然夫がキレはじめた。どうも、夫の大切な書類がみつからないとのこと。で、《そんなのいつものことじゃねえか・・》と、馬耳東風でいたところ、今度は私に八つ当たりして、絡んでくる。それでも、適当に受け流していたのだが、最後の捨て台詞として《ゼロは、何にもやらないっ!!!!!。だから、こんなに家が汚くなっちゃったんだ〜っ !!!!!》と、わめきながら出勤していった・・・・・・・・・・・。

 そのとき、私の中で、何かぷッっと切れたと同時に、必殺仕掛け人の音楽が、頭の中で流れ出した。《キサマ・・・・・、上等じゃねえかっ !》

 本来なら帰国準備を優先したかったにもかかわらず、必殺仕掛け人になってしまった私は、何かに取り付かれたように、書斎の一大清掃にとりかかった。それは、ものすごい集中力だった。


みるみるうちに低くなっていく、切り通し。

みるみるうちにふえていく、ゴミ袋の数。

 
 9時半からはじめて、19時まで、ほぼノンストップで片付けた結果、書斎の床がすべて見える状況になったっ♪。意外に、この書斎は、広いのだ・・・、と、数年ぶりに気づいたほど。ただ、まだ、すべてが終わったわけじゃない。《捨てる》という言葉を耳にすると、反射的にその行為を阻止しようとする夫が帰宅する前に、証拠を隠滅しないといけない。

 なので、お次は、せっせとアパルトマン内にあるゴミ置き場と家を、巨大ゴミ袋を両手に何度も往復する。夫が家に近づいている波動を微妙に感じ取って、証拠隠滅するのに焦った私は、ゴミ袋かかえて、すっころんだりもしてしまった・・・、くそっ。そして、なんとか完全犯罪に成功した瞬間に、夫が帰ってきた。ギリギリセーフ。

 家に入った瞬間に固まる夫・・・・・・・・・・・・。言葉もでない様子。自分でこういうことをやり遂げることは不可能ゆえ、想像を超えた事態を目の前にして、身動きがとれていない。ま、とりあえず呼吸はしているようだが(笑)。で、開口一番、


夫《ゼロさぁ・・・・、何を捨てたの?。》

私《何も捨ててないよ、ただ、片付けただけ。》

夫《本当?。》

私《あったりまえじゃん》


 と、しらじらしい会話をしてみた。夫としても、私の言葉をまるっきり信じるわけにはいかなかっただろうが、それ以上に、実際に目の前にある、広いスペースが確保された書斎の効果が、それ以上彼に疑うことをストップさせた模様。が、私が日本に到着した途端、電話してきた夫は、また、


夫《本当に何も捨ててないの?。》

私《わかったよ、本当のことを言うよ、実際には雑誌を10冊だけ捨てたんだよ・・・》

夫《あ、10冊も捨てちゃったの?》

私《10冊ぐらいなら、いいじゃん、別に》


 と、再びしらじらしい会話。しかし、夫は、やはりちょっと抜けているのか?、と思ってしまったゼロでした・・・・。


2007年08月08日(水) 模様替えPart1

 母が、実家に住まなくなって、早くも1年半が過ぎた。その間に、すでに私は3回実家に戻り、空家状態の実家を管理している。ま、管理と書くと大げさだが、とはいえ、モノを捨てたり、整理したりと、やろうと思えば、することは無限にあったりする。

 以前の日記にも書いたが、その一環で、あらゆる不要と私が判断したものは、即座にゴミ袋に入れられ、クルマ一杯につまれたあと、清掃センターに直接私の手によって運ばれ処分される。そして、この行為がどうも病み付きになってしまった私は、実家に戻るたびに、何か捨てるものはないか?、と目を皿のようにして実家の中を物色して歩くことが多くなってきた。

 が、さすがに捨ててばかりいてもしょうがない・・・・・。お次は、母がいた頃には、微塵も考えなかった《部屋の模様替え》という可能性に気づいた私。恐らく、多くの人が実家を自分だけの好みで模様替えする・・・、なんてことは考えたことないだろうし、なかなか実行するには難しかったりするのではないだろうか?。というのも、そこにまだ親がいれば、親がそんなに簡単に子供たちの趣味だけで、自分たちの家を帰られることを望まないだろうし、もし、親がOKでも、他の兄弟姉妹が反対だったりとか、なかなか簡単にはいかないと想像する。

 しかし、今回、誰も邪魔する人間もいなくなった現在、禁断の(?)模様替えに、私はとうとう着手してしまったっ♪。昼下がりのコーヒーを飲みに、我が実家に遊びに来ていた近所の幼馴染MT嬢が、自分の家に帰っていった直後の、GWも過ぎたとある日の19時過ぎ・・・・。

 ふと、ダイニングに敷いてあるカーペットに目が留まったのが運の尽き・・・・。何度も気がつかないフリをしてみたものの、もう、どうにもこうにもカーペットの染みなどが強烈に気になり始めてしまった。これらには、もう2年くらい前から気づいていたのだが、まだ母が実家に鎮座していて《これをとっちゃうと、足元が寒いからやめてっ !!!》と、何度も言われていたゆえに、毎回我慢をしてきたものだった。

 で、とうとう、やってきてしまったチャンス・・・。30分弱躊躇してみたものの、気がついたら家具などを動かしだし、あっという間にカーペットをはがしてしまった後だった私。ああ、スッキリ。と、同時に、もうエンジンがかかってしまった私は、もうただただ、移動させた家具の中身までひとつひとつ吟味をはじめ、その80%以上を、ゴミ袋に入れ、また、他の敷物だの、カバーだの、そういったものは、徹底的に引っ剥がし・・・、という作業に気が触れたかのように、ひたすら没頭。

 《それにしても、なんで、うちの母親ってのは、カバーかけたり、敷物しいたり、こういう布に執着するんだっ ?!?!?!》と、常に憤りを感じながらの作業であった。ま、趣味の違いでしかないのだが、私は、カバーとかそういったものが、大嫌いなのだ。便座カバーとかも、実は嫌い。フランスにきて、こういったものをつけている家が、ほとんどないので、ホッとしている程。本のカバーですら、みな引っ剥がしてからじゃないと、読みすすめられないのも、私(汗)。

 安ホテルの部屋にある、ランプシェードなどもイライラするので、引っ剥がして、裸電球にして暮らしていたりすることも多々ある。そこを訪れる友人などは、《ああ・・・・、ゼロ、また、引っ剥がしているよ・・・・》と、私のことを哀れな目で眺めるのも恒例のこと。

 ダイニングのものを、あらゆるものを、思う存分引っ剥がしつくし、無駄な家具も外に出し終わったのが、23時ごろ、正味4時間の作業だったが、まだ、これだけじゃ終わらない・・・、ふふふ、お次は、デコレーションっ、というわけだっ。

 機能最優先な日本庶民のダイニングと違った、フランス庶民の《他人に見せる》ことが優先され、機能などはあまり重視されていないソレをイメージして、インテリアを変えていく。フランスの成金とかにディネーに招待されたりすると、そりゃすばらしい食器が出されたりするものの、肝心な食べ物の質が酷く悪いことが多々あったりする。

 一方、日本のほうは、適当な皿で出されたりしても、味の質は一般的に高い。アットホームだろうが、なんだろうが、うまいものを皆で食べるっ、という意識が最優先されているのが、アジアの食卓、と、私は思えて仕方がない。

 そして、どうしても、我が実家の実用性だけが求められた、飾り気もないダイニングの可能性を知りたかった私は、午前2時過ぎまでかかって、細かいところまで手を加え続けた。そして、すっかり雰囲気が変わった部屋に、さらに決定打が欲しかった私は、蛍光灯を消し、間接照明にしてみた。

 すると、どうだろう・・・・・・、あれ?、これ、あの実家?、というくらい、雰囲気がガラリと変わり、渋いジャズを聴きながら、冷やしておいた赤ワインSAUMUR で、働いたあとの口を、ゆっくりと潤していった。うーーん、自己満足な達成感ほど、気持ちがいいものはないっ、と、つくづく思いながら・・・・。

 翌日、再び近所の幼馴染MT嬢とその母君と3人で、母のいるグループホームへ遊びにいったあと、母を連れ出し4人で、我が実家にやってきた。そして、ダイニングに足を踏み入れると、MT嬢の母君は、《まあ、ゼロちゃん、まるで喫茶店みたいね〜♪》とのこと(爆)。うーーん、確かに、妙な喫茶店といわれれば、その通り。MT嬢は、その変わりようにかなり驚いていたものの、《また、ゼロ、はじまっちゃったのね・・・》という哀れみを、彼女からひしひしと感じられて、笑えた。

 そして、我が母は・・・・・、というと・・・・・・。

 アルツハイマーだからどうせ気がつかねぇだろー・・・、と、タカをくくっていたものの、予想に反して、母はダイニングの違いに気がついてしまったっ。なんだ、ちゃんとわかるのなら、ボケたふりしないでくれよ・・・、と、思ったほど(笑)。

 《ゼロちゃん・・・・、私の家って、こんなだったかしら?。なんか、ずいぶん広くなっちゃったみたいなんだけれど・・・?。気のせいかしら?。》

 と、真顔で尋ねられてしまって私は、《うん、前からこうだったよ、》と、真顔でしれっと、母に大嘘ついてみた。その会話を聞いていたMT嬢が、私の背後から《ゼロ、鬼畜ぅっ !!!》と、ブーイングをしていた。


2007年08月06日(月) 遺伝子

 掲示板に書き込みをしてくれた、Pandaさんに触発されての日記。

 私の見た目、特に輪郭や、目からはじまる部位などは、完全に私の父親似。化粧してようがなんだろうが、私の夫すら、私の顔の基本パーツは、父に酷似と断言される。

 が・・・・・・・。実は、私の基本は、母で成り立っている(涙)。どこまでも、母なのだ・・・・・・。顔が違っていようがなんだろうが、首から下は、私自身が驚愕するほど、まったく同じ・・・・。関節のつきかたひとつひとつまで一緒ゆえ、今やグループホーム住まいしている母とはいえ、風呂上りの彼女の身体をみて、30年後の自分を見るようでいて、眩暈がするほど。

 我が母は、ガードルというものを愛用している。で、私もたま〜に、そういうものを使用したりする。で、だ・・・・・・・・・・・・・・。それを身にまとって、ふと鏡の前に、己の姿をさらしてみると・・・・・・・、もう、絶望的なほど、私か母か、全くわからない姿が、鏡に映し出されていたりする・・・・・・・。

 さて、前述したように、顔の基本パーツは父親似である私ですが、とはいえ、ふとした表情などは、もう母のソレでしかなく・・・・・・。特に、ブーたれている表情は、自分でも笑ってしまうほど、瓜二つ。ただ、母と瓜府二つながらも、全体から醸し出す雰囲気は、父とソックリだったりして気色が悪い・・・・・・・・・・。

 一方、声などは、私はまったく母と一緒らしい。以前、自宅でヘルパーなどを雇っていた母。が、昔気質ゆえ、ヘルパーでもなんでも、誰かが自分の家を訪れるとなると、自動的に《おもてなしを・・・・》と、考えていた母・・・・。ゆえに、介護保険を利用したヘルパーの訪問だろうとなんだろうと、その時間の10分前には、お茶菓子を探しに、近所の和菓子屋に出かけてしまった母だった。

 ゆえに、ヘルパーが到着すると、母は不在・・・・・・・・・・・(汗)。ということで、○○さん行方不明・・・・、ということで、パリ在住の私のところに毎回、報告メールがきたほど・・・・。そのくらい、ボケたとはいえ、自分の家を汚いまま&何ももてなしをするアテもないまま、人を向か迎えられない・・・、という、昔ながらの気性が見え隠れして、個人的には面白かった。

 で、毎回、ヘルパーが来るとなると、どこかへ行ってしまう母だったので、いつのまにか、ヘルパーさんらが、我が家にやってくる直前に、母がいるかどうかを確認する目的で電話するのが習慣になっていた。

 そして・・・・・・。2005年の秋、私は、また3ヶ月の予定で実家に戻っていて、ふと電話を取った。すると、母専属のヘルパーからのものだった。で、私としては、普通に話したつもりだったのだが、ヘルパーH嬢からすると、《今日の母は、ちょっとだけしっかりしている・・》とぃう印象を得ただけで、それが、彼女が担当している人の娘だとは、これっぽっちも思わなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・、と、いうことだった。

 私自身も、確かに、《なんで、ここまで母のヘルパーさんが、幼稚園児を扱うように親切なのか?》とは、思ったものの、細かいことにはどうも思わない私の性格ゆえ、これらのことの深い意味を探ることは放置していた・・・・・・・・。

 が・・・・・、今回のPandaさんの書き込みもあって、あらためて思うのだが、是気払いにしろなんにしろ、意識しようのないところが似てしまう《悲喜劇》というのは、常日頃存在している・・・・、ということ。おまけに、私sと夫は、血縁関係ではないにしても、話し方と電話の出方が激しく似ている・・・・・、ということで、私を夫だと思って、私がわからぬ話を延々をする人が、日に日に増殖している(笑)。

 ただ、私と夫の電話の出方、および、私と母の電話の出方が似ているとはいえ、私の夫と母が似ているというわけではないのが、不可思議・・・・・・・、と、思う、ゼロでした〜♪。


2007年08月05日(日) トイレ

 夫を伴っての里帰りは、2年に1度の割合で行っていて、前回は2005年の10月だった。その前は2003年の6月だったのだが、2003年の7月の初旬に、私の母は、実家のトイレをウォシュレットに仕様にした。ゆえに、夫は、2005年の10月にはじめて、ウォシュレットッというものを経験することになったのであった・・・・。

 私は、2003年6月以降も、ちょくちょく実家にいたので、ウォシュレットのある実家というのも、あっという間に当たり前になってしまっていたが、夫にとっては、2005年の10月がはじめて。というより、ウォシュレットそのものをじっくり味わう・・・、という経験がはじめてだった、といっても過言でない。

 それまでにも、日本に来ていた際には、ウォシュレットには遭遇していたに違いない夫であったけれど、本当に毎日、色々な意味で十分にウォシュレットと格闘できる時間が確保できたのは、この時がはじめてだったと、私が夫の代わりに断言する。

 実家に到着した瞬間に、私は夫に《この装置、意外に快適だから使ってみるといいよ〜♪》と薦めてみた。が、夫は即座に《こういうのは、別に必要ないと思うんだ・・》と返してきたので、《あっそ !!!!》と、私の中で解釈し、それ以後ウォシュレットについて、夫と話すこともなかった。

 さて、この時の里帰りだが、日本に戻る直前に私が急病にかかってしまったため、恒例の日本縦断旅行をすべて中止せざるをえなかった。そして、1ヵ月にわたる日本滞在は、私の実家を主にしたものになったゆえ、それだけ、夫は我が実家のウォシュレットと密かに、そして毎日、戯れていたことになる。

 私が実際に、夫の口からウォシュレットの効用について、耳にしたのは2006年になってからのことだった。そして、意外だったのは、かなり夫がウォシュレットが好きだったということ、だ。そして、そういう感触を得た瞬間、ここでバカにすると、以後、全然夫の口から、《なぜウォシュレットが好きになったか?》という物語を聞けないと悟った私は、本当の性格とは裏腹に、ゆっくり&じっくり、そして辛抱強く&やさしく夫にインタビューしていった。

 最初は、色々あるウォシュレットのボタンの意味を理解するのが面倒くさかったらしい。そりゃ、もちろん、全部日本語だったし、もし、間違えたボタンを押して、水浸しでもなったら、さぞかし私にアホ扱いされるか・・・、と考えただけでも、慎重に物事をすすめたかったのだと思う。

 ま、とはいえ、慎重という言葉を用いたものの、彼なりでの慎重さでしかないから、きっと、こんなこと、あんなことが、密室で行われいていたのだろうと思うし、また、そうであって欲しいと思うのは、妻である私の密かな希望なのだが・・・・。

 2年おきに日本に行くたびに、夫は平仮名とカタカナの勉強を付け焼刃でやる。ゆえに、この時もウォシュレットというカタカナがすべて読めなくとも、例えば、カタカナでトとウだけが判別できたとしても、小さな《ッ》とか、《ォ》などは、わからないというレベル。で、夫は、時に、日本語勉強ドリル持参でトイレに入っていた模様。そして、ようやく理解しはじめた言葉を基に、ボタンを押して、《オシリを洗う》ことを始めだしたのだと思う。

 ソフトに洗ったり、ハードに洗ったり、色々な効能を、密かに楽しんだ挙句、夫はとあることに気がついた・・・・・。《別にBIGなメニューを選択する気もなく、トイレに入ったものの、ふとボタンを押してオシリを洗ってみたら、あ〜ら不思議、別メニューまで、まったく力むことなくスムーズに誕生して・・・・》ということだった

 これを、さっそく友人に話したところ、《それって、ウォシュレット効果じゃなくて、ただの浣腸効果なんじゃないのっ ?!?!》とのことだった。ま、確かにそうだっ(爆)。ともかく、1ヵ月間の、夫の秘密特訓の成果で、いまや彼はウォシュレット大好き人間になった。そして、フランスでも、単純機能のウォシュレットを簡単に購入できることがわかった現在、そう遠くない日に、我が家のトイレがウォシュレット使用になっていることは確かなことだろう。

 しかし、日本のトイレ革命はあくまでも私たち夫婦の先を行く・・・・・。この時の里帰りで、私は、新築したての知人の家に招かれた。この家の主は、最新なものが大好きだったことから、トイレに入ると、ドアの開け閉め&脱衣は自分でやるとして、他のすべては皆、機械任せというシロモノだったのには、私ですら驚いたっ!!!。便座の蓋の開閉なども全部機械まかせ。

 この私の経験の一ヶ月前に、横浜の某ホテルに宿泊していた私たち。部屋のトイレではなく、ロビーのトイレを選んだ夫だったが、彼がトイレに旅立ったあと、気がつくと20分以上が過ぎていた・・・・・。さすがに25分を過ぎた頃、《あれっ?、あのおっさん、脳溢血でも起こして死んだか?》と、心配し始めた頃、当事者がニヤニヤしてやってきた。

 で、《何してたの?》と尋ねると、あまりにもたくさんあるボタンに迷いに迷って、片っ端から押したりなんかして、楽しんでいたとのことだった・・・・・。例えば、単に流したいと思って、やっとボタンを選んで押したら、便座の蓋が機械音を鳴らして、ゆっくり閉まっていったりと、まるでSF映画のよう、とのことだった・・・・。


2007年08月04日(土) 立会人

 今年の冷夏に慣れすぎてしまった私は、本日、友人の結婚式の立会人として招かれていた。なので、《暑いから、めんどくせ〜云々》という理由で、さすがにドタキャンするわけにもいかず、夫と2人でヨロヨロと13区の区役所へ足を運ぶ。

 暑いとはいえ、結婚式などの祝い事にはふさわしい晴天。区役所に到着すると、すでに式を終えた夫婦&そのご一行などが、幸せそうに記念撮影などをしていた。参列者などもかなり気合が入っているようで、いわゆる《シャポー》を被った女性がたくさんいて、見学するには楽しかった。

 一方、私たちの友人YLは、今回が3度目の結婚式。そんな彼女の夫になるFは2度目、ということで、結婚式のエキスパートっ(笑)。ゆえに、YLのほうから、結婚式にはジーンズで来ればいいよ〜、等と言われていた。でも、さすがにジーンズは暑いし、結婚式にはどうかと思ったので、適当にみつくろった服装で参加。ただ、どうみても、気合は入ってないのは明らかだった、

 強烈に活動的な女性であるYLは、いつも動けることが最優先、というスタイルが主だったのだが、さすがに今回だけは、見違えるほど綺麗で、おしゃれなワンピースを選んでいた。彼女を見た瞬間、《おお、こんな格好しているYL、始めてみて、感動っ !!!!!》と、半ばバカにしながらも、誉めてしまったほど。

 人間、本当に幸せだと、こうも綺麗になるのか?、というぐらい、彼女はかわいかった。とても45歳にも見えず、また、結婚3回目のエキスパートともみえぬ、初々しさっ。また、新郎のFも、よっぽど今回の結婚が嬉しいのか、終始満面の笑み。もちろん、新郎新婦がちょくちょく見詰め合っているのが、なんともいい雰囲気。

 さて、いよいよYLとFの結婚式の順番がわまってきたので、皆でセレモニーが行われるホールへ向かう。私と夫は、もちろん新婦すぐ隣の、立会人席に着席。が、私は、本日は素人カメラマンの1人として写真をとる役目もあったので、すぐさま席をたって、区長の裏側にまわって、新郎新婦&参列者の表情が撮影できる場所に移動した。

 さて、式が始まった。区長が始めの挨拶をして、着席している新郎新婦に向かって、《立ち上がってください》と言う。そして、立ち上がる、新郎新婦。


そして・・・・・・、


彼らと一緒に立ち上がる、わが夫・・・・・。


えっ?、あんた、何してんのぉ?!?!?!?。


 なぜか、3人が並んで、区長の前に立っている・・・・・。 一妻多夫性の結婚式か?。区長の《立ち上がってください》という言葉が、どうも、自分に向けて発せられたと単純に受け取った夫は、胸を張って、満面の笑みで突っ立っている。そんな彼の姿は、幸せそうだ・・・・・・・・・。とはいえ、なんで幸せそうなのかは、わからないのだが・・・・・。

 あまり、夫の姿が幸せそうだったからかどうかはわからないが、区長も夫を制さず、このまま式が進んでいきそうになったので、私が小走りで夫の脇に戻り、彼のワイシャツの袖口を強烈に引っ張って、座ることの重要性を示してみた。

 あわてて周りを振り返り、自分だけが堂々と新郎新婦と一緒に立ち続けていたことに気づいた夫は、ちょっとだけ赤くなっていた・・・・・・・・・・・・。

 その後、夫が、幸せそうに、《新郎として》書類にサインすることもなく、無事に《立会人》として、区長の前で私と一緒にサインして、めでたくYLとFの結婚式は終了。あとは、皆でモンスーリ公園へ移動して、シャンパンのみながらピクニック。夜は、新郎新婦の家に移動して、遅くまで宴が続いた。

 あとで、新婦YLに聞いたのだが、本日のおしゃれなワンピースは、ちょうど今から10年前に2番目の夫と、10区の区役所にて結婚式を挙げたときのものなのだと・・・・。いやあ、こういう彼女の感性、私は大好きだっ♪。

 ちなみに、彼女は、1987年に一度目の結婚。そして、その次が1997年、そして、3回目の今回が2007年と、ちょうど10年毎に結婚しているとのことだ。さて、2017年、彼女はどうなっているのだろうか?。なかなか楽しみだ。


2007年08月01日(水) ちっぽけな粒子

 母方の祖母の咳払いのしかたと、母のソレは、背筋がゾッとするほど、ソックリ。小さい頃、うちにたまに泊まりに来ていた祖母の咳払いの瞬間までを彷彿させるほど、母が同じ咳払いをする。《あれっ?、おばあちゃんまだいたの?。》っと錯覚するほど。

 が・・・・・・・・・、どうも、私もまったく同じ感じで咳払いをするらしいことが発覚。高校時代から我が実家に住み着いていたとも言える友人MF嬢が、《あんまり咳払いが似てたんで、ゼロのお母さんが戻ってきたのかと思ったっ !》と言われ、驚愕・・・・・。

 そして、今年のゴールデン・ウイーク。わが実家に、いつものように半分住みついていたMF嬢が、同時にやってきていた、私のいとこH嬢(私の母の妹の娘)と数日一緒に過ごした時のこと。いつもだったら、昼前くらいにしか起きてこないはずの私の咳払いが、朝早くから聞こえたから、ビックリして飛び起きたら、それは、私じゃなくて、いとこH嬢のソレで、MF嬢が今度は驚愕・・・・・。


《H嬢よ、おまえもかっ ?!》


 あ〜あっ、いとこまで同じだよ・・・、と、思うと同時に、もう理屈を越えた、逃げも隠れもできない《血縁》というものを感じて、泣き笑いしそうになった。もっといいところが似ている等ならいいが、なぜに咳払いなのか?!?!?!?!。

 さて、いとこといえば、先月、父方のいとこES嬢が、お供であるHY嬢と一緒に、日本からパリに遊びに来ていた時のこと。母方からの《恐怖の咳払い連鎖》ほど、強烈で意味不明な類似はないにしても、私とES嬢の食べ方とか、そういった些細なことが、お供HY嬢の目には、ビックリするほど似ていたりして、笑えたとのことだった。

 母方と比較して、父とその兄(ES嬢の父)は、妙に兄弟の仲がこじれたまま、各々が早々と彼岸へ旅立っているので、私もES嬢もよくわからないことがたくさんある。そして、私たちの間で、長いことつきあいもまったくなかった事もあったので、余計、わからないし、影響もされていないものだと思っていたのだが・・・・・。

 そういった事情を超越して、やはりここにも《血縁》というか、説明はできないがどうしても似てきてしまう傾向などが、私とES嬢の間にも存在しているようだ。兄弟姉妹という2等親での類似なら当たり前としても、いとこという4等親での間柄でも、ここまではっきりとわかる類似点がある不思議。

 私の姑、通称《ばばあ》は、自分がいつも中心で、思う通りにすべてを仕切っていたいがゆえに、自分の親族、つまりは自分の妹家族とのつながりを強烈に大切にしている一方、自分の夫の家族とは、表面上の付き合いを保っているゆえ、なかなか、彼らと交流する機会がない。

 それでも、たまに開催される、《夫の父の兄弟の家族》の集いなどに出席すると、夫に雰囲気が似た、彼のいとこ(♂ばかり)が、うじゃうじゃとたくさん登場してきて、おもしろくてしょうがない。

 こうした2等親以上の類似点の発見を楽しんでいるうちに、結局、私たちは、ご先祖さまがあってこそ存在してるんだろうなぁ・・・、と、月並みながらも、普段はあまり意識しない事象に気づかされる。ま、確かに、産んでくれとか、頼んだ覚えはないとはいえ・・・(笑)。

 いずれにせよ、自分の意識する自分を超えて、すでに自分たちが存在させられ、そして存在する。《私》をもてあまし、《私》探しをし、《私》を見つけるたびに高い金を払い、そんな《私》に漬け込んだビジネスが存在し、なかなかスリリングなご時世とはいえ、《私はちっぽけな粒子》と開き直り、植えつけられた《私という呪縛》=エゴイズムから、さっさと脱してしまったほうがいいのだろうと、つくづく思うゼロでした。


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