ゼロの視点
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| 2007年09月30日(日) |
残暑はどこへ・・・・? |
帰国直前まで、私を悩ませていた腰痛も、なんとかなった模様。しかし、ウルトラディスカウントチケットではないとはいえ、所詮エコノミークラスでしかな身の私・・・・・。
腰痛が治りかけているのに、またあの狭い座席で10時間以上も座っていたら、壊滅的な打撃を受けるのか?!?!?!、と実は戦々恐々としていたものだったが、実際に空港でチェックインしてみたら、プレミア・エコノミーになっており、荷物も2つ以上合計45キロも預けることができて、嬉しさ百倍♪。離陸してからは、プレミアエコノミーからサービスされる、スペイン製のスパークリングワインをひたすら飲み続け、程よく熟睡。
成田に到着すると、一瞬、南国に到着したかのような、モワっと身体中にまとわりつく熱気を感じて、日本在住の友人連中の日本の気候についてアドヴァイスが決して間違っていなかったこと実感。その後、スーツゲットをゲットして、税関も無事通過、実家最寄り駅までのリムジンバスチケット購入、ジャパンレールパス引き換え手続き、日本用携帯電話プリペイドカード購入&登録、友人知人らに《無事日本到着携帯メール》などを済ます。
携帯メールを打ち出すと、恒例の儀式のごとく、使い方を間違る・・・・・。日本に到着した瞬間には、フランスで使っている携帯電話のボタン配置で文字を押してしまい、それを《アー》だの《ギャー》だのと独り言を言いながら、修正する作業が続く。たった数行のメールなのに、かなりの時間がかかるのでイライラする。そしてようやく日本用の携帯の扱いに、再び慣れはじめた頃、実家にほぼ直通なリムジンバスに乗り込む私。
この道中も同じく、今の私には、すっかり《慣れた道のり》となってきつつあるようで、バスに乗り込んだ瞬間に睡魔に襲われた私は、実家最寄り駅に到着するはずである時間のちょっと前に目が覚める・・・・・・。が、今回は残念なことに、目覚めた地点の景色は、最寄り駅近くのモノとはほど遠く、実家予定到着時刻に大幅に遅れが出ることを悟り、実家に私より一足早く入り、色々と夕食の準備をしてくれている、従妹のH嬢&幼馴染みMT嬢に《私の現状》ついてメールを送る。
すかさず、H嬢が今晩のメニューをメールで《秋刀魚の炊き込みご飯》と報告してくる。それを読みながら、生唾を飲み込む私。別にリムジンバス運転手個人のせいではないとはいゆえ、このオッサンを急かして、一刻も早く実家に到着したい思いに激しく駆られる。それほどまでに、《青魚》が、この世で一番の好物な私は、一人リムジンバスの中で“無言”ながらも、“おあずけを食らった気分”を表現するかのように、もだえ苦しみモゾモゾと意味不明に動いてみる・・・・・・・。
ようやく予定より一時間強遅れで実家に到着し、玄関に入った途端、夕飯の《美味しそうな匂い》が実家中に漂っており、嬉しさと食い気で眩暈を起こしかけたまま、実家のキッチンへ入っていき、H嬢&MT嬢に《上げ膳据え膳》してもらい、ビール飲んで旨い料理頬張って・・・・・、と、到着した瞬間から桃源郷へ一気にワープしていった私だった。
機内では2時間強睡眠し、リムジンバス内でも予想通り睡眠したあと、実家に到着した直後からの美食&美酒&楽しい雰囲気にすっかり気分をよくした私は、日本時間でちょっと夜更かししたかな?、というような頃合に床につき、一度も目を覚ますことなく、同じく日本時間&日本人感覚で寝坊したかな?、という時間まで熟睡。ということで、到着初日から、時差ぼけの弊害もなく、そこにいつもすんでいる日本人のように、快適に過ごすことができ、本当についているっ♪。 さて・・・・・、H嬢&MT嬢と一緒に晩餐を楽しんでいるときは、実家の窓を開けたうえで、網戸にしたまま虫等の鳴き声を聞きながらの“夕涼み気分”で過ごしていたのにもかかわらず、酔っぱらって熟睡して目覚めた後は、私が先日まで過ごしていたパリとほぼ同じ気温になっておりビックリ。結局、気づいたら、日本でもパリと同じように室内でフリースを着て過ごすハメに・・・・・(汗)。
日本に発つ直前まで、あんなに今年の残暑を恐れていた私だったが、蓋を開けてみれば、私の日本到着と同時に、関東はパリとほぼ同じ気温になってしまったようだった・・・・・・。あまりにも、友人らに洗脳されて暑い日本を想定してきていた私の荷物には、常夏仕様の衣類があるのがしゃくに触るが、とはいえ、今の自分が一番慣れている気温で日本でも過ごる・・・、というのがラッキーかな?、と思えてしょうがないゼロでした。
| 2007年09月26日(水) |
シンクロニシティ?! |
腰痛に苦しんでいる私は、友人SBから今晩の演劇に招待されていたものの、ほとんぼキャンセルするつもりでいた・・・・。が、夫が《SBが数少ない席を私達に用意してくれているのだから、なんとしても観にいくべきっ !!!!》と、鬼のようなことを言うので、ふてくされたまま出かけてみた。
家からもほど遠くない劇場だし、ま、少しだけ腰痛もよくなってきたから、2時間ちょっとならなんとかなるかな?、と思いつつ、座席につく。本来は、10月2日から一般公開される演劇なのだが、本日は、関係者を集めての舞台。関係者といっても、私達の場合は、この舞台に俳優として出演するSBの友人、というだけなのだが・・・・。
さて、場内に入り、座ってみると予想外にいいシートで、腰にやさしいのが嬉しいっ♪。ホッとした勢いで、いつもの好奇心が蘇ってきて、キョロキョロと周りを見渡しまくっていると、見知った顔がチラホラ。皆、私達と同じく、SBの友人枠でやってきている模様。ゆえに、あっちこっちで、お互いに手を振り合って挨拶。
演劇は、昨年の春に《Toc Toc》を観て以来のことなので、1年半ぶり。この時は、爆笑しまくったものだったが、果たして今回はどうか?、と思いながらしばしボーっとしていると、ようやく舞台監督が挨拶をはじめ、そのあと、ようやく場内が暗くなった。
で、幕があがると・・・・・・・・、主人公のひとりが《ギックリ腰》で、悶え苦しみながら四つんばいで舞台に登場してくるではないかっ!!!!!!。
主人公よ、あんたも腰痛なのぉぉおっ?!?!?!?!。
ちょっと動くたびに痛がる演技に、自分を投影してしまうぐらい、妙に親近感の沸くシーンが続く。しかし・・・・・・、何の因果で、劇場に足を運んでまで、腰痛な人間を鑑賞しなきゃいけないのか?!?!?!、と思いつつ、こういうのをシンクロニシティというのか?、等と自問自答して遊んでみる。
実は、この演劇はあの有名な映画《Le dîner de cons /奇人たちの晩餐会(邦題)/ Francis Veber 監督1998年仏》の、舞台版。で、私はこの、フランス国民誰もが知っている?、と言っても過言ではないこの映画を、実は観たことがない(笑)。だいたいのあらすじなどは、色々な人から聞いていたが、それでも、ストーリーを詳細に知らなかったので、舞台がいきなり腰痛ではじまるなんて想像もしていなかったのだ。
映画で名優の故Jacques VilleretのFrançois PignonをDany Boonが演じ、そしてThierry Lhermitte のPierre BrochantをArthurが演じる。2人の演技がメインで、これに他の俳優やら女優が絡んでくる。そのうちの一人が、私達の友人SBこと、Stéphane Bierry 。
彼は、やはりフランスでは懐かしくも有名なコメディー映画 で、同じ監督による « Les compères (1983) / Francis Veber 監督»にて、コミックの大御所Pierre Richard と、あのGérard Depardieu という凸凹コンビの息子役として、映画デビューしている。そして、この映画で、大ボケ役の主人公をPierre Richardが演じているのだが、彼の名前はもちろん、 François Pignonだ。
さて、舞台で主役を張る2人はかなり有名なのだと、観劇にきていた脇役俳優の友人ZWに教えてもらってビックリ。というか、私達が彼らのことを全然知らないことについて、ZWのほうが驚いていた(笑)。特に、Arthurはテレビにしょっちゅう出ているらしいのだが、いかんせんテレビをほとんど見ない私達ゆえ、しょうがない・・・・。
また、Dany Boonについては、俳優の故・成田三樹夫とメロリンQの山本太郎を足して2で割ったような顔が気になったのと、彼の目が無垢な感じがせず、今ひとつ笑えなかったが、それでもリズムとシナリオでトータルではかなり笑ったほうかもしれない。
舞台が終わり、外に出ると友人らが、一緒にディナーでも・・・・、と私達を誘ってくれたものの、調子にのって腰の具合がまた悪化したら最悪なので、私が《腰痛がひどいから帰る・・・》と答えると、《舞台と一緒じゃんっ !!!!》と、みなに爆笑されてしまった・・・・・・。いやあ、笑わせようとして言ったわけじゃ、決してないのだが・・・・・・・(涙)。
先週はずうっと風邪をひいていたので、極力外出を控え、家でじいっとしている日々だった。そのおかげか、先週の終わりには、風邪はほぼ完治したのだが、あまりにも家で《じいっと》しすぎていたのが原因で、腰痛になってしまったっ!。そんなバカな・・・・・・・・・・・・っ(涙)。
ほぼ生まれて初めて・・・、の腰痛体験。これは、スゴイ。動けん・・・・・。ぎっくり腰ではないのが救いだが、それでもかなりキツイ。ちょっと動くたびに《アイタタタタタ・・・》だのなんだのと、すっかり気分はばあさん。朝から晩まで《アイタタタタタ・・・》と私が言っているので、夫もこのフレーズを覚えてしまい、オウムのように真似するようになってしまった。が、むしろ「あたたたた・・・」と夫は元気よく発音するので、北斗の拳のケンシロウのようにも聞こえるのが不思議だ。
それにしても、日本に帰る直前に体調を壊すのは、今回が初めてではない・・・。2005年の秋の里帰りの時も、出発1週間前に突然の高熱に襲われ、大変な目にあったことがあった。普段は発熱とは無縁な生活をしていた私なので、42度の熱には、さすがにビックリ。
42度発熱したまま、ネットで、《42度を超えた場合は、脳にもダメージがある》とかなんとかいう文章を発見して、妙にファンキーな気分になったものだった。高熱すぎて医者にも出向けなかったので、何度も医者に往診してもらったものの、原因はわからず、日数だけが無駄に経っていった。
弛緩熱という、熱が上がったり下がったり一定の状況ではない熱の出方をしていた私。突如、強烈な震えが襲ってくる。《わざとやってんの?》ぐらいナ勢いで身体ガタガタと震えだし、その振るえが消えた頃には42度になっている・・、というわけだ。あまりにも、急激に発熱するので、強烈な寒気が伴うのらしいのだが・・・。
あまりにも私がガタガタするので、ベットが一緒に音をたてて揺れるほど。オカルト映画のような雰囲気に、夫の腰がひけてきているのが感じられる。発熱に無縁だった私は、昔から色々な人に、高熱になると天井が回っていたとか、世界がゆがんでみえたとか、色々なイメージを聞かされていたのだが、実際に自分がその状態に陥ってみると、別に何も変わらなかったので、ガックリ。
そしてようやく歩ける時間をみつけて近所の医者に出かけたところ、その医者が私の身体を丹念に触診した結果、ちょっと腎臓部分が腫れているのを発見、そして、この症状が《急性腎盂腎炎》であることを見抜いた。そして、この症状に効く薬を処方してくれ、みるみるうちに熱はさがり、飛行機に乗る数時間前になんとか外出できるようになったわけだった。これぞ、本当にギリギリセーフ。
あさっての夜には、私は飛行機の中なのだが、今のままだとヤバイ・・・・。なんせ腰だからなぁ・・、この状態で、あの狭いエコノミーに座り続けたら、成田に到着した頃には、完全に動けなくなっていそうで怖い・・・・・(号泣)。ということで、これから、いつもの医者に診てもらってくることにした。困った時の、痛み止めとかわんさか処方してもらおうと思っている。
飛行機に乗れるか否かを杞憂しながら、熟睡していた私は、日本で友人・知人と、会う人全員に《腰痛が酷くて・・・》と大げさに吹聴しまくって、皆の同情を買うようなことをやっている夢をみた。あまりにもリアルだったので、目が覚めたときに、まだ自分がパリの家にいるのが信じられなかったほど。
それにしても、日本に到着したら、あっという間に治っている・・・、なんてこともありそうだ・・・。私は、非常にダイレクトな性格ゆえ、嫌なことなどがあるとそれがすぐに顔にでるし、言葉なっても出てくる(主張&抗議)。それでもダメな時は、身体に出てくることがある。学校へ行きたくないからお腹が痛くなる・・・、というような・・・(汗)。ま、ようするにガキなんだろうけれど・・・・。
ゆえに、きっと、この期間に、潜在意識下でどうしてもやりたくないことがあるんだと、私は私を推察している(笑)。今、やらないといけないようなことはたくさんあるのだが、だからといって、やらなくともなんとかなるのだろう・・、きっと、と、適当に考えている。私がいなくとも、世界は回っているわけだし、出発ギリギリまで寝たきりでいようかな・・、と。ということで、私はこれから、腰痛を抱える人独特の、妙ながに股歩きで、ヨロヨロと医者に行ってきま〜す。
私の足のサイズは41。日本のサイズに変換すると41は約26.3cmだそうだ。自分でいうのもなんだが、ううーーん、確かにデカイ・・・・っ。ゆえに、日本ではなかなか靴をゲットできない・・・。大きいサイズ専門の店というのも昔から存在していたが、デザインがイマひとつ、じゃなかったら、ただただ高いというように、いつもデカ足の私には、靴選びの不幸がまとわりついていた・・・・。
一方、フランスでは、ノーマルなサイズの人たちと一緒のデザインものが、またまた同じ値段でいつでも購入できるので、本当にラッキー。普通サイズの人には、決してこの《靴を選べない苦しみ》と《靴を選べる嬉しさ》はわかるまいっ!!!!!。
さて、私は足もデカければ、身長もデカいのだが、なおかつハイヒールが好きなので、外出時には180�僂呂罎Δ砲△襦I廚�179�僂覆里如▲魯ぅ辧璽襪了笋砲舛腓辰箸世姥�下ろされることになる。で、これを非常に毛嫌いする夫。どうも《見下ろされる》ことに腹が立つらしい。
私も夫も、普段、歩く速度がかなり速い。私達2人と同じ速度で歩いているうちに、息切れしたしたり、小走りになっている人が続出。で、こういう時も、かならずヒールを履いている私だが、この際のヒールは、それなりに厳選されたものなので、いくらでも早く歩ける仕組みになっている。
一方、ある程度、TPOに応じて着飾ったときのハイヒールとなると、さすがの私でも歩く速度はかなり落ちてくる。で、こちらの不自由さもわからずに、さっさといつもように歩く夫にイライラして、喧嘩になったりすることも多々ある。
夫『そんな靴はいてくるからだっ !!!!』 私『この格好で、いつもの靴は似合わないんだよっ !!!!』 夫『タダでも背が高いのに、これ以上高くなってどうしようというんだっ !!!!』 私『見下ろされたぐらいで、カチンとくるなんて、肝っ玉小さいんじゃ、ばーか!』
と・・・・、私も火に油を注ぐので、夫がもっと早足になって遥か彼方に行ってしまったりする。で、到着するまで別行動ということも別に珍しいことでもない。
が、先日、突っかけサンダルタイプのハイヒールなモノを、部屋の真ん中に脱ぎ捨てたままにしておいた私。そんなサンダルを見て、ふと好奇心にかられた夫が、私のサンダルに足を入れてみたら・・・・・、な、な、なんと、スッポリ入ってしまった模様。
あれ、あんたの足のサイズ43じゃなかったっけ?!?!?!?、と思ったものの、まるで夫のために作られたかのように、サンダルはピッタリと彼の足に納まっているっ!!。しかし、サンダルはピッタリなのだが、どうもそれを履いて歩くにはシックリこないようで、夫の姿はまるで膝曲げて、《宇宙遊泳》している変な生き物みたいである。
フワフワと、それこそ《地に足が着かない》感じで、心細くも私のサンダルで部屋を歩き続ける夫の耳元で、《これが石畳だったらどうるす?》《これがメトロの中だったらどうする?》《階段を走って降りられる?》と矢継ぎ早に囁いて、シミュレーションさせて、ハイヒールを履く人間の立場を納得させてみる。
すると、これは効果覿面だったらしく、ヒールを履いて歩く女性の技術一般に敬意すら、夫は感じた模様(笑)。と、同時に、こんなにも面倒くさいものを、なぜ敢えて選択するのか?、ということがサッパリわからないらしい・・・・。
さて、この数日後、家の隅に脱ぎ捨てられいていた同じサンダルを、我が家に遊びに来ていたスキンヘッドなCがめざとく発見。そしてCは、自分の靴を脱ぎ捨てて、するっと私のサンダルに足を滑らせる・・・。もちろん、スポっと、問題なくソレは彼の足にはまっていき・・・・・・・。
そしてCは、数日前の夫と同じように、私の目の前で《宇宙遊泳》をはじめた。スキンヘッドな分、余計、宇宙人のよう・・・・。トライアスロンで鍛え上げられた彼の身体も、ここまで足元が不安定だと、かえって滑稽に見えるから笑える。で、彼も一言《女ってのは、面倒くさいものを履いているもんなんだなぁ・・・》と、何度も呟いていた。
そういえば、日本でも、実家の玄関に脱ぎ捨てておいた私のハイヒールを見て、ふと好奇心にかられて足を突っ込んだ♂がいたのを思い出したっ!。そう、それは従姉H嬢の彼、F氏だ。彼も、私の靴を履いた瞬間、ユラユラしはじめ、後ろにそっくり返りそうになった瞬間を、バッチリとカメラに収めさせてもらったのだった・・・。
私が、人にトライさせたくなるようなカタチで靴を脱ぎ捨てるのが得意なのかどうかはわからないが、とにかく、こんなに簡単に男性に足を突っ込まれても大丈夫なサイズのデカ足な自分・・・・、というのが、ちょっとだけショックというか、なんというか・・・・・・・。
日本への出発を1週間後に控えて、現地天気予報などについての記事をちょくちょくネットでチェックしている日々・・・・。にしても、今回の日本は、まだ暑そうで・・・・・・・・・・・・・。
今年の夏は、ヨーロッパ南部のギリシャ、イタリア、マケドニア、アルバニア、ハンガリールーマニア、ブルガリア、クロアチアなどの国が、連日40℃〜45℃という猛暑と干ばつに襲われていたのだが、フランスは冷夏。それも驚異的な冷夏・・・・・・・、で、連日寒いのなんのって・・・・。
6月はまだそれでも夏のような天候もあったが、7月8月は太陽なんて世の中に存在するのか?、ってくらい日差しもない、肌寒い日々が延々と続いていた。家の中で、じいっとパソコンの前に座っている時など、あまりにも寒いのでフリースを羽織ってないと、風邪をひきそうなほど。
最高気温も、20度ちょっとあるかないかという冷夏のまま、このまま冬になっていくフランスで暮らしている私が、例年にない猛暑に未だに襲われている日本へ里帰り・・・・・・。9月の末だったらなんとかなるだろう・・・、と思っていたのが、どうも甘かった模様。
数日前から日本の友人・知人にかたっぱしから体感温度状況をメールで報告してもらっているのだが、メール読んでいるだけで熱中症になりそうなほど、日本はどうもまだ《夏真っ盛り》のようで、アタマがクラクラとしてきて気が遠くなってくる・・・・。
昨年の6月のモロッコのフェズへ行った時は、熱波が襲ってきていて連日40〜45度だった。湿気はまるでなかったが、この気温で朝から晩まで観光していたことを思い出してみる・・・。じゃなかったら、2003年のパリをフランスを襲った史上最高の猛暑の記憶を蘇らせてもみたが・・・・・・・・。
いやあ、やっぱりだめだ・・・・・・・・・。もう身体が冷夏仕様になっているようで、どうもピンとこない。ピンとこないから、荷造りするにも、どんな衣類を選んでいいのか見当もつかない・・・・。ちなみに私は、11月末まで日本滞在。なので、これから先、どこまで日本が寒くなっていくのか・・・、というところまで見込まないといけないのが、非常に面倒くさい。
実家にも衣類はまだ残っているとはいえ、TPOに合わせた服装となると、やっぱりパリから背負っていったほうが便利な場合が多い。例えば、私の靴のサイズは大きいゆえに、日本でいざパンプスがほしいと思っても、なかなかみつからなかったりと、不便が多いのだ・・・・。同じく、私は背が高いゆえに、ジャケットひとつとっても、袖の長さなども、フランスでみつけたモノのほうが縫製は悪くても、見た目はシックリくることがあり、これまた、日本では見つけにくいのが難点・・・・・・・・・・・。
私は1週間後、夫は3週間後、友人2名は4週間後にそれぞれ日本に到着するのだが、本当に出発直前になってみないと、衣類の準備は難しそうだ・・・・。
そういえば、今年の春先に里帰りした時にも、日本出発直前に、今回と同じようにメールのやりとりを現地の友人・知人として、全員が《スゴイ寒いし、今でもストーブつけている》ということだったので、《よっしゃ !!!!》とウールの短めのジャケットを羽織って戻ったら・・・・・・・・。噂されていた寒さは、到着して数日の間だけで、あとは、暖かくなっていく一方だった・・・・・。
また、この7月初旬に日本からパリへ来た友人SF嬢夫妻。一応彼女らが来るまえに《パリはマジで寒いよっ !!!!》と伝えておいたのにもかかわらず、彼女なりにうけとめた《寒さ》というのと、私が伝えたかった《寒さ》の間にはかなりの温度差があったようだった。結局彼女、フランスに持ってきていた、たった一枚の長袖のブラウスで、道中を過ごさざるを得なかった(笑)。どの写真を見ても同じ格好をしているSF嬢・・・・・(笑)。
日本とフランスと何度となく往復している私であるが、いつも夏を避けてきていた。そのくらい、日本の夏が大嫌いな私。祭りがあろうと、風情があろうと、梅雨から真夏にかけては絶対に日本にいたくないのだ・・・。いつぞやは、成田からパリ行きの飛行機に乗った瞬間に、関東が入梅したこともあった。この時は、ギリギリセーフで梅雨を回避できて、妙に嬉しかったものだった。
とにかく、《暑さ寒さも彼岸まで》というように、一刻も早く、日本の残暑が収まってくれることをひたすら祈って止まないゼロでした。
昨日、友人SF嬢の父上が亡くなったとのメール・・・・。そして、今、私がこれを書いている頃、日本ではSF嬢が中心になって、通夜だの葬式だのと悲しみきる暇もなく、動き回っていることだろうと想像する。
そして、ふと、今まで私が参列してきた葬儀の記憶が、まざまざと蘇ってきた。結婚式と葬式のどちらに慣れているか?、と問われれば、私の場合は、疑う間もなく《葬式》と答えることができる。とはいえ、喪主として葬式に出たことは未だないので、葬式の手順を問われたら全くわからないのだが・・・・、ま、とにかく、葬式にはなんだかんだいって縁があったりする。
私が一番最初の記憶にある葬式は、自分の父親のモノ。私が6歳の時のことだったが、今でも、様々なシーンを今でもハッキリと覚えている。父の様態が突如悪化して、こちらが予想する以上前に、あっけなくあの世に逝ってしまった瞬間から、母が悲しむ時間もなく、書類手続き、葬式の準備、連絡作業だのと、忙しくなっていった。そして、朝から晩まで、数え切れない人数が我が家を出入りし、葬儀の日には交通整理の警官まで来ていたほど。
幼かった私には、葬式があまりにも《賑やか》だったため、コレを《祭典》と勘違いしかねない程私が楽しみだした時、すべてが終了。宴の後とはよく言ったもので、皆がいなくなり、ガラーンとなった家に、母とたったふたりきりで取り残されたような印象を、身体全体で味わったものだった。
次に、父とほぼ同時期に亡くなった、父の姉の葬式も立て続けにあり、またまた色々と参列者からお土産をもらい(ぬいぐるみやリカちゃん人形)、《葬式ってのは、やっぱり素晴らしいのか ?!?!?!》と、またまた勘違いしそうになっていた、あの幼かった日々・・・。
そして、その数年後には、父の兄が亡くなり、青山斎場に足を運ぶと、また、これが盛大な葬式だったこともあり、《やっぱり、葬式は祭りなのか?》と、これまた勘違いしそうになっていた私。
一方、自分の父親の葬式の前には、私の母の父親、つまりは、私の祖父の葬式があったはずなのだが、これは、なにをどうしようにも、全く記憶にないのが残念。というか、祖父の記憶すらないのが、全くもって残念。どんな《おじいちゃん》だったのか?、と、後になって母やその姉妹に尋ねたこともあったが、皆が《あんたのおじいちゃんはつるっぱげで、宇宙人みたいだった》と洗脳され、今や、自分の母方の祖父は宇宙人だった・・・、としか思えなくなっている自分が、ちょっと怖い。
《あんたのおじいちゃんは・・・》と言うが、《あんたたちのとーちゃんは》と、私だって言葉を置き換えられるのを彼女達は知っているのだろうか?!?!?!?!。
さて、1992年秋に、母方の祖母が亡くなった。この時は、私と母を除いた、ずべての親族が号泣し、瞼を腫らしていたのが、これまた印象に残っている。なんで、私と母が泣かなかったのか?、それとも泣けなかったのか?は、わからないが、そのくらい、母の姉妹たち、そしてその子供達が手離しで悲しみを身体中で表現していた。
そして、私は泣かなかったとはいえ、さすがに《葬式は楽しいこと》だと思うことは不可能で、終始神妙な顔つきで参列していたものだった。そしてこの経験を皮切りに、《葬式は楽しいこと?》と勘違いしそうな幼児体験を重ねていた私は、違った側面の葬儀というものを体験したことになる。
が、が、が・・・・・、祖父の遺骨を拾い上げる時には、皆、妙にハイになってしまっていて、ただの爆笑タイムになっていたことも、ちゃんと覚えている・・・・(汗)。
これ以外にも、近所の人の葬式だとか、そういったことには参列してきていた私だったが、日本からフランスに移ったあとの葬式体験には、悲痛なモノが多い・・・・・・。ま、それだけ、私の大人になり、他者の痛みが余りあるほど想像できる人間に、私が少しだけ近づいた・・・のだろうか?。
今年、フランスに住んで10年目にある私だが、葬式参列回数はあとちょっとで、両手で数えられなくなる。ということは、ほぼ1年に一度は、葬式に参列している・・・、ということだ。これが統計的に多いことかどうかはわからないが、親族の葬式というのではなく、友人・知人レベルで葬式があると、これはこれで衝撃的なものだったりする。
《あんなに元気だった人が、なんで突然?!?!?!》・・・・、という感覚。そして、典型的なカトリック式な葬儀にはじまり、ユダヤ式、無宗教式等、様々なタイプもそれなりに経験。おまけに、4度の葬式は、皆、夫に先立たれた場合のもので、その妻らが皆30代っ!!!!!!。
土葬される夫の棺と一緒に、生きたまま墓の穴に崩れ落ちていってしまうのでは?、という妻らを4度も目撃すると、さすがに心に迫るモノがある。と、同時に、ここまでこういったモノを見せ付けられたというのは、もしかして、今だからこそ、自分の母親の心境を知ってみろ、ということなのか?、と思ったりする。
母は41歳で未亡人になったが、今、私が40歳。母が40歳の時には、翌年にはまさか自分の夫が死ぬとは、母が思っていなかったとしても、それでも、結婚する時から、9割以上の人が、母よりも父のほうが先に逝くと断言できたであろうほど、私の父はそれなりの持病があった。ゆえに遅かれ早かれ、夫が、自分先に逝ってしまうことは、母は潜在意識でちゃんと判っていたのではないか?、と思っている。
だから、あまり母には同情してないが、それなりの覚悟があった母に対しては、同じ女性としては、ちょっとだけだが一目置いている(笑)。そして、そこまでの決心をして結婚をできるか?、と問われれば、私にはできんなぁ・・・、と告白せざるをえない。 ところで未亡人といえば、ばばあこと、私の姑。で、彼女は、ここ近年はずうっと友人・知人の訃報ばかりで鬱になると常々ホザき続けているのだが、《あったりめーだろ、おまえはばばあなんだからっ!!!》と、ばばあを容赦なく切り捨ててきた私。
ところが、最近になって、それはそれでわかるような気がしてきた・・・・・。ま、さすがにわかるようになってきただけであって、ちゃんとわかるわけじゃないのが救いだた・・・・・(汗)。とはいえ、80代にでもなれば、めでたい話よりも葬儀の話題ばかりなるのだろう・・・、と、妙な実感を持って理解できるようになってきた・・・。
意識しようがいまいが、毎日新聞を手にすると訃報欄から読んでしまうという姑。で、そんな話を聞いて、幼少の頃は、新聞は訃報欄から読むものだと思っていた私・・・(訃報欄に父をはじめとする一族それぞれの死が、それぞれ掲載された幼児経験もあって・・・)という姑と自分の相違を、それなりに楽しんでいるが、好奇心ではなく、その欄に自分の友人の名を発見することが日常になってきたら、それはそれでかなりツライだろうなぁ、と思われる・・・・・・・・・・・・・・・。
さて、SF嬢の話に戻るが、やっと自分の人生を感じてきて始めてやっと、他者の痛みなどにも感受性を抱けるようになってきた私。なので、同じ父親を喪失した体験があったとしても、私のソレは幼児体験でしかなく、痛みを全く伴わなかった。
が・・・・・、実父が弱っていく様を、我が目で見聞し、世話をしたSF嬢の《父親喪失物語》とは、比べ物にならない。そして、今現在も、色々と葬儀の段取り等で忙しいSF嬢、がんばりすぎて倒れないでおくれましね・・・。そして、父君の冥福をお祈り申し上ます・・・・。
日本へ里帰りする日々が刻々と近づいてきている。こうなると、実家に到着した途端に動けるように、今からあらかじめアポをとってスケジュール調整したり、残務処理とばかりに、パリの自宅を離れるまでに処理できることは処理したり・・、と、非常にバタバタしてくるのが常。
今回は、夫もあとから参加してくるし、その後には、仏人♂の友人2名も、わしらに参加してくる・・。となると、事前に、成田に到着するまでと、到着したときにすること・・・、などの説明等もきちんとしておかないと、面倒くさいことになりかねない。
ということで、《日本旅行勉強会》という名目で、夫&友人2名の総計3名のオッサンを目の前に、日本に来る《ココロエ》を、とくとくと語ってみた。私の基本は、面倒をみすぎないこと・・・。なので、説明は、あらゆることを先取りしてするけれど、それを理解して実行にうつすのは、彼らの使命であり、そこで任務に失敗したとしても、《わたしゃしらないよ〜》というのが基本姿勢。
適度に軽いジャブ(=脅し)を打ちながら、私は彼らに説明していくのだが、日本人と違って、このオッサンら、こっちが気を抜くとおしゃべりばかり。で、話題がどんどん脱線し、おまけに、皆が同時に私に違うことを質問してくるから、たまったもんじゃない・・・。
とはいえ締め付けるのも、アホらしいし、いかんせんこっちのエネルギーがなくなるので、《ドッグラン》でアホ犬たちを適当に走らせた挙句、ピーッと笛ふいて整列させる・・・、みたいなやり方を随時とることにしている。で、結局、笛の音も聞こえずに、燃料がきれるまで走り回っているのは、いずれにせよ私の夫でしかないのだが・・・・・(汗)。ちなみに、成田に到着したときに、オッサン等がすぐにやらねばならないのは、以下の3点。
�_罎�実家最寄り駅まで直通の、リムジンバスチケットを購入すること
�▲献礇僖鵐譟璽襯僖垢琉�き換え手続き
�7搬單渡奪譽鵐織觴蠡海�
以前、夫に一人で成田から新宿まで、成田エキスプレスで来てもらった時は、英語バイリンガル&旅行なれしている夫は問題なくやってきた。が、いかんせん、アタマに重大な問題がある夫は、なぜか成田エキスプレスの切符を2枚かって、あらかじめ渡しておいた1万円札のほとんどを、新宿に到着するまでに使ってしまっていた・・・・。
成田まで迎えに行くのは無駄な出費ということで、私は成田へ夫を出迎えに行かなかったというのに、日本に到着するやいなや、豪快に出費する夫・・・・・・・。これぞ、元の木阿弥・・・・。ということで、英語ができるとか、旅行なれしているなどというのは、もはや安心できるコトには勘定されない。
7月の下旬から、この3人のオッサンには、つねに同じ資料を配り続けている。旅行の手引きもあれば、観光ポイントについての裏情報から、形而上学的見地に基づくおもしろ文献なども、随時発見するたびに、オッサンに配信してきているのだが、この日の説明会までに、すべての資料を読みこなし、きちんと保存していたのは、PTだけだった・・・・・。
パリのど真ん中に、某巨大ショッピングセンターを誕生させて、かつては《できる男》として名を馳せたMGは、資料ことキチンと保存していたものの、どうも他力本願・・・・(汗)。説明会だ・・・、というのに、パスポートナンバーなども控えてこないし、私が、膨大な時間をかけて作成した、旅行に関するリンク集の存在も気づいてなかったのには、呆然・・・・・。もしかして、もしかすると、あんたも、ヤバイのぉ・・・(涙)?。もっとしっかりしていると思ったのに・・・・・・・・・・・・(滝汗)。
あらかじめ、成田空港内の見取り図をコピーして、どの順番で、どのフロアーを巡ればいいのか等も、すべてひとめでわかるように、案内図を作成して、それをそれぞれに目を通してもらいながら、あらためて私が説明。そして、私が説明している間、神経質なまでにキチンとメモしているのは、やはりPだけだった・・・・・。
あれ、もしかしてMG、資料を目で追っているフリだけしてる?!?!?、と、何度思ったことか・・・・。ってか、きっとそうなんだろうなぁ・・・、と、ガックリ(泣笑)。ま、それでも、MGは、Pと一緒の飛行機でフランスからやってくるのだから、PTがしっかりしていれば、何も問題ない。
が・・・・・、うちのオッサンは・・・?!?!??!。
携帯電話を何台もレンタルしてきちゃったり、リムジンバスで乗り過ごして、遠くの駅へ行っちゃったり、ジャパンレールパスの開始日時を間違えて申請したり・・・・、ま、いずれかの問題を引っさげてやってくるのだろうと、かなりの確率で予想される・・・・・。
また、重要な書類に限って、見事、それを紛失することに、生まれつきの才能をいかんなく発揮し続ける夫ゆえ、迷子札をつくろうがなにをしようが、それを失くされたらおしまい・・・・。なので、今から、毎日毎日、私の実家の住所と電話番号を書けるように訓練させているが、どうなることか・・・ ?!?!?!。(※中国語がわかる夫は、漢字を少々書くことができるのを有効利用・・・)。
でなければ、ここまではうまくいったとしても、スーツケースをあけたら、自分の読みたい本と恒例のガラクタしかはいっておらず、衣類などは3日分くらいしかはいっておらず・・・、とか、そういうパターンもあり得そうで、空恐ろしい・・・・。
ま、こんなに頼りないオッサンらを後に、私は、来週にはパリを発ち、日本へGO!。もう、飛び立ってしまったら、何が起こっても、しーらなーーい、と決め込むことは、もう、オッサン等のミミにたこが出来るほどリピートしてきたので、彼らに頑張ってもらうしかない。
いやあ、しかし・・・・、こういうことをやっている時に、いつも思うのだが、なんか、自分が牧羊犬になった気がしてならない・・・・。メーメーとのん気にボーっとしている羊(夫)を、小屋に帰すという名目上、あらゆる角度から威嚇したり、突っついたりして、どうにか動かしていく・・・、みたいな・・・・・・(汗)。ま、確かに・・・・、私はヒツジ年生まれなのだが、これが運命なのかぁ?!?!??!。
以前の日記にも書いたが、この秋に夫とその友人2名を引き連れて、伊勢→那智勝浦→高野山→奈良→京都(鞍馬山含む)→麻布十番(昔の私のテリトリーのひとつ)に滞在する予定になっている。
さて、旅程を練れば練るほど、実は昔行った事がある地域ばかりなのに、たいした記憶がないのが、もどかしかった私。というより、いつまったく同じコースを辿ったのか?、と思いつつ、昔からつけているスケジュール帳を1冊1冊丹念にチェックしていったら、なんと、それは1991年だったことが発覚。
ってことは、1浪1留しているわたしゃ、まだ大学生〜っ(爆)。
スケジュール表は、以下のように記されていた・・・・・・・。
1991年4月21日(日) 13時頃、H嬢&MF嬢が我が家 (現在の私の実家) に到着、しばしダラダラしたあと、出発。環八から東名にのり、ひたすらクルマを走らせ、四日市にはいる直前で、持参したホテルリストをかたっぱしから電話かけて、伊勢市のとあるホテルに予約をいれ、またひたすら伊勢市までドライブ。 途中、夕食もなにもかも済ませた後、23時ごろにホテルにチェックイン。
ちょっと煙草を買ってくると、クルマで出かけていったはずの娘が、いつものように帰ってこないことにさすがにイライラしているだろうと思われる母に、《あ、結局、伊勢市まで来ちゃってさ・・・》と電話、と私のスケジュール表に書いてある(笑)。で、もちろん電話口で母が、いつも以上に私に呆れ返った反応をしていたのは自明。ちなみに、ドライブが趣味の筆頭だった当時の私は、毎回走行距離をメモするのがクセで、この日は、518�舛世辰拭� 翌日の4月22日(月)、当時は学生で、なんだかんだいっても、酒もたいして飲まず、おまけに体力もあったのか、ちゃんと午前7時前には起床して、朝食も済ませ午前8時にはホテルをチェックインしていることに、自分でビックリ。
とはいえ、風流なものとか、文化などにいまひとつ興味がなかった私達は、伊勢神宮にまで足を運んだものの、案内図をみたら、相当歩くのが予想されたため、そこまでいったのに中へ入らず、ドライブすることを優先させた。そして、伊勢志摩スカイライン→朝熊山→鳥羽→パールロード→阿児→紀伊長島→尾鷲→熊野→新宮→串本→白浜→田辺とひたすら、バカの一つ覚えで走り続け、田辺で2泊目を過ごしている模様・・・・(汗)。この日の走行距離は、318�繊�
そして、4月23日(火)は、朝の9時過ぎにホテルをチェックインしたあと、田辺→竜神村→高野・竜神スカイライン→高野町→橋本→河内長野→法隆寺→木津・山城・城陽→宇治川→大津→琵琶湖→近江八幡と進んだ後、彦根ICから名神→中央高速と進路をとり(往路が東名だったので、復路を中央にしたかっただけ)、日付がかわった4月24日(水)の午前3時に私の実家に皆で戻っている・・・・・・・。走行距離815�繊ΑΑΑΑ�
そして、皆で死んだように爆睡したあと、夕方からわしら3人と私の母も一緒になって、皆で東京文化会館へ、マウリツィオ・ポリーニのコンサートへ突撃している・・・・・・。
若い・・・・・・っ。実に若い・・・、というか、私は若かったぁ・・・・(爆)。友人2人をクルマに乗せ、総計1651�舛�2泊3日の行程で、ひとりで運転し、ちょっと休んだ後は、コンサートとは、今の私にはもうできんっ!!!! 。ってか、やりたいとも思わない。
この行程表をみつけたので、さっそく当時の同行者MF嬢にメールしてみたら、《絶対に今はできないし、やりたくないっ !!!!》と、私と同じ感想が戻ってきて大爆笑。ここまで衝動的でも、なんとか生活が成り立ってしまう《パーマネントバケーション》そのものだった、あの青い日々・・・・。
厳密にいえば、同じことは今でもきっとできる。が、日本語で判断しながら、同時にフランス語喋って、バスガイドやりながら運転となったら、あまりにも荷が重いので、やはり出切ることならやりたくないのが本音。というわけで、ジャパンレールパス14日分で、余裕アル日程で(決して財布に余裕があるわけではないが・・・)、当時、記憶にないまでも駆けずり回った地域を、じっくり堪能してみたくてたまらないゼロでした。
夜、ふとテレビをつけたら、ちょうど《La Demoiselle d’honneur/ 石の微笑(邦題) / Claude Chabrol 監督/2004年仏》がはじまったので、そのまま鑑賞してみることにした。
フランス映画定番の 《Femme fatale/運命の女》に、男が出会い、ハッピーエンドとは程遠いシーンで突如、《FIN》・・・・・って感じの作品。きっと映画館でみていたら、もう少しマシだったのかもしれないが、とにかく、自宅の居間で、夫と一緒にテレビ鑑賞となると、誰に注意されるわけでもないので、あーだこーだと、各シーンに2人でツッコミ入れちゃ爆笑したりするので、どんな映画でも、コメディになってしまうのが難点。 《Femme fatale/運命の女》なんていえば、聞こえがいいが、ただの《Casse couille/キンタマ潰し (直訳→ウザイ女相手にゃ、勃つものも勃たんという意味、さもなくば、玉を潰される=虚勢される=尻に敷かれる) 》、じゃないのか?、と、この映画をみながら何度思ったことか・・・・。
未亡人の母と、妹2人と同居している長男が、すぐ下の妹の結婚式にブライドメイドとして出席した、《Femme fatale》こと、《Casse couille》な♀に出会い、徐々に破滅も道を歩みだす・・・、という話。破滅の美学?!?!?、といいたいところだが、どうも私には、他者との間に境界線がうまく引けないACな長男が、あれよあれよとボーダーラインな彼女に引っ張られていくだけの話にしか見えないのだ・・・。
で、またすごいタイミングで、友人SF嬢が《境界線》についての本を、数日前に日本から送ってくれ、これらのことについてあらたに復習したばかりだから、もう、笑えるのなんのって・・・・・。
ボーダーラインな♀が、ACの♂を面白いように振り回していく。ま、もちろんACだから簡単に自分の境界線を他者に踏み越えさせ、自分をテリトリーを他者にマル投げしていくのだろうけれど・・・・。そして、そこに悲劇のヒーロー的な、意義を見出しながら・・・・《ボクがいないと彼女はだめだ・・・》という、共依存関係でズブズブになり、気がつきゃ、犯罪の片棒を担がされていくAC長男な♂。
ラストは、♀に《あなたが必要なの !!!》と切に言われているうちに、ますます《ボクがいなければっ !!!》と、キラーンと目を輝かせ、まるで彼が、共依存界の期待のプリンスのように生き甲斐をみつけたか?、というところで映画は終わっていく・・・・。うーーん、実に、なんとも素敵に病んでいる・・・・。
母親の期待に沿う息子を演じ時には、父親の代理として一家の責任を背負い、職場ではトラブルを解消し、妹には金を貸し、とにかく、皆が彼に頼っているというか、都合よく利用している場合もあるのだが、ソレに対して決して《NO》とは言わず、ないしは言えず、ただひたすらいい人を演じ、あらゆるものを背負おうとする長男。
一方、他人を振り回すことで自己の空虚さを穴埋め用途するボーダーラインな彼女は、結婚式会場で、本能的に重症ACな長男を嗅ぎ分け、有無も言わせぬ一方的な態度で彼女は彼に迫っていく。ここまで一方的に人に、自分のテリトリーを侵害されることなぞ、わたしゃ、絶対許せない行為だし、ありえないことなのだが、ACな長男には、うってつけ。
彼女が彼に投げかける言葉は、実に一方的で、尋ねるという行為は一切存在しない。すべて、彼女が決めて、彼がそれに従っていく。もう、この会話だけでも、もし、自分が彼の立場だったら?、と考えるだけで、心地よくイライラできるほど(笑)。《あんた何様?》と、即刻、この女性に問いただしたいっ♪。ってか、これって、うちのばばあこと、姑じゃないかぁ、見かけは違うけれど(笑)?!?!?。
と思ったら、私以上に、異性にこういう扱いをうけた瞬間に、その場でカチンとくる男な夫(母親とのトラウマから)が、イライラしている。映画みながら、ずうっと《Casse pied》《casse couille 》《emmerdeuse 》 《autoritaire》《salope》《chieuse》等と、まるで自分が被害者かのように呟いているから、なかなか笑える。
この映画で長男役をやっている、ブルノー・マジメルの辛気臭い、神経質な顔は嫌いじゃないのだけれど、それにしても、もっと自分を大切にしようや、にいちゃんよ・・・、って感じな映画だった・・・。
夫は、ブランドに全く興味がない。ゆえに、その価値=値段についてもまったく無知なのは言うまでもない。エルメスのオーストリッチのバックは、いくらか?、などと夫に尋ねると、なかなかオリジナルな返答をゲットすることが可能(笑)。
私《ヒント、オーストリッチだからねぇ、決して安くないよ、マジでっ !!!!!》 夫《うーーん、安くないのかぁ・・・、うーーん》 私《本当にバカにならない値段だよ》 夫《そんなに高いの?》 私《で、いくらだと思う?》 夫《うーーん、5万円っ !!!!!》 私《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》
相対的なものなのだから、夫にとっての真実とは、バックなんてものに5万円も費やせば、そりゃ高すぎるという考えなのだろう・・・・・が、それにしても、エルメスのオーストリッチのバックが5万円だったら、日本人がみなパリに殺到するよ、オッサンっ。
ま、これと同じで、世間一般でいわれている価値などに疎かったりすると、奇妙な機会にめぐり合うことがある。価値=値段、機能、有名度・・・・・等。世間一般という概念こそが、実に曖昧で、存在しているようで、実は存在すらしないモノでもあるのだろうし、それを得ようとすることも自由だが、それに無関心である自由も確かにある。
昔、新宿で母と食事をしてたら、隣の席に相撲取り2人が、ものすごい量をの料理を注文して、見事な食べっぷりを披露していた。で、きっと相撲ファンだったら、この相撲取りが誰か?、わかったのだろうが、相撲自体に全然興味のなかった母と私は、《きっと、あれはどこかの部屋のフンドシかつぎだよっ !!!!》等と、ヘタしたら本人に聞こえてたんじゃないか?、という声で話していた。
そして、翌日NHKのニュースをみていたら、その《ふんどしカツギ》が、あの北の湖だったのがわかり、母としばし仰天。フンドシかつぎが、実は横綱だったとはっ!!!!!!。
フランスのスパイダーマンの異名をとる、Aとは、とある場所でたまたま一緒になった。ウエスタンな格好をした、ひときわ小柄な彼をみて、私と夫は《なんだこいつ?》と、変なモノにでも出会ったかのように、はじめのうちは対応していた。
で、そのうち、話題が旅行になった時、彼が世界中あっちこっちにいっていて、日本もいったということになって、色々と質問していた。だんたんと、日本だけじゃなく、拘置所のことも知っていることがわかってきて、《こいつ何者?》と、心の中で不審に思う私達。が、好奇心で、ついつい彼に色々と質問していると、どうやら、壁を登っていくのが得意らしいことがわかる。
で、スパイダーマン相手に、《本当に登れんの?》、《ホラ吹いてんじゃないの?》と、思いっきり疑ってかかった言葉を、シニカルな笑みをうかべて夫婦で矢継ぎ早に質問(笑)。さすがに、《この俺様のことを知らんのか ?!?!?》と、ムキになってきた彼だった。
その後、自宅に戻るや否や、夫と2人でネットで彼のことを検索すると、なんと本人っ!!。いやあ、それにしても、本人相手にすごい失礼な言葉をたくさん吐いたものだ・・・・・、特に夫、が・・・(爆)。ま、これが功を奏したのかどうかはわからないが、今でも、たま〜に、彼から電話がかかってきたりする。そして、ニュースで彼を見る度に、ニヤニヤせざるをえない日々。
さて、先週、ふとしたことで、とあるカップルとホテルのラウンジで会うことになった。彼らの素性は良く知らないままのアポで、指定された場所に到着すると、ハンティング帽を後ろ前に被った小柄な30代前半?、と思える♂と、アラブ系のスリムといえばスリムだが、ちょっと拒食系はいってんじゃないの?、とも思える30そこそこの♀がいた。ストリート系のファッションの彼らは、見かけによらず、どうもすごいリッチなのか?、という疑いが、会話を進めれば進めるほど、浮上してくる。
彼らと見かけと、金遣いの印象がどうもマッチしないまま、妙な違和感をかかえつつ会話を続ける。そして、彼らは8月に日本にいたという。宿泊先はパーク○○アットで、英語も日本語も話さない彼らは、どこに出かけるにもタクシーを使ったものの、コミュニケーションは大変だったとのこと。
それでも、色々と《知り合い》がいたので、彼らと一緒に行ったというレストランの名刺を、彼女のほうが私にみせてくれる。どれも、高級店ばかりで、《どんな感じで経費がでてるのか?》等、個人的に好奇心がむくむく沸きあがってきた。
とりあえず、用事を終え、夫と2人で《あのハンティング帽を後ろ前に被ったOという男は、何者だ?》という話で盛り上がった。きっと、金持ちのぼんぼんじゃないか?等等。そんな謎は、数日後にアッサリと解けた。彼は、某フィルムのプロモーションで8月に日本にいっていた、映画監督ODだった(笑)。
日本で彼らを案内した《たくさんの知り合い》とは、プロモーション関係者で、記者会見会場となっていた場所は、彼らが宿泊していたパーク○○アットと、調べてみると色々と点が線になってくる。私が好みそうな映画を作る監督ではないので、全然彼の名前などに気を配ってなかったが、確かに、それなりに売れているだろうから、リッチなのも当たり前かぁ・・・、と、妙に納得。
それにしても、彼の帽子はトレードマークになっているようで、そんな彼を目の前にして、まったく何も気がつかない、のんきなわしら夫婦をみて、彼は何を思ったのだろうか?。
とにもかくにも、自分が興味あることだけにしか、エネルギーを費やさない私たちゆえ、定期的にこういう状況に遭遇する。と同時に、今の流行とか、そういった情報に溢れた日本社会に行くと、本当に何もかもわからず、かえって楽しめる。皆が《知るべき》と、いう暗黙のマインドコントロールが見え隠れする情報番組など、怪しいものがたくさんあるが、ま、鑑賞するだけしたとしても、それらに振り回されない自由を、あえて楽しむのも悪くない・・・、と思うゼロでした。
最近は、フランスにいようが、日本にいようが、あまり個人的には差がなくなってしまっており、もう、どこにいても一緒・・・、ぐらいな感覚なのだが、それでも、幸か不幸か、まだ決定的な違い・・・、というのも残っているのでネタにしてみようと思う。
当方40歳、日本および在仏の私の女性の友人・知人においては、結婚して母親になっている友人は3割弱。あとは、独身で仕事をバリバリしていたり、結婚していても子供がいなかったりと、そんな感じ。また母になっている友人の場合でも、その子供たちは、まだそんなに大きくなっていない。
大学からの友人T嬢が、卒業式前に身篭ってしまい、膨らんだお腹のまま袴をはいて、大学を後にしていったときには、親になるということ以前に、結婚する・・・・、ということ自体も、まだひとごとでしかなかった、お子様でパラサイトだった私と、T嬢と同じく仲良くしていたKY嬢と、ただただT嬢が妙に大人に見え、呆気にとられていたものだった。
そして、そんな彼女の息子は、中学生という。受験地獄もなんとか乗り越えて、某私立中学で頑張っているというニュースを耳にしたときには、またまたビックリ。ま、とにかく、T嬢の息子が、私の日本での友人らの中で、一番年上の子供・・、ということになる。
一方、フランスにおける非日本人女性の友人・知人になると、もう子供が成人している場合がけっこうあるのだ。友人のJは49歳で大企業でバリバリと働くバツ一の女性だが、もう孫がいたりする・・・・・。彼女は、仕事をして、独立した子供達とアポをとって食事したり旅行したりすると同時に、ボーイフレンドもとっかえひっかえと、人生を謳歌している。
さて、もっと驚くのが、F嬢。うちに週1で、家事をやりにきてくれるルーマニア人の彼女は、35歳だが、すでに母国で孫が、すくすくと育っている最中だというっ!!!!。
ま、孫までいる場合はさておいても、9割ほどの友人・知人、ものすごく若いうちに出産して、あったりまえに母親業をこなしている。だからといってその9割がずうっと同じ配偶者および同棲相手と暮らしているか?、といえば、ほぼすべての人が違う相手と現在暮らしていたりする。じゃなかったら、影で浮気しているか、シングルで子供と一緒に暮らしている等。
30歳になるか否かぐらいの友人M嬢は、別れた相手との間で、交互に小学生の子供を預かりながら、舞台女優業やっていたり、未亡人の42歳のA嬢は、19歳になった息子が突然軍隊に入っていまい、いつ戦場に送られるかわからない日々に戦々恐々としながら、生活していたいるする・・・・。
42歳のMは、真面目&従順な妻としてずうっと生活してきた。で、よくある話で、従順な妻には、なぜか暴君な夫という組み合わせで、ご多分に漏れず、Mの場合もそうだった。夫とつまらない日常から逃避するかのように、育児と仕事に没頭していたものの、それでもどこか報われず・・・・・。
そんな彼女がふと、会社の上司と怪しい関係にっ。で、あっという間にW不倫になり、退屈だった彼女に日常は、それはそれは刺激的なものへ変化していった。刺激な彼女をどんどん明るくさせ、知らない間に《艶》が出てきた彼女。が、夫はまるで変化に気がつかない(笑)。
鈍感な夫とは対照的に、彼女の変化に気づいたのは18歳の息子だったっ!!!!!。息子は、メールをのぞき見るソフトを導入して、母の《恋文》をすべて印刷。そして、それを母に告げることなく、直接、父親に見せた。そして、Mは裸同然で家を追い出され離縁され、現在にいたる。
ま、それでもMは公務員だったので、ひとりで暮らすことはなんとかなっている模様。ここまで話を聞いていた私は、思わず《大変なんだろうっ !!!!》と思ったが、実際に彼女が現在、悩んでいることといえば、《W不倫をしていた上司の心が違う女性に傾きかけていること》だという。いやあ、これには、心のなかで大爆笑してしまった・・・。なんだよ、それが一番の心配なのか?!?!?、と。
人生何事もスロースターターな私&日本の友人らと対照的に、早い頃から色々とやってきているフランスでの非日本人の友人ら。甲乙をつける問題ではないものの、同じ女性として、これからますます充実した人生が送れることをあらためて祈るのみなゼロでした〜♪。
ちょっとしたフェット(パーティー)を自宅でやろうとしていた私達。だが、うちのオッサンこと夫がまたまた、色々と溜め込んで、どうも今ひとつ、スッキリとした室内にならないので、さて、どうしたものか・・・・・、と困り果てていた。そんな時、友人ESが、《ちょうど、妻も出て行った後だし、うちでやれば?》と、寛大な申し出をしてくれたので、さっそくそれに飛びついた。
ESの家は、レアール界隈にある180�屬慮�晴らしのいいアパルトマン。こりゃ、最高とばかり、彼の家に私達は乗り込む。後片付けも面倒くさいから、使い捨てのコップでもいいのでは?、と思っていたにも関わらず、それらを持ってくるのを忘れてしまった私。しょうがなくESに、グラス貸してと頼むと、喜んで彼はグラスを探しにキッチンに走っていった。
でも、彼は戻ってこない・・・・・・・・。あれっ?、なんで?。
しばらくすると、キッチンから、私を呼ぶESの声がするので、さっそく行ってみる。すると、彼がありったけのグラスをテーブルに並べているところだった。それも、全部、バラバラで、ボロボロ・・・・・・・・・・・・・。一瞬、目が点になった私だが、《なかなか素晴らしいグラスコレクションだねっ♪》と、ESを誉め殺ししてみる。すると、私の皮肉に、ESが笑いながら、《妻のMが、みな食器を持って出て行ってしまったんだよ・・・・》とのこと。
ああ、なるほど・・・・・。
ESの名誉のために書いておくが、ESが妻Mに捨てられたのではなく、あくまでもESが妻Mを追い出した立場なのだが、とはいえ、リネン類、食器類などは、皆、妻Mが持ち去っていった模様。現在ESの手元にあるグラスは、食器洗い機で洗いすぎて、透明じゃなくなってしまったグラスとか、半分ヒビがはいったようなもの、時代遅れなものなど、愉快なモノばかり♪。
《今、必死で探してみたけれど、本当にこれしかないみたいだね、ボクの家・・・わはは》と、ES。かえってここまで不揃いだと、面白そうなので、このままのグラスでGO、と決断。ただ、これだけじゃ足りないので、シャンパン用のグラスもいちおうESに頼んでみたが、やっぱりそれも無し。
無い無い尽くしで、申し訳ないと思ったのか、ESはまた新たにシャンパングラスを探し始めてみたものの、奇跡的に戸棚の置くから発見された、未使用グラス4点セットは、コニャック用グラス・・・・。シャンパングラスとは、似ても似つかない、グラス底がひろーーい、シロモノ。
しばし2人で、コニャックグラスを静かにみつめてみたものの、無いものは無いので、これでシャンパン飲んでみることにした。フェットに来た奥方系は、《なかなか面白いアイデアね》等と言いながらも、このグラスでシャンパン飲むのを極力避けている模様。
とはいえ、物好きというのは、どこにでも存在しているわけであり、私を含む数人で、シャンパンをコニャックグラスに注ぎ、コニャックを飲むように、グラスの底でグルグル回した後、口に含んで楽しんでみた。ま、行為こそ笑えるが、やっぱり、美味しくないのが、逆にもっとクセになる。そう・・・・、それは、まるでジャンクフードの虜になるような感覚、といえばわかっていただけるだろうか?。
それにしても、彼の家には、ボロボロな食器しか、現時点で残っていない。ま、彼は金持ちだし、その気になれば一挙に買い揃えればいいのだろうけれど・・・。女の気配が家から消えた後、自分ひとり分だけの食事を簡単に済ませてきただけなんだろうなぁ、今日の今日まで・・・、と、ESの背景を、ひとり想像して楽しんでいた私。で、たまたまフェットをやってみたら、何も自分の家に残ってないことに気づいたんだろうなぁ、きっと・・等。
ちなみに、7月1日付けで家を後にした彼の妻Mだが、ここまで決定的に別れをESに決断させることにいたった妻Mの暴挙は、彼のパソコンを怒りにまかせて6階の窓から放り投げたこと・・・・、だという。う〜ん、大胆っ♪。で、そんな妻とずうっと暮らしていたESは、精神科医(笑)。
そして、7月1日からは、徐々に模様替えをして、サロンの家具を一新して、ますますスタイリッシュなアパルトマンになったESの家だったが、所詮、そこまで。食にあまり関心のない彼らしく、キッチンのことがすっかり見落とされているところに、ヤモメの真実が見え隠れする。
ロシア美女Vと半同棲しているJFは、現在、離婚調停中。彼の家には、アンティークで値打ちがあると思われる、大きなテーブルが置かれているが、その上に敷かれているテーブルクロスが、妙に小さい。テーブルの3分の1がはみ出す形でソレがしかれている。《これは、わざとこうしてやっているの?》と私がJFに訪ねると、《あのバカが、テーブルクロスみんな持って出て行っちゃったんだよっ !!!》とのこと・・・・・・・。ああ、なるほど・・・・。
ながらく別居したあと離婚したJY。彼は、パリのど真ん中のアパルトマンを、ブルジョワばばあみたいな趣味で飾って、綺麗に暮らしている。キッチンなども、モデルルームか?、というほどキレイ。冷蔵庫の中も、売り場にあるソレのように中が空っぽでピッカピカ・・・、と、思いきや、ただ、何も自炊してないだけだった・・・・っ!。
思い起こせば、我が家の食器のほとんども、きがついてみれば私の趣味になりつつある。料理の器具においては、すべて私のチョイスだし、テーブルクロスにしても、近年のは、やはりすべて私のセレクト。となると、いざ、別居とかになったら、わたしゃ、全部これらを背負ってどこかに行くのだろうか?。それとも、夫に《溜め込んだゴミ》を背負わせて、私が彼を追い出すのだろうか(爆)?!?!?!。
| 2007年09月03日(月) |
Ravalement |
今年の夏は、久々にどこへもでかけず、パリに居残っていた私。
Ravalement という、アパルトマン外装塗り替え工事が、この夏に行われると知った春先には、《バカンスにも出かけず、暑い夏にパリの自宅にいるというのに、、一日中窓を閉め切って生活しないといけないのかっ ?!?!?!》と一人激しく憤慨していたものだった。が、そんな杞憂もアホらしくなるほど、実際にその時期がやってきたら、例年にない冷夏で、《窓閉め切って》ないと寒い毎日だったパリ。
この工事のために、工事人たちはアパルトマンの周りに足場ガッチリと作る。で、この足場のせいで、普段よりも泥棒に入られる確率がグンとアップするゆえ、窓を開けっぱなしで出かける、乃至は窓を開けっ放しで寝ることができないのは、不便と想像していたが、ま、ここまで寒いとしょうがないか・・・・?、と、いとも簡単に諦められる、今年の夏・・・・。
夏の初めに、この足場造りがはじまった。いつものように窓に身体を向ける姿勢でパソコンをいじっていると、自分の目線でふと人が横切るのが見えて(日本でいう6階の高さ)、ギョッとする。そして、ああ、ついに、うちの高さまで足場が組まれてしまったのか・・・、と悟る。
つい好奇心でカーテン越しから、工事人がどうやって足場を組んでいくかを観察。工事人の9割は黒人で、残りはアラブ系の方々。彼らが、実に楽しそうに歌いながら、足場を軽やかに組んでいく。上と下で、器具の受け渡しをするのだが、この方々は、大声&現地語でやりとりしているので、サッパリ私にはわからないのが、また妙におもしろい。
最初はだたの鼻歌レベルだったのに、私と窓一枚を隔てた向こうにいるアフリカ系工事人が、、徐々にハイになってきたのか、ボリュームアップして、リンガラポップのようなものを歌い上げ始めた。おいおいおい・・・・、ちょっと勘弁してくれよ・・・、と、パソコンを前にして、少々根を詰めることをしていた私は、最初こそ当惑していたものの、もう最後には、彼らのハイテンションに持っていかれて、自分までコンゴに行ってしまったかのような気分になっていた。
私の目の前の人がメインで歌っているのだが、他の場所で同じように足場を組んでいる人らが、調子よく、彼の歌に合いの手を入れ、リフレインでは、調子よくはもったりもするから、これまたビックリ。そのくらい、気持ちよさそうに歌いながら、足場組みの鉄筋を肩に担いで、私の前を何度も横切る。
彼らの歌に、知らない間に巻き込まれていくうちに、アメリカに連れてこられた、黒人労働者が、キツイ環境の中で、自分たちの祖国を思う魂を歌い、踊り、労働者の中で団結を強めてきたというイメージがふと、アタマの中に浮かんできた。
《おめえら、うるせーよっ !!!》と言うことも可能だったかもしれないが、うるさいけれど、生きていく《逞しさ》に溢れた歌声は、妙な説得力を持って私を誘ってくる。ま、さすがに、一緒に、合いの手を入れることはなかったが、気がついたら、私も身体でリズムを調子よく刻んでいた。自宅にいながら、アフリカ大陸・・・・・、うーーん、これも悪くないな、と思ったゼロでした。
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