2001年11月24日(土) |
THE SHOGO MUST GO ON (1日め) |
今日から2日連続、代々木第一体育館でコンサートよ〜ん♪(*^_^*)
会場に着くと案の定、ダフ屋さん達が群がってきて代わる代わるこう尋ねる。 『浜省余ってない?買うよ(●`▽´●)』『(▼o▼メ)チケットあるよ悪い席交換するよ』 今日のアタシは思いっきりステージから遠い席なので、一瞬心が揺れ動くが なにしろ開演10分前で猶予がない。連中を振り切って南スタンドゲートに走る。
場内の照明が落ち、オープニングに映画“ショーより素敵な商売はない”の フィルムが回り18時半きっかり開演。いやんもう〜かっこいぃぃぃぃぃい(#´∇`#) CDで聴く分にはあの歌声が好きなんだけれど、動いてるのをナマで見ると… 頭の振り方や腰の前後動がなんだか卑猥ですごく素敵♪あれはサービスなのか。 12月が近いとあって、クリスマスソングや、例のトレンディドラマ曲も演目に加わる。 アンコールを受けてセンターステージに移り、MCのあと、初期作品を数曲演奏。 シャイで寡黙な人物像を描いていたのに、あんなによく喋るとはなぁ(-_-;) アタシは近眼な上、ステージ上の省吾は豆粒大。スクリーンに大映しになる 映像と本体とを、目を凝らしたり細めたりして必死に見比べながら 汗だくで拳を振り上げ、気がつくと終わっていた。22時。 実に3時間半に及ぶコンサートの初日はこうして終了。楽しかった〜(ё_ё)
大人げないとは思いつつ、記念グッズをごっそり買い込んでしまいました。えへへ。
ツアーパンフレット マウスパッド バスタオル
他、会場限定販売ポスターも(*^o^*) マウスパッドは保存用も含め2枚買った!
“フランス王家3人の貴婦人の物語展”を観に、新宿の伊勢丹美術館へ行った。 日曜日でしかも最終日とあって、混んで混んで殆ど観た気がしなかったが。
「3人の貴婦人」とは、寵姫ポンパドゥール夫人、王妃マリー・アントワネット、 そして皇后ジョゼフィーヌである。狭苦しい館内は、アタシ同様ぎりぎりに 駆けつけた観覧客(大半が女性)で既にごった返していた。入り口から延々続く 行列はちっとも進まず、人垣の後ろから伸び上がって観たり、やっとこさ 絵の前に立っても、近眼ゆえに細部がよく鑑賞出来ない。ああ、ストレス!!
美術館の規模からも察せられたが、展示内容は乏しく、大した目玉はなかった。 ジョゼフィーヌに興味はなく、ポンパドゥール夫人の肖像画もパッとしない。 それにもともと目当ては絵画のみであったから、ちょっと勿体無いことだが 早々にこの人ごみを脱するべく、今回はあえて観なかった展示品も多い。
油彩の肖像画は、どれもニスがテカテカと照明に反射して見づらかった。 初めてまともに観た、ルイ15世妃マリー・レクザンスカの肖像に少々感動。 王妃でありながら地味で、歴史の表舞台には殆ど登場しなかったからなぁ…。 ヴィジェ・ルブラン描くアントワネットは、顔からはみ出さんばかりに眼が大きい。 どうもロココ期の肖像画は、リアルに描かれているようで、そうでもないような。
圧巻は、ロケットに納められた、アントワネットのものといわれる髪の毛の房と “コンシェルジュリーを去るマリー・アントワネット”(ジョルジュ・カン筆)だろう。 カンは後世の画家であるが、人物の描き分けが冷徹で、ロココの画家とは 比較にならないデッサン力である。実際に見たままを描いたのではないかと 錯覚を起こさせるほどであった。後ろ手に縛り上げられ、ぐっと頭をもたげて 荷馬車に向かって進む王妃の横顔の、高い鷲鼻や顎の線、断ち切られた髪に 衣装などは明らかに、ダヴィドのスケッチが基になっていることが分かるが あの飛び出しそうに大きな眼はまた、ルブラン夫人の肖像画から窺える通り。
この絵の前で、恐らく5分以上は釘付けになり、立ちすくんでしまったろう。 「早く進め」と後ろからせっ突く若い女性を睨み返しながら…(`_')☆
2001年11月17日(土) |
我が社のジェイムズくん |
経理と秘書を兼ねている、J子さんという女性がいる。 アタシより15ほど年上だが、気さくで親切で、大変面白い人である。
お昼休み、彼女はいつも手弁当持参。アタシは最近弁当作りをサボっており 会社の近所にあるバイキング方式の弁当屋で、好みのおかずを詰め合わせて オフィスに戻った。空腹のせいか詰め過ぎて、やや予算オーバー気味。
『あら珍しい、今日は野菜が多いじゃない。それで幾らくらいした?』 「それが800円以上取られちゃった。バイキングだと、いつもそう」 『まぁ高い。…よく見ると汁ばっかりね。汁の重さって結構あるのよ! 20円は違うわよ。そういうのは、ギュッと搾って取らなきゃダメよ』 「あ…そうか。でも…(^o^;)」 『私はね、重そうなのは取らないの。あと、下の方のは汁に浸ってるから その分ちょっと重いでしょう。上に重ねてあるパサパサのを取るのよ』
感心して拝聴しながらも、可笑しくて笑いが止まらなかった(≧∇≦)
部長の自宅(岡山県)から会社宛に、箱詰めの柿が送られてきた。
『メイ子さん、この柿、もらって帰ってもいいんですか?』 「ええ… あ、でもJ子さんが、明日皆さんに配るって言ってたわ」 『?でも何個か減ってるぞ。J子さん、先に息子の分を持って帰ったな…』
J子さんは離婚後、一人息子を育て上げ、大学まで立派に出したというが 彼女の息子の溺愛ぶりと、そのドラ息子ぶりは、社内でも有名である。
帰り、またO係長が車で送ってくれると言うので、ズボラして乗り込む。 仕事の話の成り行きから、偶然J子さんの話題になった。
『俺、会社に戻るといつも、顔や手を石鹸でよく洗うんですよ』 「ま〜道理で肌ツヤがいいと思った。オシャレさんなのね( ̄ノ0 ̄)」 『いやそうじゃなくて、ほら、オペに立ち会って死体とか触るでしょう。 本当はシャワー浴びたいけど、そういう訳にもいかないから』 「そう言えばそうね。禊みたいなものね」 『うん。だから、ハンドソープでいいから買っといてくれないかって J子さんに頼んだら、誰かが出張先のホテルから持ってきた石鹸くれて “Oくん!これ使ってみて!まだ沢山あるから!これならタダよ、タダ♪” …ったくドケチババア。石鹸くらい買ってよぅ(´ヘ`;)』
来週はどんな話が聞けるのか、お昼休みが楽しみだったりする(^〜^)
周囲で、友人知人たちは、老いも若きも俄に寿ラッシュである。 縁起を担いで、やれ6月の、ゾロ目の、何かの記念日のと 役所や式場が混む日というのは、昔から大体決まっているものだけれど… 特に最近になって、一体どうしたことかと思うほど。何さみんなして(ノ_ー、)
少女の頃「将来何になりたいか」と訊かれて「お嫁さん〜(@^▽^@)ノ♪」 と答える級友は少なくなかった。或いは、不動の人気を誇る職業が、保母さん だったことも事実。つまりアタシは、母性本能の塊みたいな友人らに囲まれて 成長したことになる。皆、そんなに良き妻良き母を夢見ていたというのか…?
強がる訳ではないが、お嫁さんになりたいと思ったことは、少なくとも子供の頃は 一度もない。死んでも他人に渡したくない人物の、アタシが妻に!とでも いうなら話は別だが、単なる「花嫁」は、何もわざわざなりたいと願うほどの そんなたいそうな「目標」でもないだろうと、子供心に思ったものだ。 女性が長じて人の妻となり母となるのは、ごく当たり前の、否応ない 宿命的な「成り行き」といったものだ(つまり誰でも必ずなれる)と感じていた。
小学時代の仲良しS美は、今では故郷で堂々3女の母となっている。 いつもグループのリーダーで、明るく人を逸らさない求心力を持っていたが 彼女は共働き家庭の一人っこで、鍵っこだった。アタシの家に遊びに来ては 実の姉に邪険にされる我が妹を、まるで自分の妹のようにかわいがる。 「メイ子ちゃんはいいな〜妹がいて。あたしも弟か妹が欲しいな♪」
彼女は間違いなく寂しがりやだったのだろう。がしかし、アタシとしては 小学生の分際で複数の男子高校生に、全くもの怖じせず媚び懐いてゆき 挙句、逆ナンをしかけ引き連れて歩くまでになるS美の早熟な社交性は 羨ましさを通り越して驚異…(-_-;) 現にアタシの母などは 「不良が伝染るからS美ちゃんと遊ぶな」とまで言い出す始末。 伝染るも何も、あれは真似しようとして出来るもんじゃないだろうが。
当時から数えてほぼ20年。S美は幸福を絵に描いたような家庭を築き アタシはご覧の通りである。斜に構え嘯いてたのがいけなかったんだろうか。 本当を言えば、根がグータラだから、仕事に生きる女になんかなりたい筈も なく、最低限を保証された生活の中での食っちゃ寝暮らしが永遠の夢。 結論。お嫁さんとは、ちゃんとなろうと思う者しかなれないものなのね(。_。)
♪鳶色の雲はつづれ織りに 君を不思議な小径へと誘う ああ 時を越えて Kathmandu さすらう人の Kathmandu
風光る大地 水密の香り ヒマラヤが君の瞳に揺れる For here was a source and here was start And how it grew how it grew from Kathmandu...♪ << カトマンドゥー >>
こんな美しい詞曲を聴いて浮かんでくるのが、フェリーの2等船室だったり 鉛色にしばれる神戸港の夜明けだったり、ビジネスホテルの窓から見下ろす 真冬の大阪の街角だったりと、何とも陰鬱なイマジネーションなのである。 それだけに歌というものは、本人が記憶している以上の様々なシチュエーション もろとも五感にこびりついて、生涯消えずに想い出と共存して生きるのだろう。 因みに、スターウォーズのテーマを聴いて先ずイメージしてしまうのは 中学の教室の清掃風景である(何故って掃除の時間に流れていたから…(-_-;))。
件の係長は、杏里の歌に想い出をダブらせていたが、アタシの場合はやっぱり その手のものと言えば浜省かしら。×年前、一人のバイク野郎と知り合うも その男が尾崎とか長渕とか浜省を好きでよく聴いており、車の中ではいつも 大音量で聴かされた。移り変わる景色は、ベイブリッジや湘南の海岸やetcetc.. いつしかその男を好きでなくなり、苦悶の歳月が記憶の彼方に葬り去られても 当時繰返し聴いた歌が流れると、忘れた筈の甘酸っぱい締め付けが胸に甦る。
♪愛を誓った白いチャペルの鐘の音 今でも聞こえるのに 僕のために作った食事は冷めてゆき 君は無口になり 君のために作った愛の歌の歌詞さえ 今では僕にも思い出せない Good bye darling Good bye my love いつわりの日々 背中向けたまま眠る夜… ♪ << いつわりの日々 >>
クリスマスは来月。銀座の通りに、気の早いツリーが聳え立ったというのを 昨日のニュースで知った。こじゃれたホテルのスイートルームは、もう予約で 埋まり始める頃だろう。ジングルベルのメロディを耳にすると、昔は、光輪を戴く マリアやキリストを描いた宗教画が浮かび、自ずと荘厳な気分になったものだが 下世話な世情に毒された今となっては、身に沁む寒さや年の瀬の慌しさに 背を嬲られ、何か独り取り残されたような寂寥感に包まれるのが常となった。
♪兄は夜更け過ぎに“雪絵”に変わるだろう…♪ << by 空耳アワーズ >>
『突然だけど、杏里を聴いて先ず何を思い浮かべる?』
車の中で出し抜けにこう訊かれ、へっ…('◇')? 『いやさ、杏里を聴いた時に、こう脳裏に浮かぶ風景っていうか 状況、場所… 思い出みたいなものって、ない?』 その時はちょうどカーステレオから杏里の“キャッツアイ”が流れていた。 「ああ。えーと…自分ち(実家)の居間かな(^◇^;)」 『何だよそれ('◇')?』 「中学生の頃、居間のテレビでキャッツアイ観てたから…」 『……(-。-;)違うだろ。杏里と言ったら江ノ島、湘南だよ、俺は』 「あそ。あの頃はもっといい女を乗せてたもんだと自慢したいのね(¬。¬)」 この男、かつてのサーファーだったんだろうか、えなりフェイスでも。 「そうだ!そう言えば体育祭に、この曲でダンス踊ったの!(*^o^*)」 『もういいよ、訊いた俺がバカだったよ(`◇´)』
遠い情景と共に心に甦る歌というのは、確かに幾つもある。 例えば ♪新しい朝がきた 希望の朝だ 喜びに胸を開き 大空仰げ♪ タイトルは忘れたが↑ラジオ体操の歌。涼しい夏の黎明、薄日の輝き。 あの頃の悩みと言えば、給食が食べられないことと、いやな水泳の授業や ピアノに珠算のお稽古、友達と仲直りが出来ないこと… くらいだった。 将来なりたいものは、画家だったり小説家だったり女優(!)だったり 夏の、目も眩むような太陽の光線に象徴される、輝かしい子供時代。 夢は何でも見放題で、恐れも不安も実感のない時代があった。
それが…いつからだろう、暗雲が垂れ込め出したのは(-_-;) 高校生の頃ゴダイゴが好きで(笑うな)、受験勉強もそっちのけで 朝から晩までゴダイゴばっかり浴びるように聴いていた。 英語の歌が多かったので、よし翻訳家になろう!なんて安直に決心し 試験会場では、開始間際までウォークマンでゴダイゴシャワー。 それが災いしたのかどうか、名だたる外国語系は皆落ちたのである。 今でも、タケカワの歌声を聴くと、言い知れぬ懐かしさとあいまって 灰色の受験期(というほど勉強しなかったけど)がフラッシュバックする。 (つづく)
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