与太郎文庫
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1957年03月18日(月)  真白な論文 〜 恩師の条件 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570318
 
 真白な論文                上田 堅一郎
 
 大学にまだ私が学んでいた頃、心を割っていろんなことを話し合って
いた友人が二人いた。H君、W君、今は三人とも散り散りになってH君
は学習院大学に、W君は広島大学にそれぞれ勤めているが時々近況を報
告し合っているのだが、当時は何かと言えばお互いの家に三人で語り明
かしたものだった。二人ともなかなかの秀才だったが特にH君は高校時
代から私と同級で常に私より上位に位して私の頭の上がらない人物だっ
た。
 大学卒業の折、お互の前途を祝してH君の家に集まったことがあった。
大学時代の思い出、各教授の批評、将来のことなど勝手な放言をして気
焔を挙げた。その時H君が突然「俺は真白な論文を書くつもりだ」と言
い出した。私にはこの言葉が今でも忘れられないでいる。
 大学の図書室に入ると毎年各国の学者によって発表される論文が年毎
に製本してぎっしり詰められている。学生は教授の指導によってそれら
の論文の中重要なものを選んで読み、また自分が研究発表する際には関
連した論文を探して読むのである。従って有名な論文、例えばアインシ
ュタインの相対性原理とか、湯川教授の中間子理論とかは誰もが読むか
らその頁が手垢で汚れて黒くなっている反面無名の学者の書いた余り重
要でない論文は真白なまゝで残っているのである。
 彼がいった真白な論文というのは実はこの誰にも読まれない論文とい
う意味なのである。然も彼がこの言葉を吐いたのは心の底に自分の学問
的な能力に対する十分な自信があっての上である。自分が真白な論文し
か書けないというのではなく、所謂有名な論文にしてもそれが一朝一夕
に生れたものでなく、またその人の能力のみによって生れたものでなく、
実に数多くの真白な論文の積み重なりの上に生れるべくして生れたもの
であるという事実を彼がはっきり認識して、自分が今後学問的活動に入
ってゆく際の決心を披瀝したものなのである。

 この話はいつかチャペルで皆さんに披露したようにも思うのだが、私
自身いろんない実で励まし慰めを与えられている言葉でもあるので諸君
の卒業に敢てもう一度諸君にこの言葉をお贈りしたいと思った次第であ
る。
 
── 《卒業記念誌 �� 19570316 同志社高校三年F組》P06-07
 
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 書いたるぞ! 〜 君らの司級 〜      上野 務
 
 君らは呼んで「カスミ」という。この名は小生は頗る好かぬ、おのれ
を「ぬばたま」と呼ばれて、さして腹の立った覚えもないが、他人事な
がら「カスミ」という名はいゝニック・ネームではない。「カスミ」は
文法的に申せば動詞「カスム」の連用形であるが、今「カスンでいる」
といえば、ろくな状態をいわない。わが敬愛する上田堅一郎君は、けし
てさような存在ではない。従って「カスミ」なる名は、小生は頂きかね
るのである。
 
 ×  ×  ×  ×  
 
 「あだな」といえば、ケンちゃんにかつて「大文字」という名がつい
たことがあった。真疑の程は知らぬが、独身時代に、うら若き女性と大
文字に登った所を、生徒諸君に見つけられてその名が生れたという。残
念乍ら、この名は続かず。今は「カスミ」となって今日に及んでいる。
知らぬ人のため一言紹介す。
 
 そのうら若き女性が、今の令夫人であったか否かは知らねども、昭和
廿七年節分の吉日を選んで、ケンちゃんは新しい人生のスタートを切っ
た。その日のタコちゃん(石村先生)のスピーチに曰く、
 「元来、私は囲碁において、残念乍ら新郎に数目おかざるを得ない程
度の実力でございます。然るに、昨夏の頃から、次第に私は、新郎に少
しづつながら勝つようになりました。私は、おのれの実力も大分ついて
来たぞと内心ほゝえんだのでございますが、豈はからんや、その頃から
新郎は新婦に対して……」このあとは適当な語句を補い給え。
 
 ×  ×  ×  ×  
 
 ケンちゃんは、ほんとは学者にしたい人である。湯川門下の高弟であ
る。ノーベル賞の取りそこないである。同志社中学・三高・京大の秀才
コースを取り乍ら、母校愛の故にノーベル賞を捨てたといってよい。か
かる俊秀が、礼拝遅刻の生徒をひっつかまえるべく、岩倉の寒風に立っ
ているのは、はたから見ていささか気の毒な気がせんではない。案外、
本人は平気どころか、それを光栄ある職務と思い込んでいるのかも知れ
ないがね。あれ程の頭脳学力を備えながら、ちいと惜しいと思うのは、
僕だけだろうか。
 
 ×  ×  ×  ×  
 
 ほめついでにほめ且つけなしておこう。ともかく、ケンちゃんは頭が
よい。その証拠に国語の文法がよくできる。今国語の先生以外で、国文
法が分かるのは、ケンちゃんだけである。変格活用まで立派に言えるか
ら大したもの。京大合格率90%はひいき目なしにさしあげよう。ところ
が、ケンちゃんの、長所といゝましょうか、短所と言いましょうか、え
ゝ要するに凝り性なんですね。野球はキャッチャー専門、水泳は平泳専
門、柔道も大したことはない乍らそこそこ。百人一首は名人級、囲碁は
岩倉棋院名誉九段、といった調子。これひとえに「頭脳+凝り性」の結
晶のかたまりである。「凝り性」の別名は「熱心」であり、またの名を
「阿呆」という。ケンちゃんの風邪ひきの原因は、これ悉く凝り性の故
と思ってよい。なんでも、クタクタになるまでやっている。どうたもの
かしら。
 
 ×  ×  ×  ×  
 
 話題一変。ケンちゃんは臆病である。理科教室炎上後、宿直の折、こ
の美点は遺憾なく発揮された。その頃真夜の岩倉の怪談がさまざま乱れ
とんだのだが、およそケンちゃんに関係のないものはない。異様な声を
聞いたのも、怪しげな人影を見たのも、みなケンちゃんであった。もっ
て知るべし。君らの修学旅行の時、夜は必ず、僕はケンちゃんのそばに
ねてやった。夜のお便所に一々小生が起されたのにはいさゝか閉口した。
別府の最後の日、辰野君(旧二C)の急性盲腸炎のため入院し、その故
ケンちゃん一人別府に残らねばならなかった時、波止場のケンちゃんの
顔は見られたものではなかった。前の晩、「あゝ、もう明日は船の中」
と、帰洛の日が目前に迫ったのを手に手をとりあって喜んでねたのに。
華やかなバンドの中で、ショボンとした彼の顔、今に忘れることができ
ない。
 
 ×  ×  ×  ×  
 
 ケンちゃんはよい男である。僕は敬愛の二字を彼のために惜しまない。
ケンちゃんの名をカタ一郎と読んで、かなづちの如き人物と思い込んで
いる人々よ。一度腹をわって話してごらん。W過剰は彼を尋ねてMを問
え、M過はWを聞け。ドライ、ウェット又然り。無論彼が完全無欠揺ぎ
なき大至聖とは僕も思わぬが、君たちのよき司級でありし如く、将来も
又よき相談役であろうことをこゝに明白に証言しておく。
 
── 《卒業記念誌 �� 19570316 同志社高校三年F組》P16-17
 
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 愛すべきかな稚気           杉井 六郎
 
 それは蛇のよく出る季節であった。岩倉には、なじんでから日の浅い
私にもこの界隈には蛇がよく出ることはツトに耳にしていたが、ある午
後の日本史の時間に教卓に置かれていた一包の小箱を、私は強いて無視
して、教案を予定通りに進めて無事終了したわけであったが、後でそれ
が蛇の小間切れであった事を聞いて、あわてて防空壕の中に飛込んでコ
ブラの頭をふんづけた時と同じ様に、後で背筋に寒気を催したことがあ
った。思えば野趣に富んだ稚気あふれる雰囲気である。
 二学期になって、教室が変更になってから、やはりF組はヨウ怪変化
の巣窟と化すのであり、F組生の本来的な性格の一面が次第にメタモル
フォーゼを起しつつ顕然化して来たものであったと考えられる。
 今日、編集子にせがまれるまゝ、卒業の栞に“明治書生気質”という
か、稚気あふれる一留学生のエピソードを紹介して皆さんへの餞としよ
う。
 何分備忘録のない走り書きであるので、どうも自信のない話で恐れ入
りますが、私達が今旧民法と呼んでいる明治二十九年公布の民法制定に
あたって、非常な尽力をした人々には、仏人御雇顧問ボアーソナードの
他に、梅謙次郎や富井成章などがいる。梅も富井もフランスのリヨン大
学を最も優秀な成績で卒業し、なみいる各国法学生中の逸美であったこ
とが伝えられている。その成績の表示の仕方が旧制高校のそれとよく似
ていて、私などその足もとにも及ばなかったことを伝記を読んだとき実
に恥じ入ったことがあった。当時日本から留学した後進も、その梅が(
富井であったか、その点不確で申訳ない)卒業式の直後、その日は七月
十四日、巴里祭でセイヌ河畔の広場も大変な人だかりで、日本人学生と
共に散策に出たらしい。ところが、とあるパリッ子がエッフェル塔に駆
け登っていったが途中で息切れがして、看護されて降りてくるのを見て、
よし俺がやってやると、やにわに袴の裾をたくしあげて意気まいた。友
人たちが昨日の優等生の折角の名誉をあたらこんなことでフイにしては
と、しきりに止めたが聞入れず、遂に一気に塔の頂上まで駆上り、且悠
々として降りて来た。並居るパリッ子、その勇猛果敢、不屈の勇気にや
んやの拍手を送ったという。
 いやはや良き時代、よき書生気質、まことに愛すべきかなその稚気を、
 では又逢う日まで。
 
── 《卒業記念誌 �� 19570316 同志社高校三年F組》P34
 
http://d2.hatena.ne.jp/adlib/19570316
── 《卒業記念誌 �� 19570316 同志社高校三年F組》P06
── 《Day was Day 20001224 Awa Library》P066
 
── 阿波 雅敏《予算会議の反省 1958 同志社高等学校新聞》
 
(20060607)


1957年03月16日(土)  卒業記念誌《�堯�

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570316
 
 卒業記念誌《�堯嫺瓜崋匚盥算闇�F組
 
 卒業記念文集もくじ
 


 序にかえて                          01
 
 卒業の門出を祝いて               茂  義太郎 02
 真白な論文                   上田 堅一郎 06
 新居にて                    並河 純   07
 書いたるぞ! 君らの司級            上野 務   16
 ウェット族よりドライ族へ            久永 省一  26
 現代人の眼                   牧  克忠  32
 愛すべきかな稚気                杉井 六郎  34
 青年は未来を信じ                志岐 常正  70
 
 サラバ高校生活よ                内藤 晴茂  04
 いわくら                    伊藤 弘二  05
 高校時代                    民秋 史也  12
 友達                      橋本 孔夫  15
 楽しみの一つ                  薮内 豊造  28
 八分間の差                   大西 京子  32
 長すぎる? 英語の常識             山田 英二  33
 坊主心                     三宅 由絋  35
 初恋らしきもの                 瓦谷 友之  36
 京都                      平輔 善哉  44
 大いなる喜び                  和田 万寿男 60
 日記抄                     広森 美知子 62
 滝の誘い                    佐藤 京子  64
 二つの自分                   茂  義樹  66
 イモ・タコ・ナンキン              辻  直子  69
 思いつくまゝ                  笹谷 妙子  72
 追憶                      南  武美  74
 
 岩倉逍遥歌                   遠藤 敞干  18
 詩三題                     藤井 健作  27
 3・F どんちのうた                    56
 
 アンケート �機ヾ篩卆験茲撚燭魍悗鵑世�            09
 アンケート �供‐綸沈萓犬飽豸�                21
 アンケート �掘 ̄壇鼎飽貮�啓上                29
 アンケート �検―蚓�はどんな味でしたか            37
 アンケート �后〕�想とする異性のタイプは           41
 アンケート �此,錣�クラスの最優秀賞            45
 アンケート �察,△覆燭量粥                �53
 アンケート �次,△覆燭僚叔�後               57
 スウィート ホームに関する統計               40
 
 思い出ばなし・水泳バスのこと                20
 思い出ばなし・二重身体検査事件               20
 思い出ばなし・どんち                    25
 
 先生と生徒のプロフィル                   47
 Memorys of 3・F                 81
 
 若き日の想い               ロング・フェロウ 0c
 初恋                      島崎 藤村  37
 ふるさとの                   三木 露風  39
 夢みたものは                  立原 道造  55
 海の鐘                     デェメル   59
 山頂                      バイロン   68
 
 お別れのことば                 和田 万寿男 80
 お別れのことば                 山田 英二  80
 
 編集あとがき                        85
 
 住所録                           86
 よせがき                       0b & 90
       (表紙・カット           阿波 雅敏) 0a
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 卒業記念誌《�� 19570316 同志社高校三年F組》        88
 
 発行
 上田 堅一郎
 編集
 広森 美知子
 笹谷 妙子
 和田 万寿夫
 山田 英二
 印刷
 阿波 雅敏

 
>>
 
 新居にて                    並河 純
 
 わたくしごとで恐縮である。
 昭和二十九年の二月といえばちょうど今度の卒業生諸君が入学する直
前だが、このとき妻の病気が発見されて──結婚後一年を経たところで
ある──その後三ヶ年わたくしは比叡山の麓の下宿で独り暮しを余儀な
くされた。学生時代から住みなれた北白川の住いをすてて、辺鄙なとこ
ろに移ったのは、世の刺戟をさけて淋しさをたえようとするつもりから
であった。しかし事実は志と反して、妻の病気の一進一退と、一時はか
なり憂慮すべき状態にまでなったことなどから、却ってわたしは、刺戟
を求めて生活と感情に混乱をきたすようになった。
 不幸にして諸君はわたしのこんな時期に三ヶ年間の岩倉生活を始めら
れ、終えられることになったのである。いかにも諸君にとって、御迷惑
な話であった。わたしは、私生活の感情の起伏をできるだけ学級にもち
こまないように努めはしたが、以前のように生徒諸君の成長のリズムに
到底歩調をそろえることは不可能であった。加えて、それまでのわたし
の教壇生活数年間の経験は、教材の下調べや生徒諸君の指導方式にわた
しなりの一種の型をつくりあげていた。特別の手数を要せずして日常の
ことは果たし得た。愚かにして芭蕉の格言「初心忘るべからず」の意を
わすれてマンネリズムを来たしていた。
 「初心忘るべからず」これは、本校のある先生が去られるときに言わ
れた言葉だが、再び、わたし自身の自戒のためと、諸君の卒業にはなむ
けしたい。わたしは嵯峨の新しい住いで、藁で灰をつくったり、ガス風
呂を爆発させたりしながら、ようやく病からのがれ得た妻を迎える準備
をしながら、四月からもう一度、初心にかえって教壇に立ちたいと念願
している。
 ともあれ、卒業とは、何となく悲しく、何となく嬉しいものだ。わた
しの高校同窓の森川辰郎が、卒業にあたって詠んだ句が、最近、句集に
収めて出版された。
 
 一歩一歩校庭の雪かたからず
 雪の校庭わが曳く影を拒まざる
 雪の夜の寮歌となりて宴果てぬ
 雪の夜の寮歌の喉の嗄るるまで
 
 自分たちの高校卒業時の感懐をふりかえって諸君の前途多幸を祈るこ
のごろである。
── 卒業記念誌《�� 19570316 同志社高校三年F組》P07-08
 
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 ◆ 地方名士(なびか&なみかわ)
 
── 並河 純(なびか・じゅん)山陰酸素工業社長、安来市商工会議
所会頭。没昭和62年5月19日 60歳[腹部動脈瘤]生大正15年7月1日
(島根県安来市) 学京都大文学部卒、京大大学院修了 歴昭和37年、
山陰酸素工業常務。その後専務を経て50年、代表取締役社長。56年から
安来商工会議所会頭を努めた。
── 《ジャパン WHO was WHO 19880325 日外アソシエーツ》P459
 
…… 2002年1月3日(木)
 今日も雪。なんだか降り積もる気配。寒いのが嫌いな旬公は「ワタシ
は雪国にヨメに来たんじゃない」とブツブツ。ぼくの方も、そろそろ庭
に建っている書庫を整理しはじめなければならないのだが、吹雪がヒド
イので外に出られない。森川辰郎『句文集 松江』(臼井書房、1954)
は、戦中を旧制松江高校で過ごした著者の俳句と俳句論。正直云って、
俳句としてはまったく見るところがないように思える(俳句のことはよ
くワカランのだけど)。この本を買ったのは、装幀が花森安治だったか
ら。花森は戦前に松江高校を卒業しているので、その縁で装幀を頼んだ
らしい。松江の地名を描き文字で並べたデザインがいい。(略)
── 南陀楼綾繁《正月読書日記 20020112 mailmagazine of book reviews vol.58》
[書評]のメルマガ
http://www.aguni.com/hon/review/back/58.html
 

 花森 安治《暮しの手帖》創刊 19111025 兵庫 19780114 66 /
 並河 純 (なみかわ・じゅん)19260701 島根 19870519 60 /
 森川 辰郎          1926‥‥  ── 《句文集・松江 1954 臼井書房》
 下村 福    “フクちゃん”1923‥‥ 京都 19990205 76 /
── 下村 福《松籟・をさむ遺句集 2001 皓星社》

 
 おなじ国語教諭で、大丸の次男だった“フクちゃん”こと下村福先生
にはかなわないが、並河先生も故郷では財界御曹司として、わがままに
育てられた“ボンボン”である。
 ふだん苦虫を噛みつぶしたような表情だが、若の花が勝った翌日だけ
は機嫌がよくなる相撲ファンでもあった。
 1955年春(最初の授業で)与太郎の姓=阿波を「アバ」と呼んだのは、
岡山県の阿波村(あばそん)に準じた記憶によるものか。ふつうは徳島
や三重県の「アワ」と読むのが一般的である。
 先生自身の姓は、同志社では「なみかわ」と呼ばれていたが、地元の
読みは「なびか」らしい。訃報によれば1962年、常務就任とあるので、
高木宏二の書簡(19600620)から二年後に退職されたのであろう。
 
 ◆ 疑惑
 
 与太郎の同級生で、《�堯佞茲螳貲�後輩の女流作家が、自伝の中で、
同志社中学から高校までの諸先生に関するエピソードを、ほとんど実名
のまま活写している。当の本人が読んだら、ギャフンというような大胆
なギャクも織りこまれていて、痛快きわまりない。
 並河先生については、進学に関するきわどい会話が再現されていて、
読みとばすことができない。しかるに、当時の先生の家庭環境や実家の
背景から推するに(与太郎のみるところ)必然性にとぼしく、なにより
客観的な状況証拠がない。
 故人には釈明のチャンスがないのだから、せめて彼女は(文学的良識
にもとづいて)論理的な推論を述べるべきだろう。
 全文を引用することはできないが、彼女はつぎのように結んでいる。
 
…… 何がどうしてどうなったのか、聞くとパンドラの箱の蓋が開きそ
うで聞けなかった。                 (P161-172)
── 遠藤 瓔子《タンゴ、口には出せず(3)20010401 gui 62号》        
(前半の一部は、彼女自身のHPで公開されている。↓)
http://www.geocities.jp/endohkun_22/profile/gui.html
────────────────────────────────
 画像番号[z0a-90]
 
 ◆
 
 若き日の想い
 
 昔なじみの街路に影落す木々は
 うえしたにゆっくり枝をゆりながら
 美しい歌を唱っている
 いまなおため息と共にさゝやいている
 
   少年のこゝろは風のこゝろ
   若き日の想いは遥か遥けし
   
   H.W.Longfello
 
────────────────────────────────
 画像番号[z0c-]P0c
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19570316
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570316
1957年03月16日(土) 卒業記念誌《�堯嫺瓜崋匚盥算闇�F組
 
(20051208)


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