2009年12月13日(日)
今月こそは3日に1度は日記を書こう、しかも続き物を書いてしまおう、
さしあたっては銀座をめざすも川崎で途中下車して以降の顛末、
などと思っていたらばとんでもない事態で、日記どころではなくなってしまったのだった。
近くに住まわせていた父親が、朝目が覚めたら足が立たないというのだ。
あららというんで、マダムが勤める整形外科に連れて行ったら、
整形的な問題ではなくおそらく一過性脳虚血発作というやつだろうと。
脳梗塞の、それは前兆であるらしい。
7年前に一度脳梗塞をやっている彼には今もかかりつけの医者がいて、
その受診日がすぐ間近、んじゃその時きっちり診てもらおうということに落ち着いた。
足の異常はすでに治まり、差し迫った問題ではなさそうだった。
ところが今日はくだんの医院に向かうというまさにその朝、
前夜に見聴きしたらしい幻覚についてろれつの回らぬ舌で語り始めた父は
突然スイッチが切れたように、外部からの刺激に一切の反応を示さなくなってしまった。
これは前回の脳梗塞の時とまったく同じ状況だつうんで、あたふたと救急車を呼びつける。
さぁ、そこからが今回の騒動の始まり。
どこへ行っても検査検査で、なにも進まない毎日。
身の回りのことが急速にできなくなっていく父。
それと反比例するかのように喋る喋る。
思い出話だけならまだいいが、時に幻覚、時に罵倒。
要するに支離滅裂。
あー、も−、こいつはバカボンのパパか。
そういうわけで、ぼくはちょっと疲れた。
猫、触りたい。
2009年12月03日(木)
映画「パンドラの匣」は県内での上映は皆無、都内でも2館でしかやっていなくて、
それも11月の27日で終わりだという。しかも朝一番の1回きり。
これは行くんだったら今日しかないと思い立ったのが23日のことだった。
と、3日に1度は日記を書こうとの決意表明をしたぼくは、
先月の、1週間以上も前のことを平気で書いてしまう。
計画はこうだ。
朝9時45分からの回を銀座で観る。
その後、日比谷公園で猫撮りして帰る。
そのためには8時半には電車に乗っていたい。
カメラバッグを肩にかけ、あたふたと家を出る。
3、40分がたって、次は川崎というところで異変は起きた。
腹具合がなんだかおかしい。なんかぐるぐるいっている。
実はぼくは歩く便意、山根君(cf. ちびまる子)とマダムに呼ばれている。
学生時代は書店に入ると必ずそれを催し、立ち読みというものがまったくできなかった。
都内まで通勤していた頃は、ひとつ隣の辻堂以外全部の駅で途中下車したことがある。
藤沢、大船、戸塚、横浜、川崎、品川、新橋のトイレ事情にはかなり詳しかったと自負している。
狙い目は戸塚、数なら横浜、品川は常時行列だから川崎で早めにすませておくのが賢明だとか。
というわけで横浜・川崎間。
この区間は次の川崎・品川間と並んで猛烈に距離が長い。
私鉄ならば急行、ひょっとしたら特急なみに延々と停まらず走っている。
ぐずぐずしているうちにここで脂汗を流す羽目になったことは何度もある。
だもんで、ここはやりすごして品川まで様子をみようなどと甘いことは思わず、あっさり川崎で途中下車。
はい、ぼくの用事はここですからねーという涼しい顔を装いつつ内心忸怩。
もう映画には絶対間に合わない。
あー、なんでぼくはこんなシネコンではやらないような映画ばっかり観たくなるんだ。
さよなら「パンドラの匣」。さよなら川上未映子。さよなら仲里依紗。
DVDでいずれ会おう。
続いたりする。
2009年12月02日(水)
凄いというかなんつうか我ながらあきれてしまうのは、
9月も10月も11月も、日記を書いたのは1度しかない。
それって月報というやつですか、もしかして。わはは。
というわけで、心を入れかえて12月。
今月こそは毎日書こうとは、しかしすでに言えなくなってしまった。
だって、もう2日ですもの。
昨日はいろいろ決意してみただけで、結局書けませんでしたもの。
まー、3日に1回ぐらいは書こうな、まるこめ君。
と、ここで「2日に1回」と言わないあたりが予防線。
あと、誰かに感心されようとは思わぬこと。
起承転結とかなくても許す。4行でも許す。
まず書いてみよ。習慣づけてみよ。
そんなこんなで、昨日、職場で驚いたこと。
みんなラブモードジンジャーを飲んでいる。
あずきペプシやしそペプシとちがって、こちらはリピーターがいるもよう。
あはははは、それはワタシ。しかし、内心こう思ってる。
「ディアボロジンジャーはもう売ってないんか」