スカーレットの心のつぶやき
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2003年01月31日(金) 絵手紙展

今日は日赤の受診日だったので、母と一緒に行きました。
この最近は日赤の患者数が減ったのか、とても空いているのです。

思っていたよりも早い時間に終わったので
私達仲間の絵手紙展が開かれている銀行へ行ってきました。

自分で言うのも変ですが、今回の絵手紙展はとてもよかったです。

「絵手紙で綴る日本の四季」をテーマにしていたので
春夏秋冬の4つに分けて貼っていました。

まずテーマの言葉が書いてあります。

「季節に色があるように
春は希望のすみれ色
夏は情熱の赤色
秋は人を想うセピア色
冬は純粋な真綿色

四季折々の花、野菜、果物を
一枚のハガキにおもいをこめてあなたのもとに届けます
今年一年が穏やかなように幸せに暮らせますように」


春は赤いバラを描き
 「花のまわりに蝶が舞い鳥が歌居笑顔が集まる」
夏はハイビスカスを描き
 「情熱の赤に負けない元気なこころ」
秋は柿を描き
 「秋の花は何故か人恋しくて」
冬は水仙を描き
 「凛として咲く姿にあなたを想う」

春は菜の花、スイトピー、パンジー、ゆり、バラ、つくし
さくらんぼ、お雛様、梅、アスパラ、カーネーション、シクラメン

夏はあじさい、ひまわり、かぼちゃ、ハイビスカス、花火、ほうずき
カンナ

秋は柿、秋桜、栗、彼岸花、梨、イチョウ、稲穂、ざくろ、落ち葉
葡萄

冬はゆず、葉牡丹、ポインセチア、羽根つきの羽、サンタクロース
千両、つわぶき、蟹

など全部で180枚の絵手紙が黒い台紙の上に貼られています。

自分が描いた絵手紙なのに、こうして見るとまるで
絵手紙が一人歩きをしているような、ちょっと嬉しく
ちょっと恥ずかしいそんな気持がしました。

でも、やはり絵手紙をしていて良かったとつくづく思いました。
  


2003年01月30日(木) 参観日

今日は娘の中学の参観日でした。

参観する授業が音楽だったので興味があって
楽しみにしていたのです。

中学にもなると親も参観日にはなかなか来ることも少なく
なっています。
でも私は、自分ができることは参観に出席することと
学級Pに残ることぐらいなので、今日も残りました。

今日の音楽の授業はアルトリーコーダーの演奏でした。
班に分かれて数人が一つの曲を演奏していました。

「リンドン」と「カントリーロード」の曲を演奏したのですが
それぞれが難しいのに上手く演奏していたのには
驚きました。

特に男子はリコーダーが苦手な子が多いのだそうですが
私が聞いた限りでは上手かったです。

その後に行われた学年Pには20人ほどしか残って
いませんでした。
一年も後36日しか残っていないので、先生としては
子供たちが休まずに登校して意欲を持って勉強してほしいという気持ちなのでしょうね。

3学期の成績が高校入試に繋がるとか、三年になって慌てて勉強をしても、もう遅いらしいです。私も娘に勉強しなさいと言わなくなったので、娘が自主的に勉強してくれれば嬉しいと思います。

寒い参観でした。


2003年01月29日(水) 救急車

昨日、ベッドの中に入った頃から、心臓の具合が悪くなり
不整脈は出るし、呼吸がしにくい感じがするし
心臓が押さえつけられる気がして苦しくなりました。

一人で寝ているのは不安もあるし
もしもということを思うと、娘に夫を呼んでもらって
事情を話しておきました。

心配はかけたくないし、娘は救急車を呼ぼうといいましたが
少し様子を見ようと思いそのまま寝ることにしました。

でも、なかなか寝付かれず、心臓の具合は良くならず
脈拍数を数えながら横になっていたのです。

いつもは気にしない娘が私のことを気遣ってくれたのには
驚いたしまた嬉しかったです。

私の場合は手術をしている病院へ行かなければならず
遠いし、何かあると不安になります。

でも、今朝は無事に目が覚めて、調子はやはりいつもと違いますが
それでも朝の家事を済ますことができました。

今朝の寒さはこの冬一番の寒さでした。
今日の最高気温も2度までしか上がらないとか
寒さも心臓には悪いの、本当は家に居るのが良いのですが
今日は美容院の予約をしているので行かないといけません。

今日が無事に終わることを神様にお願いして出かけることにします。


2003年01月28日(火) 三寒四温

春に季節が移っていくときにいつも聞く言葉に「三寒四温」
という言葉があります。

この言葉の通り、今日はこちらはとても寒くて雪もちらつきそうな
感じがします。

夕べは風がきつくて、ヒューヒューと音を立てていました。

暖かな日が数日続いたので、体もそれに合うように
なっていたのに、又真冬の寒さに戻ったので
きっと体の中のセンサーは吃驚するか壊れるかしてしまいそうです。

こんな日は暖かな部屋で好きなことをして過ごすのが
一番だと一人で納得している私です。

好きな音楽をかけながら、暖かなココアを飲み
本をパラパラ・・・そして誰かに長い長い手紙を綴る・・・

外は寒そうだけれど、私のこころには暖かな風が心地よく感じる
そう、そんな一日にしたい・・・

嫌なことは忘れよう!
もう振り回されないようにしよう!
私は私であって、他の誰でもないのだから・・・

今日一日がステキな日になりますように・・・


2003年01月27日(月) 雨

起きてみると雨、それも本格的な雨が降っています。

こちらは水不足で断水の心配もあって、この雨はめぐみの雨でも
あるのですが、気分的には雨より晴れが嬉しいです。

雨はこころを落ち着かせてくれる反面、何か鬱陶しく感じるのです。

晴れていると、「さあ、今日も一日頑張るぞ!」と言う気持になって
洗濯、掃除、布団干しと張り切る私です。

雨の日は、こうしてパソコンに向かうか、絵手紙を描くか
本を読むかの一日になりそうです。

精神的に弱っている時には、晴れよりは雨がいいです。
何もしないで蒲団の中にもぐりこんで一日を過ごすのも
悪くないなって思います。

思うだけで絶対に私には出来ないことなのですが
一日蒲団の中で過ごしたいと思うときもあるのです。

専業主婦としては、日曜祭日がないので
毎日が同じ仕事の繰り返しで過ぎていき
気がつくともうこんな年になっていて
自分の心の中でだけですが、哀しくなります。

今日は雨、でも私のこころは晴れ晴れと過ごしましょう。


2003年01月26日(日) 選挙

今日は、愛媛県知事選挙と私の住む伊予市長と市議会議員選挙が
あります。

市長選挙は立候補した人が一人だったので、無投票になりました。
市議会議員は定員より一人多く立候補したので、選挙になったのです。

先日来、朝から夜まで選挙カーが走り、一生懸命に訴えていました。

この頃はどこでも、関心度が少なくなり、投票率も下がって
きているようです。

私は20歳で選挙権を持ってからは殆ど選挙してきました。

時には、投票したい人が居なくて、やめようかなと思ったことも
ありましたが、それでも行って無記名投票したことがあります。

棄権するよりは良いかなと思ったのですが、結果は同じことでは
あります・・・

知事選は今回は少し興味があって、私の投票した人に
勝ち目はないとは思うのですが、頑張ってほしいと思っています。

即日投票なので、今夜遅くには結果がわかるはすです。

今の不景気な世の中を良い方向へ持って行ってくれる人が
居て、少しでも住みやすい社会を実現してくれることを
こころから願って、一票を投じて来ようと思っています。


2003年01月25日(土) ショッピング

今日は朝から出かけていて、帰ったのは午後3時でした。

久しぶりに娘と一緒にショッピングでした。

まず家から15キロほど離れた所にあるアウトレットモールへ
行きました。
私は3度目ですが、娘は初めてで物珍しさも手伝ってか
色々と見て回っていました。

結局、雑貨を扱っている所で可愛いものや(歯ブラシ、マラカス
お香、便利なものでは、コードをまとめるもの等を買って
嬉しそうでした。

私は娘に春物のブラウス、Tシャツ、バッグを買って
やりました。

お昼を済ませて、今度は美術館へ行きました。
娘が小学一年の時から習っている習字の展覧会が
あり、特選に選ばれていた娘の作品を見に行きました。
高校生にもなると、もう芸術的な字が書けていたのには
驚きました。

娘も大人になっても、ずっと習字は続けていてほしいと思います。

高島屋へ車を置いていたので、美術館へも紀伊国屋書店にも
歩いて行きました。
土曜日ということもあり、人出も多く、今はインフルエンザも
流行っているので、用事を済ませて直ぐに帰ろうと
思っていたのですが、
7回で「全国うまいものめぐり」をしていたので
父の大好物の虎屋のういろうをお土産に買って
帰りました。

長い時間歩いて座ることもなくて、本当に疲れました。

でも、こうして娘と一緒に買い物に行けるのは嬉しかったです。


2003年01月24日(金) 久しぶり

今日は最後の歯医者でした。

仮に付けて貰っていたブリッジを本付けにしてもらい
一応長かった治療も完了しました。

煩わしさがなくなってほっとしています。

歯医者の帰りに、母と松山より少し山方面にある
母の弟の家に行きました。

前から伊予みかんをあげるから取りに来てと
言われていたので、帰りに寄りました。

叔父と叔母といとこに会うのは本当に久しぶりでした。

母の兄弟で今生きているのはこの叔父だけです。

叔父は大工さんをしていました。
いとこも父親の仕事を手伝っていたのですが、20代のころに
病気をしてからは、ずっと家に居ます。

いとこの息子や娘はもう独立し、孫もできていました。

今まではいとこが居るという訳で、母が何故か行きにくかった
のです。

でも、いとこは最近は体の具合もよくって
今日も色々な話の中に入って、楽しい時間を
過ごすことができました。

私は叔母に「今が最高ね、家族はやはりこうして支えあって暮らせるのが
一番よ」と言いましたが、
これはどこの家族でも同じだと思います。

なんと言っても最後は家族です。

何かの時にお互いが支えあい、喜びは倍に悲しみは半分に
できるのは、家族にちがいないと言う気持を
新たにして帰ってきました。

伊予みかんも嬉しかったけれど、叔父の家が明るく楽しく
なっていたのが、一番嬉しかったです。


2003年01月23日(木) やりくり料理

昨日はお昼前から急に用ができて、昼食を食べる暇もなく
走り回りました。

そのためか、夕食ごろからとても体調が悪くなって
夕食もそこそこに蒲団に入りました。

昔はとても早寝していたのですが、この頃は遅く寝ることに慣れて
しまって、体に悪いとは思いながら直さなかったのです。

でも、昨夜は6時半頃から横になって眠ったのがいつかも分からない
ほど疲れていました。

そのためか今朝は4時前に目が覚めてしまい、朝食の準備も済ませ
私一人で早目の朝食をとり、今晩の献立を考えました。

外は雨で、買い物に行く気にもなれないので、冷蔵庫の中にあるもので
夕食を作ろうと思いました。

まず、豆腐があるので�‥鯑ι絖△魯張粉未肇魁璽鵑隆無佑�あるので
ツナとコーンのサラダを作りました。
��としては、やはり冷蔵庫の中にある、ウインナーを使って
ポトフ風の一品を作りました。
味付けは自己流、少し甘みもあるケッチャップ味のポトフです。

ジャガイモ、玉葱、ニンジンとシャウエッセンを炒めて
コンソメをいれ、ケッチャップと白ワインを少し
隠し味にお砂糖をほんの少々。

後はタッパーの7層鍋が助けてくれそうです。

買い物に行かないでやりくり料理の献立で専業主婦の私は
自己満足しています。


2003年01月22日(水) 早朝散歩

今朝も、昨日に引き続いて、朝の散歩に行きました。

昨日よりは少し時間が遅かったので、明るくて通学途中の
子供たちの姿もありました。

絵手紙を描くと、朝往復30分の道を郵便局のポストまで
投函するために行くのが、唯一の私の運動になっていました。

年が明けるまでは、寒くても歩いていたのですが、
お正月を中に挟んで、少し気分的にも怠ける気持に
なっていたので、最近は歩いてなかったのです。

昨日、菜の花を摘みに歩いたのがやはり良かったので
又今日から始めようと思っています。

朝歩くのは確かに寒くて、母に言わすと「心臓に悪い」のだ
そうです。

でも、一番気持が良いです。

朝食を済ませて30分歩くと、体がすっきりした気持になれます。

ダイエットをする必要はないのですが、体を動かすことが
家事くらいなので、歩くのが一番の運動なのです。

朝歩いて帰ると、体中がほかほかしてきて、とても暖かく
なります。

道の途中で出会う人との挨拶も清清しく感じますし、
出会う犬の中にとても可愛い犬が居るので
それも楽しみの一つです。

さあ、三日坊主にならないように、頑張るぞ!!


2003年01月21日(火) 夜明け前

今朝、まだ夜明け前、近くの土手へ菜の花を摘みに行きました。

空はどんよりとしてグレー色の雲が被っていました。

北の方角から肌を刺すような、又身が引きしまるような
冷たい風が吹いてきていました。

雲の切れ間から、満月に近い月が白く浮かび上がると
まるで墨絵を見ているような感じがしました。

私は夜明け前が大好きです。

白々と夜が明けて、太陽の顔は見えないけれど
山の端がほんのりと赤くなって、今まで真っ暗だった
空も周りの空気も明るくなってくるこの瞬間に
「ああ生きていて良かった」と思うのです。

土手を少し行くと大きなトラックが仕事のためでしょうか
煌びやかなライトをつけて走っていました。

犬の散歩の人が顔中マスクといった感じで
向こうから歩いてきます。

私は「お早うございます」と大きな声で挨拶をしたのですが
なにぶん、大きすぎるマスクのために返事をしてくれたのか
くれなかったのかは分かりませんでした。

私にとって一人で歩くのが一番心がリラックスする時間です。
好きな歌を歌いながら、周りの景色を見ながら歩くのは
本当に自分だけの時間を過ごしていると思えて幸せな
気分になるのです。

15分くらい歩くと、菜の花が咲いている場所に来ました。

ハサミと袋を持って行っていたので、早速数本チョッキンと
切って貰って帰りました。
まだ少し早いのか蕾が多かったように思います。

家の用事を済ませて後はお昼まで菜の花の絵手紙を10枚
描きました。

娘も夫も居ない一人の時間がとても有り難く
私の唯一の幸せタイムでした。


2003年01月20日(月) 6024・8020を目指して

今日は最後の歯医者の日だったので行きました。

前にかぶせてもらったブリッジが、何故か舌に当たって
気になるので、仮につけてもらっていました。

少し削ってもらって前に比べると良いようですが
又様子を見てからということになり
もう一度行くことになってしまいました。

歯医者の壁に貼ってあったポスターに「6024・8020」を
目指そうと書いてありました。

これは、できれば一生自分の歯で食べましょうという
啓蒙運動で、60歳の時には自分の歯を24本
82歳では20本は持っていましょうということでした。

今TVで歯磨きのCMで歯周病と言う言葉とよく聞きます。
歯周病はほうっておくと歯槽膿漏になり、歯茎からの
出血や腫れや痛みがあり、最後は虫歯でない歯さえも
ぐらぐらして抜歯することになるという怖い病気です。

この運動に書かれている歯の数は理想であって
実際に80歳の人の平均はなんと8、2本だそうです。

20本の歯を持っている人は全体の15、3%しか居ないと
いうことに、驚きました。

歯周病にならないためには
 �.丱薀鵐垢里箸譴真�生活をすること
 �▲好肇譽垢鬚燭瓩覆い海�
 ��正しい磨き方
 �せ�石の除去
を守ることだそうです。

私は死ぬまで自分の歯で居たいと思うので
一年に2回は歯石を取ってもらっています。
又歯間ブラシと歯の間を掃除するフロスを毎食後の
歯磨きの時に使っています。

何かを口にするとすぐに磨きます。

こんなに注意してても悪くなるのはきっと母の遺伝かな?
なんて思っています。

今の私には自分の歯が20本しかありません。
6024には届きませんが
これからも歯周病になって歯を無くさぬように
今以上に気をつけて歯を入れ歯にしなくてもいいように
したいと思っています。 


2003年01月19日(日) お葬式

今日は、父を松山にある葬儀社へ連れて行きました。

父が再就職をしていたときの同じ職場の女性のお母さんが
亡くなったのです。

年齢は100歳に近いとか。

家族にとっては年齢は関係なく哀しい出来事では
ありますが、100歳まで生きたということは
見方を変えれば、めでたいことではないかと思います。

父は今年82歳になります。
母も同じ年です。

今は両親は二人とも、元気で寝込むこともなく自分たちのことを
しています。

でも、高齢なのでいつどんなことになるかは分からないと
覚悟はしていますが、いざその時になると
私はきっとショックで寝込むのでは?と思っています。

父は「100歳まで生きるのだ」といつも言っています。
確かに、今までは体はどこも悪い所はなくて
元気にしています。

これはもしかすると100歳まで?・・・と思ったりするの
ですが・・・

父に私が言っている言葉は
「元気で長生きしてね。でも、ボケて元気なのは一番
家族は苦労するのよ、頭もしっかりしていてね」です。

考えてみると、ちょっと冷たい言葉ですが、私は自分が
年を取っても、同じような気持です。

人間の寿命は分からないから,皆生きていけるのです。

私が自分のお葬式のことを考えるようになるのは
まだまだの年ですが、娘が一人っ子なので
絶対に娘に負担のないようにとは思っています。

お葬式はしなくて良い、お坊さんに来てもらって
拝んでもらうだけでよい。
骨はそこらの海に散骨すればよい。
お墓参りは大変だから、お墓へ入れてもらわなくても
良い・・・と。

自分のことはそう思うのですが、やはりそれはまだ時期が
遠いからでしょうか?

両親が今のような話をすると私のこころはきっと
たまらなくなって、淋しく哀しくなるはずです。

でも、今も時代はどんなことが起こるか分かりません。

今の時期に自分のお葬式のことまで良く考えておきたいと
つくづく思っています。


2003年01月18日(土) 輝市  その2

今朝、7時半に近くの朝市「輝市」へ行って来ました。

毎週土日に開かれているのですが、近くの人は勿論
遠くの人も来ていてとても賑わっている朝市です。

品物は野菜を中心に、今の時期はみかんや伊予みかんが
多いですが、そのほかにも花、植木鉢、お菓子、お寿司
みそ、うどん、そば・・・まあいっぱいのものが置いて
います。

私がここで買うものは大体決っているのですが
今日は、プチトマトを2パック、散らし寿司を2つ
くさもちを2パック、水仙の切花、可愛い鉢にはいったお花
を買いました。

この花の名前が分からなくて、友人にメールをして
教えてもらおうと思います。

散らし寿司は、柚子が入っていて味は薄味で、香りも少し
して本当に美味しいおすしです。
これが200円なのですが、信じられないほど美味しいです。

又手作りの草もちは、蓬がいっぱい入ってこれも良い匂いが
して食欲をそそります。

はたはおふくもとで、柔らかく食べやすく
中の粒餡がまたあっさりして良い味です。

私は甘いものはは苦手で、食べることはあまりないのですが
ここの草もちだけは食べるのです。

プチトマトは、無農薬で栽培されているので安心です。

水仙の香りはとても好きで今の花の中では一番です。
名前の分からない、可愛い花を早速絵手紙に描こうと思っています。


2003年01月17日(金) 12ヶ月点検

今日は私が乗っている車のの12ヶ月点検をしてもらいました。

人間も病気がないときにドックに入って体に異状はないかを
調べてもらうことが大事なように
車も定期的に検査をしてもらうのが良いと思っています。

私が免許を取得した時に勉強をした、毎日の始動点検を
自分がすればそれが一番なのですが
機械に弱い私としては、プロの人に任せてみてもらうしか
ありません。

私の車は買って4年になる軽のムーブです。
シートの高さが高いので、腰の悪い母には乗りやすく
一番良いと言われています。

私も今までに乗ったどの車よりも(軽自動車ではあるけれど)
乗りやすく運転が楽で、見かけも気に入っているので
大事に長く乗ることがでえばいいなあっと思っています。

だから、半年に一回点検に出しているのですが、
今回は冷却水がベルトから少量漏れているように
言われました。

前のスズキの車もそのベルトを交換する時期になっていて
今のムーブに換えました。

車も機械ですから、当たり外れがあるかもしれません。
だから、人と比べても駄目だと思います。

私の足代わりになっている車ですから、絶対になくてはならない
ものです。

こうして半年に一回みてもらっているので、今までは別に
問題となるところは出てきていませんでした。

来年は2度目の車検です。

それまでにトラブルのないことを願って、又お世話にります。


2003年01月16日(木) 歯医者

今日は、数ヶ月に渡って治療をしている歯医者の予約日でした。

左の下の歯3本を一番奥の歯と奥から5番目の歯にかけて
ブリッジをかけてもらったのです。

この数日は奥の歯の仮歯がのいていたので、食事も
ままならず、痛みはないもののとても不自由でした。

今日は、そのブリッジが出来上がり、入れてくれて
調子を見ながら削ってくれたのですが
少しでも高さを感じると、削りなおし、時間は1時間以上かかりました。

ブリッジは慣れてくるとは思うのですが、
何かしら、舌で触れて気になるところがあるので
本づけにはしないで、仮につけてもらいました。

歯科助手の若い女の人が削ってくれたのですが
ちょっとした、違いで良い悪いが決るので
慎重に何度も繰り返し入れたり出したりしながら
削り合わせてくれました。

歯の医者でなくても、助手の方で充分の技術があるのでは?と
思えるほど、丁寧にしてくれました。

本当は今日で終わる予定になっていたのですが
結局、来週の月曜日まで今のまま様子をみて
良ければ本つけになり、駄目ならもう少し合うように
してもらって完成ということになりました。

年と取っても、自分の歯で食べようと思っているので
歯のケアーはしているつもりです。

母の話を聞くと、入れ歯だけにはしたくないと
思うので、これからも充分気をつけたいと思っています。


2003年01月15日(水) 不整脈

今日は、私の心臓の病院「愛媛病院」の診察日でした。

予約は取ってるのですが、渋滞に巻き込まれると嫌なので
朝早く7時前に家を出ました。

一ヶ月ほど前から、いつも不正脈に悩まされていました。

24時間心電図ホルダーをつけて検査してもらったら
なんと一日に2000回の乱れがあったとかで
「リスモダン」というクスリを処方してもらいました。

このクスリも飲み始めて丁度4週間になります。

完全になくなったわけではないのですが、やはり前に比べると
随分楽になりました。

クスリの有り難さを感じています。

クスリは確かに副作用を伴うことが多く、このクスリには
のどの渇き、尿量の減少、低血糖等の副作用があるようです。

今のところは自覚する副作用はないのですが、出てくるかも
しれないので、一応の覚悟はしています。

今日は心電図をとってもらったのですが、もう少しこのまま
様子を見ることになりました。

私は先天性の心臓疾患で今までに2度の手術を受けています。
平成6年に大動脈弁を人工弁に換えました。
本当は僧房弁も置換するはずだったのですが、この方は穴を
縫い合わせるという処置で済みました。

少しこのことに不安もあるので、今日は医師に聞いてみましたが、
多分大丈夫だとのことです。

考えてもどうしようもないことですので、成り行きに任すしか
ありません。

このまま再手術というようなことがないことを神様に祈るだけです。


2003年01月14日(火) 建設ラッシュ

今、私が住む地域は建設ラッシュで、私の家の前にも
マンションというか洒落たアパートというか
そんなのが建っていて、朝からトントンと騒がしい音が
しています。

少し行ったところにも住宅が数件建てられていて、娘の
登校や下校で通る道が通行がしにくくなっている
そうです。

ここ伊予市は松山市へ通勤する人が多いので
家を建てたりマンションを借りたりするのだそうです。

確かに坪単価は松山に比べると安いと思うし
時間的には松山へ30分もあれば通えるので
ベッドタウンになっているようです。

今見てみると流行りということもあるのでしょうが
2×4住宅を良く見かけます。

カナダから来た建て方のようですが
実際はどのような意味なのか分かりません。

唯見ていて分かることは、完成するまでの日数が短い点です。

これで建築費用も安く、安全性にも優れているなら
今後もこの建て方が流行するかもしれません。

因みに私が今住んでいる家は純和風です。


2003年01月13日(月) 白内障

今日は、父と一緒に明日白内障の手術を受ける叔母の所に
お見舞いを持って行きました。

叔母は父の妹で今年76歳になります。
今までは健康で入院もしたことがない人なので
勿論手術もはじめてです。

心細いのかなって思いましたがそうでもなくて安心しました。

年を取ると老化現象で白内障になる人が多いそうで手術も簡単で
心配することもなさそうでした。

白内障は医学書をみると、高血圧・糖尿病・目の怪我などに起因するものと、原因不明のものとがあるそうですが、最近は原因不明のものが多くなってきているようです。

最新の自然医学では白内障の原因は活性酸素によって組織を形成する細胞が攻撃を受け、蛋白が凝固白濁したものと考えられています。

カイロプラクティックによる治療は眼部も血流を改善する治療と眼部の熱をとる治療が主となります。治療後、「目の前が明るくなって、良く見えるようになった」というのが一般的な評価です。

活性酸素対策としては、現在臓器移植を成功に導いているピクノジナルを使います。これはピクノジナルが医薬品ではなく、もともと栄養剤だから使えるのです。医師以外は医薬品を用いることはできないのです。

近年、眼科医は手術で水晶体を除去し、光学レンズを埋め込む治療が好結果をもたらしているようですが、血管の劣化によっては手術不能の場合もあるようです。

入院は2泊3日だそうですが、手術の時間はとても短くて
1時間もすればもう目を使っても良いのだそうです。

叔母曰く、「今までは物がはっきり見えなかったけれど
手術後は、家の中の汚れが良く見えて、掃除をしなくちゃね」

よく見えるのは確かに良いことですが、見えにくい方が
良いことがもしかしたらあるかもせれません。

叔母の目の手術が上手く行くことを祈っています。


2003年01月12日(日) ALS

今朝、NHKの番組の中で、現在ALSという病気と闘っている
人のことを知りました。

ALSとは筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)
のことです。          

筋萎縮性側索硬化症は、随意運動だけが進行性に出来なくなっていく疾患で、Charcot(1869)が初めて記載しましたので、シャルコー病の名前があります。また、米国では有名な野球選手のルー・ゲーリックがこの病気になったために、ルー・ゲーリック病ということもあります。

「筋萎縮」という言葉は、骨格筋を支配している脊髄前角細胞(下位運動ニューロン)に原因があって筋肉が萎縮してくるもの(神経原性筋萎縮)を言い、骨格筋自体の病気で筋肉が萎縮するもの(筋原性筋萎縮)は含みません。また、「側索硬化症」とは、脊髄の側索(錐体路=上位運動ニューロンの神経繊維)が変性し、グリア細胞の増殖のために硬化していることを示します。このように、筋萎縮性側索硬化症は下位運動ニューロンと上位運動ニューロンの両方を侵し、結果として筋肉の動きを低下させてくるものなのです。

筋萎縮性側索硬化症では、純粋に運動神経のみが侵され、感覚神経や自律神経など、他の系統の神経は侵されません。(中村さんのHPより)

人工呼吸器をつけなければ生きていけない人が、自分の意思の伝達の
手段としてパソコンを使って話していました。

わずかに動く手で特別なキーボードを打ちそれが声として
出てくるから会話が可能になっています。

そして自分だけでなく日本中の同じ病気と闘っている人たちを
励まし続けているのです。

その姿や気持を思うとき、自分の足で立ち、自分の頭で考え動かす
ことができる私が、悩んでいることなど大したことはないと
あらためて思いました。

今おかれている状況の中でいかに生きるかをもっと真摯に
考えて行きたいと思っています。


2003年01月11日(土) お墓参り

今日は父方の祖母の47回目の命日でした。
今生きていれば102歳だそうです。

松山は今日は薄曇、でも風もなく穏やかな日、午後の2時間
両親と3人で、祖母のお墓へ行きました。

祖母は、私を可愛がってくれたそうで、いつもおんぼを
してくれていたそうです。

私が幼稚園に上がるか上がらないときに亡くなったので
私の記憶には祖母はあまりありません。

写真を見ると何となく思い出す程度です。

祖母は55歳で子宮ガンで亡くなりました。

日赤に入院していたのですが、亡くなる前ころに私は母と
病院へ行ったことだけ覚えています。

思い出とはなんと哀しいものでしょうか、それほど可愛がってもらった
祖母の思い出は、この入院していた所へ行った時に
私がまだ小さかったから、スリッパをきちんと履くことができず
パタパタと音を立てて歩いたことを
祖母がやかましいと言って怒ったことしかないのです。

癌も末期になり痛みは想像以上のものがあり、気持の余裕もなく
イライラしていたのだということは、今になると良くわかるのですが
その時は多分怒られて嫌だったことしか覚えていないのです。

祖母のお墓の前に立ち、好物だった「最中」とみかんを
備え、心の中で、父も母の高齢になりましたが
今元気で居られることへの感謝の気持を言いました。

又来年もこうして両親とお墓参りに来ることが
できることを、私は祈らずにはいられませんでした。


2003年01月10日(金) 無理をしてでも

昨日の今日のことで、中には何だと思っている方も
居るだろうなあ・・・

昨日は本当に辛くて悲しくて、こんな哀しい思いを
どうして?私がしなければいけないのかと思いました。

自分で何がどうなっているのかさえ理解できず
パニックに陥っていました。

今日も朝から何もする気もしなかったけれど
一応主婦の仕事はして蒲団の中で寝てました。

母が心配して来てくれたけれど、私の心は晴れず
まだ昨日のことが頭の中で堂々巡りをしています。

こんな思いで毎日を過ごしたくないから
今日は自分自身に鞭打って、無理をしています。

でもこうでもしないと私はつぶされてしまいそうになって・・・
また昨日に舞い戻りそう。

だから閉じたHPを又立ち上げたのです。

明日のことは明日に考えようと思えたら
どんなに楽だろうと思います。

私のような人間はきっと神様が長くは生かさないと思うのですが・・・


2003年01月09日(木) 片付け

年末に大掃除をするのが普通なのですが、
娘は今年、それも学校が始まろうとする頃になって
自分の部屋の掃除を始めました。

部屋の中はベッド、机、本棚、小物を入れる三段になった
引き出し等、狭い部屋いっぱいに置いています。

最近は部屋の中で育てると言って観葉植物を集めだして
狭い部屋は余計に狭くなりました。

そこで、勉強を妨げそうなものを排除しようと思ったらしく
「これもいらない、あれもいらない」と色んなものを
部屋の外へ出したのです。

私の寝室が娘の部屋の直ぐ横になるので
娘の不用品で私の部屋もピアノを置いている部屋も
いっぱいになりました。

まるで引越しをしようかとしている家のようでした。

私は一時的にパニックになってしまって
一体何から片付けようかと考えてしまい
2、3日そのままの状態で様子を見ました。

娘は自分の部屋から要らない物を外へ出したのですみますが
私は落ち着かなくて、その2,3日はイライラしました。

でも、一つ一つのものを要る物と要らないものとに分け
ゴミ袋4つ分の不用品を作りました。
要らないものは捨てるという意識がいかに大事かを再確認した
と同時に、これらのものを購入した時のことを思い出しました。

なんとか片付けることができ掃除も済ませ、ほっとしていますが
今度と言う今度は要らないものを持つべきでないと
つくづく思いました。

やはり片付いている部屋が一番です。


2003年01月08日(水) 歯医者

今日は、去年から続いている歯の治療に行ってきました。

私はいつも思うのですが、歯医者さんへ行って、治療のためとは言え
大きな口をなんの抵抗もなく開けることが
とても恥ずかしいことのように思えるのです。

何か自分の恥部を見せているような気がして、とても意識
してしまいます。
下から見られると鼻の穴まで見られるということに
私はとても抵抗があるのです。

勿論、医者の立場ではそんなことは全く関係ないことだと
思いますし、
私が感じていることのほうが馬鹿らしいと思います。

でも、無防備の状態で大きな口を開けていることは
何か自分自身の心の中まで見られているような気がするのです。

今日は仮の歯を作ってもらったのでその入れ具合の調節と
本付けする歯の型を取りました。

暖かで柔らかくて、ガムのようなものを口いっぱいに入れられて
そのまま乾くまで同じ状態で居なければならなかったのですが
これは確かに屈辱感を覚えました。

まあそんなことを言いながらも次回で仕上がるということなので
安心していますが、
私は死ぬまで自分の歯で居たいという願望があるので
これからも歯の管理には気をつけて行きたいと思います。


2003年01月07日(火) どうしよう・・・

朝早く起きることができるのが当たり前の私だったのに
お正月の癖が残っていて、ああ・・・起きれなくなりそう・・・

どうしよう。

明日からは娘の中学も始業式だし、夫も今日から仕事だし
いつものように 早く起きて家事を済ませていた
私に戻らないと・・・

昔は本当に早寝早起きで、21時には就寝していたのが
パソコンをし始めて就寝時間がだんだんと遅くなって
今じゃ12時になってしまうこともしばしば。

早く寝ないととはいつも思うのだけれど
し出すとなかなか止められなくて遅くなってしまうのです。

でも、絶対に明日からは元の起床時間である4時半には起きようと
思っているから、大丈夫だと思うのだけれど・・・

でも、もし明日今日のように7時に目が覚めることに
なったら、学校に遅れてしまう・・・

今日は早寝をしようーと。!!


2003年01月06日(月) 一喜一憂

今年からは、何があっても落ち着いていようと思っていたのに
早くもそれが崩れそうで、一喜一憂している私が居ます。

人間は弱いから、こころを皆に見られたくないと思うし
また人のこころの中に、入っていくのが怖いと思うのです。

自己ガードをして、バリアを作って誰にも覗かれたくないと
思うのは私だけなのでしょうか?

今朝一番に私の誤解から、もう少しで友人を無くす所でした。

結局は私が考えすぎたのが原因で解決はしたのですが
やはり私自身の弱さを再認識しました。

本当に早く気がついてよかった。

もしあのまま誤解したままで終わっていたら
昨年と同じ轍を踏んでいたかもしれません。

本当に今年は少々のことで動揺せず
一喜一憂しないように、もっと自分を融通性のある人間に
しなくちゃとつくづく思います。


2003年01月05日(日) 年賀状

今年も色々な年賀状をいただきました。

年賀状と一口に言っても、様々で、印刷したものもあれば
一枚一枚墨を摺って達筆な筆遣いで書かれたものもあります。

最近はパソコンの普及によって、楽しく工夫されたものや
デジカメで撮った写真を加工してプリントアウトしたものが多かったようです。

私は娘が生まれた時から、写真入のポストカードを写真屋さんで作って
貰ってずっと出しています。

この写真入のポストカードに対しては賛否両論で嫌いだと言う方も
居るはずです。

私も個人的なお付き合いの人や家族でのお付き合いの人には
出すのは良いと思うのですが
子供や家族とかかわりのない人には出すのがっ躊躇われました。

でも、一年に一回の年賀状だけのお付き合いの人には
私が今こういう状態ですよというお知らせにもなると思うので
出しています。

また娘がお世話になった小学校時代の先生方には
今の娘の成長を見てもらえることもあって出し続けています。

また今年はひつじの絵手紙年賀状を25枚ほど描いて出しました。

絵手紙は貰ってくれる人が喜んでくれると思うと
描く筆にも力が入りました。
ひつじは可愛くてやさしそうな感じがして描いていてほっとするところが
ありました。

仲間からも絵手紙年賀状が届きました。
どの年賀状もありがたく嬉しいものですが、絵手紙年賀状はまた
良いものでした。

私が元気で年賀状を出すことができる間は家族の写真入のポストカードの
何賀状と絵手紙年賀状を出そうと思っています。


2003年01月04日(土) 仕事始め



本来なら今日が仕事始めなのですが、
土曜日なので本当に始動するのは月曜日の6日なのでしょう。

「一年の計は元旦にあり」の言葉どおり、新年の始まりはその人の一年にとってとても重要な日だと思います。

受験生は後一息のところまで来ていますし、
この社会の不況の中で自分の気持に反して仕事を辞めなければならない人たちにとっては、今年がどんな年になるかで自分だけでなく家族の問題にもなってくると思います。

健康な人はまだなんとかなるにしても、今病気と戦っている人は
今年がどんなになるか、不安や焦りもあるのではないでしょうか。

私がとても孤独な気持でこのお正月を過ごしたということもあるでしょうが
何かこの一年が不吉な予感がしてならないのです。

両親が今年も元気で過ごしてくれること、
夫や娘が健康で無事に過ごしてくれること
そして私が精神的に元気で過ごせること
こういった何でもないことが今年初めの一番の願いです。

そして、今ネット上のお付き合いの方々の小さな幸せを祈りたいと思っています。



2003年01月03日(金) 昨日に引き続いて

昨日はとうとう一人で家に帰り夜を過ごしました。

何も考えたくなく、クスリを飲んで床につきました。

夢の中、夜中に電話の音がしたような気しましたが
私は携帯の電源も切って、唯ひたすら眠ろうとしました。

何もかもが嫌になり、自分自身の存在すら鬱陶しくなりました。

昔の私なら、ここでの選択の道は決っていました。
でも、今はその選択の道へも進めない、不自由さを覚えます。

家族の柵はいつも私の自由な羽ばたきを阻止しようとします。

本当の私はもっともっと自由に向かって大きな羽で飛び立ちたい
と願っているのです。

でも、年老いた母のことを思うとき、その自由への私の気持が
まるで風船のように小さな音を立ててしぼんで行きます。

母は私の生きがいです、母無しの私の人生はありえません。

夫よりも娘よりも私には大事な存在です。
だから、私が今考えたり思ったりしていることを
現実化できないのです。

母がもっと若く、私も健康なら、私は母と二人の生活がしたい
何もいらない、本当にそう思います。

家族は母一人で良いのです。

今年一年を暗示するような、そんな淋しい年明け、
私にとって今年は茨の道を歩くようなそんな
一年になるのかもしれません。

昨日に引き続いて娘とは一切会話をしていない私です。


2003年01月02日(木) 良いお正月

今日はこちらはとても良いお天気です。

昔、私の叔父がまだ存命だった頃、お正月に私の家に来て
お酒を飲み、御節を食べながら、いつも言っていたことば
「ああ、今日は良いお正月だなあ・・・」を
思い出しました。

叔父は49歳で亡くなりました。
私は父よりもこの叔父が大好きで、また叔父も私を娘のように
可愛がってくれました。

今思うと49歳という年齢は本当に若かったのだと思えます。

その叔父のことが妙に懐かしく感じる今日のようないいお天気の日は
初詣にでも行けば良いのでしょうが、
昨夜の娘との喧嘩が尾を引いて、何か楽しくない気分の一日です。

実家には姉が来て、皆で楽しくトランプやゲームに興じていましたが
私は家に戻って一人パソコンに向かっています。

自分の生きてきた道やこれからの人生のことを思うとき
これではいけないと思うことばかりです。

何となくだらだらと過ぎる日々がとても勿体無く思えるのです。

昔から私は太く短い人生を願ってきました。

親不孝な娘だったかもしれませんが
私はやはり私の人生を歩みたいとつくづく思います。


2003年01月01日(水) 明けましておめでとう

2003年の始まりです。

皆様、明けましておめでとうございます!!

今年が良い一年になりますように心から祈りたいと思っています。

お正月休みでHPの更新もしないと思っていたのに
やはり一日に一回はHPを開かずにはいられなくて
家にちょっとの間帰っています。

年賀状をたくさん戴いて、一枚一枚丁寧にゆっくりと
読みました。
それぞれの年賀状にはこころが篭って、ありがたくまた
楽しく見ました。

絵手紙で貰った年賀状は仲間からでした。
松山中央郵便局主催の「私の年賀状コンクール」作品募集に
応募しようと、仲間から貰った年賀状を封筒に入れて送りました。

私にとって、今年も絵手紙やパソコンという楽しさと共に
今は休んでいるピアノを再開したい、
そして、「日本語ネットワーク」も3年目にはいるので
もっと外国の人に教える正しい日本語の教え方の勉強を
したいと思っています。

娘も中二になり、難しい時期がまだ続くと思うので
干渉はしないで、今年一年は母親として一番大切なことは何かと
こころして過ごして行きたいと思っています。

そして、私は無理をすることが多いので、そのことで家族に心配をかけないよう気をつけていきたいとも思っています。


スカーレット