スカーレットの心のつぶやき
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| 2005年12月31日(土) |
我が家の四大ニュース |
今年は本当に色々なことがあった。
今年一年を振り返ってみて
我が家の四大ニュースを考えてみた。
�〔爾旅盥仔�学
娘が第一志望校に無事入学できたことはとても嬉しかった。
小学校時代に私が教育ママをした成果も出たのかな?
なんて一人で考えてしまった。
後は娘が自分の頭で考え
自分の心で決め
自分の足で人生を歩んで行ってほしいと思う。
��父の入院
去年の秋からの父の入退院の繰り返しは
私の生活の中でとても大きな位置を占めた。
何をするにも、まず父のことが頭に浮かんだ。
だから遠出も出来なかったし
私自身の趣味であるヴァイオリンも中止。
まさに今年は看護の年だったような気がする。
でも、お正月を前に父が退院し
今は安定しているので本当に嬉しい。
��私の入院
夏、思わぬことで入院してしまった。
そして病院側の手術ミスが起きた。
今もその症状は回復されていない。
一時は裁判まで持って行こうなんて思って
弁護士の所まで相談に行ったりしたけれど
今はそういう気持はなくなってしまった。
やはり気持ちって変わるものだ。
今は教授が丁寧に診察しフォローしてくれている。
今の治療で少しは改善されてきているから
この状態でしばらく様子をみようと思う。
それにしても主婦の入院って大変なことだった。
夫と娘に私の存在価値が少しはわかってもらえたら
それはそれで意義にあるものだったように思う。
�た景垢悗療蟾�
去年の秋に始めて投稿した文章が
新聞に掲載されたのきっかけで
今年も思いつくままに書いたものを投稿した。
一ヶ月に一回の割合で掲載されたことって
本当に嬉しいことだった。
やはり載るということは書く励みになる。
来年もボツにめげずに頑張って投稿しようと思う。
そして夢は本にすることだ。
今書き溜めているものや
心の中で練っているものを
いつか出版社に送ってみようと思う。
叶わぬことでも
夢を持つってステキだから。
以上、私にとって大きな出来事だった。
書いてみて私は幸せだったと思える。
だって父のこと以外、そんなに重大なことのようには思えないから。
来年もいいことがありますように。
つぶやきを見てくれた方々に心から
°・:,。★\(^-^ )♪ありがとう♪( ^-^)/★,。・:・°
また来年もよろしくお願いします。
皆さん良いお年をお迎えください。
早いもので明日は大晦日、
大晦日といえば、
ベートーベンの第九交響曲最終楽章「合唱」だ。
「合唱」は我々のよりよい未来に対する人々の希望を表している。
心の中から生きる勇気が湧いてくる。
しかし、
この素晴らしい作曲家ベートーベンの一生は、
苦難に満ちたものだったようだ。
モーツァルトとは対照的に
あまり裕福ではない家に生まれ、
父親から生活のために音楽を強制され、
過酷な練習に耐えながら孤独で辛い毎日を過ごした。
優しかった母親との死や
淡い恋心を抱いた教え子との悲恋。
そして、
音楽家としては致命的な難聴という苦しみの連続だった。
そんな苦しみの中で出来た
あの有名すぎる交響曲第五番「運命」の冒頭の「タタタターン」は
まさに「過酷な運命が扉をたたく音」だった。
運命を聞くたびにスケールの大きさと
彼の負けないという強い意志を感じる。
第九を作曲した頃は、
全く耳が聞こえない状態だったとは思えない素晴らしい曲だ。
ベートーベンの心と音楽には、
自由への憧れと人間の尊さを信じる気持ち、
あらゆる苦難に立ち向かっていく
人間の勇気がみなぎっている。
そんな彼の人生を思いながら、
改めて大晦日に第九を聞いてみたい。
昨日、年末の大掃除の時に、
私の秘密の引き出しを整理していたら
茶色のA4版の封筒に入った
娘からの手紙と絵が出てきた。
今、娘は16歳、高校一年生だ。
思春期を迎え、
段々と私とは違う性格を見せ始めた。
反抗期はとうに過ぎたものの
今でも、時々喧嘩をしてしまう。
先日の夜もちょっとしたことで言い合いになった。
もう二度と話すものかと思った。
娘も私に対する反発を覚えたようだ。
「小さい頃はあんなに素直で可愛かったのに・・」と思ったものだ。
そんなことを思い出しながら、
見つけた封筒を開いて中の手紙を読んでみた。
娘が幼稚園の年中さんの頃、
私は心臓の手術をして二ヶ月入院した。
その時に娘が私の手術の成功を祈って書いてくれた手紙と
可愛い絵を読み直していくうちに涙だ出てきた。
それ以前にもらった拙い字の手紙や絵もあった。
10通ほどの手紙と絵は
私の誕生日と母の日に送ってくれたものだ。
その手紙の中には
必ず「体には気をつけて長生きしてね」という言葉と
「三人で仲良く暮らそうね」という言葉が書かれてある。
普段はそんなことを思っているなんて思えないが
やはり心の中では私の体のことを心配してくれているのだ・・
小さい頃は「お母さんが一番好き」とか
「いつもありがとう」と書かれていた。
娘の小さい胸を痛ませたこともあったことを
今本当に後悔している。
夫との関係が上手くいかなかった頃、
本気で離婚を考えていた頃、
きっと娘はそれを察知していたのだろうと思う。
後4年、
娘が成人するまで、
否、結婚して家庭を持つまで、
私は娘の母であり続けなければならないと思う。
母親というものは
私自身が母について思う通り、
病気でも良い、
いつまでも生きていて欲しいと願う存在だ。
私が生きている限り、
娘の母であるということを忘れないで居たい。
反省すべきことだらけの私、
でも、一生懸命に家事をこなしている私、
何とか家族三人で仲良く
(たとえ仮面をかぶっていても)
今の生活を守ることが大事なのだと思う。
娘からの手紙と絵は
私の一生の宝物になるだろう。
大切にしたいと心から思う。
とにかくぐじゃぐじゃ考えていても仕方ないと思った。
このままいつまでも落ち込んでいてはバカみたいだ。
私が元気を出すために
あの人の存在が必要なのなら
それはそれで良いではないかと思った。
そして、その結果が吉と出るか凶と出るかは
やってみないとわからないと思った。
思い切って電話をかけてみた。
いつも私がワンコールしたら
あの人からまたワンコールがかかることになっている。
仕事中で手が放せない状態の時もあるから
直接はかけないことが多い。
昨日は娘の高校の三者面談があった。
午後2時からだった。
1時には家を出なければならない。
早めのお昼を済ませ、
12時半頃にワンコールしてみた。
思っていた通り、
返事のワンコールはなし。
前の私なら
気付いてくれるまで何度もかけていた。
でも、それがあの人が一番嫌がることだということが
私に十分すぎるほど分かってから、
一度かけて返って来なければ、
二度とかけないことにしていた。
三者面談が始まる15分前にあの人からの電話がかかってきた。
6秒で切れた。
掛け直した。
こうしてつながるということがとても嬉しい。
ひと月に一回くらいしか話すことはないけれど、
こんな関係が一番良いのだと思う。
風邪を引いているような鼻声だった。
いつも朝冷たい水浴びをしているから
風邪を引くことはないと言っていたけれど
この最近の寒さでやはり風邪を引いたそうだ。
私の近況を話して
その後はあの人の一番好きな話をした。
笑ってしまった。
本当に楽しかった。
会えなくても良い。
会わない方が良い。
気楽に話しが出来ることこそ
私の一番の願いだったのだから。
周りの者達にも迷惑もかけないし
何も悪いことをしているということでもない。
ただの友達として話が出来るようになったことが
神様に感謝したいくらい嬉しいのだ。
現金なもので、
私の一昨日からの落ち込みは綺麗に払拭された。
元気が出てきた。
年の瀬の残り少ない日々を
またいつもの私のまま送ることが出来そうだ。
あの笑い声と
いつもの冗談を思い出すことで
私の心は癒される。
かけてみて良かった。
私に物事を見極める力と分別が備わったから
今のこういう快適な状態が訪れたのだろう。
このままで居たい。
来年も、これからもずっと・・・
やはり心が病気だ。
元気が出ない。
親友と話をすれば
いつもなら、話し終わる頃には元気になっている。
それなのに、
昨夜電話で話しても同じように落ち込んでいる私。
この状態から抜け出ることはできるのだろうか?
どんなにしたら良いのだろう?
本当に分からない。
昔同じように落ち込んだ時は
あの人のことを思い、
あの人の顔を見ることが出来たら
元気になっていた。
でも、今はもう会うことは出来ない。
せめて、
電話で声を聞きたいけれど
今の私にはそうする勇気も湧いてこないのだ。
あの人は、元気のない私なんかと話をしたくはないだろう。
心が元気な私しか
あの人と話す資格はないんだ。
だから、電話を躊躇してしまう。
あの人の笑い声やいつもの言葉を聞いたら
きっと今の私は復活できるだろう。
本当は顔だって見たいのだ。
でも、それは不可能だから・・・
自分の力で立ち直るしかない。
小さなことでくよくよしてしまう私の姿を
あの人には見せたくないのだ。
第二の瀬戸内寂聴なんて大きなことを言っているし
あの人は私の落ち込んだ姿など見たくないはずだから。
それにしても、
毎日がとても虚しく過ぎていくのは何故だろう。
同じことの繰り返しをして大切な時間が過ぎていく。
なにも残ることをしていない。
消え去ってしまうことの積み重ねは
まるで賽の河原で石を積み上げているのと同じだ。
やっと積むことが出来たと思ったら
壊されてまた何もない状態になる。
ああ〜本当に嫌だ。
何もしたくない。
ずっと目覚めねばいいのにと思う。
人は皆誰でも、
自分がここに存在しているという
意味というか価値を感じてこそ
生きていられるのだと思う。
昨日ちょっとした夫とのトラブルが起きた。
夫は、いつもと同じ気持ち、
つまり、私は全く気にしてないだろうという軽い気持ちから
笑ったし、ため息をついたのだと思う。
でも、昨日はその瞬間から
私の心はどんどん暗い穴の中に入って行った。
そういえば、結婚して20年になるけれど
夫は私の存在価値を全く認めていない気がする。
私の言葉や行動を
全てバカらしいことと決め付けている風がある。
だから、私の言葉をあざ笑うかのような行動をするのだ。
ああ〜嫌だ。
こんな家には居たくない。
夫と顔を合わすのも嫌だ。
このまま家を出ることが出来たらどんなに良いだろう。
両親さえ居なければ
私は家を出る。
娘は夫と仲が良いから
私が居なくても何とも思わないはず。
昨日だって、娘は私の愚痴を全く聞こうとはしなかった。
娘も私の存在価値など気にはしてないのだと思った。
私は勿論、頭なんか良くないから
理論的なことでは夫や娘には言い負かされる。
そしていつも感情的な私を
血液型AB型の二人は
冷ややかに見ている。
ああ〜本当にたまらない・・
嫌で嫌でたまらない。
私は家事を一生懸命にすることで
私のその他の至らぬことは許されると思ってきた。
でも、私にも限界がある。
こんなにも私自身をバカにされるなんて
こんな状態で新しい年を迎える気持ちにもなれない。
クリスマスやお誕生日には、
さも仲の良い夫婦や家族という様子を見せて
まるで仮面をかぶって演じているかのような生活に疲れた。
私にも私だけしかない良い所だってきっとあるはずだ。
私にも生きている価値、
生きていても良い価値はあるはずだ。
私の価値を全く認めない者たちと
これ以上共に生活する必要性など皆無だ。
ああ〜一人になりたい。
一人なら色んなことに心を悩ますことなどきっとないはずだ。
思い切って一人になろうか・・
今日はクリスマス。
「メリー・クリスマス」というお祝いのカードが友人たちから届いた。
やはり嬉しいものだ。
でも、昔に比べると
クリスマスに対する感じ方が変化してきた。
私が子どもの頃は
まだお正月行事の方が盛んだった。
クリスマスを祝うことなどしなかったような気がする。
大人になって青春真っ盛りの頃も
恋人とクリスマスを過ごした記憶がない。
きっとあの頃は
恋人と過ごすクリスマスよりも
クリスマスに食べるケーキの方が
私にとっては重大なことだったのだろう。
食べて吐くという行為に嫌悪感を覚えていたが、
それでも、自己嫌悪の毎日の中で
唯一食べている時は何もかも忘れることが出来ていた。
決して美味しいとか
楽しいとか思って食べていたのではない。
心の中で泣きながら食べていた。
とにかくお腹いっぱいになって
もうこれ以上食べることは出来ないと思うほど
食べて食べて・・・
冷蔵庫の中を漁るくらい食べて、
大きなアイスケーキを丸ごと食べて
お腹を壊したクリスマスもあった。
今思うとまるで嘘のようだ。
子供が生まれてからのクリスマスが
一番楽しかった気がする。
それもまだ子供が小さい頃、
夫がサンタの格好をして
皆着飾って、
ご馳走を並べて、
両親も元気で食卓を共にしていた頃の
あの楽しかったクリスマスの思い出が
今も蘇ってくる。
娘が成長するにつれて
派手に祝うパーティーはしなくなった。
その代わりに三人でささやかなディナーを食べに行くようになった。
今年は23日に行って来た。
心ばかりのプレゼントの交換をして
ほのぼのとした幸せを感じることが出来た。
キリスト教信者でもない私たちが
こうしてキリストの誕生を祝うなんて
何か変な気がするが
今では年中行事になってしまった。
恋人と二人だけのクリスマスを過ごせなかった私は
今頃になってあの人と二人で過ごせたら
どんなに良いだろう・・と思う。
叶わない願い。
でも、心の中で話しをして
心の中で笑いあっている。
ハハハ・・・
笑っちゃうね。
そんな私は、今夜はケーキを買って来ようと思う。
そして家族で二度目のクリスマスをしようと思う。
人ってちょっとしたことで印象がとても変わる。
女性は髪形一つで全く別人のような感じに変わることもある。
顔は整形をしない限り
化粧でしか変わることが出来ないが
髪型を変えることでイメージが変わることが多い。
特に、前髪ってバカにしてはいけないとつくづく思う。
先月の末に美容院でカットをしてもらって
約ひと月足らずになった。
カットしてもらった時から
前髪が気に食わなかった。
前髪は自分でもカットすることがあるのだが
今回は本当におかしくなってしまった。
私の悪い癖で
何か一つのことが気になり始めると仕方がなくなる。
前髪のカットもそうだった。
来月美容院で綺麗にしてもらえば良いのに
それを待つことが出来なかったから
先日自分でカットした。
スキバサミでカットしたものだから
前髪の量が減ってしまった。
若い人たちを見ると
目にかかるほどの長さと量がある。
でも、あれはいやだ。
だから眉が隠れるくらい
量もあまり多くなくパラパラとさせたかった。
でも、一度はさみを入れると
段々とエスカレートしてしまって
本当に短くなってしまったのだ。
ああ〜どうしよう・・
後悔しても後の祭りだ。
後は髪の毛が伸びるのを待つしかない。
鏡の前に立って前髪を引っ張ってみても
やはり気に入るような髪型にはならない。
お正月が来るのに・・
でも、まあ〜良いや。
来月の今頃は丁度良い具合になっているだろう。
それにしても
私のこの拘りっておかしい。
何でもにこういう拘り方をするから
人とトラブルも起きてしまうのだ。
私と付き合う人が疲れるのだ。
来年からは少し変わらないといけないと思う。
人のことより
自分自身がもっと楽になれるだろうから。
それにしても短いな・・・
あなたは今何をしているのだろう。
この寒い朝早くに仕事に出かけているのだろうね。
一日冷たい仕事をしていて
風邪をひいてはいないだろうか。
夜ひとりで過ごす家ではどんなことを思っているのだろう。
好きなワインを飲みながら
そのまま寝てしまっているのだろうか。
それとも、ライフワークにしている
勉強をしているのだろうか。
ピアノは弾いてる?
朝の寒い時間に指が動きにくいでしょうね。
私はピアノもヴァイオリンも
父が退院したというのに全く弾いていない。
明日からは弾こうと思いながら
この間調子を整えてもらってから一度だけ弾いてみた。
やはり一年のブランクはこたえた。
弾けない・・・
音もスムーズに出なかったよ。
弾かなきゃね。
あなたのことを思う時、
昔のように切ない気持ちにはならなくなった。
勿論、会いたいとは思うけれど
どんなことがあっても会いたいとは思わなくなった。
時々声が聞けるだけで、
今のこの関係で充分だと思い始めた。
あなたとは一生続くような気がする。
細く長くと願っていた私だけれど
それが可能か不可能かは
私次第だとわかったから
もうあなたを追い求めない。
あなたの気持は分かったから
それで充分だと思えるようになった。
毎日寝る前に、
あなたのことを思い、
あなたとの最後の電話での会話を
いつも思い出しては一人笑っている私。
これで良いのだと思えるようになったから
今の私はとても幸せ。
今年最後の日か
来年の初めの日に
また声を聞きたいと思う。
今年で五年日記が終わる。
数年前から毎日あなたのことをしたためている日記も
来年からは白紙の日記になる。
またあなたのことを書くのか、
それとも全くあなたは登場しないのか・・
今の私には分からない。
でも、辛いとか
悲しいとか、
そんな言葉は書かないと思う。
あなたと会える日はきっと来るって信じているから。
私はその日のために生きたいと思うから。
あなたは、今何をしているの?
私のことを時々は思い出しているだろうね。
だって、あの最後の電話のあなたの笑い声は
昔の通りだったし、
電話に出てくれた時に聞こえてきた
あの「もしも〜し」は私の一番好きな言葉だから。
風邪を引かないようにね。
こんなことを言っては人格を疑われるかもしれないけれど、
芸能人の離婚ニュースを見るたびに
あの結婚報告をしていた時の
二人の幸せな笑顔を思い出す。
そしてちょっとだけ優越感を感じる。
結婚の意味、離婚の意味を思う。
今朝のTVのワイドショーで
あの「北の国から」で共演したのがきっかけで
結婚したカップルが離婚したと聞いた。
彼には彼女が家を出て行った原因が理解できないそうだが
私には何となく分かる気がする。
一般的な夫婦の離婚原因の一番は性格の不一致だと言う。
この性格の不一致には性の不一致が大きな割合を占めていると思う。
性を含めた上での性格不一致が多い。
でも、これだけで離婚する夫婦だけではない。
他人には理解できないことでも
当事者にとってはとても重要なことがある。
それは夫婦間での
物理的、精神的なすれ違いではないだろうか?
こういう私たち夫婦の間でも
これは否めない事実である。
結婚は夢ではなく現実問題だという認識に欠けていた私は
結婚したらきっと楽しいことばかりが起きると信じていた。
夫は私のことだけを見てくれて
いつも支えていていてくれると信じていた。
でも、実際は違っていた。
恋人同士の時とは違い
生活が存在してくる。
お互いに良い面だけ見せるのではなく
何もかもさらけ出していく生活の中で
こんなはずではなかったと思う事柄が増えてくる。
いつも気持ちの疎通が出来ていれば
どんなことでも話し合い、解決して
離婚まではいかない。
でも、物理的にすれ違いが起きてくると
一人で家の中に居る妻の心の中は
淋しさと不満でいっぱいになり
それがやがては夫への不信感へと広がっていく。
私が若い頃ある人と住んでいた頃、
狭いアパートに一人残され
家事を終えると何もすることのない
まるで砂を噛むような暮らしに飽き飽きして別れたことがある。
部屋の壁に向って一人で座っていると
何故私がこんな生活をしなくちゃいけないのか?と
そんなことだけが頭の中を駆け巡り、
共に居る時間は恋人同士の時に比べると多くはなったけれど
気持ち的には離れて行った。
夫と結婚した当時も同じようなことが起きた。
淋しかった・・・
一人ぼっちだと思った。
でも、私が離婚しなかったのは
夫への気持ちよりももっと大きな存在が出来たからだ。
娘が生まれ私の生きがいが見つかったからだ。
子は鎹だとはよく言ったものだ。
もし、娘が生まれなかったら
きっと今の私たち夫婦は存在しなかったと思う。
小さくても、貧しくても
この三人で築き上げた家族という単位の中で
私はほのぼのとした幸せを感じることが出来る。
今は離婚しなくて本当に良かったと思える。
そして今後も離婚はしないだろうと思う。
今日の彼女のことを、
他愛も無い理由から
家を捨てた人と批難したくない。
彼女の心の中の闇は
いつかきっと晴れるだろう。
そしてその時に初めて
結婚の意味を知るのかもしれない。
昨日は良いお天気だったので
いつも以上に張り切ってやってしまった。
これが裏目に出てしまった。
家族のために家事をするのは当たり前のことだし
私も今まで専業主婦として
ある程度の誇りを持ってやってきた。
そして充実感が私のご褒美だと思ってきた。
小さい頃からの性格で、
なんでもきちんとしないと気の済まない私は
昨日も朝から夕方まで
ほとんど休む暇なく色々なことをした。
やはり途中で休めば良かった・・
夕方になって喉が痛くなり
体がか〜っと熱くなり
熱っぽく感じ、だるくなった。
早めに休んだけれど
今朝になってもやはり疲れが取れていない。
風邪を引いたみたい。
父の看護の時には
絶対に風邪を引いたら駄目だと思って
気を一生懸命に引き締めていた。
お陰で風邪を引くこともなく終えることが出来た。
心に隙間風が吹いてきたみたいに
私の体の中に穴が空いた気がして
その穴を埋めようと懸命に働いたことが
今回の風邪に繋がったみたいだ。
今日から娘は冬休みに入る。
私にも冬休みが欲しい。
身も心も休めたい。
思いっきり眠りたい。
朝寝坊をしたい。
食べるものを作りたくない。
ああ〜本当に体がだるい。
でも、今朝もいつもの時間に起きた。
今日もしんどいのを我慢して働くのだろう。
バカは死ななきゃ直らないというが本当だ。
私が倒れたらどうしようもないと分かっているのに
休むことが出来ない。
バカな私。
それにしても体がだるい。
毎年この時期になると
家中の掃除をしたくなる。
大きなものの洗濯もしたい。
例年なら一度にしなくて良いように
日にちをかけてやっていたことが
今年は父の入院があり
毎日家を留守にしていたので出来なかった。
12月に入り半ばになると
内心とても慌てていた。
今年は数十年来の寒波で良いお天気の日がなかった。
今日は貴重な晴れの日みたいなので
大きなものの洗濯を三回に分けてした。
干す場所がある限り太陽の光の下で乾かしたい。
太陽の日をあびたあのなんとも言えない匂いと
ほんわかした感じの寝具が好きだ。
蒲団乾燥機では味わえない。
ああ〜本当に久しぶりに気持ちの良い朝だ。
こんな良いお天気だと心まで晴れやかになる。
色んなことを思いながら
時には気持ちが落ち込む時もあるけれど
今日のような日は何となくウキウキした気分になれる。
さあ、心の洗濯も一緒にしよう。
毎年、年の瀬を迎えると、
大掃除のことで夫と私の間で小さな諍いが起きる。
今朝も夫の部屋を片付けてと言ったことでトラブルになった。
夫の部屋は足の踏み場もないほど色々なものが置かれている。
何でも大事にしまっておく夫に対し、
捨てることが片付けの一番の秘訣と信じている私とでは
どうしても衝突が起きてしまうのだ。
身の回りの不要はものを整理し捨てれば、
部屋はすっきりするし、気持ちも落ち着く。
勿論、夫のように物を大切にすることは大事なことだ。
でも、数年使わないものは不要なものと判断して
捨てる勇気も必要ではないだろうか。
子供の部屋が散らかっているのは
その子供の心の状態が荒れている証拠だと
いうことを聞いたことがある。
また、山本健治さんの著書「ホウキとヤルキ」には
「掃除とは、自分の外側・環境をきれいにするだけではなく、
自分の内面、すなわち心をきれいにするものだ」とも書かれている。
掃除をすることで
自分自身の心を見つめる余裕も生まれるだろう。
年の終わりに大掃除をして
今年一年の自分自身の心の中をすっきりさせ、
新しい気持ちで来る年を迎えたいものだ。
夫には悪いけれど掃除機をかけさせてもらおう。
一昨日からの妄想は
結局私の思い過ごしに過ぎなかった。
何であんなに必死に思いつめていたのだろう・・
今あれが私の思い過ごしに過ぎなかったとわかって、
自分でもとても不思議に思う。
こういうところが他人から見たら
ちょっと変わっているというか
理解し難い点なのだと思う。
私が自分でも不可解なのだから
他人が理解できなくてもそれは尤もな話だ。
それにしてもあの一日半の私の心と
今の晴れ晴れとした心との違いはとても大きい。
天と地ほどの違いがある。
たったあれだけのことで
私の心の中の霧が晴れ
もやもやとした気分が消えてしまうとは!
私ってやはり他人とは何処か違うのかも・・・
一人相撲を取るとよく他人からいわれる。
あの人とのこともそうだった。
事態は何も変わっていないのに
私一人が色々なことを考え、
時には妄想にかられ、
一人芝居をしているような時があった。
あの人には私のそういう面が分かっていたのだろう。
私についていけないと何度も言われた。
私にもっとペースを落として欲しいとも言われた。
そういうことを言われると
どんなにバカな私でもその時は分かる。
そして心を入れ替えてあの人のいうとおりにしようと思うのだ。
でも、これが長続きしない。
またいつもと同じパターンで
私の身勝手な思い込みであの人を追い込んでしまっていた。
同じことの繰り返しで
少しずつ学習してきた私だと思っていたが
一昨日の妄想でまだまだ学んでいない自分を知った。
あの人の笑い声と共に
私の脳裏に浮かぶのは
楽しかった思い出の数々。
昨日はその思い出の数々を
あの人の声と一緒に思い出していた。
会うことは出来ない。
気持ちはいくらあっても絶対に会うことはない。
これで良いのだと思う。
私の思い過ごしで終わった今回のことが
私にとっては良い結果を産むことになった。
心の風邪も治ったみたい。
やはり私の薬は○○○一つだった。
今日はとても寒い。
今朝起きてみるとあたり一面雪景色だった。
外が明るくなり
太陽が顔を見せるようになって
積もっていた雪が溶け始めた。
まるで一昨日の私の心が
昨日のことで溶けて行ったように・・・
思い過ごしで終わって本当に良かった。
昨日は一日中ある妄想にとり付かれていた。
他人が聞いたらくだらないと言って笑うだろう。
でも、昨日からの私は
この一つごとに捉われ
時に悲しく、
時に焦り、
時にどうしようもない衝動にかられた。
何という確信できる原因があるのではない。
ただ何となく・・そう思い始めたのだ。
妄想とは、
「病的な誤った判断ないし観念」と定義される。
事実と異なることを、事実であると確信して、
周りの者が理詰めで説得することが困難な状態のことだそうだ。
その事柄が実際にありえないことだと
周りの者が分かれば良いけれど
もしかしたら・・という疑念を持つと
その人が思っていることを
一概に妄想だと断定は出来ないのではないだろうか。
妄想にも種類がある。
被害的な内容を持っている被害妄想。
その被害感がとても強い迫害妄想。
自分とは全く関係ないことを自分自身に結びつける関係妄想。
いつも自分が誰かから見られていると思う注察妄想。
誰かに後を付けられていると思う追跡妄想。
食べものに毒が盛られているのではないかと思う被毒妄想。
配偶者が浮気をしているのではないかと思う嫉妬妄想。
特定の人から愛されていると思う恋愛妄想。
自分が重い病気であると信じ込む心気妄想。
自分自身を課題に評価して大きな気持ちになる誇大妄想。
上げれば、そのほかにも色々な種類の妄想がある。
共通していることは、
多分ありえないことをそうだと確信して
自分の心を苦しめていることだと思う。
私の昨日からの妄想も
絶対にありえないと思う反面、
もしかして・・と疑いを持てることだから
どうしても悪い方に考えてしまうのだ。
親友に話したら
根拠のないことなのだろう?と聞かれた。
確かに根拠はないけれど
ありえないことではないから
やはりそのくだらない妄想にとりつかれてしまうのだ。
苦しい。
心が苦しい。
こんなことを急に思い始めるなんて
一体私はどうしてしまったのだろう?
私が今後もくだらない妄想に取り付かれて
苦しむのが嫌なら
その妄想が全く違ったものだという確信を得れば良いのだ。
行動を起こそう。
これ以上同じことを考え続けるのはたまらない。
耐えられない。
結果がどうなろうとも私が納得行くようにしたい。
妄想がただの妄想に過ぎなかったという
確信を得たいと思うから。
寒い、本当に寒い。
12月でこんなに寒い日が続くのって変だ。
北海道や日本海側では積雪も凄いときく。
二十年ぶりのことだそうだ。
私が住んでいる所は気候温暖で雪などめったに降らない。
でも、今月には初雪を見た。
日中の最高気温も5度くらいまでしか上がらなかった。
昨日の朝は氷点下にまで下がったようだった。
起きるのが辛いのは当たり前だ。
毎朝4時に目覚ましが鳴る。
起きる時間は4時15分。
この15分がとても短く感じる。
後1分寝ていたいと思う。
でも、えい!と気合を入れて飛び起きる。
一度起きると後は何ともない。
部屋の中は冷え切っているけれど
ファンヒーターをタイマーにしているお陰で
着替える時は暖かくなる。
でも、本当はせめて6時まで寝ていたいと思う。
夏場は早起きは平気だけれど
こう寒くなってくると
暖かい蒲団から出るのは億劫だ。
いつまでも寝ていたいと思う時もある。
この寒さはこれから段々とひどくなるだろう。
冬至ももう直ぐだ。
今年も残すところ半月になってしまった。
父は退院してから今は安定している。
父が退院したらあれもしたいこれもしたいと思っていたけれど
寒いから行動が伴わない。
ほっとしてどっと疲れも出てきた。
目の痛みも相変わらずだ。
冬眠が良いのかもしれない。
どうしてもしないといけないことだけして
後は冬眠するに限る。
こうして数ヶ月を我慢していると
桜の咲く季節がやってくる。
そして私の一番の楽しみもやってくる。
寒い寒いと愚痴ってばかりいるのはやめよう。
寒い時は寒さを受け入れることが大事だ。
せめて風邪を引かないように気をつけよう。
ああ〜それにしても寒い!
私はこの数年前までは優しい人の意味も、
本当の優しさの意味も知らなかった。
人生50年生きてきて情けないと思う。
皆良い人たちばかりだと思っていた。
私が生まれた家は決して裕福ではなかったけれど
父も母も私に愛情をいっぱい注いでくれた。
私は愛されることが当たり前になって育った。
だから私自身も直ぐに人を愛せる人になったのだと思う。
愛を知らずに育った人は
人を愛する愛し方も分からないのかもしれない。
人を愛しいっぱい傷ついたけれど
一度も愛したことのない人よりは幸せだと思う。
私が今想い続けていることも
これは自己満足の世界だと思う。
私が愛しているならそれで良いと思っていた。
でも、本当の優しさはそうではないのかもしれない。
相手のことを思い、
相手の立場、気持ちを尊重できるということが
本当にその人のことを愛しているということなのだろう。
娘を育てた時も
本当に娘のためを思ってしたことだけではなかったように思う。
私自身の気持ちが済めば
娘がどんな気持ちになったかと考えることもなかった。
私の自己満足の世界に浸っていただけに過ぎない。
本当に人に優しく出来る人は
決して自分の気持を相手に押し付けることはしないのだろう。
そして想いながらも相手に伝えることをせず
ずっと心の中に秘めた想いを持ち続けるのだろう。
優しさに包まれて育った私は
いつの間にか愛されることが当たり前になり
本当の意味で人を愛することや
人へ優しくすることを見失っていたのかもしれない。
いつも自分だけの気持を大事にしてきた私は
恥ずかしい気持ちになってきた。
もっと大人にならないといけない。
年を重ねるということは
醜い面だけではなく
意味のあることなのだから。
私の周りにある本当の優しさに包まれて
私は幸せすぎたのだ。
この幸せを当たり前のことだと思わず
少しは自分の気持を抑えて
相手の立場や気持ちを優先できる人になりたい。
少しずつ少しずつ色んなことが分かってきた。
これも私にとっては一番大切な人のお陰だと思う。
恨みや憎しみの気持ちはもう私にはない。
綺麗になくなってしまった。
本当の意味でのあの人の存在価値が分かったからかもしれない。
今まで本当に有難うと
優しい気持ちで言えると良いな・・
| 2005年12月14日(水) |
ドライアイとハートドライ |
今年の夏頃から運転中、
クーラーの風を直接顔に当てていると
目が充血してきてごろごろとした感じと
痛みを覚えるようになっていた。
化粧を落とすときの洗顔フォームが目に入った時も
同じような症状だったので
結膜炎だと思って目薬を入れて様子を見ていた。
夏が過ぎクーラーを入れないようになってから
しばらく落ち着いていた目の痛みと充血が
この十日前くらいからとてもひどくなった。
目薬をさしても治らない。
赤く充血させた目って感じが悪い。
自分の顔を鏡に映して見ても嫌な感じがする。
昨日思い切って眼科へ行った。
検査の結果、
「ドライアイ」だと言われた。
「ドライアイ」という病名は耳にしたことがある。
涙の出が少なくなり
瞬きをあまりしないために目の痛みや充血が起きてくると思っていたから
私がそのドライアイだとは思ってもみなかった。
涙は出る。
悲しいTVを見ても出るし、
じっとしていても目の痛みがあると涙が出る。
でも、これは目の乾きのために必然的に出る涙だと言う。
そうか・・・
PCに向う時間もあまり長いといけないと言われた。
瞬きを意識してするとか
途中で休んで遠くを見るとかしないといけないとも言われた。
しばらくはPCに向う時間を出来るだけ少なくしたい。
これで少しは治るかもしれない。
医者に目の乾きと充血を改善する目薬をもらって帰った。
でも、思っていたのとは違って、
医者からは治らないと言われた。
対処療法であって根治はしないと言われた。
一生目薬をささないといけないみたいだ。
帰宅してネットで検索してみた。
目の老化も原因の一つのようだった。
肌が乾燥してしわが出来るように
老化によって目も乾きドライアイになると言う。
ショック!
自分ではまだまだ若いと思っていたが
知らず知らずのうちに老化現象は進んでいるのだ・・・
記憶力も落ちてきた。
一つのことに集中する力も落ちてきた。
目や髪や肌だけではなく
全身が老化の道を辿っているのだ。
それなら、せめて心だけは若く居たい。
ハートはいつも熱く燃え、またみずみずしく居たい。
ドライアイは治らなくても
ハートドライにはなりたくない。
あの人のことを思って心が切なくなることや
また懐かしい思い出に浸って涙するのも良いだろう。
「ああ〜私はなんて幸せなんだ」と思う気持ちを持ち続けたいと思う。
私の好きなこと。
お天気の良い日に、一人で車を走らせること。
何ものにもしばられず、心が自由で居られる。
思い出の中に生きることが出来る。
好きなショパンを聞きながら走っていると
嫌なことなど何もなかったような気になる。
直線道路で思いっきりアクセルを踏むと、
次第に心が高揚してくる。
人を乗せているときには絶対にスピードは出さないようにしている。
でも、空いた真っ直ぐに延びた道を走る時は
ついついスピードを出してしまう。
車に乗るとその人の性格が出ると言う。
慎重な運転をしているつもりだが
時にこうして思いっきりスピードを出してみたいと思うのは
私の心の中の一面なのかもしれない。
誰でも二面性を持っている。
私の中にも真面目で几帳面で優しい私と
それを壊そうとする自分勝手な私が存在するのかもしれない。
夜、お風呂に入り化粧を落とし、
台所も綺麗に片付けた後、
好きな本を読みながら
暖かいココアを飲む。
この僅かなひと時がたまらなく良い。
夫や娘が側に居ると落ち着かない。
一人でないと駄目だ。
一人で色んなことを思い浮かべながら
好きな本の世界に入っていける。
落ち着く。
ああ〜生きていて良かった・・と思う。
この十数年つけている日記、
今は五年日記になっているその日記を
数年前に遡って読み返すこと。
これって本当に楽しい。
この二三年の私の心のページの中にいつも出てくる人。
それは私にとって一番の思い出の人だ。
楽しかったことや悲しかったこと、
それらを皆今は懐かしく感じる。
一年前の今日、あの人に会っていた。
二年前の今日電話で話していた。
今年はこうしてあの人との思い出を辿っている。
私の中で終わらそうと思いながらまだ存在している人のことを
思うことを誰にも邪魔されないひと時だ。
日記は私の歴史でもある。
何気ない日々の連続の中で
私が光輝いていたあの一瞬を今こうして蘇らせることが出来る。
来年からまた新しい五年日記になる。
もうあの人のことは書けない。
否、また何か書くような気もする。
でも、涙は見せないつもりだ。
私の好きなことって他愛も無いことだ。
こうして書いてみてつくづく思う。
そして、その他愛も無いことが
今の私と未来の私を元気付けてくれる。
一人でぶらぶらウィンドーショッピングをすること。
買う目的はなくてお金もないけれど
ぶらぶらと似合いそうな服を試着して心を遊ばすことが好きだ。
黒い色の服ばかり目について
持っている服も全部と言って良いくらい黒ばかり。
何の変哲もないシンプルなもの、
でも、流行をちょっとだけ取り入れたものが好き。
人の目を気にせず
自分だけの世界に入ることが出来る。
ちょっとだけ幸せ気分を味わえる。
私の好きなことって
お金のかからない
それでいて心を自由に出来る空間に存在するのだと
こうして書いてみて初めて気付いた。
結局心の自由が一番好きなことなのかもしれない。
寒くなってくると
元々感想肌の私の顔は
化粧水や乳液やそのほか手入れをしても
洗顔の後などは肌がかさつく感じがする。
化粧した後もなんだか引きしばる気もする。
春頃に一滴集中液というものを
化粧水に一滴落として使っていた。
夏場は中断していたのだけれど
また注文して購入し使うようになった。
たった一滴の美容液を化粧水の中に混ぜて肌に入れると
肌がしっとりしてとても気持ちが良い。
化粧ののりも良いみたいだ。
肌に張りが生まれる気がする。
肌の張りを良くするのには
このように一滴の美容液で良い。
でも、心の張りを元に戻すには
何が良いのだろうか?
一滴の美容液に匹敵するものは何だろう?
それは誰かの優しい一言、
私が愛されていると実感できる心、
私は幸せだと思える心、
自分自身で何かをやり遂げることが出来た時の達成感・・
などなど・・・
人それぞれに違うだろう。
私の心の張りを元に戻すものは分かっている。
それは・・・
あの人の電話かな?
それとも明るい笑顔かな?
昔のような私への愛かな?
でも、それって今私が求めることではない。
私の心の張りを元に戻すには
私自身が充実していると感じるものを見つけることだ。
そして、どんな小さなことでもいい
自分が幸せだと感じられるものを見つけること。
私には夢がある。
その夢は実現しないかもしれない。
でも、その夢に向って一歩一歩前進していくことが
結果的には私の心の張りを元に戻してくれるのだろう。
私の心は私の物なのだから。
自分が思うままに生きることが出来たら
どんなに良いだろう。
何も気兼ねせず、
他人への気遣いもなく
自分がこうだと思う通り生きられたら・・
自分自身が生きているということを
こんなにも意識したのは久しぶりだった。
輝いて居たい、
溌剌として居たい、
こぼれるような笑顔で居たい、
堂々と前を向いて居たい。
当たり前のことだけれど
なかなか思っていても出来ないことがある。
今の私自身の気持ちを大事にするならば
私は想う人への気持ちをもっともっと深いものにしたいと思う。
結婚しているからいけないとか
倫理に反しているから駄目だとか、
そう思うのは当たり前のことだ。
でも、人の心ってそんなに理屈では割り切れないものがある。
頭の中で分かっていることでも
心がついて行けないことがある。
葛藤とジレンマの繰り返しをしながら
段々と年を重ねて心が鈍くなっていく。
そんなのはたまらない、
いやだ。
私は私の心のままに生きたい、
それがたとえ倫理に反することであっても、
他人を不幸にしない限り
自分自身の責任の中ですることが出来るのなら
しないで後悔するよりも
思うままに生きたいと思う。
他人の思惑とか
他人の目を考えたくない。
とにかく素直になりたい。
自分自身の心に正直で居たい。
あの人へ想いを伝えることが出来たら・・
不可能に近いことだけれど
私はもう一度声を聞きたいと思う。
思うままに生きることが出来たら
こんなにも苦しむことはないはずだ。
今の私は生きている。
でも、心の中を封じ込めて本当の私の心を
封印しようとしている。
良いのか?
そんなことをして後悔しないのか?
もっと自由な心で羽ばたこう。
春までにはまだまだ日にちがあるけれど
来年の春にはきっと勇気も出るだろう。
それまでの私は冬眠する方が良いような気がする。
思うままに生きてそして死ねば
それが自分にとって最高の終末だと思う。
昨日、パッと開いた新聞に
フジ子・ヘミングソロ・リサイタルが
来年の春に文化会館で開催されるという広告が目に飛び込んでいた。
( ¨)¨)¨)¨)¨)¨)¨) エー!!
驚いた。
フジ子ヘミングのピアノが地元で聴けるなんて
何とラッキーなんだろう!
神戸で開催された彼女の演奏会を
父と母と娘との四人で行ったのが
去年の春、桜が満開の頃だった。
どうしても一度聴きたかった。
彼女の生のピアノは言葉では表現できないくらい
素晴らしいものだった。
あの感動が今も胸に残っている。
もう二度と彼女のピアノを生で聴く機会はないだろうと思っていた。
遠くまで行くとしたら、
旅費とチケット代とではバカにならない。
それが今度は地元で開かれると言う。
これに行かない手はない。
絶対に行こうと思う。
先行予約が始まるのが来週だ。
一般販売の前に良い席が買えるから
申し込もうと思う。
ベートーベンの皇帝、ラ・カンパネラが楽しみだ。
何だかワクワクしてくる。
やはり私の好きなのはコンサートだ。
来年の春、父が今の状態で居てくれたら行ける。
思えば父が去年一緒に神戸へ行ったのが嘘のようだ。
あれからまだ一年半しか経っていない。
コンサートの話を父にしたら
是非行ったら良いと言ってくれた。
父が言ってくれているように
是非行こうと思う。
何かこういった楽しみが出来ると生きる力が沸いてくる。
今から春までの四ヶ月が良いのだ。
頭の中で色んなことを想像しながら待つ時間が楽しい。
誰と行こうかな・・・
どんな服を着ていこうかな・・・
どんな曲が演奏されるのかな・・・
昨日までの数日のもやもやした気分が
す〜っと消えて行った。
笑顔が戻ってきた。
また元の元気な私になれそうだ。
楽しみや夢や希望って
やはり人にとってとても大事なものだと思う。
たとえそれがちっぽけなものであっても
その人にとって大切に思えることって
ステキなことだと思う。
早く春になると良いな。
血液型で人の好き嫌いを決めたらいけないことは分かっている。
でも、今まで生きてきた人生で
出会った数々の人の中で
私と気が合う人は殆どが
A型またはO型の人だった。
私の家族は四人とも典型的なA型。
従兄弟たちも皆A型。
だから私が小さい頃から育った周りの人は皆A型の人ばかりだった。
友人が出来ても自然に選ぶようになっていた。
血液型を聞いてからではなく
聞く前から避けていたような気がする。
A型の人と付き合うのはとても楽だ。
私と似たところがあるから
何となく次はこうなるというのが分かる。
私の親友はO型だ。
O型の人は繊細で大らかな人が多い。
若い頃付き合っていた男性は皆O型の男性だった。
でも、結婚したのはAB型の夫。
そして娘もAB型。
20年経ったから今では夫の性格が理解できるようになった。
だからAB型の人と付き合うのも慣れて平気になってきた。
でも、B型の人との付き合いは今も苦手だ。
同じB型でも女性のB型は平気なのに
B型男性はやはり苦手だ。
知り合って付き合いの初めの頃は
とても明るく積極的で感じも良い。
でも、何かちょっと気持ちのすれ違いがあると
豹変したみたいにうって変わる。
メル友にもB型の男性は居たけれど
皆段々と疎遠になっていった。
やはり私にとってB型の男性は駄目だということだろう。
苦手な人と無理をして付き合う必要はない。
だから急に変わってしまった態度を取られても平気だ。
これでよかったと思える。
その点A型の男性はいいな。
何かあってもまた元に戻ることが出来る。
気心が分かる。
付き合いやすい。
だから長続きできる。
勿論血液型が全てではない。
同じB型の男性でもとても感じ良く付き合える人も居る。
だから一概には言えない。
B型男性に悪い人は居ないと思う。
皆良い人なのだ。
でも、私とは波長が合わないということだ。
気にするのはやめよう。
私の人生だから
私が付き合い安いと思う人とだけ付き合えば良い。
夫とは違う。
一生共にする人とは違う。
家族ではない。
友人なのだから。
それにしてもやはりB型の男性は不可解だ。
謎だらけだ。
これを読んでくれている世のB型の男性
(_ _(--;(_ _(--; pekopekoごめんなさい。
この数日間に起こったことは無にしようと思う。
いつまでも拘り続けるのは嫌だ。
何も良いことがない。
心が重くなってしんどいだけだ。
何もなかったと思いたい。
時間を二週間くらい前まで遡って
その時から今までの時間を消してしおう。
そうすればこの間に起こった色々なことを全て忘れることが出来るはず。
何もなかったと思えば
悲しくも辛くもない。
時間を切り取れば良いだけのことだ。
今日父が退院する。
嬉しそうな父の顔を見ると心が痛む。
退院しても元気になることはないと思う。
また入院することになるだろう。
つかの間の自由で気楽な時になるかもしれない。
でも、年内に帰ることが出来て本当に良かった。
お正月は家で過ごすのが一番だ。
たとえおせち料理を食べることは出来なくても
家で過ごすことの出来るお正月は良い。
私も三十年前、病院のお正月を過ごしたことがある。
病院が家から離れていたので
一時帰宅することも出来なかった。
数人の仲間と共にお正月を病院で過ごした私は
その時にとても淋しい思いをした。
父を迎えに行く時は元気な顔で行こう。
今の私の心の中を見せないようにしよう。
自分でもその時間だけは
色々なことから離れることが出来る。
何もかも無にして新しい年を迎えたい。
心機一転、いいこともあるだろう。
今日の私の心の色は透明だ。
心が晴れない理由は数々ある。
そして、それがどうしようもないことだから
私の力では及ばないことだから、
いくら努力しても報われることではないと分かっていることだから
虚しくて悲しいのだろう。
私の唯一の親友にも
とても理不尽なことが起きた。
私に起きたことと重ね合わせて考えると
本当に悔しくて仕方がない。
自分自身にも全く責任がないとは言えない。
でも、それは突然、
最悪状態で襲い掛かってきた。
こちらは何も心の準備の出来ていない状態の時に
起きたことだから
対処しようにもどうしようもない状態になるまで気付かなかった。
私のことと彼女のことでは
事柄は全く違うけれど
何か釈然としない点では一致している。
彼女の失ったものと
私が失ったものとでは
比較出来るものではない。
でも、本当に腹が立つし、悔しいし
どうしようもないことだから
気落ちもするし・・・
今年は厄年?
なんて彼女と話をした。
来年はきっと良いことが起きるだろうと信じたい。
それにしても何故?
何故私たちなのだろう?
それまで幸せに暮らしていたから
神様がちょっと意地悪したのだろうか?
でも、そんな神様は居ないと思う。
じゃあ貴重な試練を与えてくれたのだろうか?
そうかもしれないが
正直言えばそんな試練は要らない。
ああ〜考えてもどうしようもないことだから
考えないようにしようとは思うけれど
やはりいつも頭の片隅に居座り続けている。
忘れてしまってそれで解決するものではないから
解決方法はないのと同じだ。
耐えるしかないのだろうか・・・
春は本当に来るのだろうか・・・
何故?
いつも心の中で反芻している。
とうとう風邪を引いてしまった。
その風邪も治りにくい心の風邪だ。
熱が出て体がだるく、咳と鼻水が出る風邪の方が
治りは早いような気がする。
体を暖かくして栄養のある
そして消化の良いものを食べて
薬を飲んで寝ていれば大抵の風邪は治る。
でも、心の風邪はやっかいだ。
何もやる気がしない。
眠れないから目が真っ赤になっている。
食欲もない。
鼻水ではなく涙が出る。
心が寒い。
いくら着こんでも、
ホッカイロを身につけても
この寒い心は温かくならない。
こんな時はどうしたら良いのだろう。
蒲団をかぶって寝ているのが一番なのだろうか・・
それとも、
何もかも忘れることが出来るぐらい
がむしゃらに働くのが良いのだろうか・・・
それとも、
皆放棄して何処かへ行くのが良いのだろうか・・
分からない。
私には心の風邪の治療方法が分からない。
天風先生の本を読んで元気を出そうと思うけれど、
分かっていることだから
それを実行できない自分自身が嫌になって
逆効果みたいだ。
こんな時は
何もせずぼう〜としているのが一番なのかもしれない。
「ああ〜しんど!」
私の心の風邪引きの特効薬は
一つだけあるような気がするけれど
今の私には手に入らない。
だから、今は自然治癒を待つしかないのだろう。
それにしても私の今回の心の風邪はしつこい。
夜中、風の音で目覚めた。
まるで何かが襲ってくるかのような音だった。
遠い暗黒の国から
ゴーッとうなりを上げて
私の魂を奪い去ろうとしているようだった。
このまま暗い風に巻き込まれて
何処か遠いところへ押し流されても良いと思った。
私自身の心の闇が
この強い風になって
私を連れ去ろうとしているかのようだった。
夜は物事を考えないようにしている。
寝る前には楽しいことだけ考えようとしていた。
天風先生の言葉の通り、
私は心は元気で居ようと思っていた。
でも、最近の私の心は
元気をなくすというのではなく
何となく生きるということの虚しさを感じるようになった。
消えればどんなに良いだろう・・・
何もかも捨てることが出来たらどんなに良いだろう・・・
でも、出来ない私が居る。
この矛盾に苦しんでいたのかもしれない。
この一週間の私の心は揺れ動いていた。
もう少しで私自身を見失うところだった。
でも、何処かでブレーキがかかった。
間違った道を歩もうとしていた。
本当に一歩間違えば
取り返しのつかないことになるところだった。
今思うと、
そうとう心が疲れていたのだと思う。
日常の生活を失い、
私の中の魔物が私を闇の国へ連れて行くところだった。
危ないところだった。
笑ってしまう。
自分自身の弱さに。
呆れてしまう。
私の心の中には存在している大事なものがある。
それなのにそれを無視しようとしていた。
自分で気がついて本当に良かった。
この一週間はなかったものと思おう。
それがいい。
そして12月を新しい気持ちで歩き出そう。
さざんかの花のピンクのやさしさと、
庭にひっそりと咲いている
つわぶきの清楚さが
私の心を和ませてくれる。
冬には冬の生き方がある。
今の私にも今しか出来ない生き方がある。
そう気付かされたことに感謝したい。
突然何もかもいやになることってあるよね。
昨日の私ってそれだった。
父の病室の中で急に息苦しくなった。
胸がドキドキしてきた。
たまらなく外の空気が吸いたくなって
屋上に出た。
屋上は風も冷たく日差しもあまりなくて寒かった。
遠くに見える山々は緑の中に赤と黄色が混じっていた。
綺麗だった。
下の道路の街路樹は真っ赤に紅葉していた。
その紅葉の下、
大学生たちが歩くのが見えた。
若いって良いなあ・・
あの頃に戻れたら良いのに・・・
なんて考えても仕方ないことを思った。
このまま飛び降りたら?なんて考えた。
きっと心身ともに疲れが限界に来ているのだろう。
色々な意味で精神状態がおかしくなっていたみたいだった。
あの頃の死にたいと思った時とは違う気持ちだった。
あの頃は自分だけのことを考えていればよかったから
死にたいと思えば実行できた。
でも、今は違う。
私には守るべき者が居る。
責任がある。
私が居なくなった後のことを思うと
死ねない。
どんなことがあっても生なくてはいけない。
父と母を見送って
娘が結婚して幸せになる姿を見なくっちゃ。
そして、その頃にまだ今のように死にたいと思ったのなら
それはその時のことだと思う。
人はいつかは死ぬのだ。
それが早いか遅いかの違いだけだ。
自殺は無責任だと思う。
でも時々何もかもいやになることがあるのも確かだ。
今日は気を取り直してまた頑張ろう。
朝、冷たい雨が降っていたが
今は晴れ間がのぞいている。
私の心にも晴れ間がさしてきたみたい。
頑張ろう。
以前、七十歳を越しても
若々しさを保ち、
活き活きとした人生を送っている
人生の先輩からとてもステキな話を聞いた。
それは、「年を取ってもいつまでも若く居る秘訣は
一日に最低五人以上の異性と話をすること」だそうな。
同性ではなく異性と話すことによって
心のときめきを覚え刺激になって
いつまでも若く居られる。
家の中に居たのでは話す機会にも恵まれないから
外へ出ることになる。
年を取って家の中にだけ居るのは良くないから
こうして外に出て異性と話すことは
本当に大切なことだと思った。
なるほどと思った私は
その日以来五人以上の男性と話をすることを続けている。
私は少なくても一日二人の男性と話す。
これは夫と父(笑)
家の中にだけ居たのでは夫しかいない。
入院している病院へ行くと
まず駐車場の男性と朝の挨拶を交わす。
そして、父と話す。
父の主治医とも話すことがある。
売店のおじさんとも会話する。
廊下ですれ違う男性患者さんとも出来るだけ挨拶をしている。
そしてたまにかかるメル友との電話、
毎日寝る前にどれだけの男性と話すことがあったか数えてみると、
五人以上になっているのに驚く。
今までも意識していなかっただけで
五人以上の男性と話をしていたのかもしれない。
一と話すことは楽しいことだけではない。
時には嫌な思いをすることもある。
でも、誰とも会話せず
自分の殻に閉じこもっているよりは
たとえ嫌な感じを覚えても
人と話す方を選びたいと思う。
今日は一人男性と話すことが出来た。
この分だと五人は大丈夫だと思う。
夫にこの話をしたら「良い話だね」と言っていた。
さて、夫は私を含めて
一日にどのくらいの女性と話しているのだろう。
結構私よりもたくさんの女性と話をしていたりして・・
何か複雑な気もするけれど
やはりこれっていいことだと思う。
私しか話す女性が居ないなんて淋しいからね。
今日も父の病院へ行くから
私もきっと五人以上の男性と話をすることが出来るだろうな。
今朝の新聞に先日投稿していた
「雲に乗りたい」が載った。
読み返しながら
またあの辛かった20代のことが甦ってきた。
今は遠い過去のことになってしまったけれど、
あれは確かに現実だったし、
私の人生の中で最も辛い時期だったように思う。
過ぎ去ってみれば
どんな苦しく辛いことも大したことではないような気がする。
それは、多分今の私がとても幸せだからであろう。
こんな小さくても幸せだと思える自分自身がとても不思議でたまらない。
あの頃の私が今の私のような気持になれたら
どんなに辛く悲しいことでも
自暴自棄にならず、
負けないで生きていけたのだろう。
やはり年を重ねるということは
意味のあることなのだと思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「雲に乗りたい」
父が入院している病院からの帰り道、
車に乗ろうとふと見上げた真っ青な空に、
綿雲が一つぽっかりと浮かんでいた。
そして、思わず青春時代に聞いた
黛ジュンの歌「雲に乗りたい」を口ずさんでいた。
私は小さいころから空を見上げるのが大好きだった。
学校の帰り道、
空に浮かんでいる真っ白な雲を見ては
「あの雲に乗って、どこか遠くへ行ってみたいな」と思ったものだ。
「雲のじゅうたんは、きっとふかふかしていて
気持ちが良いだろうな。
あの上を歩いたら足が抜けて地上に落ちるのかな・・」などと、
雲に乗って遠くの国へ行っている自分に心をはせていた。
私の「雲に乗りたい」という気持ちは
大人になってからも
子どもの時と同じだった。
私の友人達が皆、
青春を謳歌していた二十代、
私は入退院の繰り返しの日々を過ごしていた。
外出禁止の病室の窓から眺める雲に
遠く離れた家への思慕を募らせたものだ。
「早く元気になって家に帰りたい、
あの雲に乗ったら帰れるだろうか・・」。
誰にも面会出来ず一人で病気と闘っていた私の心を、
真っ白い雲が癒してくれた。
あれから三十年がたった今、
父の看護をする、
私の疲れた心を和ませてくれるのも
やはり白い雲だ。
一昨日の夜、父の病院に付き添って泊まった。
何故か眠れなかった。
寒かった。
寒いからいっぱい着込んだせいもあって
肩が凝った・・・・
寝具を借りなかったから
薄い毛布一枚を上にかけただけで
ソファーに横たわった。
風邪を引きそうだった。
心配していた父の手術は成功し、
熱も出なかったし痛みもあまりなくて順調だった。
安心したように眠っている父の側で
父の寝息を子守唄にしようかと思いながら
横になっていたけれど
結局その夜は一睡も出来なかった。
父のために持って行っていたラジオを聴いていた。
昔大学受験の頃、
いつも聞いていたラジオだったが
最近はFM放送しか聞かなくなっていた。
でも、久しぶりに深夜のラジオを聞き、
何故か昔のことばかりを思い出していた。
30年前に起きた出来事が
まるで嘘のように思えた。
あの頃に流行ったフォークソングを聞きながら
大学生活を思い出していた。
そして一番辛かった20代、
食べられなくて25キロまでやせ細り
死さえ覚悟していたあの頃のことが
まるで走馬灯のように私の脳裏を駆け巡った。
もうあの頃には戻りたくない。
戻りたくても戻れない。
真夜中のラジオから流れていたカーペンターズの
あの凛として澄んだカレンの歌声は
私に新鮮な空気を運んで来てくれた。
一睡も出来なかったけれど
その割には疲れていないのは
きっとこのカレンの歌声に
私の心が癒されたからだと思う。
カレンも同じ拒食症で亡くなった。
もし、今生きていればきっと素晴らしい歌を歌っていただろう。
私がもしあの時にカレンと同じように死んでいたら、
今の私は居ないのだ。
今日から師走、
年月の経つ早さをしみじみ感じる。
こんなにも早く過ぎていく月日のことを思うと、
一日を何気なく過ごしたくないと思う。
今を大事に、
そして一日一日を意味あるものにしたい。
真夜中のラジオは私にそんなことを教えてくれた。
スカーレット
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