スカーレットの心のつぶやき
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2011年05月31日(火) 久しぶりの晴れ

梅雨に入って、台風2号の影響もあり

ここ数日は毎日雨・雨・雨の日々が続いた。

特に一昨日は風雨ともに激しく

車で買い物に行っても

傘もさせないほどの強風と大雨だった。

雨が続くと洗濯物が乾かない。

いつもなら、日当たりも良いこの家で

洗濯は全く苦にならないことなのだが

数日は洗濯ものも乾かずジメジメして

早く晴れてくれると良いなあと思っていた。

昨日は久しぶりに晴れた。

洗濯もし甲斐があるというものだ。

カラッと乾いた洗濯物を取り込むときの気持ちよさ。

やはり晴れは良い。

雨が降らないと夏場の渇水が心配だし

雨が降っていると洗濯物が乾かないと不満を持つし

なんと、私って勝手なのだろうと自分でもいやになる。

昨日は晴れたし今日も雨は降らないみたいだが

また雨の日が続くみたい。

そこで、除湿乾燥機を買いに行った。

私の家にはある。

娘にも買ってやった。

でも、母の家にはなかった。

あると便利だ。

お風呂場から出る部屋は

洗面所と洗濯機が置いている。

広さは三畳ほど。

リビングではないから除菌や徐臭機能はいらない。

結局、7畳から11畳向けで

パナソニックの普通の除湿・乾燥機を買った。

値段は思ったより安価だった。

ホームセンターに行き

洗濯物を干すポールを買って来て

部屋の壁に渡した。

これでいつ雨が降っても大丈夫だ。

節電とは逆行しているかもしれないが

必要経費と思おう。

今日はこの晴れ間を利用して

裏の雑草を抜こう。


2011年05月30日(月) 原因

昨日は日曜日だったが

夫の体調が悪いので

朝、入院していた病院へ電話をかけた。

夫の症状を話したら

二次救急外来へ来てくれとのこと、

救急救命センターの中にある

二次救急は

入院前や退院後の人たちの

体調の悪いときに対応する外来のようで

夫を連れて行ったときには

やはり同じような人が数人来ていた。

夫はレントゲンやお腹のエコーを撮り

利尿剤をいれた点滴をしてもらった。

検査の結果が医者から話がされた。

それによると

夫が訴える諸症状は

勿論、腹水はたまっているが

それほどの量ではない。

寧ろ大腸の中に便がいっぱいたまっていると言われた。

夫は便秘はしていないと応えていたが

検査結果の方が確かだ。

正直言って拍子抜けした感じがした。

でも、喜ばないといけない。

もし夫が訴える症状の原因が

お腹の中の腹水だったとしたら

また管を入れて出さないといけない。

入院となるかもしれない。

便が原因だったことを喜ぼう。

夫は気分的にも少しは楽になったのだろう。

症状も少し楽になったとのこと。

でも、食事の量がとても減っているから

便秘にもなりやすいのだと思う。

脂ものをしないで

野菜と魚等のタンパク質を取れる

食事の献立を考えるのも

私の仕事のひとつだ。

夫の健康のために私自身の元気のためにも

これからもがんばろう。


2011年05月29日(日) 夫の体調

26日(木)に退院した夫、

病気療養許可を26日までもらっていた。

でも、退院時の医者の話しでは

退院後一週間して

6月2日(木)に抜糸をする。

その時にいつから仕事復帰ができるか?

決めるとのことだった。

ということで、

今日は29日だが

夫はまだ仕事復帰はしていない。

仕事などできる状態ではないのだ。

手術後腹水がたまって

それを管を通して体外へ出していた。

腹水は血液をちょっと薄くした色をしていて

管から出る腹水が二つのパックにたまるのを見て

なんともいえない不安を感じていた。

医者は手術もその後のことも想定内のことで

夫だけが特別な手術をしたわけではなく

入院も10日間とはじめに言っていた通りに

退院勧告をされた。

でも、私は夫の様子を見ていて不安だった。

退院が早すぎるのではないかと思ったのだ。

腹水が出るのが止まったのではない。

体外へ出す管を縫って塞いだだけだ。

だから、外に出ないでお腹の中に出て

それが内蔵を圧迫してしまうのではないかと思っていた。

私の不安は当たっていたようだ。

退院した日はそうでもなかったが

日が経つにつれて

夫の様子が悪くなってきている。

食欲はない。

ちょっと食べただけでお腹がいっぱいになると言う。

いつもなら、私が作った食事を残すことはないが

最近は昼も夜も半分から三分の一しか食べることが出来ない。

そして、夫曰く「今まで経験したことのない感じ」がすると言う。

きっと腹水が影響しているのだと思う。

昨日、病院へ連絡しようと思って

電話の前に立った私を夫が止めた。

電話しないで良いと言う。

電話をせずこのままにしていたら、

後で大変なことになるかもしれない。

昨日は土曜日、今日は日曜日で病院は休みだ。

でも、急患は別だろう。

入院していた外科病棟へ電話して

今の夫の状態を話し

緊急性を要するものか

それともしばらく様子をみていて良いものか、

それを教えてもらいたい。

夫は自分で電話すると言っているが

きっとしないだろうと思う。

どうしたらいいのかな・・

私が勝手に電話してみようか・・

でも、それで夫が機嫌が悪くならないかな・・・

否、今、一番考えないといけないのは

そんなことではなく夫の体調だ。


2011年05月28日(土) こんな時間に

普通なら寝ているはずのこんな時間に

こうして起きてPCに向かっている私、

実は、あることを友人に頼まれてしたのだけど

(ワードで作った文書のファイルを分割し送信する)

昨日、できたと思っていたのに

夜中に何か悪い予感がして

確かめたら、間違いが見つかった。

それでその間違いを修正し

改めて送る作業をしていて

こんな時間まで起きていることになってしまった。

昨夜ベッドに入ったのは午後9時前。

悪い予感がして目が覚めたのが

午後11時ころ。

そして、今午前0時15分。

作業に手間取ったということだ。

頼まれた人に申し訳なく

また、私が確認作業を怠ったことを

とても反省している。

今後は気をつけよう。

というわけで起きているが

作業に夢中になっていて

風邪の諸症状を忘れていた。

人間って勝手なものだ。

何かに集中していると

その時、どんなにしんどくても

忘れていられるのだから。

昨年、母が亡くなる前

ずっと看護していたときも

私の体は限界まで疲れていたのだと思うけど

その時には一度もしんどいと思ったことはなかった。

そして、母が亡くなった後も

倒れるかと、皆が心配してくれたけど

母の四十九日までは毎日忙しかったし

その後は夫の入院・手術があり

年末までバタバタしていて

私は自分の体のことなど忘れていた。

忘れるほど他のことが気になるのって

ある意味良いことなのかもしれない。

でも、一昨日夫が二回目の入院・手術を終え

退院した途端に風邪をひいてしまったということは

やはりほっとした私が居たのかもしれない。

やはり

私はいつも緊張しているのが良いということだ。

心を張りつめていたら

私は元気で居られるのかもしれない。

頑張るのをやめよと

友人は言ってくれる。

でも、私は頑張るのをやめることはできないということを

友人は知っていて

私に忠告するのがむなしくなるという。

姉もきっと同じ気持ちだろう。

母がもし生きていたら

母も同じ気持ちになっているに違いない。

私ってバカだなあ・・とつくづく思う。

自分で自分の首をしめながら

生きているのだから・・・

笑ってしまう。

そろそろ寝なくっちゃ。

朝は4時半に起きるのだから。

おやすみなさい。


2011年05月27日(金) 風邪の症状の順番

風邪を引くと、決まったように

症状が出てくることが多い。

今回の私の風邪も

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��寒気

�G�

�ど/紂�痰

�コ�

この順番でやってきた。

喉の痛みは大分和らいできた。

薬も飲まずうがいもしていない。

寒気もなくなり

薄着でも暑いと思うようになった。

これは発熱のためだと思う。

鼻水は今回はひどくなかった。

それでも痰は出る。

そして、昨日から咳がひどくなってきた。

咳は他人に嫌われる。

だから、マスクをしているが

それでも、一旦咳き込みだすと止まらず

特に夜などは苦しくてたまらない。

咳き止めや痰を出しやすいような薬もあるが

風邪引きくらいで医者に行くのは嫌なので

一切薬は飲まない。

風邪は万病の元というから

バカにしてはいけないのだろうけど

昔から風邪をひいたら

暖かくして栄養のある消化の良いものを食べ

横になって休むのが治す秘訣だと言われている。

私はこれらの秘訣を守らない。

第一休むことをしない。

食べ物は口に合うものを食べる。

アイスクリームが一番口に合うので

寒いなあと思いながら昨日も食べた。

休まないから治るのに日にちがかかる。

一週間では治らない。

多分、今回も長引く可能性が大だ。

他人にうつる風邪ではないと思っているが

夫は体力も弱っているので

うつしてはいけないと思っている。

なるべく外出も控えたい。

土曜日には聞きたい講演会があったが

これも参加は無理みたい。

残念。

私が考えている風邪の症状の順番からいえば

最後の段階に来ているから

もう大丈夫だと思う。

ただ、今の一番の悩みは

咳が出て胸が痛むことだ。

それと目がくしゃくしゃして

体がだるいことだ。

やはり健康が一番、

心が弱っているから風邪を引いたのかもしれない。

体も心も元気になりたい。


2011年05月26日(木) 風邪を引いた

やはり、私も風邪をひいてしまった。

娘の風邪がうつったのではなく

一昨日、寒気がしてこれは・・と思っていたら

昨日から喉が痛くなり

今日は熱が少し出ている。

でも、夫が退院するので迎えに行った。

夫はとてもしんどそうだ。

痩せている人がますます痩せた気がする。

歩くのも見ていてとても辛いほどだった。

退院しても来週の木曜日に抜糸するまでは

自宅療養ということになった。

私の家でゆっくり休んでくれると良いのに

自分の家の方が気が休まるのだろう

やはり自分の家に戻って行った。

夫の家、私の家と

他人が聞いたら不思議だろう。

私の家は母が居た家。

私の名義になったので私の家となった。

母が亡くなってずっとこの家に居る。

別居となるがそれは仕方ない。

私の家の方が居心地が良いのだ。

だから、夫も納得してくれているし

お義母さんも納得してくれているので

私はずっと母の家(今は私の家)に居る。

弁解がましいが事実だ。

でも、毎朝、夫の朝食をつくりに帰り

家事をして、また戻る。

自宅療養中も同じことをするつもりだ。

夫は夕食は食べに来てくれる。

そんなことで、夫も自分の家でゆっくりできるし

私も私の家でのんびりできる。

風邪をひいているから余計

夫のそばにいない方が良いだろう。

このまま夫が順調に回復し

仕事も復帰でき

そしていよいよ7月からは本格的治療を始めることが出来たら

嬉しい。

それまで、私も体力をつけねば。

今は何が大事か?

それを見極めて生きて行きたい。

何となく気が晴れず

そして、何もしたくない気がするが

それでも、夫のことは放ってはおけない。

アズキのことも、

早く風邪を治そう。

○○は風邪をひかないと

いつもそう思っていたが

私も風邪をひくことがあるのだなあ・・と

自分で自分を笑ってしまった。


2011年05月25日(水) 心に穴が・・・

昨日、娘が大阪へ帰って行った。

風邪を引き体調が悪いから

昨晩の家庭教師のアルバイトを休めば

金曜日まで居られると言った。

私はバイトを休んでここで風邪を治して帰ったら?と言ったが

先週も休んだので休めないと言い

午後3時の飛行機で帰った。

アズキを連れて送りに行った。

娘が搭乗ゲートへ消えた途端

涙が出てきた。

淋しくてたまらなかった。

母が亡くなったときよりも

もっと淋しくて言葉にならなかった。

アズキと一緒に家に帰ったものの

何もする気がしないで

しばらくぼうっとしていた。

私って何だったのだろう・・・

娘と一緒に暮らしていたときに

もっと仲良くしておけばよかった。

何故、娘とは気が合わないと思い込んでいたのだろう。

娘と一緒に過ごした日々を後悔している。

もし、私が今の私で居られたら

娘は大阪へ行かずにここにいたかもしれない。

娘が生まれて私の人生は変わった。

私にとって母と娘は

同じ血の流れる大切な存在だ。

その母も亡くなり私のそばからいなくなった。

娘も大阪へいき、来春には社会人となって

そして、いつかは結婚して

私から離れて行ってしまう。

そんなことを考えていたら

鬱になりそうだった。

何もしたくない。

もし、もし、

夫が私のそばからいなくなったら

もし、もし

そんなことがあったら

私は生きていられなくなるだろう。

母が亡くなっても

私には夫と娘が居る。

だから、私がしっかりしないといけない

そう思って今生きている。

でも、何が起きるかわからない。

私には何があるのだろう?

心に穴がぽっかり空いてしまった。

何もしたくない

何も考えたくない・・


2011年05月24日(火) 私も風邪気味

昨日は、娘の風邪のことを書いたけど

今朝、起きる時に私も喉が痛くて

鼻水が出て来て

どうも風邪をひきかけている感じがする。

今日の最高気温は24℃あるという。

でも、現時点では肌寒い。

薄着をしていたら

本当に風邪をひきそうなので

ヒートテックの長袖の下着を着た。

それでも、暑いとは思わない。

部屋を開け放していたのをやめ

ドアやふすまを閉めることにした。

娘はまだ二階で寝ているが

熱を測ってと言いに行った。

熱は36度台に下がっていた。

今日の午後帰ることができるのだろか?

夫の病院へは今日は行かないことにしている。

夫は腹水をためていた袋は外れたが

管を入れていた穴がなかなかふさがらず

そこから腹水が出てくるので

縫わないといけないらしい。

夕べ縫ってくれる予定だったが

寝る前に聞いてみたけどまだ縫っていないみたい。

後は順調良く回復している。

この分だと予定通りに退院できると思う。

胆嚢を摘出したから

これからの食事は脂っこいものと

消化の悪いものは食べないようにと言われたらしい。

下痢をしやすくなるとか。

私は今までも脂っこい料理はしなかった。

だから、その点では大丈夫だけど

ごぼうやコンニャクや消化の悪いものは

ダメになるのかな?

野菜の消化の悪いのは大丈夫だと思うけど。

早く私も風邪気味から抜け出して

明日には夫のところに行ってあげないといけない。

そして、娘の風邪が一日も早く治るようにと願うばかりだ。


2011年05月23日(月) 寒かった・・娘が風邪

今日は寒かった!

夕方の天気予報の中で

明日の最高気温は今日より3度高くて

25度くらいだと言っていた。

じゃあ、今日は22度もあったのかな?

外は雨、風もきつく

肌寒くて

肌着を長袖にして

上のTシャツも長袖のタートルネックにして

まだその上にカーディガンを羽織っても

寒かった。

この天気で

大阪から帰って来ている

娘が風邪を引いた。

一昨日の夜

寝苦しくて扇風機をかけっぱなして寝たみたいだ。

娘は二階に寝ているので

夜中に見に行くこともなかった。

もし、一階で同じ部屋で寝ていたら

扇風機は消してやることができたはずだ。

今日は、朝いちばんで内科へ連れて行った。

鼻水が出てくしゃみや咳が出ている。

喉も痛いみたい。

診察結果はやはり風邪。

熱も少しある。

薬をいっぱいもらって帰った。

昼前には歯医者へ連れて行った。

数年前に歯の矯正をしたのだが

その時の金具がまだ残っていて

舌に当たって痛いというので

矯正してもらった歯医者へ連れて行った。

娘を家に連れて帰り

その足で義母を連れて夫の病院へ。

夫は腹水を抜く管を抜いたら

その穴から腹水が出てきて

なかなか止まらないので

縫うことになったという。

縫ってでなくなったら退院もできる。

今日の夫は義母ともよく話していたし

普通に戻っていた。

娘の体調のことを話して

明日は来れないと言っておいた。

明日は午後3時の飛行機で

娘が大阪へ帰って行く。

三泊四日の帰省でバタバタしてしまった。

でも、アズキも大喜び。

私も娘と一緒にごはんを食べたり話したりして

本当に楽しかった。

風邪が早く治ると良いが・・


2011年05月22日(日) 再会

娘が大阪から帰省した。

昨日午前9時45分に空港へ迎えに行き

その足で夫が入院する病院へ行った。

娘が荷物を持ってゲートから出てきたとき

とても素敵な女の子だなあ・・・と思った。

私が言うのもおかしいが、

娘は小さいころ、本当に可愛かった。

娘を見て誰もが「こんな可愛い赤ちゃん見たことがない」

「誘拐されないようにね」と言ってくれた。

一時太ったこともあり、可愛さを忘れていたが

大学2年のころから綺麗になった。

私は大学生から卒業してずっと

拒食症だったので、綺麗だと思えるときはなかった。

ただ痩せているだけだったのだから。

だから、花の二十代の美しさを匂わす娘の姿に

自分自身を合わせてみたりして

それでも、やはり負けるなあ・・なんて思ってみたりして。

そんな気持ちで娘を迎えたのだ。

夫はどんな気持ちだろう。

男親は娘の成長する姿がまぶしいのかな?

それとも気恥ずかしい感じを覚えたのかな?

夫と娘は何も言わなくても

お互いに理解できるから

昨日も特別な話はしていなかった。

でも、再会してお互いにほっとしていると思う。

父親のことを心配はしているはずだが

お父さんどう?という言葉はなかった。

夫も自分のことを説明もしていない。

それでも、親子だから、通じ合うのだ。

ちょっぴり羨ましい気もする。

夫婦はもともと他人だから

お互いに話をしたり、気遣ったりして

関係を継続させる必要がある。

言わなくてもわかるのは親子だけ。

私たちの関係もそうだ。

最近はお互いに話すことが多くなったし

それなりの関係を維持できている。

娘を挟んで三人で食事をする機会は

まだまだ先のことだが

こうして娘とはだんだん距離を取るようになるに違いない。

今日は姉が私と娘をランチに連れて行ってくれることになっている。

姉も娘と再会するのは久しぶりだ。

お天気は悪いようだが

それなりに思い出に残るランチにしたい。


2011年05月21日(土) 少し元気に

昨日、家の用事を済ませてのち

夫の病院へ行ったものだから

駐車場に入るまでに時間がかかり

30分ほど並んでようやく入れたのは

午前11時になっていた。

病室へ行ってみると

夫が立っていた。

点滴は外れたが

腹水をためる袋を二つぶら下げているのは同じ。

私が紐を持って行ったので

その二つの袋に紐を通して肩からかけた。

食事は七分がゆ。

朝は全部食べれたと言っていた。

見た感じでは昨日に比べると元気そうだった。

でも、腹水を取るために

管を入れているところが漏れて

赤く染まることが多く

昨日も傷の上にフラット式のおむつをパッドとして当てて

その上に巻いている腹帯が汚れた。

おむつを一枚買い足した。

腹帯は洗濯。

夫が少しずつではあるが

元気になっている様子を見て

私も安心した。

でも、今の夫の恰好はあまりいいものではなく

他人様には見てほしくないだろうと思う。

アズキの話をしたり

久しぶりに世間話をすることができた。

今日は、娘が大阪から帰って来る。

父親の手術も心配だし

アズキの顔を見たいとのこと。

午前中に空港へ迎えに行くことになっている。

夫もアズキも喜ぶだろう。

私は数日ちょっと忙しくなるかな・・・


2011年05月20日(金) 外科

昨日、夫は歩いた。

手術をして次の日だというのに

点滴もまだ外れていないのに

看護師は歩くように勧める。

勿論、寝ていては足も体力も弱る。

外科は内科と違って、手術をしても

食事がとれるようになったら

どんどん歩いて体を動かすように言う。

夫は尿の管は外れてはいるものの

まだ色んなものを体につけている。

歩くのもそれらを点滴の台につけて

自分の手でも持って歩かないといけない。

午後は二回歩いた。

歩いた後、とても疲れた様子で

脂汗も出ていた。

食事は昼から五分粥が出た。

しっかりおかずもついている。

カロリーは400キロカロリーくらい。

これを三度三度食べていたら良いダイエットになりそう。

普段は残す人ではないが

昨日の昼と夜は半分くらいしか食べれなかった。

そうりゃそうだろう。

今日から軟飯、明日から普通食になる。

昨夜は遅くなってから点滴も外れた。

だから、口から栄養をとらねばならない。

頑張って食べてくれたらいいけど。

夫が入院してまだ三日目だというのに

私はとても疲れている。

緊張が解けたので、疲れがどっと出たのだろうか。

今朝も起床するのがとてもしんどかった。

このままずっと寝ていたいと思った。

でも、昨日の夕方にアズキを迎えに行ったから

アズキのこともある。

夫を放っておくわけにはいかない。

外科病棟は完全看護だから

私は居ても居なくても良い存在だ。

夫もきっと私の疲れた顔は見たくないだろう。

行くなら元気で行かなきゃ。

夫も昨日に比べたら元気になっているはず。

夫が頑張っているのだから

私が根を上げたらダメだね。


2011年05月19日(木) 成功

昨日はとても長い一日だった。

夫の病院へ午前8時に行く。

夫は元気もありお腹もすっきりして

手術に備える体制が取れていた。

8時半を過ぎ

看護師が手術着を持ってきた。

手術着に着替え、夫は点滴を引っ張って

二階にある手術室へ行った。

私も前まで付いて行ったが

病室へ帰って終わるのを待つことにした。

大部屋に入院していたが

術後は落ち着いて休めるように

個室に変えてもらい荷物を運んだ。

手術は9時半から始まり二時間ほどで済むと

医者から聞いていたので

早めにお昼を済ませて待っていた。

お昼を過ぎ午後1時を過ぎても

終わったという連絡が入らない。

午後1時半を過ぎて、看護師が手術がもうすぐ終わると言ってくれた。

予定時間を倍の時間過ぎたので

何かあったのではないか?

出血が多かったのでは?

開腹したのではないか?

などなど悪いことばかり考えてしまって

病院の中に居て座っていても

本を読んでいても落ち着かなかった。

夫の手術は長くかかったが

大出血もなく輸血することもなく

お腹を開けることもなく

問題はなく終わったと聞き

本当に良かった、安心した。

術後の医者の説明では

腹水がたまっていて

術後もきれいに出るまで

時間がかかるかもしれないとのこと。

それでも、今日の昼からは食事も出て

尿の管もとれてトイレに歩いて行けるらしい。

外科の手術は私も経験あるが

体力や足の力のことを思うと

できるだけ早くから歩くのが良い。

夫は順調良くいけば一週間で退院できるらしい。

昨夜は泊まろうかと思ったが

看護師が大丈夫だというし

夫も麻酔から大分覚めて

大丈夫だというので

午後8時過ぎに病院を出て帰宅した。

母に無事成功の報告とお礼を言った。

今日は少しは元気になっているかな?



2011年05月18日(水) 夫の手術

昨日は、指定された時間(午後1時)に病院へ行った。

入院受付を済ませて病棟へ。

部屋は個室ではなく大部屋しか空いていなかった。

着替えをして荷物を片付ける間に

看護師から説明があった。

外来で何も説明を聞いていなかったので

手術に必要なものや、事前の処置等を初めて聞いた。

もっと前から聞いていたら物心ともに準備できたのに・・

用意するものは、T字帯二枚(一枚は持って行っていた)

腹帯二枚、吸い飲み、フラット紙おむつ二枚、ティッシュひと箱。

一階の売店で購入する。

夫はレントゲンや止血検査をした後

お腹の中をきれいにするために

2ℓの下剤を飲むことになった。

大腸カメラをするときに飲む下剤だ。

二時間かけて2ℓの下剤は結構しんどくて

飲み終えた後吐いてしまった。

お昼ご飯は家で食べて行ったが

病院に入って今日の手術が終わるまでは飲食禁止。

今朝は9時に手術室に入ることになっている。

昨夜、病院で主治医からの説明を聞いた。

外来で聞いていたよりも大手術となる。

正直不安だ。

脾臓だけではなく胆嚢も摘出するとのこと、

夫は胆石があると言われていたので

この際一緒にとってしまうのだ。

夫の肝臓の影響で内臓的にあまりいい状態ではなく

今日の手術も大出血が起きる可能性もあり

開腹になるかもしれないし

手術後は腹水がたまるかもしれないと言われた。

予定ではお昼過ぎには終了する。

そして、ICUには入らない予定だが

これもどうなるかわからない。

私はこれから家を出て8時までには病院へ行くつもりだ。

長い一日になりそうだ。

どうか夫の手術が成功しますように!


2011年05月17日(火) 夫の入院

昨年の12月いっぱい入院して

肝臓がんと食道静脈瘤の手術治療をした夫は

その後、職場復帰し、毎日仕事に行っている。

だが、痩せているのは勿論

最近は疲れ気味で顔色もあまり良くなく

一緒に居て不安だ。

そして、今日、夫は再び入院する。

明日が脾臓摘出手術だ。

入院は今月いっぱいの予定。

でも、これは順調良く行った時のことで

はっきりしたことではない。

本人は不安もあるだろうが

顔にも言葉にも出さない。

出さない分、私は心配だ。

心配してもどうしようもないことは分かっている。

医者に任せるしかないのだから。

父の看護・そして最期を看取り

次は母の看護と看取り、

夫の入院・付き添いとこの数年

私の心の休まる日はあまりなかった。

その中で私を支えていたものが一つある。

しかし、その支えに頼っていてもダメだ。

私は私のできることをしなくちゃ。

夫の手術の成功を祈っている。

成功しても後がまた治療の日々が始まる。

その治療で夫が健康になってくれれば良い。

今朝は母の祭壇に夫の無事をお願いした。

アズキは今日から19日まで

病院で預かってもらうことにした。

私はこれから夫の看病に専念したい。



2011年05月16日(月) 五月晴れ

この数日、本当にいいお天気が続く。

まさに五月晴れだ。

心も五月晴れなら良いけど、

最近の私はちょっと鬱に近い。

何故かというと

家のことはできるのに

私がしないといけない

日本のために頑張るということが

やりたくない気分なのだ。

やはり代表を降りようかと思ったりする。

何度やめたいと思ったことか。

でも、今度は今までで一番その気持ちが強い。

私がしなくても

誰かがしてくれる。

昨日の日本会議の尖閣諸島を守れの署名活動も

本当なら行くべきなのに

行く気がしないで

家で片付けものやアズキと遊んだりして

その時間が過ぎるのを待った。

こんな気持ちで何ができるだろう。

何もできやしない。

無責任極まる。

だから、今のこの気持ちのまま

代表をし続けるのには無理がある。

何もかもから外れたい。

家のこと、アズキのこと、趣味のこと

そんな全く活動と関係ないことをして

日々暮らしていきたい。

逃げているのだろう。

それも良いのではないか。

今日はアズキのシャンプー・カットだ。

今朝もアズキと散歩しながら

アズキに色んなことを話しかけた。

こんな穏やかな時間を過ごしたい。

後何年生きれるかわからないのだから

自分が一番心が休まる方法で生きて行きたい。

これってダメなの?

自分勝手なの?

でも、人生なんて一度しかない。

後の人生を私は私の思うままに生きたい。

そう思うのは不遜なのか?

誰かに批判されても良い。

私は何もかもから逃げたい。

心は五月晴ではないのに

今日の天気予報も五月晴だと言っていた。

変なの・・


2011年05月15日(日) 期待はずれ

私の家(母の家)の近くに

旧厚生年金センター

今はウエルピア伊予がある。

伊予市が業者と提携して

ホテルやレストラン等を運営していて

ここのレストランのお昼のバイキングが

結構人気がある。

値段も90分食べ放題で¥980円。

デザートも豊富で値段以上の価値がある。

と思っていた。

と言うのは

3月に姉と食べに行き感激して

その後、同じ月に

友人と行ったり娘と行ったり

計三回食べに行った。

お腹いっぱいになり満足感も得ることが出来た。

昨日は、いつもの友人とランチをしようということになり

ウエルピア伊予へ食べに行った。

土日は混んでいて待つ時間もあるので

少し早目に行ってみたが

何と、並んでいる人も居ないし

レストランの中も空いていた。

さて、料理を取ろうとして納得。

この前に比べたら半分くらいしか

料理の種類がない。

パンも美味しくないし

デザートのパフェを作るガラスのカップもない。

何だこりゃ!と思った。

そして、お客は正直だなあ・・・と思った。

何か損した気持ちになった。

それでも、90分いっぱい居て

話しだけは出来た。

テーブルにアンケート用紙があったので

正直に思ったことを書いておいた。

来月の料理のテーマは

「昔懐かしい料理」だそうだ。

でも、もう行かないだろうと思う。

今はランチをする店は

安くておいしい店がいっぱいできている。

食べる人の気持ちを考え

雰囲気も良く、内容もヘルシーで味も良い店がある。

次はそういう店を見つけて行ってみたい。

昨日は、期待はずれだったということだ。


2011年05月13日(金) 父のお墓参り

今日、13日は五年前に亡くなった

私の父の月命日だ。

来月は祥月命日、

母が元気なときは母を連れて行っていた。

母が悪くなり、行けなくなって

姉がお墓に行ってくれていた。

そして、母が亡くなってからは

私も行くようになった。

今日も姉とお墓で待ち合わせ

お墓参りの後、どこかでランチをしようと思っていた。

でも、姉から体調が悪いので

行けないと連絡があった。

だから、

朝、近くの朝市で新鮮なシキミを買い

父の好物のおかきとどら焼きを持って

9時半に家を出た。

お墓までは30分かかる。

10時に着き

お墓掃除をし、

お茶碗の水を代え

シキミを生け代え

お線香とお供えものを備えて

手を合わせた。

お墓ではお願いをしてはいけないという。

でも、今日は来週の水曜日に手術する

夫のことと

就活を頑張っている娘のことを

お願いした。

お墓参りをすると気持ちがすっきりする。

自己満足だけど、父も喜んでいるだろう。

ただ、まだ母を納骨していないので

父に「ごめん、もうちょっと待って」と謝った。

明日は母の月命日。

母は父と一緒にお墓に入りたいのかな・・・




2011年05月12日(木) 誠さん

母が悪くなって看護が始まり

あのときは母のことだけを考えて生きようと思っていた。

だから、誠さんのことが気にはなっていたが

会いにも行けなかった。

母が亡くなったのを知って

お香典が送られてきた。

でも、話をしてはいない。

お礼のハガキを出したが

誠さんからは返事はなかった。

真民先生のことを思うとき

必ず誠さんのことを思う。

お変わりないのだろうか?

お店には出ているのだろうか?

一度会いに行ってみないといけないと思いながら

今日に至っている。

数日前

その誠さんから詩集第18集が送られてきた。

表紙には

「ガンバロウー日本

あきらめず

念ずれば

花ひらく

東北の皆さんへ」と書かれていた。

力強い誠さんの言葉に比べて

誠さんの文字は

それまでの文字と違っていた。

それが却ってアンバランスで

無理をしているのではないかと思った。

そして、

体調はあまり良くないのではないかとも思った。

挨拶の手紙と共に縦書きで書かれた詩集が入っていた。

一つひとつの詩を読んでいて

一つの詩にあたった。

それは「いのち」という題の詩だ。

その詩は私にとり衝撃的だった。

そして、何度も何度も読み返した。

誠さんの思いがずんずん私の心に伝わってきた。

さぞ、辛かっただろう。

悲しかっただろう。

悔しかっただろう。

誠さんをこの詩の中にあることに

追い込んだ人を呪った。

何で?という思いでいっぱいだ。

早速、その思いをハガキに書いて送った。

絵手紙を描いて送れば良かったと

後になって後悔したが

この一年以上絵手紙をずっと描いていない。

誠さんへ心を伝えるためにも

次は絵手紙を送ろう。

そして、誠さんに会いに行こう。




2011年05月11日(水) 母の誕生日

今日は、もし母が生きていたら

90歳の誕生日だ。

卒寿だ。

卒寿の卒の旧字体「卆」は

縦に読むと九十になることから卒寿といわれるらしい。

数え年で祝うのかな?

そうなら昨年、まだ母が生きていたときに

卒寿のお祝いをしてあげねばならなかった。

私は満で祝うと思っていたので

今日が、母の卒寿の祝いの日だと思う。

紫色のものをプレゼントしたらいいとのこと、

母の祭壇・遺骨の前に

何か紫色のものを買ってお祝いの品としてお供えしよう。

紫色の物って何かあるかな?

母はおはぎが大好きだったから

今日はおはぎをお供えしようと思っていた。

紫イモのおはぎがあると良いのに。

そうだ!紫色の花を買って来よう。

秋なら桔梗や竜胆の花があるけど

今は紫色の花はあるかな?

ああ〜薄紫色のホタルブクロがあったら

買って来よう。

白いチューリップを見て

母の居ない淋しさを募らせた私、

今日の母の誕生日も母が居ない淋しさをかみしめる日になりそうだ。

誕生日は生きているときだけ祝うものかもしれないが

私は敢えて母に言いたい。

「天国にいる母ちゃん、お誕生日おめでとう」


2011年05月10日(火) アイスクリーム

昨日、5月9日は

私の大好物「アイスクリームの日」だそうだ。

東京オリンピックが開催された昭和39年に、

アイスクリームをより身近なものとして

食べてもらいたいという願いから、

制定されたらしい。

今では一年中

家庭の冷凍庫にアイスクリームが入っていて、

いつでも好きな時に食べることができるが、

あの頃は夏場だけしか食べられなかった。

私が子供の頃、風邪で熱があり、

食欲のないときに、

母がバニラアイスクリームを買ってきてくれた。

当時は贅沢な食べ物だったので、

子供心に病気になって何か得した気分になった。

アイスクリームに添えられている

木の平たいヘラのようなスプーンは、

何であんな形なのだろうと不思議だった。

とにかく食べにくい。

上手くすくえなくて

ぽとっとこぼしてしまうことも度々。

そんな時、自分の不器用さを呪ったものだ。

また、バニラアイスをスプーンで

何度も何度もかき混ぜると、

空気が入ってとろ〜として来て、

市販のソフトクリームのようになった。

この年になっても、

アイスクリームには目がない私。

スーパーのチラシで

アイス半額の日を逃さず買いに走っている。





2011年05月09日(月) 白いカーネーション

昨日は、

私の母が亡くなって

初めて迎える母の日だった。

昨年10月、

母は、私たちに見守られ

自宅で静かに息を引き取った。

あれから半年、

私はまだ納骨できず、

毎朝母の遺影と遺骨に手を合わす日々を送っている。

母が生きている時は、

母の日のプレゼントに

母が好きだった黄バラを一輪添えて

贈ったものだった。

今年はプレゼントをしたくても母は居ない。

母を亡くした人は

母の日に

白いカーネーションを贈るという。

東日本大震災で母親を亡くした人たちが、

白いカーネーションの花束を

胸に抱えている姿をテレビで観た。

私も今年は、

母の祭壇に白いカーネーションを供えようと思った。

昨日、花を売っている店を数軒訪ね探し求めた。

でも、赤やピンクのカーネーションばかりで、

白いカーネーションはなかなか見つからない。

最後に行った店で

小さな白いスプレーカーネーションを見つけた。

母に「母ちゃん、今年は白いかーネーションを贈るよ」

と語りかけ祭壇に飾った。

それにしても、

白いカーネーションは酷な花だ。

母の居ない淋しさが余計に募り涙が出てきた。

そんな私を見て、

母はきっと言うだろう。

「一輪の黄色のバラの花でよかったのに」と。


2011年05月07日(土) かまぼこ板の絵のブログ

http://blog.rnb.co.jp/kamabokoita/?p=309#comment-59

このブログは南海放送の伊東ディレクターのブログだ。

ここでは、ギャラリー城川のかまぼこ板の絵展のことが書かれている。

ブログの名前は

「日本一短い手紙とかまぼこ板の絵の物語」

今は、東日本大震災で被災した

岩手県田老町の小学校の生徒さんたちや

ご父兄の絵やメッセージが載っている。

そして、私の絵も載った。

絵は心の手紙というけれど本当にそうだと思う。

本当なら捨てられるかまぼこ板が

絵を描くキャンバスとなって

新たな生命を持つのだ。

小さな板に描かれた絵には

描き手の人生や思いがこもっている。

そして、そのかまぼこ板の絵は

見る人を元気にする。

私は昨年の秋に母を亡くし

今年はもう絵は描けないと思っていた。

でも、館長の浅野さんに

母のチューリップと母の顔を描いてと言われて

はじめは気が進まなかったが

描きはじめると元気が出てきて

結局二枚どころか数枚描き上げた。

描いているうちに楽しくなった。

もう一枚、もう一枚と描けるのだ。

絵は下手だ。

でも、絵には私の心がこもっている。

特に東日本大震災の被災者の方たちへの

応援の絵には私の全魂が込められている。

励ましと癒しを感じてもらえたら嬉しい。

そして、このブログを一人でも多くの人たちに

見てもらえると嬉しい。


2011年05月06日(金) 立夏に思う

今日は立夏。

暦の上では夏が来た。

このところの天候は

夏のように暑い日もあれば

朝、起きた時ファンヒーターをつけたくなるほど

肌寒さを感じる日もある。

母の家に住みながら

こうしてゆったりと過ごせる日々が来たことの

幸せを感じる。

夫の手術のため、また忙しい日々が来るから

今は束の間の私の休める時間だと思い

家に居て片づけなどをしながら

幸せな時間をかみしめている。

人は天から封書をもらって生まれてくると言う。

その封書を開けると

中には、自分が生きて何をすべきかを

天が教えてくれていると聞いた。

でも、ほとんどの人が

その天からの封書を開くことなく

死んで行く。

せめて40歳には封書を開けてみるべきだとのこと。

私は天からもらった封書を開いているだろうか?と

この頃よく思うようになった。

世のため人のために生きているだろうか?と思うこともある。

私が生きてきたこと

今、こうして生きていることに

意味があるのだろうか?とも。

そして、考え結論は出ていないものの

少しだけは人のためになっていることをしてような・・

そんな気持ちになっている。

でも、40歳で開くことはできなかった。

50歳を過ぎ

55歳頃に封書に気付き開けてみたような

そんな気がする。

その封書には何が書かれていたか?

それは、私が父と母を看護し最期を見送り

父と母を祀っていくことと

今、こうして頑張っている

日本を少しでもよくするための活動を

すべきだと書いていた。

ハハハ・・・(笑)

一人で納得して自己満足している私、

本当は天は違ったことを書いていたりして。

それに気付くのはいつの日になるだろう。

立夏を迎え

母の日を前にそんなことを思った。


2011年05月05日(木) 新しいページ

今まで、どこかへ行って写真を撮って帰っても

それを自分のPCには保存しても、アップすることができなかった。

このエンピツででも有料なら画像をアップできるが

私が使っているのは無料のため画像アップができない。

外出して写真を撮る機会はそんなに多くないので

まあいいか・・と思っていた。

でも、昨日行った牡丹園で移した牡丹の花を

何とか保存して公開したいと思い

新しいページを作った。

「心のアルバム」と題したものだが

そんなに大したものではない。

ブログに画像をプラスしたもので

このつぶやきにアップできないときに

こちらに日記を書き写真を載せたいと思う。

興味のある方は覗いてみてください。

http://cutenao.seesaa.net/

ということで第一回目は

昨日、夫とお義母さんと三人で行った

東温市のどぶろぐの里の牡丹園だ。

本当は姉と行こうと話していた。

でも、姉は何度も行ったことがあるし

母の日も近いので

夫にお義母さんを連れて行ってあげようと言って

三人一緒に行った。

アズキも連れて行ってやりたかったが

まだ抜糸が終わってないので

散歩もしていないし

傷口が汚れるといけないので

アズキはお留守番。

お土産に買って帰った

どぶろぐパンは今朝食べた。

柔らかくほんのりどぶろぐの香と味がして美味しかった。

マドレーヌは今晩でも食べよう。

多目に買って来たので

大阪の娘に荷物の中に入れて送ることにした。

新しいアルバムのページはこれからもどこかへ行って

写真を撮って来たら更新しようと思うので

よろしく!


2011年05月04日(水) 連休

今年の連休は前半後半合わせて

10連休となった人も居るらしい。

昨日は一般道もとても混雑していた。

高速道路の、土日祭日上限1000円が

6月以降はなくなるので

安い料金で走れる大型連休は

皆、走ってどこかへ行きたいと思うのだろう。

最近、観光客の減少がみられていた

道後温泉も、東日本大震災の影響で

訪れる人の数が増え

ホテルも格安宿泊料金を設定したので

結構、観光客が増えているとのこと。

一方ではまだ行方不明者が1万人も居て

被災している人達も不自由な生活をしている。

皆が自粛すれば経済は停滞する。

だから、連休にお金を使って遊ぶのも良いだろう。

でも、心から楽しめるのだろうか。

私にはできない。

もし、どこかへ出かけるにしても

心には被災したひとたちのことがひっかかるだろう。

東北地方へ行く高速はあまり混んでいないらしい。

好き好んで被災地に遊びに行く人も居ないだろうが

それでも、東北地方を元気にするためには

少しでも行ってお金を使ってあげるのも良いのではないだろうか。

という、私は連休中の外出は予定がない。

30日に講演会で大阪には行ったが

所謂レジャー観光のために行ったのではない。

今度の日曜日は母の日だ。

夫にお義母さんをどこかへ連れて行ってあげようと言ったが

夫の返事はNOでもYESでもない。

無言。

これって何?

私にはわからない。

東温市にボタンが綺麗なところがあると姉から連絡が入った。

姉は行ったことがあると言う。

夫にそのボタン園に行ってみない?と言ったが

今日はどうなるのだろう・・・

連休もこんな風にして片づけや家に居て終わるのかな・・

母が生きていたら、近場でも良い

きっとどこかへ連れて行ってあげていたはず。

気分転換に出かけるのも良いかも?


2011年05月03日(火) 片づけその2

昨日は少し休もうと思っていたが

母が亡くなってからそのままにしていた

押し入れやクローゼットやタンスの中の整理をした。

初めは、私の服を入れるスペースを確保しようとしたのだが

片づけていくうちに段々エスカレートしていき

押し入れの中を全部出して

要らないと判断出来るものをゴミ袋の中へ。

結局、午前中4時間かかって

押し入れ等の片づけが出来た。

大きなゴミ袋2つがいっぱいになった。

でも、母の服を捨てたのではない。

母のものは捨てられない。

母の服を見ると母のことを思い出して

片づけている手を休めてしまった。

片づけたのは

私や娘のいらないものを母の家に持って行っていたのを

母がちゃんと押し入れやクローゼットにしまってくれていたのだ。

もう娘も大人になったし

流行遅れの服なんて着ない。

古着屋さんへ持って行っても

足元をみられてたたかれてしまうだけだから

持って行く手間を考えると捨てたほうが良いと思った。

私はバッグを大分捨てた。

バッグが好きで

買っては使わずそのままになったものもある。

いつも持つバッグは決まっていて

目新しいものでも重いものは持ちたくないし

結局使わないままになってしまう。

娘も中学生の頃は大きかったので

サイズもLを買っていたが

今はもう着ることはない。

だから、思い切って捨てた。

すっきりした。

私が気分的に一番すっきりするのは

こうしてゴミを捨てた時だ。

後でしまったと思うこともあるかもしれないが

綺麗に整頓されすっきりした押し入れ等を見たら

少々の後悔などどうでも良い。

母もきっと笑っているに違いない。

父はものを捨てない人だったが

母は私と同じで要らないものは捨てる主義の人だった。

私はその母以上に要らないものは捨てる主義の人だから

母が「えっ!それも捨てて良いの?」と言っている気がしたのだ。

肩凝りもひどいし、疲れも残っているが

気持ちだけでもすっきりしたので

やはり二日かかって片づけをしたことは正解だと思う。


2011年05月02日(月) 家の片づけ

このところ、日によっては

夏になった感があり

服装も今まででは暑いし、

寝具も冬のままにしていた私は

睡眠時間もあまり取ってなくて

大阪行きの疲れも残っていたが

昨日は衣替えと寝具の洗濯

そして扇風機を出したりして

部屋の模様替えもした。

母が亡くなったのが10月。

昨年の夏も暑くて10月でもクーラーを入れていた。

そして、ベッドシーツも夏のを使って母は逝った。

あれから半年経ち

その時の夏用の寝具から冬用へ代えたのが

ついこの間のように思える。

それが、もう夏用のものを出す季節となったのだ。

月日の経つのって本当に早いものだ。

午前中、何度も洗濯機を回した。

幸い、風が強く吹いてきて

洗濯ものは全て乾いた。

これで、夏になっても涼しく暮らせる。

私の一番苦手な衣替えも終わった。

済んだ途端に急に疲れを覚えた。

大阪で重い荷物を持って歩いたので

肩凝りがひどく、その痛みが襲ってきた。

仕事をしている時には気付かなかったが

私の体には相当無理がいっている気がする。

今日から夫は5連休。

食事のことで毎日しんどいな・・・・

休める時には少し休もう。


2011年05月01日(日) 一色正春氏の講演会

昨日、4月30日、大阪の商工会議所で行われた

一色正春氏の講演会に行ってきた。

一色氏は尖閣諸島沖での中国船が海上保安庁の船に衝突してきた事件で

政府が公開しないビデオをユーチューブに公開し

私たち日本国民に、あの事件が中国船に非があることを

わからせてくれた人だ。

海上保安庁を退職した後

今は仕事はしていないが

本を出版されてもいる。

昨日の講演会は初めてだったとか。

実は、私が前々から愛媛で一色氏の講演会を開きたいと思っていたので

昨日は実際に話を聞きたいと思って出かけた。

一色氏には前もって手紙を差し上げていたし

主催側の人に一色氏に私を紹介してほしいと頼んでいたので

実際にお会いすることもできたし

愛媛での講演会のことを話すこともできた。

まずは第一歩を踏み出したということになる。

一色氏の講演会の題は「国防について」だった。

国防とは国を守ることだが

軍事を増大するだけのことではなく

一人ひとりが自分でできることは何かを考えて

行動することであると言っていた。

それはその通りだと思う。

中国による日本の水資源の買い占めに反対することや

外国人に地方参政権を与えないようにすることや

正しい歴史を勉強し子供たちに教えることなど

自分ができることをそれぞれがすれば

それが日本を守ることになる。

また、意見が違う人を疎外するのではなく

腹を割って話し相手の言い分も聞くことが必要だとも話していた。

これは私の苦手なことで耳が痛かった。

自分と同じ意見の人とは話したいが

違った人とは喧嘩になりそうで話したくない、

これが私の本音だ。

でも、それではいけないことがわかった。

聞きに来ていた人たちのほとんどは

ビデオ公開したことについて

一色氏から聞きたかったのだと思うが

それは本を読んでくださいと言っていた。

尖閣諸島をこれからどうすればいいか?という話が

一番興味深かったしためになった。

一番に携帯電話の基地を作り

安心して漁をする人が増えて行けば

灯台も設置できる。

そして、水産会社を作ることもできる。

とにかく中国に対して

尖閣諸島は日本固有の領土であるということを

はっきりと示すためにも

実効支配をすることが必要だ。

尤もなことだと思った。

講演は1時間ちょっとで

後は休憩をはさんで質問の時間だった。

でも、質問にはわからない

答えられない

自分で考えてくれという答えが多かった。

そうそう本を読んでくださいとも言っていた。

感想としては期待しすぎたせいもあるが

もっとビデオ公開についての内容を離してほしかった。

でも、行ってよかったと思う。

お昼に娘とも少しの時間だが会うことができ

インド料理を一緒に食べることができた。

誕生日のプレゼントも遅くなったが渡すこともできた。

帰宅したらもう今日になっていて

睡眠時間がほとんどなかった。

でも、今は疲れていない。

意義のある講演会に行けたからだろう。


スカーレット