2002年07月19日(金) |
日々暗くなってないか?この日記 |
親に、うつ症状以外のことを話した。 フラッシュバックが起こること、涙が止まらないこと。
PTSDという病名は伏せた。 それでもフラッシュバックとしてイジメのことが思い出されるということは告げて、レイプされたことは言わずにおいた。 知り合いに自分の子供がやられて、自分が気づかなかった、、などという自責の念が押し寄せてくるだろうと思ったから。 まだ幸いにも幼いときだったので、妊娠ということはなかったから未だに親も知らぬままでいられるのだろう。
希死念慮のことは、言うかかなり迷いながらもやめてしまった。 私は看護をやっているときに人の臨終する姿を何度も見てきた。 エンゼルケア(遺体をきれいにするために綿球など、処置の必需品がセットになっているもの。あるいはその処置)も何度もしてきた。 亡くなった患者さんは、まるで寝ているかのように横たわっていた。 別に宗教を取り立てて信じているわけではないけど、肉体というものはただの器に過ぎないのかもしれないとも思えるときがあった。
自殺という行動には出たことはない。 それでも記憶がなくなり、気が付けば線路に落ちそうになっていたことはある。
疲れたということは言いたくなくて、助けてということも言いたくなかった。 ましてや親の前では絶対に言いたくなかった。 何度も言いたかったけど、仮面をかぶった。 元気ある言い方をして、笑顔を見せて、病気を底に沈めた。 これからもきっと言わないと思う。
育て方を間違えた娘は、どう生きていきましょうかね。
|