独白2
DiaryINDEX|past|will
表と同じ題名ですが。 ひねりようが無いんですよ、頭悪くて。 今日は二度目の「千と千尋の神隠し」を見てきました。 意外に混んでるんですね、まだ。 妹と母と見に行ったんですが、ギリギリではいりました。ラーメン食べてたら時間が…またラーメンです。 つーか今ウッザイことにパソコのある部屋に家族全員がいてうるさいことこの上ないです。さっさと飯でも食いに行って欲しいですね。
で、やっぱり二度目ながら良いです。飽きませんね。 凄いですよ。なんつーかね、歳を感じます。私は。 こーゆー話はデジマンガ描いてるときにいっぱいしましたね。 ついこの前の話なんですが。8月ですからね。 でももうホントに昔に感じます。たった2ヶ月が。 昨日昔の日記を読み返してました。中学ん時の日記ですけどね。 昔から時の流れがすごく気になってたみたいです。 「いまのままでいたいなあ」とか。
今の私は法律上ではまだ子供で、でも本当に子供かと言えば自分でも解らない微妙な歳です。 一人では生きていけない。だから子供だと思う。 でも大人と同じことをもう簡単に出来る。だから子供じゃない。 どちらかと言えばもう大人なんでしょうけどね。本当に一人で生きていけないかと言えば答えは『NO』ですから。
子供は羨ましい位他人のために動けるものです。 それは本当は自分のためなのかもしれないし、自分勝手が他人のためになっているだけなのかもしれない。 でも子供はそんなことを思わせることもなく他人のために動いてるように見せる。 私はいつからかその行動が他人のためだと思わなくなり、「可哀想」は同情で見下すことだと思うようになりました。 子供にはそんなことを考えている余裕なんて無いんですね。自分が生きるのに素直に一生懸命だ。 いつからか私はそれが出来なくなって、大人の教えた倫理と言う建前と、自分の感じてる現実の間に身を置いている。 そしてそれに気づいた私はもう昔のように振る舞うことは出来なくて、戻りたいと思う後ろ向き思考を持つことになるわけです。
「千と千尋の神隠し」の、一番最後で白が「トンネルをぬけるまでけして振り向いてはいけないよ」と言ったのはこういうことなのかもしれません。 トンネルをぬけるまでというのは、私たちが一生懸命生きなくてはいけない時間で、その後は振り返って思い出すような時間があってもいいだろうということ。 一生懸命生きなくてはいけない時に振り返るのは「過去に捕らわれて前に進めないよ」と言う警告のように感じました。 後で振り返って笑えればいいじゃないか。って。 でも弱い私には難しい。 振り返る頃までにはもう忘れていそうで怖いし、過去にこだわらずにはいられない。 忘れることで生きていけることもあるのに楽しいことだけは覚えていたがる。 でも楽しいことだけを覚えていても私は生きていけないことも知っている。 時が止まればいいと思っていても成長しなければ良いとは思っていない。 時が流れなければ成長する事もないのに。 我が儘で自分勝手です。
「千と千尋の神隠し」を見ていて、「時」と言うものとともに私が感じたこととえば、やっぱり『完成されたもの』というものです。 私は同人をしてます。今は描いていなくても自分のオリジナルなものは描いていません。 そして題材は(と、いうんですかね?)は週間連載中のもので、完成されたものではないんです。 あ、『完成されたもの』っていうのは『完璧なもの』とは違うんですよ。 完成されたものには取り入る隙もなく、所詮私のやっていること(同人活動)というのは人の作品に難癖を付け、寄生しているに過ぎないと言うことを実感しました。 他人の作っているものをいくらいじってとしてもそれはその作品の『同人マンガ』でしかなく、その作品がいくらうまくても、感動させても『同人マンガ』でしかないわけです。
そして完成されたものをいくら好きになったとしてもその作品は感情を持つわけでもなく私に何を返してくれるわけでもないし、いつもは好きになったら『同人活動』ができるけど、『完成されたもの』ではそれも出来ない。 『完成されたもの』で同人しようとすればそれはマネになってしまう。 ホントに意味を成さない活動なんですね、本当は。 本当に上を目指している人はこんなことをやらずにもっと自分のものをだしているんだと思います。 私の意見ですけどね。あくまで。 同人は同人で意味があるものなのでしょうが、その限界が見えているという話です。
宮崎アニメはいろいろなことをさりげなく表現していて、本当にすごいと思いました。 でも本当に宮崎さんが表現したいことを私が感じ取ったのかというとそんなことは無いと思いますけどね。 所詮自分の感覚でしか感じることができないものですから。 感じる自分が偉いというわけでは全くないんですが、母と妹の何の考えのなさをみて、ホントに見る人にも『考え』というものを持ってもらいたいものだと思いました。
|